第2章 山田村について


第1節 山田村の概要

 富山県婦負郡山田村は、富山県の中央部から南西によった、呉羽丘陵が飛騨山系に連なる牛嶽山麓に位置し、標高100から1000メートルの山峡にあり、東は八尾町、南は利賀村、西は庄川町と砺波市、北は婦中町に接している山村である。総面積40.92ku、東西12km、南北16kmで、村の4割程度は急峻な山地が占めているが、それ以外は丘陵性の地形で、山田川・赤江川・和田川の両岸に23の集落が点在している。
 15世紀末藩政がひかれ、加賀藩の領地に属し、16世紀始めに前田家が分藩し、富山藩の山田郷と称した。そして、明治22年市町村制により山田村と命名され25集落に行政を区画し、それ以来、合併などは経験していない。しかし、都市部の経済成長の中で、昭和30年代後半から人口減少が顕著となり4集落が廃村、昭和45年には過疎地域に指定された。現在は、集落再編事業で移転再編成した集落に、Uターン対策を目途につくった公共住宅地ができたため2集落が増え、23集落で形成されている。平成元年には村政100周年を迎えた。
 12月中旬から3月下旬までの約3ヶ月間が積雪期間である豪雪山村であるため、主要な産業は水稲中心の農業と林業であるが、最近は隣の八尾町に八尾中核工業団地ができたので工場に勤める人もおり、兼業農家も増えている。また、農用地開発事業で畑を造成し、大根や馬鈴薯などの産地育成に努めている。村では、昭和40年代から観光開発に力を注ぎ、昭和46年に村営の牛岳温泉スキー場を開発し、平成2年に村内外の人々のための健康休養施設として、牛岳温泉健康センターを開設し、観光客の誘致にも力を入れている。
 平成9年10月1日現在の人口は2,132人(男:1,041人・女:1,091人)、世帯数は466世帯で平成4年から5年にかけてわずかに人口が増えたが、その後は減少の一途をたどっている(平成10年3月末現在は、人口2,008人、世帯数542世帯)。また、65歳以上の人が4割近くを占めており、高齢化が進んでいる。詳細は下記の表を参照。
 観光客の入込みは、ほとんどが県内客で、県外客はスキーシーズンの冬場に集中している。数としては毎年、5月くらいから増えだし、7月・8月あたりがピークになり(キャンプ場があるためだと考えられる)、あとはスキーシーズンの冬場に集中しており、さほどの変化は見られないため、平成9年以前の資料は省いた。





