トンデモ「研究」の見分け方・古代研究編 :

プロローグその1〜『雪国』の暗号?!


 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。」

 恐らく知らない人はいない川端康成『雪国』の冒頭です。
 この小説の舞台は越後湯沢であるとされており、湯沢町の公園には『雪国』文学碑も建てられています。
 しかし本当にそうなのでしょうか? 「夜の底が白くなった」……何だか謎めいた表現ですね。ここにはきっと奥深い意味が隠されているのではないでしょうか。
 この文をつらつら眺めているうちに、大変なことに気づきました。この小説は決して過去の出来事を書いたのではありません。過去のことを書いたように見せかけて、実は未来への予言を込めた暗号なのです!
 まずこの文章は従来言われている越後湯沢の情景をいうものではなく、「国境の長いトンネル」も清水トンネルではありません。それが証拠に『雪国』には「湯沢」という地名は一度も出てこないのです。
 最初の「国境」の読み方は「くにざかい」であって「こっきょう」ではないと言われています。しかし『広辞苑』には「こっきょう」でも「くにざかい」でも「国と国との境」と書いてあります。もし『雪国』の舞台が越後湯沢なら、「国と国との境」がそこになければなりません。しかし越後湯沢はまぎれもなく日本の内陸部であって、(1)「国境」などどこにもないのです。従って『雪国』の舞台は越後湯沢ではあり得ません。しかし(2)頭の固い国文学者たちは、これだけの根拠を突きつけられても、きっと「『雪国』の舞台は越後湯沢」だと言い張るでしょう。(3)それは先入観にとらわれているからです。(2)こういう連中が偉い学者でございと威張り返っているのですから、アカデミズムは閉鎖的な体質から抜け出せないのです。
 ではこの文章はどこのことを描いたのでしょうか。日本との国境でトンネルを通せるようなところは朝鮮海峡か宗谷海峡くらいしか考えられません。(え?『雪国』が発表された1935年には朝鮮も樺太も日本領だったのではないのか」って? いやいや、後で述べるように『雪国』が描いているのは実は戦後のことなのです。)
 そこで「雪国」とは何を指すを考えてみましょう。これも従来言われている「雪の多い地方」と考えている限り、この文の本質は見えてきません。「国境」と言っているのですから、「雪国」とは国名でなければならないはずです。(4)固定観念にとらわれてはいけません。先入観を去ることが大事です。
 しかし「雪国」などという国はどこにもありません。でも心配は無用、韓国の名山に「雪岳山」というのがあるではありませんか。ならば(5)「雪国」とは「雪岳山の国」即ち「韓国」のことであり、「国境の長いトンネル」とは、そう「日韓海底トンネル」なのです!
 「夜の底が白くなった」という、一見意味不明のこの文も、そう考えればちゃんと説明がつきます。韓国の地図をよく見てみましょう。韓国を南北に走る「太白山脈」というのがあるではありませんか! (6)「白」とはほかならぬ「太白山脈」を象徴しているのであり、トンネルを抜けて夜の彼方に浮ぶであろう「太白山脈」をこのように表現したのです。雪岳山に太白山脈……これが果たして(7)単なる偶然でしょうか恐るべきかな川端康成、彼は来たるべき日韓海底トンネルの開通を予見して、『雪国』に暗号を込めたのです!
 川端康成はノーベル文学賞を受賞しながらガス自殺を遂げました。もしかしたら自殺の真相にもこの「日韓海底トンネルの予言」が絡んでいるのかもしれません。彼の予見した未来とは恐らく今の韓流ブームがさらに発展して、日本と韓国が今よりずっと友好を深めている時代なのであり、(8)明治生まれで韓国人蔑視の思想から抜けきれなかった川端康成はそれを悲観して自殺したとは考えられないでしょうか。

!!!注意!!!

 これはあくまでトンデモ「研究」の一例です。決して真に受けてはいけません。

解説

 ではこれがどうして「トンデモ」だと言えるのでしょうか。細かく見ていきましょう。

(1)越後湯沢には確かにcountry同士の境はありません。しかしそこは「越後国」と「上野国」の境です。「越後」「上野」などの明治以前の行政区画も日本語では「国(くに)」といい、その境は当然「国境」と呼ばれます。かつて軽井沢と草津温泉を結んでいた草軽電鉄にあった「国境平」という駅もその例で、ちょうど長野と群馬の県境、即ち信濃国と上野国の「国境」に位置するためにつけられた名です。辞書の説明を早飲み込みして、一つの意味だけに固執してしまうのは、素人の悪い癖です。
(2)こういう「アカデミズム罵倒」はトンデモ「研究家」の十八番です。とくに「頭の固い」という枕詞を彼らは非常に好みます。しかし実際には、どんなに誤りを指摘されても決して考えを改めずにアカデミズムを罵倒し続けるトンデモ「研究家」の方がよほど「頭が固い」といえるでしょう。とにかくこんなフレーズがあったら、その「研究」は眉に唾をつけた方が安全です。
(3)通説や常識をやたらと「先入観」呼ばわりしたがるのはトンデモ「研究」の特徴の一つです。通説や常識は「ただ疑えばよい」というものではありません。疑うからには疑うに足る強固な根拠を示す必要がありますが、トンデモ「研究家」はスキだらけで詰めの甘い「根拠」しか示さないまま、ヒステリックに「先入観、先入観」と繰り返すだけです。
(4)固定観念を去ることは大切です。しかし固定観念を去ったからといって、それで自説が正しいという証明にはなりませんトンデモ「研究家」には「自説も誤っている」という可能性はまったく想定外のようですが、それに引っかかってはいけません。
(5)ちょっと語感が似ているだけですぐに関連付けてしまうのも、トンデモ「研究家」のよくやる手です。しかし「雪国」を「韓国」の意味で使っている例が他にあるでしょうか。それを挙げなければ「雪国」=「韓国」を証明したことにはなりません。こういうこじつけは、戦時中の特高警察が「危険思想」を弾圧する際の常套手段でした。例えば俳句の中の「椿赤く咲く」という文句を「『赤』とは共産主義のことだ」と言ったり、劇の中の「もうすぐ夜明けだよ」というセリフを「『夜明け』とは革命が実現することだ」と言ったりして、無実の俳句の作者や俳優を拷問したのです。「雪国」を「雪岳山」に結びつけることはこれとどこがどう違うのでしょうか。
(6)これも(5)と同じく単なる「語呂合わせ」に過ぎないことは言うまでもありません。
(7)これもトンデモ「研究家」の好きなフレーズですが、ズバリ言いましょう。単なる偶然ですそもそも「雪」や「白」のつく地名は韓国ばかりか日本にも中国にもたくさんあります。どうして「雪岳山」や「太白山脈」に限定できるのでしょうか。根拠のない語呂合わせを並べれば、どんなことでもでっち上げられます。
(8)自分の「発見」に有頂天になるあまり、どんどん空想がふくらんでいきます。しかし川端が本当に朝鮮人を蔑視していたかどうかは、彼の書いたものや行動を丹念に調べて根拠を挙げない限り、空想以上のものには決してなりません。
 こうしていちいち注釈を加えるまでもなく、ほとんどの人は「そんなバカなことがあるはずはない」とこの説を一蹴するでしょう。ところが現代小説ではなく古典文献になると、これと五十歩百歩のことを平気でやろうとする人が後を絶たないのです。
 では「画期的な新研究」をもう一つ。

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