今から四半世紀ほど前の1980年に沢田研二の「TOKIO」という歌が大ヒットしました。テクノポップ調の軽快なメロディーで歌われる「♪空を飛ぶ 街が飛ぶ 雲を突きぬけ星になる」「♪TOKIO TOKIOが二人を抱いたまま TOKIO TOKIOが空を飛ぶ」という歌詞に度肝を抜かれた人は多いと思います。
それにしても「街が空を飛ぶ」とはいったいどういう意味なのでしょうか。常識的にはあり得ないことですね。しかし常識や固定観念の枠から抜け出すことが学問の第一歩です。
もしこの歌が事実を歌っているのだとすれば……そう、東京に大きな隕石が落ちて、街ごと空に吹っ飛んだ大災害を反映しているのだしたらどうでしょうか。歴史が始まって以来そのような災害の記録はありませんから、これはきっと有史以前のことです。今の東京には有史以前に超古代文明が栄えていて、それがこの大災害で一瞬にして跡形もなく滅んでしまったのです。
「有史以前の超古代文明」の存在がどうしてわかるのか? 第一その「超古代文明」の都市は「TOKIO=東京」という名前だったのか? と疑問を抱く人もいるでしょう。でもご心配なく。頭の固い学者たちがこぞって無視している、超古代の壮大な歴史を描いた「竹内文書」には、「東京が1億年前から『とうきょう』と呼ばれていた」ということが書かれているのです!
この大事件はあまりにも恐ろしい災厄だったので、わずかに生き残った人々はそれを口にすることはありませんでした。しかし深層心理の底にそれは残り、代々受け継がれていきました。そして数万年を経て人類が超古代文明に劣らない文明の輝きを取り戻したとき、作詞者の深層心理からあの大災害がよみがえってきたのです。しかし恐ろしい災厄をそのまま歌にしたのでは人々に受け入れられませんから、あえてポップな調子の歌詞に変えて発表したのです。これが大ヒットしたのも、人々の深層心理を呼び覚ますものがあったからに違いありません。
これはあくまでトンデモ「研究」の一例です。決して真に受けてはいけません。
こんな説を唱えられても、誰しも「何をアホな」と思うことでしょう。細かく注釈を入れる必要はないと思いますが、念のため一つだけ挙げておきますと、「竹内文書」は学界では現代の偽作として完全に否定されています。実在しない官位が書かれていたり、近代以後の語彙が混じっていたり(ボストンやヨハネスブルグ、オセアニアやメルボルンといった新しい地名まで登場します)という具合で、一見して虚構とわかる代物です。「類は友を呼ぶ」で、トンデモ「研究家」は自説の証明にも「トンデモ」な文献を無批判に引いてきます。
百歩どころか百万歩譲って「竹内文書」の内容が事実だったとしても、東京が街ごと吹っ飛んだ大災害などどこにも記されていないのですから、そんな事件があったことの証拠にはなっていません。結局この説は文献学的・考古学的な根拠を何も示していないわけで、どんなにもっともらしく見えても空想以上のものではありません。犯罪捜査と同じで、確かな根拠がなければ、「空想」はどんなに頑張っても「史実」にはなれないのです。
現代の歌謡曲ならこんな説を唱えられても「トンデモ」と一笑に付す人がほとんどでしょう。ところが古代の詩歌や神話になると、これと五十歩百歩のことを平気で主張しようとする人が後を絶たないのです。
「いつまでバカバカしい話を続けるつもりだ!」とお思いの方、お疲れさまでした。マクラはこれでおしまいです。
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