研究室探訪

研究するのに必要なのは

川島 拓馬 講師(東アジア言語文化コース 日本語学分野)

「日本語を研究する」ということ

川島 拓馬 講師
(東アジア言語文化コース 日本語学分野)

 私が専門としている「日本語学」は、「分かりそうで分かりにくい」分野なのではないかと思います。「日本語」とあるからには日本語について研究するんだろう、ということはすぐ理解できるとしても、それでは「“研究する”とは何なんだろう?」という点が気になってきます。研究と研究でないものを分ける点は何なのか、私見を述べるなら、「何かしらのデータに基づいているかどうか」ではないかと考えています。私たちは自分の使うことばについて日々いろんなことを感じ、考えていて、それは専門的な勉強をしたかどうかに関わらず自然にやっていることです。ところが研究となれば「自分の感じ方」を出発点にすることはできず、他の人にも納得してもらえるような根拠とともに、何かを主張しなければいけないのです。
 根拠となるデータの集め方にはいろいろな方法があります。自分の頭の中で「○○という言い方はどんな状況で自然になるだろう、どんな状況なら不自然になってしまうだろう」などと考えるのも一つの方法ですし、アンケートやインタビューなどで人に尋ねてみるのも有効です(この方法で卒業論文を書く学生は毎年のようにいます)。それから、実際のことばの使われている例を様々なところから集めてくるという方法もあり、いわゆる古典文学作品や昔の辞書、現代の小説や新聞、はたまたインターネット上の文章まで、多種多様な資料からことばを探します。
 私が主に研究しているのは、日本語の文法に関する歴史です。古い時代のことばについて扱おうとすると、自分の頭の中で考えたり人に尋ねたりすることはできませんので、残された資料から手掛かりを集めてくるしかありません。私がよく見ているのはだいたい16世紀以降の日本語の姿が反映されている資料で、特に江戸時代から明治・大正時代ごろの資料を使うことが多いです。このページにもいくつか写真を載せてあるので、ご覧ください。

移り変わってゆく文法形式

1809年刊、『浮世風呂』(前編)版本
(人間文化研究機構 国立国語研究所所蔵)

 さて、私自身の研究についても少しだけお話ししましょう。日本語において文法的な働きを担う形式、たとえば助詞や助動詞の類は、昔はなかったけれども今は普通に使われているものがたくさんあります。たとえば直前の文に使われている、逆接を表す「けれども(けれど・けど)」は室町時代の終わりごろに見られるようになった形式です(「けれど・けど」は江戸時代以降)。他にも、古文の時間に勉強した「つ」「ぬ」「き」「けり」「らむ」「けむ」「めり」なども現在では使われなくなっています。代わりに「~ようだ」「~にちがいない」「~なければならない」といった形式は、新しく登場した形式です。つまり、古文としてお馴染みの平安・鎌倉時代から現代にかけて、文法形式の多くが入れ替わったということです。しかも、「昔はAと言っていたけれど今はBと言っている」というような単純な交替にとどまらず、そもそもの形式の数が増えている、言い換えればバリエーションが豊かになっていることも指摘できます。このことから、日本語の文法に関する大元のシステムや、表現上重きを置く点に大きな変化が生じたことが示唆されます。
 日本語の歴史の中では比較的最近(およそ16世紀以降)になって誕生した文法形式には、もともと名詞や動詞であったものから変化して生じたものが多数見られます。具体的には、「筈(はず)」+「だ」→「はずだ」、「所為(せい)」+「で」→「せいで」、「ない」+「ば」+「なる」+「ない」→「なければならない」、「に」+「関する」+「て」→「に関して」などです。私が特に関心を持っているのが名詞に由来する形式で、こういったものがどのように成立して、どのような変遷を遂げて現在まで至っているかを明らかにしたいと考えています。「筈(はず)」は弓矢の矢の部位である「矢筈」に由来するのですが、それが今では「当然そうなるだろう」という確信や納得を表す形式になっているのですから、ことばの変化の不思議さ、面白さが実感されます。
 ここでは私がこれまで取り上げてきた形式として、「工場で爆発事故が発生した模様だ」のような新聞等でよく用いられる「模様だ」、「あいつは何もしないくせに口だけは達者だ」のように逆接の意味で使われる「くせに」を例に挙げてみましょう。前者は、使われるようになったのは意外と早く、明治10年代の新聞には既に例が見られます。その後、大正から昭和初期にかけてどんどん使われるようになっていくのですが、用例を観察していろいろな気づき(「~する模様だ」と「~した模様だ」のどちらが多いか?とか、「模様あり」という今はない言い方がいつ、どんなふうに使われているか?とか)を得るところが肝心だったと思います。後者は、「癖」という名詞に「に」を付けたらどうして逆接を表すようになるのか?ということがまず疑問であり、気になって調べ始めたという経緯があります。「くせに」という表現自体は室町時代には既に見られるのですが、最初は逆接ではなく、どちらかと言えば順接に近い意味で使われていたと言ったら驚かれることでしょう。ではなぜ現在のような逆接を表す形式へと変化したのか、それをお話しするにはかなり込み入った説明が必要になるので、気になった方はぜひ日本語学を志してみてください。こうした、「名詞」を出発点とした文法形式のダイナミックな変化を相手にすることが、私の研究の醍醐味であると思っています(その分、大変なことも多いのですが…)。

