研究室探訪

英語の構文の法則性を探る

藤川 勝也 准教授(言語学コース 言語学分野)

 私は英語学を専門にしています。英語学とは言語学の一分野で、私は主に意味論、機能的統語論、認知言語学と呼ばれるものに関心があります。
 具体的に言うと、例えば、日本語母語話者であれば (1) と (2) において「な」か「の」のどちらが自然かすぐに判断がつくと思います。

 

  (1) a. {清潔な / ??清潔の} 人
    b. {健康な / ??健康の} 人
  (2) a. {??裸な / 裸の } 人
    b. {??裸足な / 裸足の} 人

 

 (1a, b) では、それぞれ「清潔な人」、「健康な人」のように「な」の方が自然なのに対し、(2a, b) では「裸の人」、「裸足の人」のように「の」の方が自然です。この使い分けは学校や親から一つ一つ教えてもらったわけではありません。それにも関わらずこの使い分けができるのは、私たちがこの表現の背後にある何らかの法則に従っているからです。しかし、その法則が何か説明しろと言われてもすぐにはできないと思います。
 このように、ことばには私たちが従っているにも関わらず、それがどのようなものか分からない何らかの法則があります。これは英語でも同じです。例えば、中学校で (3a) のような二重目的語構文という構文を習ったと思います。その際に、(3a) を (3b) (あるいはその逆) に書き換える練習をしたかもしれません ((3a) は二重目的語構文、(3b) は与格構文と呼ばれます)。

 

  (3) a. John gave me the ball.
    b. John gave the ball to me.

 

 (3a, b) は確かにおおよそ同じ意味を表すので、二重目的語構文と与格構文は書き換えが可能なように見えます。しかし、興味深いことに、(4a) を (4b) のように与格構文で表すとやや不自然になります。

 

  (4) a. I gave the fence a new coat of paint.
    b. ?I gave a new coat of paint to the fence.     (Langacker 1991: 14)

 

 逆に、(5a) を (5b) のように二重目的語構文で表すとやや不自然になります。

 

  (5) a. I sent a walrus to Antarctica.
    b. ?I sent Antarctica a walrus.            (Langacker 1991: 14)

 

 では、なぜ (3) ではどちらの構文も用いることができるのに、(4) や (5) ではどちらか一方の構文しか自然と判断されないのでしょうか。英語母語話者に聞いても、どちらの文が自然かという判断はできても、その理由までは分かりません。しかし、ここにも彼らが従っている何らかの法則があります。
 言語現象を説明する際には、さまざまな要因を考えなければなりませんし、それらが複合的に絡み合っており、一見無秩序に見えることがあります。しかし、そこにも何らかの秩序 (法則) があり、それが何かを明らかにしたいわけです。

略歴

1979年生まれ。大阪市立大学大学院後期博士課程修了。2012年から現職。主な論文に「叙述の二次述語に対する意味的・語用論的分析」『日本認知言語学会論集』第7巻,「描写構文における2つの類型:「修飾型」と「叙述型」」『英語語法文法研究』第15号,“Depictives and Wh-Extraction―From a Semantic/Pragmatic Point of View―,” Queries 46など。

University of Toyama School of Humanities

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