私の研究について
ここでは、私がこれまでに取り組んできた研究を簡単にご紹介します。お読みになりたい項目をクリックすれば、各項目の行の先頭へ飛ぶことができます。
1.人はどうやって地理情報をやりとりしているのか
一つ目にご紹介するのは、主に大学院の修士課程にいた頃に着想し、私の研究者としての出発点になったテーマです。人の地理情報伝達に及ぼす文化や社会の影響は、果たしてどのくらい大きいのか明らかにすることを目的としています。
私たちは日々の暮らしの中で、すんなり地図を読み、カーナビの音声案内を聞いて道順を理解したりしています。よく考えると、これは凄い情報処理能力です。紙に書かれた絵を見、言葉を聞いただけで、目の前に伸びる道をどう進んで遥かかなたのゴールへ辿りつけば良いのかが分かるのですから。しかもリアルタイムでそれができるなんて。最先端のロボットだって、これをスムースにこなそうと思ったら大変でしょう。

こんな高度な情報処理や行動が可能なのは、説明する側とそれを聞く側との間に、地理情報伝達の決まりごとに関する、相互了解が成立しているからです。その相互了解とは、一体どのようなものでしょうか?また、どこからどこまでが生まれつき備わっていて、どこからどこまでが成長の過程で培われてゆくのでしょうか?この疑問を解き明かすための研究です。
もともと、この研究を思いついたのは、アメリカの大学院に留学していた頃の経験がきっかけです。現地で目にした地図のほとんどが、右図(上半分)のようなものだったのです。ご覧のように、道路網と通りの名前以外、ほとんど何の情報もありません。色も白黒。私にはどう考えても見にくいとしか思えなかったのですが、彼らはこの地図を当たり前のように使っていたのです。逆に私の示した下の地図を「ごちゃごちゃしてて見にくい」と言い出すアメリカ人に、びっくりしました。どうみても、私たちが普段使いこなしている地図のほうが情報量も多く、デザイン的にも優れているように感じませんか?「アメリカは先進国、何でも日本と同じかそれより進んでいる」、そんな私の素朴な先入観に疑問符が付きました。
言葉だって、日本語や英語の別があり、一度日本語ネイティブになってしまえば、容易に英語を話せるようにはなりません。逆も然りです。地図だって同じなんじゃないか、とその時思いました。こんなみすぼらしい地図(失敬!)を当たり前のように使って生きてきた彼らと、私たちとでは、空間理解の仕方そのものが違うのではないか・・と考えるようになりました。
調べてみると、この疑問をちゃんと調べた研究者はほとんど皆無であることも分かってきました。というのも、関連する研究成果の大半は、心理学の人たちが挙げていたのです。それらの文献を読み進めるうち、彼らはもっぱら「人の心=個人」の能力差や、脳内の情報処理を効率化するノウハウ(Strategy: 方略といいます)に目が向いており、個人差の後ろへ広大に横たわる社会や文化の影響なんて、大して重要ではないと思っていることが分かってきました。そこで私は、異文化比較の視点から、地図や道案内文の内容を異文化間で比較分析したり、異なる文化圏の人を経路探索させる(=資料の指示に従って道を辿らせる)比較実験を行うことを通じて、何とか科学的に「地図や道案内表現を用いた空間理解や経路探索に文化の差がある」ことを示そうと考えました。
以下は、この研究について書いた論文の一例です。興味をお持ちの方は読んでみてください。今やこのテーマで論文を書くことはめっきり少なくなりましたが、2024年にはいわゆる「青信号」を例に、色覚認知の文化的差異について久しぶりに論文を書きました。
このテーマに関する研究成果
- 鈴木晃志郎. 2000. 地図化能力の発達に関する一考察-生まれ持つのか,習得するのか-. 人文地理52(4): 65-79.
