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25周年記念行事

富山大学人文学部文化人類学研究室25周年記念に寄せられた祝辞
(祝辞を頂戴した方々の所属・職名等は2006年7月当時のものです)


■日本文化人類学会会長(神戸大学国際文化学部教授) 須藤健一さま

富山大学文化人類学教室の創設25周年を記念して

 富山大学人文学部文化人類学研究室創設25周年、まことにおめでとうございます。
記念事業の一環として開催される「アフリカ研究の伝統と現在」と題する講演会は、日本におけるアフリカ研究の一大拠点である富山大学文化人類学研究室の拡充の足跡と将来の発展像を描きだすことをねらっていることと思います。文化人類学の創設・拡充にご努力なさった赤阪賢先生と末原達郎先生からは、アフリカと日本と富山を結ぶ文化人類学研究の経験談が聞けることでしょう。
 国立大学は、3年前の法人化後、生存をかけて学部と大学院の改編などを行っています。富山大学は、大学院修士課程に「文化人類学コース」が確保され、若き人類学研究者の育成の道が開かれております。この点は、近年全国の大学の講座名やコース名から文化人類学の名前が消えてゆく中にあって、心強い限りです。
 富山大学は、1977年の「文化人類学コースの設置」、1979年にアフリカ研究の泰斗・和崎洋一先生と若きリーダー赤阪賢先生が着任されて文化人類学の教育体制の整備が開始されました。この二人の先生は、「人間のことは現地に学べ」を指針にフィールドワークを重視した学生の指導にあたり、その研究成果は、これまでに15号を発刊した『地域社会の文化人類学的研究』に結実しています。
 文化人類学の講座には、和崎、赤阪の両先生のほかに富川盛道、末原達郎、佐々木重洋の各先生と、現在教育に当たっておられる竹内潔先生と都留泰作先生が籍を置いたことになります。25年間に定員2のポストに7名の教員が着任するという文化人類学の講座は、全国の大学のなかでも珍しいことです。また、これらの先生方が海外の調査研究の原資となる科学研究費の補助金を研究代表者として8回も採択していますが、この回数も他大学の研究者と比べて断然多いと思います。これは、富山大学が国際的水準の研究者を採用してアフリカ研究の拠点づくりを目指してきた戦略が成功したことを物語っています。
 ここ、富山の地でアフリカ研究の第一線で活躍されてきた先生方と「めぐり合う」ことができ、ひとり立ちした学生たちは250人。また、他大学も含め大学院で文化人類学の研究を続けている学生は10数名いるとのことです。研究職、専門職、社会のあらゆる方面に進出されている卒業生たちも、文化人類学教室の精神と実践法をしっかりと身につけて活躍されていることと思います。
 本記念講演会は、日本文化人類学会北陸支部例会「北陸人類学研究会」として開催されます。北陸人類学研究会は、富山大学の文化人類学教室と金沢大学が中心になって企画・運営していますが、本日で第103回の多きを数えます。このほかに、1997年からは「富山人類学談話会」を組織して、外国から著名な研究者を招聘して人類学研究の活性化をはかっています。富山大学の文化人類学教室のこの学問的なエネルギーは、和崎先生と富川先生をご先祖様とし、歴代に脈々と流れてきています。
 大学の講座や研究室などの組織や人間関係は、10年ごとに硬直化や形骸化の度合いが増します。しかし、富山大学の文化人類学教室の人類学にかける「情熱と知の体力」は、ますます盛んになる勢いがあります。アフリカ研究を軸に文化人類学の拠点として、国内外に顔が見える「文化人類学研究室」の勇姿を今後とも維持発展させてくださることを期待しています。


