研究室探訪

好奇心と猫

林 美希 講師(歴史文化コース 東洋史分野)

ならずものの近衛兵たち

林 美希 講師
(歴史文化コース 東洋史分野)

 わたしの専門は中国の隋唐時代で、とくに北衙(ほくが)と呼ばれた唐王朝の皇帝近衛兵のことを研究しています。中国歴代の王朝のなかでも唐といえば、シルクロードを通じて伝来したエキゾティックな文化が花開いた、国際色豊かな時代であったことはよくご存じでしょう。こうした特徴は、唐が西方や北方に支配の領域を広げ、周辺の異民族を取り込んで「帝国」を作り上げたことと深い関係がありました。
 帝国を支えたのは強大な軍事力です。今も昔も、軍事力は国家の基盤となる重要な要素のひとつですが、唐の場合はというと、ずいぶんと長いあいだ、国家の主たる兵力は前半期ならば「府兵制」で後半期ならば藩鎮である、というふうに考えられてきました。でも、ほんとうにそうなのでしょうか?
 そこでわたしが注目したのが、これまでほとんど重視されてこなかった皇帝近衛兵・北衙の存在でした。北衙は唐の太宗が起こした「玄武門の変」を機に誕生し、その後、皇帝が代替わりするごとにどんどん成長してゆきます。実は、唐前半期の約140年のあいだには、後継者が政変を起こし新しい皇帝として即位するという、なんとも乱暴な方法での皇位継承が6回も繰り返されており、しかも、玄武門の変を除く残り5回の政変すべてに北衙が関わっていたのでした。
 政変のたびに暴れ回る近衛兵たちは、時に呆れるほど打算的で、史料からはいつの時代もさして変わらぬ人間の心のありようを垣間見ることができます。それだけではなく、近衛兵というのは皇帝の側近くに仕えるものですから、彼らとともに唐朝廷の中心部を眺めているうちに、だんだんと、北衙という組織のしくみや彼らの存在意義が分かってきたのです。

異民族軍団と北衙に託された鍵

太宗の眠る昭陵

 北衙は近衛兵なので、もちろん、皇帝を守ることが最も大事な任務です。けれども北衙という組織には、それ以上に、唐という王朝を維持するための重要な役割がありました。それは、当時、世界最強と謳われた異民族騎馬軍団を皇帝のもとにつなぎとめておくという役割です。
 先にお話ししたように、唐では前半期にたびたび遠征を行い、領域を大きく広げます。これらの遠征で活躍したのは、唐に服属した突厥を中心とする異民族軍団でした。当然ながら唐の側では、彼らを厚遇し(と同時に監視し)、離反せぬようがっちりと抑えておく必要がありました。どうすれば、それができるでしょうか。唐が採った策とは、異民族の軍団を率いる首長たちにそれぞれ北衙将軍職、つまり皇帝直属の近衛の将軍であるというきらびやかな肩書きを与え、都に住まわせることでした。このようにして唐に仕えた異民族出身の将軍を、蕃将(ばんしょう)と呼びます。北衙のメンバーとして皇帝の側近に抜擢されるのは皇帝からの信頼のあかしであり、蕃将のプライドと忠誠心をうまくくすぐって、大いに効果をあげたものと思われます。
 こうして、北衙を媒介に異民族軍団を制御する体制が整えられました。これが安定している限りは、唐の国力は圧倒的であったといえるでしょう。なにしろ、あの異民族騎馬軍団を自在に出撃させることができるのですから。ところが、唐はしだいに、敵に回すとめっぽう怖いこの騎馬軍団をコントロールできなくなってゆくのです…。それはどうしてなのか?蕃将に何が起こったのか?北衙はどうなったのか?この続きは、教場でお話しいたしましょう。

わくわくするほうに進め

唐大明宮の含元殿より、丹鳳門をのぞむ

 さて、このように研究の話をしてみますと、わたしがはじめから歴史学や中国史の研究をしようと思い定めて、ここまでまっしぐらに走ってきたかのように思うかもしれませんが、そんなことはまったくありません。ちょっとうっかり、でもある程度は計画的に、道を踏み外した結果が今だと個人的には思っています。
 なにを仕事にして生きていくかを冷静に考え始めた高校生の頃、「大学院」という組織を知りました。学問分野にこだわりはありませんでしたが、なにかのプロフェッショナルになりたいとは思っていましたから、「そこで勉強すれば学問のプロに、きっと、研究者というやつになれるに違いない」、そうひらめいたわけです。学問の最前線を見てみたいという猫のような好奇心と、すてきな指導教授との出会いという幸運だけを道しるべに大学院に滑り込んだあと、それがいかに浅はかな考えであったのかを思い知るわけですが…(笑)
 そんなわけで、わたしからみなさんに言えることがあるとすればそれは、どんな道を選んだとしてもその先にはきっとつらいことがたっぷりあるので、どのみち苦難が降りかかるのならば、心躍るほうへ進むのがいい、ということだけでしょうか。どうぞ、知的好奇心を存分に羽ばたかせて大学に飛び込み、試行錯誤しながら自分だけのわくわくを見つけてください。
 歴史学は、史資料に基づいて過去の人間のありかたを探る学問ですが、過去について考えることは過去とつながる現在を考えることでもあり、自分の拠って立つところを知ることであり、世界中で人間が引き起こす現象の因果関係を解き明かすことでもあります。本学の東洋史分野では、中国史のみならず、中央アジア史・東南アジア史・朝鮮史・イスラーム史とユーラシア大陸の「アジア」と呼ばれる地域を広く対象とし、みなさんの勉強をお手伝いすることができます。「歴史(学)を学ぶことは、なんの役に立つのか?」。わたしと一緒にこの「難問」に挑戦してくださる方を、お待ちしています。

略歴

大阪府生まれ。早稲田大学大学院文学研究科人文科学専攻東洋史学コース博士後期課程修了。博士(文学)。早稲田大学助手、日本学術振興会特別研究員(PD)、早稲田大学非常勤講師等を経て、2022年より現職。主な業績として、「唐・神策軍の形態変化と後期北衙の誕生」(『史観』181、2019年)、『唐代前期北衙禁軍研究』(汲古書院、2020年)、「唐帝国の軍事と北衙禁軍」(富山大学人文学部編『人文知のカレイドスコープ』6、桂書房、2023年)などがある。

University of Toyama School of Humanities

contact us

ページTOP