- Suzuki, K. and Wakabayashi, Y. 2005. Cultural differences of spatial descriptions in tourist guidebooks. In C.Freksa, B.Nedel, M.Knauff and B.Krieg-Brückner (eds.) Spatial cognition IV, LNAI 3343. Springer-Verlag, Berlin: 147-164.
- Suzuki, K. 2013. A cross-cultural comparison of human wayfinding behavior using maps and written directions. Geographical Review of Japan Ser. B 85(2): 74-83.
- Suzuki, K. 2024. Grue-type errors on traffic light colour-name responses. Geographical Reports of Tokyo Metropolitan University 59: 81-88.
2.人はなぜ争うのか。紛争をどう対話・相互理解・和解へと導けるのか
2つめのテーマは、私が大学教員になって初めて取り組んだ地域調査を通じて少しずつ具体化してきた研究課題です。地域住民の意志は、地域社会、外部有識者や一般世論とどのように関わりあい、いかなる過程を経て形づくられていくのかを突き止め、尖鋭化したコミュニティの葛藤や対立は、どうすれば対話・理解、和解へと向かうのかを明らかにしようとしています。
『となりのトトロ』や『千と千尋の神隠し』で有名な宮崎駿 監督が、『崖の上のポニョ』を制作するにあたって二ヶ月ほど滞在し、構想を練ったとされる海辺の港町・・それが福山市鞆町、通称「鞆の浦(とものうら)」です。

鞆の浦は、万葉集にも記述がある、歴史の古い天然の良港です。瀬戸内の海運拠点として栄え、一時は城下町にもなりました。今も往時を物語る名所旧跡や、小ぶりながら素晴らしい木造家屋の街並みが残されています。しかしながらその反面、町内を走る道路は江戸時代そのままの狭さ。元が城下町ですから、外敵からの防衛を目的に、道は入り組んだ形で張り巡らされています。
車社会の到来とともに、その狭い道路を抜けて福山市内へとマイカー通勤する人々や観光客たちの車によって、朝夕には渋滞と駐車違反が発生するようになりました。また道路沿いの住宅では、騒音や振動、排気ガスに悩まされるようになったのです。救急・消防車は延着するかも知れず、狭い一本道では交通を遮断しての下水管の埋設工事もできない。住民の大半はいまだに汲み取り式のトイレを使用しています。
この状況下で行政から提案されたのが、スペースに余裕のある港湾部を埋め立てて幅員の広い道路を通し、ついでに駐車場を作ろうという道路橋計画でした。1983年のことです(=右の地図中央の青い部分)。すでに鞆港を挟んだ両岸まで延びてきている道幅の広い県道(オレンジ部分)が、架橋によって最終的に結ばれ、渋滞が解消されるというアイデアでした。ですから、架橋事業を支持する人たちは口々にこう言います。「アンタ言葉使いからして間違っとるわ。“港湾架橋問題”なんて無い。あれは“港湾整備事業”・・」と。
ところが、この計画が公表されると、反対の声を挙げる人々が出てきました。鞆の浦は古き良き江戸の街並みが多くその姿をとどめ、土木建築学的にも貴重な港湾施設遺構が残る美観地区としての側面もあったのでした。もし架橋計画が実施されれば、港湾都市として栄えた鞆の【総体としての景観の調和】は致命的なダメージを被ってしまう・・反対の声を挙げた人々はそう主張しました(写真参照)。「景観権」をとるか「生活権」をとるか。鞆町に長い長い対立の時代が訪れることになります。