■東京外国語大学名誉教授 日野舜也さま

 早いもので、もう25周年ですか。おめでとうございます。
 思い起こせば、和崎洋一さんと、赤阪賢さんのコンビではじまった富山大学の文化人類学講座、上田将さんの新潟大学、畑中幸子さん、中林伸浩さんの金沢大学と並んで、北陸の文化人類学の拠点、そして、アフリカ研究の拠点として、学問の発展に大きな役割を担われたと思います。とくに思い出すのは、第20回の日本アフリカ学会でした。数ある学会の懇親会のなかで、ビールの消費量が群を抜いて多かったと聞いています。和崎さんの強烈なパーソナリティと赤阪さんの見事なフォローによって、素晴らしい個性あふれる講座が作られました。そして、和崎さんご定年のあとは、富川盛道さんが赴任され、わたしも集中講義に呼んでいただきました。和崎さん、富川さん、山が好きで食いしん坊のお二人にとっては格好の勤務地だったと思います。わたしも、2代の間に何回かおたずねして、お二人の果てしない議論、そして健啖家ぶりにつきあわせていただきました。そして、よくいえば個性あふれる、わるく言えばわがままなお二人につきあわされた赤阪さんのさりげない、でも素晴らしいサポートが、この基礎をたしかなものに育て上げたのではないかと思います。そして、そのあと、竹内潔さんたちがその伝統を立派に引き継がれて、いい講座が続いていると思います。
 なんといっても、学生さんたちが、純朴で、素直で、そしてなによりも元気いっぱいで、とても楽しい雰囲気でした。よい研究者、よい社会人がいっぱい育ったのではないかと喜んでおります。
 今後のますますの、ご教育、ご研究の一層の発展をお祈りいたします。国立大学の前途は、なかなかたいへんとお察しいたしますが、困難を乗り越えられて、よい学生さんたちを輩出されることを期待したいと思います。語っても、語っても言葉は足りませんが、まずはお祝いの言葉とさせていただきます。


■京都大学名誉教授・元日本アフリカ学会会長 田中二郎さま

 和崎洋一さん、赤阪賢さんが富山大学に赴任し文化人類学研究室を創設されてから25年にもなるのですね。1983年のアフリカ学会のとき、私は弘前大学におり、ちょうど弘前を来訪されていた伊谷純一郎さんと一緒に大会前夜に開かれる理事会に間に合うように富山へ行くつもりをしていました。ところが、その直前の5月26日の正午、ちょうど伊谷さんと2人で岩木山麓の食堂で山菜料理に舌鼓を打っている最中に、秋田、青森に甚大な被害をもたらした日本海中部地震が発生したのです。鉄道は青森・秋田県内で寸断されて復旧の目処も立たず、富山行きは断念せざるをえませんでした。
 富山は、学生時代から登山の行き帰りなどにしょっちゅう通っていたのですが、ついにいまに至るまで富山大学を訪れる機会を逸したままになってしまいました。
 和崎さんが定年退官されたあと、富川盛道さんが後を引き継がれ、さらに、赤阪さんと末原達郎さん、そして竹内潔さんと佐々木重洋さん、そして現在の竹内、都留泰作両氏の態勢が整えられるに至っています。
 この25年間、スタッフは入れ替わって新進気鋭の人類学者へつぎつぎと受け継がれていきましたが、この研究室には一貫して京都大学のアフリカ地域研究の伝統が受け継がれてきています。アフリカ研究の経験と知識を生かした富山地方の人類学的研究、そして教育活動について、25周年を節目に、これからもますますの進展が見られますことを念願してやみません。


■京都大学名誉教授・元国際霊長類学会会長 西田利貞さま

 和崎先生がアフリカ学会20周年記念大会を富山で盛大に開かれたこと、よく覚えています。「これは、次回の大会責任者にツライ」というコメントがでるほど、盛大でした。私は個人的にもおつきあいしていただき、ナイロビからアルーシャの和崎研究所への旅をし、和崎研で数日滞在しました。赤阪さんには、彼の外務省の友人を紹介していただき、マハレへの調査ミッション派遣の道を開いてくださいました。金沢とともに、北陸の文化人類学の灯がともりつづけることをお喜び申しあげ、今後もご発展、ご活躍下さることをお祈り申し上げます。