 次の節では山田村がインターネットを導入した経緯について述べる。

第2節 インターネット導入の経緯

 山田村がインターネットを導入するようになったきっかけは、村の中学校に転勤してきた先生が、「村の子供は素直だが、覇気に乏しいので(村には保育園・小学校・中学校が1つしかなく、それらは近くに建っている上に一学年一クラスであるため、村民は幼少期の生活を共にし、同世代はほぼ顔見知りという状態)、刺激を与えるためにパソコン通信で外の世界と交流したい。そのための回線を引いて欲しい」という要望を、1995年5月に村役場に出したことである。(当時、中学校では1人につきパソコン1台というLANの構築が完成していた。)これをうけて、村役場がNTTに回線の申し込みをしたところ、NTTから村に対し「今やパソコン通信の時代よりもインターネットの時代」と、インターネットを奨められ、回線もISDNにした方が良いということで、「少なくとも同時に三回線を契約してくれるならISDNを引く」条件をだされた。そこで、倉田勇雄氏(山田村出身の意欲的なUターン組で、倉田機械設計事務所を福井市に設立したが、94年に山田村に移転してきた)が小西源清助役から相談を受け、中学校・村役場・倉田設計事務所の三回線を契約し、3ヶ月後の7月にISDNが開通した。そして、1995年8月8日、NTTの協力で「スキーといで湯の里・山田村」という富山県の自治体関係では初のホームページが発信され、18日には山田中学校のホームページが発信を開始、22日には「インターネットで世界の輪へ」というオープニングセレモニーが開催され、山田村のインターネット記念日となった。9月下旬には県から、国土庁が過疎対策の補助事業である地域交流拠点設備整備モデル事業(詳細は第3節)の候補先を捜しているから要望してみてはどうかという話がきて検討に入った。当初、山田村は温泉とスキー場を売り物に観光客誘致に力を入れたいということで、冬場の天候や道路状況、駐車場の空き具合がわかるような電光掲示板を村の入り口に作る計画をたて、県庁を通じて補助金の交付申請を出した。しかし、国が想定していた事業内容は、公民館方式の情報センターの建設を想定したもので、ホストコンピュータやパソコン研修室などを備えた情報センターを地域につくり、生涯教育や福祉事業に役立てる様なものであった。ところが、山田村は過疎地で各家庭には車が欠かせないものとなっているが、普段は働き手が通勤に車を使っているため、高齢者が残った家庭には車が無く、行動も不便になる上、冬期には雪が深く、各集落も分散しているため、情報端末を家庭外に設置しても高い利用率は望めない状況にあった。そこで、各家庭にパソコンを配置してネットワークで結ぶ「一家に一台パソコン支給」という独自の案をだし、12月に山田村が国土庁からモデル事業の指定を受けるという内示をもらった。1996年始め、「村民と語るつどい」を地区ごとに開き、村民全員の利用を目指したパソコン配付計画を村民に指示し、講習会も開催されるようになり、7月から8月にかけて村民の約3分の1が参加した操作説明会を行ない、7月17日にパソコンの第一弾が運ばれ、11月に最終的な配付が終わり、希望する全家庭325戸(普及率71%)へパソコンが配付された。村内の通信は1997年1月から可能となり、インターネットの接続も同年2月から始まっている。
 山田村企画調整室の岩杉陽一さんの話によると、ホームページを作りたいということで集まった人々でつくったグループ、アップルプリンセスやアップルナイツは、1ヶ月ほどでホームページを作ろうと勉強会をし、半分の家庭はホームページを発信した(現在はそんなに活動していない)。また、山田村の外の社会人グループは、グループの持つネットワークを使い、自費で先生などを呼びシンポジウムを開いたりしている(行政側はまったくお金をだしていない)。高岡方面の人々のグループ“山田村を勝手に応援する会”は、パソコンの使い方を村民に教える事もあり、行政側も教えてくれるよう頼む事もあるが、あくまでボランティアのように、「気持ち」で動いてもらっている。行政(山田村役場)がパソコンの使い方などの教育で表にたつと、後々行政に何でも頼るようになるのでなるべく避けたいと考えている。パソコンリーダーは集落に2・3名おり計48名いるが、パソコン初心者がほとんどだったが、村の中でのパソコンを使おうとする雰囲気づくりの中心になればと考えている。彼らは、自分のペースでパソコンを使っており、現在は3分の1が結構使う人、3分の1がたまに使う人、3分の1がほとんど使わない人らしい。どれだけの世帯がパソコンを使っているかは最初から調べないつもりでいたため、色々なところから調べさせて欲しいといわれたが断っている。その理由は、パソコンを使っていない人が調査の結果を知った時に、例えば良い結果の場合は、自分がレールに乗り遅れたと思うだろうし、悪い結果の場合は、みんな使っていないのだからと思い、結果的にはどちらの場合でもパソコンを使わなくなると考えたからである。結局は、自分のスタイルにあったパソコンの使い方をすればよいと考えている。

第3節 地域情報交流拠点施設整備モデル事業(国土庁)

*事業目的

 過疎地域などにおいては、人口の著しい減少や高齢化の進行などに伴う地域社会の活力低下が課題となっているが、豊かな自然や伝統文化といった地域資源の有効活用を図ることによって、新たな産業の振興や生活の質の向上を図ることができる。
 そこで、CATVやパソコン通信などを活用し、総合的生活関連情報や産業・文化情報を効果的に収集・提供することによって、新たな連帯・連携意識の醸成、情報による地域間交流の推進、地域資源を活用した新たな産業の振興及び定住条件の整備を行うための拠点施設整備を支援する。

*施設の概要

  • CATV整備型・・・・CATV放送局、オープンスタジオ、映像ライブラリー、その他
  • パソコン通信中心型・・・・パソコン通信ホストコンピューター、情報ライブラリー、情報研修室、その他モデル事業*実施箇所数
    平成7年平成8年
    CATV整備型 2 1
    パソコン通信中心型 2 1


    第4節 山田村の情報化事業

     山田村の情報化事業は、都会との情報格差や地域内の情報格差を解消することで、地域の活性化を図ることを目的としている。村がインターネット接続などの基盤を準備することによって、村の外部の人と村民との間や、行政と村民との間、村民同士の間のコミュニケーションの場を提供することができる。そして、外部との交流が盛んになれば、これまで地域内部へと偏りがちであった住民の視線を外に向けることができるし、行政と村民の交流が盛んになれば、行政サービスの高度化を図ることが可能になる。また、村民同士のコミュニケーションの場ができれば、産業や生活などに関する情報交換や、高齢者の交流が離れた集落同士でもできると同時に、村民自身が村の在り方や将来について意見を出し合うことも可能になる。このような変化が刺激となり、村民の生活が積極的になったり、村や自分に対して誇りを持つきっかけになれば、村民の意識改革を通して村の活性化や魅力的な村づくりが実現できるのではないかと考えている。
     次に、山田村の地域おこしにおいて大きな意味を持っている「ふれあい祭」について述べようと思う。