一般に、このように公共事業を巡って地域内に対立が起きている場合、行政や企業は悪玉とみなされがちです。か弱い無辜の民たちは、有識者や文化人とスクラムを組んで市民運動を起こし、ついには巨大な悪に勝利する・・という構図が定石でしょう。鞆にも2000年頃を境に、首都圏から高名な建築・土木工学の専門家が訪れ、街並み景観や港湾施設遺構の価値を裏づける調査を実施し、それをもとに架橋事業への批判を展開しました。実は私も、最初に新聞報道や書籍、テレビを通じて鞆の架橋問題を知ったときは、この構図が頭にありました。
・・ところが、観光目的で初めて鞆の浦を訪れ、たまたま入った一軒のお店で立ち話をしているとき、地元の方の口から出てくる言葉が、どうも外で聞いていたのとは違うことに気が付いたのです。海中に異物を建造する事に対して心中複雑ながらも、「橋は必要だから、架けて欲しい」、「渋滞や排気ガスは毎日の生活を脅かす問題」、「住んだ者でなければこの不快さは分からない」、「鞆の住民はみんなそう思っている」・・
彼らから語られる生の声は全くの予想外。私は大いに戸惑いました。マスコミなどを通じて聞こえてくる大きい声だけではなく、生活の現場にいる側の小さな声をも丁寧に拾い、双方の言い分に耳を傾けなければいけない、価値判断の手助けになるようなデータを中立の立場で誰かが作り直す必要があるのではないか・・私はそう考えるようになりました。それがこのプロジェクトを始めるきっかけになりました。
景観を守れ!と言うのはとても簡単。しかし、「実際に暮らしてもいないくせに・・」と頑なになる住民の気持ちも、我々外部の者には無視できない重みがあります。観光地として成長しようとしている鞆の浦は、今後どのようにすればうまくやっていけるのでしょうか。こじれてしまったかに見える住民間の対立は、どうすれば和解や相互理解へと繋がっていくのでしょうか。大きなチャレンジであり、課題です。
当初、鞆の浦の地域的課題についての実証研究から始まったこの研究は、やがて反対派の正当性を裏づけていた世界遺産の「顕著で普遍的な価値」理念や、対立する派閥がお互いを排除する行動原理としてのNIMBY概念など、紛争の背後に横たわるメカニズムに関する研究へと進んでいます。2015年には、山梨県北杜市に進出したメガソーラーをめぐって地域内に生じた景観紛争をとりあげ、電子ジャーナルに紛争当事者を呼んできて誌上で「熟議型民主主義」を実践することにより、予防的に紛争解決を働きかける試みにも挑戦しました。
このテーマに関する研究成果
- 鈴木晃志郎・鈴木玉緒・鈴木 広 2008. 景観保全か地域開発か: 鞆の浦港湾架橋問題をめぐる住民運動. 観光科学研究1: 50-68.
- 鈴木晃志郎 2010. ポリティクスとしての世界遺産. 観光科学研究3: 57-69.
- 鈴木晃志郎 2010. 観光案内図の範域と地物からみた鞆の浦の観光圏. 地理情報システム学会講演論文集19 (CD-ROM).
- 鈴木晃志郎 2011. NIMBY研究の動向と課題. 日本観光研究学会全国大会研究発表論文集26: 17-20.
- 鈴木晃志郎 2014. 住民意識にみる公共事業効果の「神話」性とその構成要因-鞆の浦港湾架橋問題に関するアンケート調査結果を用いて-. 歴史地理学56(1): 1-20.
- 鈴木晃志郎 2015. ユネスコの追加勧告にみる富士山の世界文化遺産としての課題. 地学雑誌 124(6): 995-1014.
- 鈴木晃志郎 2015. NIMBYから考える「迷惑施設」. 都市問題 106(7): 4-11.
- 鈴木晃志郎 2016. 公器としての機関リポジトリ:電子ジャーナルを用いた社会貢献への挑戦. 地球惑星科学連合2016年大会予稿集G-03-23(電子出版:招待講演論文).