解明したい「問い」との出会い

1887年創刊、雑誌『国民之友』(第1号)
(人間文化研究機構 国立国語研究所所蔵)

 今でこそ、それなりに「ちゃんとした」問題意識を持って、必要となる知識やスキルを学んで研究を進めているわけですが、もちろん始めからそんなことが可能だったわけではありません。大学の卒業論文で扱ったテーマは今やっている研究とはだいぶ違うものでしたし、上で述べてきたような日本語の歴史に関する研究も大学院に進学してから取り組むようになったものです。それも最初は半ば思いつきのようなもので、「歴史的な方向から考えたら何か面白いことが分かるんじゃないか?」くらいの感覚でやってみたものが現在まで続いているわけですから、人生何が起こるか分かりません。何を研究対象として選ぶかについても行き当たりばったりな側面があり、「今一つよく分からないことがあるし、まだ誰もやっていないから自分でやってみようかな」といったノリで始めた研究がいくつもあります。また、当初取り組んでいたテーマが上手くいかず、とりあえず代わりに始めた研究が結果的に形になったこともあります。
 こんなふうに、最終的に研究の成果が出ていることに関しては幸運だったという側面もあるのですが、一つ言えるとしたら「明らかにしたいことがある」という自分自身の気持ちに正直に向き合った、という点は重要だったと思います。どんなテーマを扱い、どんな方法で「明らかにしたいこと」に対峙していくにせよ、解明したいと思えるようなテーマに出会うことが最も大切で、あとはそのために必要な自分の知識やスキルを身につけていけばいいのです。もちろんそれは簡単なことではありませんが、解明すべきことがあるという熱意が後押ししてくれるはずです。
 大学という場所において、研究するというのは特別なことではありません。そしてそれは、(研究者である)教員だけでなく学生にとっても同じです。今まで経験してきたこと、勉強してきたことを切り口にして、意外なところから「明らかにしたいこと」に出会えるかもしれません。人文学部はそうした「出会い」をサポートする環境を整えていますが、実際に考え行動するのは学生自身です。何もないところから気づきは生まれません。ちょっとしたことでいいので、新しいことを学び、吸収していってほしいと思います。その先に、皆さんが心から解き明かしたいと思える問いに出会えることを願っています。

略歴

愛知県生まれ。筑波大学大学院人文社会科学研究科一貫制博士課程修了。博士(言語学)。筑波大学人文社会系特任研究員を経て、2021年より現職。主な業績として、「文末形式「模様だ」の成立と展開」(『日本語の研究』13巻3号、2017年)、「逆接形式「くせに」の成立と展開」(『国語国文』88巻4号、2019年)、「大正~昭和前期の演説における接続表現の使用状況―雑誌と比較して―」(『富山大学人文科学研究』80号、2024年)などがある。

University of Toyama School of Humanities

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