■国立民族学博物館名誉教授・甲子園大学人間文化学部教授 和田正平さま

 富山大学に文化人類学研究室が創設されて4半世紀、感慨深いものがあります。和崎、富川両先生が赴任して「北陸にアフリカ研究の拠点あり」と強い印象を与えられました。その伝統が現在も受け継がれていることは、私にとって本当に嬉しいことです。
 富川先生は富山から民博の共同研究会に出席されることが時にありました。そんなことで、当時の富山大の学生たちの話もされていました。赤阪さんが参加された時は、持参された富山名物のカマボコをみんなで賞味したことを想い出します。今後も研究室のご発展をお祈りいたします。


■国立民族学博物館名誉教授・京都橘大学文化政策学部教授 端信行さま

「創学の喜びー富山大学文化人類学研究室25周年に寄せて」

 富山大学文化人類学研究室が、創設から25周年を迎えるとの連絡をいただき、心からお祝いを申し上げるとともに、月並みながら、月日がたつはやさに驚いています。
 わたくしが集中講義でお邪魔をしたのは、和崎洋一先生と赤阪賢さんの時代ですから、研究室ができてまもなくの頃だったのでしょうか。富山駅前のホテルに泊まって、市街電車やタクシーを使って、キャンパスを出入りしたことをよく覚えています。富山では流しのタクシーをどこでも捕まえるというわけにいかなかったので、タクシーのことはよく覚えているのです。
 集中講義の方は経済人類学をということだったので、その準備をしていったのですがフィールドとしてはやはりアフリカの話が多かったように記憶しています。それにしても当時の富山大学文化人類学研究室は創設直後の若々しい気分に溢れていました。学生諸君も新しい研究室を自分たちが創っているんだという、一種の華やかな気概をもっていたように思います。もちろんこれは和崎先生の人柄も大いに関係していたと思います。何せ‘お祭り屋’とのニックネームをマンゴーラのむらびとから冠された和崎先生のことですから、華やかにならないわけはない。備品もまだ十分ではなかった研究室の雰囲気は充実感すら漂っていたように記憶しています。
 でもわたしはあまりよい先生ではなかったと思います。集中講義の途中で抜け出して美術館へ行ったりしたものですから。と言うのも、和崎先生から集中講義の依頼を受けたとき、富山に行く別の目的があったので、ふたつ返事でお引き受けしたのでした。それは当時できたばかりでいろいろな面で話題になっていた県立近代美術館を見ておきたいということでした。この美術館が話題になっていたひとつは、20世紀美術を総覧するという常設展示の考え方でした。もちろん作品の蒐集には限界がありましたから、20世紀美術を総覧するという展示は、写真資料も使用するとのことだった。明治以来の西洋美術中心の美術観のもとで、コピーを交えて展示する美術館とはどのようなものかを実見しておきたかったのでした。
 あの集中講義から20年以上がたった。わたくしも民博を辞めいまは京都の小さな私立大学で教えていますが、富山市出身の学生が昨年から始まった富山市内のおもな博物館・美術館を回るミュージアム・バスについての卒論を書くのを指導しながら、当時の記憶をよみがえらせています。


■金沢大学副学長 鹿野勝彦さま

 富山大学文化人類学研究室の創立25周年、おめでとうございます。実は金沢大学の文化人類学研究室も、ほぼ同時期に出来ているのですが、誰も25周年ということを思いつきませんでした。
 ただ合同の研究会には、私も第一回から参加していますので、いささか感慨があります。最近は私自身は野暮用ばかりが多く、富山どころか金沢で開くときでさえなかなか出席できなくなり残念ですが、今後ともよろしくお付き合いのほどお願いいたします。