- 鈴木晃志郎 2024. NIMBYとは? 発生のメカニズムや解決方法を具体例とともに解説. 朝日新聞 SDGs Action! https://www.asahi.com/sdgs/article/15365606
研究助成
- 鈴木晃志郎 2008.「開発=保全」問題に直面したコミュニティにおける住民意志決定のメカニズム 科研費 若手(B) https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-20700673/
3.情報技術革新は社会にどのような影響をもたらすのか
最後にご紹介するのは、現在新たに進めつつあるいくつかの理論・実証研究についてです。研究の根幹にあるのは、ここ最近の急速な情報技術革新が社会に与える多方面の影響を、各々の切り口から捉えようとする問題意識で、今のところ大きく以下のような側面から研究を進めています。
3-1 「マッピングの民主化」の可能性と課題についての研究
2010年代に入り、通信速度の飛躍的向上や携帯端末の高性能化、GeoAPIによりリアルタイムに地図を介したコミュニケーションの可能性が広がりました。歴史上、一握りの権力者や製図家が長くそのノウハウや発行権を専有してきた地図が、かつてないスピードで「民主化」されつつあるのが今日の地図利用をめぐる変化といえるでしょう。
地理学者の一人として、私は地図を利用しものごとを可視化する営為に取り組んできました。そんな人間が、これほどドラスティックな変化を目の前にして何ひとつ意見表明をせず発言しないままで良いのか?そう考えるようになり、私なりのやり方でこの状況変化がもつ社会的、哲学的あるいは歴史的意味を考えるようになりました。
興味を持って調べてみると、私がこの研究に取り組み始めた2012年当時、VGIをめぐる議論の多くは、VGIを「地図化する行為(=マッピング)の民主化」としてむしろ歓迎していることが分かってきました。企業や行政が隠しているデータを暴いたり、権力の横暴を告発したり、プライバシーの管轄権を市民の側に取り戻したり、などです。
ただ、行政や企業には職業倫理や法制度の縛りがありますから、仮にその行為が法や倫理に違反していれば処罰・糾弾されますし、その権力を担う者は、然るべく倫理教育を受けて自覚や知識を身につけさせられるはずです。長い年月をかけて積み上げてきた、一定の権力と義務・倫理のトレードオフ関係が成り立っていると考えられます。
しかし、マッピングが民主化されればどうでしょうか?テクノロジーの力を借りて地図化する力を企業や行政のように持ちながら、公の倫理は通用しない。そうした人々による、非倫理的行為のリスクや影響は増大するでしょう。私はこうした課題を問題提起し、「マッピングの民主化」時代に見合った情報倫理を考える必要性を訴えてきました。内容的に、国際的な議論の喚起に主眼があるため英語文献が多くなっていますが、若干日本語で読める成果もあります。
このテーマに関する研究成果
- 鈴木晃志郎 2015. Web 2.0時代の地理学と「電子地理情報倫理」. 地理 60(1): 48-51.
- 鈴木晃志郎 2017. 地理空間情報の倫理. In 若林芳樹・今井 修・瀬戸寿一・西村雄一郎編著『参加型GISの理論と応用』古今書院: 44-50.
- 鈴木晃志郎 2021. ボランタリーな地理情報(VGI)の可能性と課題 ―COVID-19をめぐって―. In 富山大学人文学部『人文学部叢書IV』出版委員会編『人文知のカレイドスコープIV』桂書房: 74-85.
- Suzuki, K. 2018. A newly emerging ethical problem in PGIS - Ubiquitous atoque absconditus and casual offenders for pleasure. In Grueau, C., Laurini, L. and Ragia, L. eds. GISTAM 2018 - Proceedings of the 4th International Conference on Geographical Information Systems Theory, Applications and Management. Science and Technology Publications Press: 22-27.
- Suzuki, K. 2019. Emergence of geovigilantes and geographic information ethics in the web 2.0 era. In Grueau, C., Laurini, R.and Ragia, L. eds. Communications in Computer and Information Science 1061. Springer-Nature AG, Switzerland: 55-72.
- Suzuki, K. 2019. Caveat emptor: A new form of participatory mapping and its ethical implication on PGIS. Proceedings in Cartography and GIScience of the International Cartographic Association 2-126.
