トンデモ「研究」の見分け方・古代研究編 :中間目次 :

「研究ごっこ」のパラドックス


 擬似科学批判の書物としてはもはや古典となりつつあるガードナー『奇妙な論理』(市場泰男訳、社会思想社現代教養文庫)には、トンデモ「科学者」の傾向が次のようにまとめられています。

(1)彼は自分を天才と考える。
(2)彼は自分のなかまたちを、例外なしに無学な愚か者とみなす。
(3)彼は自分が不当に迫害され、差別待遇を受けているとみなす。
(4)彼は最も偉大な科学者や最もよく確立された理論に攻撃を集中する強い衝動をもっている。
(5)彼はしばしば複雑な特殊用語を使って書く傾向がある。
 この傾向は古代文学や古代史のトンデモ「研究家」にもそのまま当てはまるようです。
(1)彼らは「新発見」をした自分を天才だと信じ込み、それが誤っているとは夢にも思いません。
(2)彼らは「新発見」に賛同しない学者や、批判をする人々を、頭が悪くて「新発見」を理解できないバカだと信じています。
(3)彼らは「新発見」が受け入れられないのは、既得権益にしがみつく学者たちが不当に無視しているせいだと思い込みます。そしてアカデミズム罵倒に血道を上げます。
(4)彼らは従来の定説を根底から覆そうとし、定説を支持している学者たちをバカ呼ばわりします。
(5)彼らは他の誰にも理解不能な用語や概念をよく発明します。そして理解できない人をバカ呼ばわりします。
 但しガードナーの挙げる(4)の特色については、トンデモ「科学者」とはやや異なる面もあります。トンデモ「科学者」は相対性理論や進化論など「偉大な学者によって確立された定説」に群がる傾向がありますが、古代文学や古代史のトンデモ「研究家」は、「偉大な文学者の作品」よりは、「人々にある程度知られていて、読むのが難しく、謎めいた文献」に群がります。例えば李白や杜甫の詩で「研究ごっこ」をする人はあまりいませんが、『易経』や『山海経』のような文献はよく「研究ごっこ」の材料になりますし、漢字ばかりで読みにくい『古事記』や『万葉集』はトンデモ「研究家」が多く集まっていますが、『源氏物語』や『古今和歌集』で「研究ごっこ」をする人はほとんどいません。謎の多い文献の方が、好き勝手なことをいくらでも言えるからでしょう。
 トンデモ「研究家」の特徴は以上でほぼ言い尽くされていますが、彼らの「研究ごっこ」が主張する言説をよく見てみると、さらにいくつかの共通した「落とし穴」を含んでいることがわかります。ここではうっかりすると引っかかってしまう「研究ごっこ」のパラドックスを見ていくことにしましょう。


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