■弘前大学大学院地域社会研究科長 丹野正さま

 25周年の「記念研究会」開催、おめでとうございます。赤阪さんや末原さんも出席されるとのこと、和崎ムゼーの思い出などからはじまり、さぞにぎやかで楽しい研究会になることでしょう。富山大の研究室は1979年からはじまったとのことですから、こちら弘前大学人文学部の人間行動コースの創設より2年先輩になります。こちらは1981年に田中二郎さんと僕が着任、その後もスタッフが増えて計7人になり、ただしその後はメンバーが次々と交替し、最初からいるのは僕だけになりました。とはいえ、こちらもアフリカ研究者は4人もいるので、それなりにガンバッテおります。社会学、社会心理学の人たちも一緒のグループをつくっています。
これからも、富山と弘前でアフリカ研究をもりあげていきましょう。


■金沢大学文学部教授 中林伸浩さま・鏡味治也さま

 振り返りますと、赤坂さん、末原さん、竹内さん、佐々木さん、都留さんと、物故者をのぞけばすべての富山大の人類学スタッフと北陸人類学研究会等でお世話になってきたことになります。この間のんびりと自分のやりたいことをやってきましたが、思えばいちばんなにも考えずに人類学をやることができた時期だったかもしれません。人類学は今、富山大、金沢大のみならず、全国的、世界的にも前途多難な段階に入っていますが、今後ともどうぞよろしく連携をお願いいたします。


■京都大学大学院人間・環境学研究科教授 福井勝義さま

 富山大学で開催された学会、ふたつともとても印象深いものがあります。
 民族学会は、たしか1980年5月だったと思います。小生が渋澤賞をいただ いたときです。今西先生が特別講演をされた光景がいまでも新鮮によみがえってまいります。
 アフリカ学会(たしか20周年記念大会)の懇親会では、和崎さんのご指名により、僭越ながら小生が乾杯の音頭をとらせていただきました。
集中講義でおじゃましたときは、とても活発で、明るい研究室の雰囲気が印象に残っています。
 四半世紀の歳月が流れ、富山大学文化人類学から多くの学生が巣立ち、それぞれの場でご活躍されていること、なによりうれしく存じます。
 独自な個性をもった貴研究室のますますのご発展をお祈り申し上げますとともに、新たな学生のみなさまのさらなるご活躍をお祈り申し上げます。
 まことに残念ですが、7月8~10日は奈良県の山村で調査実習を予定しており、出席させていただくことができません。

実りある25周年記念研究会を!!!

福井先生は、2008年4月26日にご逝去されました。
慎んでご冥福をお祈りいたします。



■東京大学東洋文化研究所長 関本照夫さま

 研究室が25周年を迎えられるとのこと、お祝い申し上げると共に、これまで研究室を支えてこられた先生方、学生のみなさまかに心から敬意を表します。
 以前、集中講義で富山大学を訪れました。日の射さない冬でしたが、皆様の元気と明るさの中で心暖まる経験でした。


■東京大学大学院総合文化研究科教授 船曳建夫さま

 研究室の開設25周年、おめでとうございます。
 私がうかがいましたときには、富山大の文化人類学研究室の、小ささが印象的でした。それは私自身が学生のころ所属していた東大の文化人類学研究室を思わせました。当時は先生との関係も学生同士の関係も親密でした。今は、私たちの研究室も法人化の水ぶくれで、中途半端な規模になり、この2倍あれば綿密な教育プログラムを作れるし、半分であれば手塩にかけた指導が出来るのにと、多分、贅沢に聞こえる嘆きを持っております。
 富山大の研究室は、研究者になるにしても、社会に出て行くにしても、着実に歩む者と冒険をする者の双方に、精神的なよりどころとしてあるのだろうと思います。これは全て、竹内先生の催して下さいました和気藹々たる懇親会における私の酔眼による印象ですが、間違っていないであろう、との確信を持っています。
 今後も慈愛ある研究室として、研究に教育に、ますますの発展をなされますよう、お祈り申し上げます。