- Suzuki, K. 2021. #Purge: Geovigilantism and geographic information ethics for connective action. GeoJournal 86(1): 445-453. https://doi.org/10.1007/s10708-019-10081-7
- Suzuki, K. 2021. Civic-Tech and Volunteered Geographic Information under the COVID-19 Pandemic: A Japanese Case Study. In Grueau, C., Laurini, L. and Ragia, L. eds. GISTAM 2021 - Proceedings of the 7th International Conference on Geographical Information Systems Theory, Applications and Management. Science and Technology Publications Press: 214-221.
- Suzuki, K. 2022. A north-south problem in civic-tech and volunteered geographic information as countermeasures of COVID-19: A brief overview. SN Computer Science 3(5-396). https://doi.org/10.1007/s42979-022-01262-2
- Suzuki, K. 2022. Stigmatization on the Web: Ethical consideration of geospatial stigmatization via online mapping. In Wakabayashi, Y. and Morita, T. eds. Ubiquitous mapping: Perspectives from Japan. Springer Nature Singapore Pte Ltd: 129-142.
研究助成
- 鈴木晃志郎 2020.「デジタル・マッピング時代の地理情報倫理の構築に向けた学際的基礎研究」科学費・基盤(C) https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-20K01173/
3-2 コロナ禍が促進したeツーリズムの可能性と課題についての研究

新型コロナウイルス感染症(COVID‑19)の影響が世界的に長期化するなか、特に深刻な影響を被ったのが対面接触を前提に成立してきた観光業でした。この危機を乗り越え、社会経済活動としての観光業の持続的発展を考える上での打開策として注目されているのが「eツーリズム」です。
eツーリズムの概念は1990年代にすでに成立しており、ネット・マーケティングやeコマースなど、対面接触を前提としたうえでその手続きの一部を電子化することで合理化することを指す言葉として用いられ始めました。コロナ禍は、IT革新を反映し商用化の道が拓かれつつあったXR(リアルとバーチャルの情報を融合させ、結果を人の五感へとフィードバックさせる技術)を巻き込みながら、観光研究に新しい可能性や課題をもたらしつつあります。
そこで私は、eツーリズムの新たな課題を、①観光体験が代替されることによる観光地側の機会喪失と、利用者側の機会拡大の2つの側面から捉え、工学や倫理学、地域研究や社会福祉分野の研究者と共同で、eツーリズムをロータッチエコノミーの文脈下の「行かない観光」を含むものとして再定義し、ポスト・コロナの社会的状況を反映したeツーリズム研究の新たな領野を切り開こうとしています。この研究は以下の科研費の助成を得て始められたばかりでまだ発展途上ですが、成果の一部として以下の論文を公表しました。今後徐々に研究成果が公になる予定です。
このテーマに関する研究成果
- 鈴木晃志郎・松井陽史 2023. ユーザー生成コンテンツを活用した日本人と外国人の観光行動分析 ―世界文化遺産の村、白川郷を事例に―. 日本観光学会誌 64: 1-12.
研究助成
- 鈴木晃志郎 2023. eツーリズムにおけるXRの可能性と課題、機会の喪失と平等に関する超学域的研究. 科研費・基盤(C) https://kaken.nii.ac.jp/grant/KAKENHI-PROJECT-23K11645/
3-3 怪異に与えられた社会的役割に関する研究
怪異(お化けやその出現場所である心霊スポット)は、洋の東西、時代のいかんを問わず広く受け入れられた社会的関心事です。なのに、科学者としては「お化けなんて論ずるに値しません」と冷たく言い放ち、まともに相手にしない風を装わなければいけない、なかなかにアンビバレントな存在です。試みに国内でお化けを真面目に研究している、まともな(←ここが重要)科学者を探してみてください。民俗学を除いてほとんどいないはずです。しかし、科学コミュニティにおいてお化けがキワモノ化したのは、実のところたった100年前(1910年)のことです。お化けを科学していけない理由なんて、実のところ多くの科学者は真面目に考えていないのでは?