    第5節 ふれあい祭について

     1997年2月、インターネットの就職関係メーリングリスト仲間であるが、全く面識のない筑波大学院、慶応、早稲田、関西学院の5人の学生が、山田村を訪問し高度情報化社会を考え、「就職にも役立てられたら」という気軽な気持ちで、パソコン使用状況調査のアンケートを持って山田村を訪れた。しかし、電脳化についての勝手な思い込みによってイメージしていた村をちょっと調査してみようという気軽さと表面的な付き合いでは村に入り込めず、むしろ危険性をともなっていると思い知らされた。そして、もっと真面目な態度で交流をしたいと考え、3月には「お助け隊として村の役に立ちたい」という気持ちと「情報化と村おこしについてのサマースクール」という気持ちを持ちつつ、山田村で夏のイベント「ふれあい祭」を行おうということになった。そこで、2月に山田村を訪れた学生5人と協力者1人、計6人が呼び掛け人となり、メーリングリストを開設し、インターネット上の様々なルートで働きかけを開始した。インターネットでの知り合い、就職活動で知り合った人など様々な学生が5月から参加するようになり、基本的な意見交換はメールで行なっていたが、対面によるコミュニケーションも必要となり、6月頃から「オフラインミーティング(オフ会)」を関西・関東で頻繁に行うようになった。その討議内容はすぐにホームページで紹介され、オフ会に参加できない学生にも企画の主旨や準備状況などが分かるように配慮がなされた。学生たちでまとめた案を村に持っていき、村の受け入れ側と検討するということも何回か行い、十分な意志疎通も図っていった。以上のように、ふれあい祭が始まったきっかけにはインターネットが関わっており、インターネットがなかったらふれあい祭も生まれなかったのである。また、ふれあい祭の企画を持ち込み、主体的に活動しているのが学生(外の人間)というのは、山田村の交流の特徴である(第4章・交流の特徴)。
     一方、学生が「ふれあい祭」の企画を山田村に持ち込んだ時、村民の対応は早く、ふれあい祭の話を直接役場が受けると、祭が役場主導となりがちになるため、「えんなかクラブ(注2)」という村のグループに対し相談をもちかけ、ボランティアとして村民の電脳化推進に協力したいという学生の気持ちを率直に受けとめて、学生の後押しと手助けをしようと立ち上がった。そして、「ふれあい祭」は村民との親密なコミュニケーションがなければ学生だけでは成り立たないと考え、様々なグループや人々が集まり「こうりゃく隊」が結成された。「こうりゃく隊」は、学生と村民が一体となって楽しめる山田村ならではのイベントを次々に企画していった。また、「富山政策研究サロン」や「SVJ」などのNPO(非営利団体)の援助もあり、1997年7月26日〜8月3日に電脳村ふれあい祭が行われた。
     ふれあい祭は「山田村の可能性を感じ、少しでも山田村の役に立ちたいと集まった学生がボランティアとして村民の活動に協力し、生活に密着した情報化の未来について語り合うイベント」をコンセプトにしており、大分すると次の3種類のイベントを柱にしている。1つめは、山田村の情報化を助け貢献するイベントで、希望家庭を学生が訪問し、一緒にパソコンを動かす「パソコンお助け隊」や、村の情報センター内での学生による「講習会」などである。2つめは、情報化社会の理解を深めるイベントで、学生と村民との意見交換や議論の場である「勉強会」や、各分野で活躍されている社会人を講師に招いての「講演会」である。3つめは、村民と交流するイベントで、村の伝統行事や自然を活かした遊びなどを幅広い村の世代の人々と共に楽しむ各種交流イベントである。具体的には、パソコン講習会では暑中見舞いづくりやアイロンプリントでオリジナルTシャツづくり、勉強会では「インターネットと法律」「福祉と医療」「情報通信・マンマシンインタフェース」の3つの勉強会や座談会が企画され、イベントでは星空観望会や早朝牛岳登山、星空地酒パーティー、村民とのふれあいスポーツなどが行われ、10日間を通し、約80人の全国の大学生や大学院生が村を訪れ、村民との交流をもった。なお、宿泊や食事については、「かつら寮」という山田村の小・中学生が冬季の平日の寄宿舎としている施設を、ふれあい祭の開催期間だけ村が開放しており、そこを本部にして活動していた。
     今年のふれあい祭りは、8月1日(土曜日)〜8月9日(日曜日)に行われ、昨年より情報化ということに重点を置き、パソコンお助け隊の充実を図り、また、将来山田村を支えるであろう若者との交流を持ち、共に考えるきっかけを作ることを主旨としている。イベントは昨年と同様に3種類のイベントを柱にしており、昨年は、7月の終わりの日曜日に行われてるいも祭と同時開催されていたが、今年は別々のイベントとして行っている。イベントスケジュールに関しては、ふれあい祭のホームページ内のスケジュール表を参照してほしい。また、それらのイベントのほかに、パソコンお助け隊が8月2日〜8月8日まで1日2回(1回目は10:00〜12:00・2回目は18:00〜20:00、8日は1回目だけ)行われている。
     なお、今年のふれあい祭学生参加者はOBと一部社会人を含めて82名、かつら寮宿泊者は77名である。
     では、次の3章では今回の調査の概要を説明しようと思う。


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