■国立歴史民俗博物館教授 篠原徹さま

 文化人類学教室25周年をお祝い申しあげます。一つの研究室の創設者から現在まで関わった研究者をすべて知っているというのもめずらしいのではないかと思います。初代の和崎先生とは久しぶりでナイロビでお会いし、先生が俳句をたしなむことを知り驚いたのですが、その際の逸話が忘れられない。
 今西錦司、梅棹忠夫、川喜多二郎、吉良竜夫などの錚々たる人びととかつての満蒙の草原で句会を催したとき、もっとも下手だったのが梅棹さん、うまかったのが和崎さんということを和崎さんから聞かされた。
 真意のほどはわかりませんが、私も最近駄句千吟と称して、吟行とフィールドワークが渾然一体となり、いやむしろ前者が勝るようになり、この逸話が妙に心に残ります。
 竹内さんにははじめて熱帯降雨林をご一緒させていただき、歩いたのが忘れられません。彼の滅茶苦茶まずい携行食の料理を食べさせられましたが、アフリカにはよく似合った研究者だという印象があります。
 竹内さんをはじめ関係者と深いゆかりのある人類学者・故伊谷純一郎先生の単行本が7月26日に出版されます。タイトルは「原野と森の思考ーフィールド人類学への誘いー」ですが、そのなかで彼は「尊敬できる対象を選べ」ということと「歩く人類学」の2つを強調しています。25周年を迎えて、若い人たちに是非この本を読んでいただきたいのと同時に「歩く思考」を身につけていただきたいと思います。
 この文化人類学教室が、自由の精神をさらに発展させて独創的な研究の拠点になることを祈っております。


■京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授 梶茂樹さま

 25周年、おめでとうございます。私も和崎先生がおられた頃は、よくお邪魔をし、赤坂さんの家に泊めてもらっていました。その後、富川先生が行かれ、また末原さんも行かれ、富山は、とても近しい場所に思われました。最近は、あまり行く機会もありませんが、竹内さん、都留さんという新しいコンビで、これからも盛り上げていって欲しいと思います。


■京都大学大学院理学研究科教授・日本霊長類学会長 山極寿一さま

 富山大学には集中講義で2回お邪魔しました。赤阪賢さんと末原達郎さんがいらした時は、集中講義の合間を縫って野球大会に出場し、見事にホームランを打ったことが楽しい記憶となって残っています。講義の内容は覚えていませんが、講義の最後に恒例だからと言ってみんなでマライカを合唱したことはよく覚えています。竹内潔さんに呼んでいただいたときも、大いに学生たちと飲み、語らい、講義の最後にマライカを学生さんと一緒に合唱しました。自由闊達な雰囲気と幅広いテーマが印象的な研究室で、面白いことを考えている学生さんがたくさんいました。冨山には私の専門のニホンザルが県内に広く生息しているし、いしかわ動物園にも多くの動物たちがいます。人と動物の生態や関係を調べるいい環境が整っています。和崎洋一先生以来、自然科学と人文科学にまたがってフィールドワークをやろうという伝統が息づいている、貴重な研究室だと思います。25周年を区切りにして、これからますますその存在意義を世界に示すべく発展していただきたいと願っています。


■京都大学人文科学研究所教授 田中雅一さま

 富山大学の文化人類学研究室の皆様、またOBの皆様、25周年おめでとうございます。わたしは創設を記念して富山大学で開催された日本民族学学会学術大会に参加したことを覚えています。いまでこそいろんな大学に文化人類学講座がありますが、当時富山大学での講座創設は学会の「事件」でした。そして、博士課程に入りたての私にとっては最初の文化人類学の学会参加でした。当時の指導教員から、波●先生は学会一の美女だからぜひ報告を聞く(見る?)ようにというアドバイスを受けていたのを思い出します。
 わたしは小学校3年から5年まで富山駅の北にある奥田小学校に通っていました。わたしの活動範囲は小学校周辺に限られていましたが、どこからでも見える立山が一番の思い出です。その後10年以上経って2回集中講義で富山を訪れました。そして、このような雄大な自然に囲まれ、教師と学生が文化人類学をともに学ぶというのはかけがえのない体験だと痛感しました。学生も教師もいつかこの地を去っていきますが、立山はいつもそこにあります。そのような包容力と存在感をもつ講座として、ますます発展することを心よりお祈りしたいと思います。

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