ということで、適切なアプローチと方法さえとれば、お化けだって立派に科学になると証明すべく、以前当方の大学院に在籍していた院生と始めたのが「お化けの地理学」でした。一見、情報技術革新とは無関係そうですが、この研究はコンピュータによる空間解析が可能になったことで実現した側面があります。
このテーマの説明に関しては、以前請われて大学のウェブサイトに寄稿したおあつらえ向きの原稿があるので、これを転載しておきましょう。これから大学への進学を考えている高校生の皆さん、ぜひ読んでみてください。
「私の専門は地理学です」
そう聞いて、地理A、地理Bの教科書が皆さんの脳裏を過ぎるのは至極ごもっとも。「雨温図みて何気候か分かる人ですよね?」、「スリランカの首都がコロンボかスリジャヤワルダナプラコッテかが分かる人ですよね?」―学問としての地理学の認識は、そんなところではないでしょうか。しかし、地理学は皆さんが考えているよりも、はるかに自由な学問分野です。何しろ対象の制約はたった1つ。「地表上に、何らかの空間的な広がりをもつ現象」だけなのですから。
物を買ってお金を払う。そのときお金は交換を通じて人の手から手へと渡り、世界を行き来します。こう考えれば経済活動は地理学の対象ですね(経済地理学)。あなたの今日一日の生活パターンもそう。24時間の中であちこち行動したでしょう(時間地理学)。え?部屋から一歩も出なかった?だとしてもあなたに「部屋からみて学校はどっちにありますか?」と聞いたら、視野に学校が入ってなくても学校の方位や距離はうすうす分かるでしょう?それはどうして?そのメカニズムを研究すればこれも地理学(行動地理学)。地理学は、実のところこの世の中のほとんど全ての現象を守備範囲に収めているのです。
「じゃあ、お化けは地理学にできますか?」
では、お化けという、およそ学問とは無縁そうな題材ならどうでしょうか。実は地理学なら、お化けすらも学問にすることができます。ここで、私が大学院の指導学生と一緒に行った研究を少しご紹介することにしましょう。
1910年、日本は史上空前のオカルトブームのただ中にありました。旧帝大の教授2人が、遠隔透視能力をもつと自称していた女性を相手に大まじめの透視実験をやったのがこの年なのです(千里眼騒動)。
富山県内の2つの地方紙もこのオカルトブームに乗り、県内の怪談話を収集して連載記事を企画しました。この怪談話には、誰がどこで、どんなお化けにあったかが説明されています。この怪談話を地図上に落としたらどうなるでしょう?ほら、「地表上に、何らかの空間的な広がりをもつ現象」になりませんか?私と私の指導学生だった于さんはこのようにして、今から100年前(大正時代)の新聞に載っている怪談の中から、出たお化けの種類とその位置情報を抽出しました。同じように現代の怪談話を、ウェブ上の心霊サイトやSNSのログから抽出。100年の時を経て、お化けの出没地点がどのように時代変化し、出てくるお化けがどのように変容し、怪談の語り口がどう変化したのかを、科学的に比較することを試みたのです。
お化けも地理学になる
表1は、各々の怪談の中にお化けや怪奇現象(=怪異)が出てきたときに1、出てこなかった時に0とカウントする方法で、100年前と現代の怪談の内容を数学的に比較分析した結果です。p値が0.05未満の項目は、大正時代と現代の怪談の間に有意差=偶然では片づけることのできない、数学的に意味のある差が存在していることを示します。
「語り手の話法」からは、大正時代の怪談は直接経験の形で語られ、現代の怪談は不確かなうわさの形を取る傾向があることが分かります。同じように「怪異の特性」からは、大正時代には目に見えていた怪異が見えない存在になっていったことが分かりますし、「怪異の類型」からは、大正時代の怪異は種類も豊富であったことが分かります。現代群の値が有意に高かったのは「幽霊」だけでした。つまり、現代の怪異は画一化され、目にも見えない存在になっているのです。
怪異にまつわる場所に違いはあるでしょうか。「場所の特性」は、怪異の報告された場所を種類別に分類して、大正と現代の有意差を検討したものです。大正群は現代に比して、野山や水辺、田圃のほか、火葬場や墓地、寺社などの生活圏の周辺が選ばれていることが分かります。でも、現代のそれは廃墟とトンネルだけ。大正時代は居宅にもあらわれた怪異は、現代は人里離れた空き家や廃墟、トンネルでしか遭えない存在になってしまったというわけです。
大正時代は今よりも、怪異がずっと身近な存在だった―これを出没地点の違いから見たのが図1です。個々の怪談の文章を丁寧に読み、その中から出没地点を特定する手掛かりを探します。出没した場所さえ特定できれば、コンピュータの中にその位置情報を取り込み、大正時代の分布パターンと現代の分布パターンの「空間的な引き算」処理を行うことによって、富山県内のどの辺りに、大正と現代の怪異がより現れやすいか、を可視化することができます(ラスタ演算といいます)。色が赤に近いところほど、現代と比べて大正時代の怪異がより現れやすく、青に近いほど現代の怪異が大正のそれに比して現れやすい場所であることを意味します。ちなみに、グレーの部分は森林地帯。どうですか?青のエリアは、ほとんどが森林地帯だと思いません?この分析からも、現代のお化けが市街地の生息場所を追われ、急速に山間部へと引っ込んでいっている様子が分かるのです。存在するなんて口にしたら笑われそうなお化け、人のうわさ話にすぎないものでも、工夫ひとつで科学になるのです。
勉強と学問は違います
高校生の皆さん、受験に向けて大変な日々をお過ごしでしょう。苦しい受験を克服した先に薔薇色の学生生活が待っていることを夢見て、懸命に勉強に勤しんでいることと思います。でも、皆さんが今している勉強は、学問ではないのです。
皆さんが覚えているのは正解でしょう。問題を解くのは正解にたどり着くためですよね?でも、その正解を最初に見つけたのは誰?そう、皆さんではないのです。
大学で皆さんに求められるもの、それは人が作った正解を覚える消費者としてのあなたではなく、新しい正解を生み出す知的生産者としてのあなたです。ふざけているように見えるお化けの研究も、これまで誰も試みなかった方法で、お化けを分析できるという発見をしたから、学術誌に掲載されました。次はあなたの番です。大学はあなたが新しい正解を探すためにある場所です。
あなたの求める正解が、地理学の守備範囲と交錯していたら―そのときはキャンパスの中で、お会いしましょう。
(出典:見えない「お化け」を可視化する https://www.u-toyama.ac.jp/future/ksuzuki_01/)
このテーマに関する研究成果
- 鈴木晃志郎・于 燕楠 2020. 怪異の類型と分布の時代変化に関する定量的分析の試み. E-Journal GEO 15(1): 55-73.
- 鈴木晃志郎 2021. さまざまな地図を用いた地域の見方・考え方. In 菊地俊夫編著『地の理の学び方』二宮書店: 118-125.
- 鈴木晃志郎 2022. 地理学で読み解く『呪怨』と「恐怖の村」. ユリイカ 54(11): 215-221.
- Suzuki, K., Ito, S. and U, Y. 2023. Quantitative analyses of the geospatial characteristics of haunted sites using open data. Social Sciences & Humanities Open 8(1): 100701. https://doi.org/10.1016/j.ssaho.2023.100701
その他のテーマ
このほか、これまでに取り組んだ研究として:
- 1.メディア誘発型観光(Media-induced tourism)のあり方についての研究
- 2.放置竹林の拡大メカニズムの解明と,その抑止策の検討
- 3.リージョナリズムと近代フランス音楽の展開
- 4.アーリ「新たな移動論パラダイム」の批判的検討
・・などについても,研究や執筆活動をしています。
