第4章 調査の分析

 第4章では、第3章で説明した「山田村の交流の現状を調べることで、第1章で述べた『山田村の地域おこしは、地域間交流型のカテゴリーに含めるべきではないのか』という疑問に対する『地域間交流型のカテゴリーに含めてもいいのではないか』という仮説を立証することを目的」とする調査の結果について述べる。
*:学生の発言
 :社会人の発言
 :こうりゃく隊の発言
 社グ:社会人グループ
 学代:学生代表の発言

第3章の調査の結果


1.インターネット(コンピュータも含む)に対する行政側と参加者の考え方

 岩杉さんの話によると、行政側は「インターネットを導入することで村民の視野を広げ、交流を深め、UターンやIターン、定住化につながる可能性があると考えている。(中略)インターネットを(外からの刺激を和らげる)クッションの役割として、また(閉鎖的な地域にいることでできる都市との)ギャップをうめる道具として利用しようと考えている。また、インターネットを生活と密接に結びついたものにし、水や空気のような存在にしたい[1]」と考えている。
 実際、学生が「東京にいながら本州の反対側の山田村のお手伝いができるなんて、不思議な感じだったことです。つまり、それほど距離を感じなかったのですね。[2]」と言っているように、インターネットによって距離を感じずに山田村とコミュニケーションをとっている人がいる。また、こうりゃく隊が「『ゲートボールをする友達はいるが、コンピュータをする友達がいない』こういった老人に、友人を紹介できれば素晴らしいのではないでしょうか。[3]」と言っているように、コンピュータを使っていても、人と人とのふれあいは大切にされているべきだと考えている(その他の資料:第4章別紙[4])。

2.ふれあい祭にとってのインターネット

 ふれあい祭の参加者は、「学:本当に行って・皆さんに会って・話して・呑んで、本当によかったなぁって思います。だって、一生知り合わなかったかもしれない、けど、すっごい人達に出会えたんですから。[5]」と言っているように、インターネットを媒体とした間接的な交流が、ふれあい祭に参加することで直接的な交流に変わりふれあいが生まれる、ということに対しての素晴らしさや大切さを実感している。特に、メールではコミュニケーションはとれているもののお互いの顔や声はわからず、ふれあい祭という場で実際に会うことでお互いの顔や声を知りお互いの距離がいっそう縮まり真にふれあえたと実感するようである([6・7・8・9])。また、学生の中には「昨年山田村のイベントに参加することで『自分の楽しい生活』というもののために情報ネットワークがどのように必要なのかを考えるようになった[10]」人もいて、ふれあい祭が情報ネットワークの必要性を考えるきっかけになっている。
 そして忘れてはいけないのが、初めて出会ってすぐにお互いの距離を縮めることが出来たのは、メールによるコミュニケーションがあったからで、こうりゃく隊が「こういったイベントを成功させた最も素晴らしい武器はメーリングリストだと思います。発信はしなくても、読んでいるだけでふれあい祭に参加したという充実感を味わう事ができます。こういったメリットを生かしてイベントを盛り上げていきましょう。[11]」と言っているように、参加者はメーリングリストをフルに活用・利用して最大の武器にしており、またそれを期待しているのである。つまり、メールによるコミュニケーションがなかったらふれあい祭は滞りなく行なえなかっただろうし、ふれあい祭によって交流が深まることもなかったかもしれないのである。そしてこのメールによるコミュニケーションは、山田村の交流の特徴になっているのである([12・13])。

3.ふれあい祭やメーリングリストを知ったきっかけ

 ふれあい祭やメーリングリストを知ったきっかけは大きく分けて3種類あり、「卒論で山田村のネットワークを取り扱うつもりでいまして、にわか山田村ネットワーク研究者として少しでも山田村について知りたく思[14]」った学生のように、大学での調査・研究の関係で山田村を知っていて興味を持ち、その後にふれあい祭やメーリングリストの存在を知ったという人([15])、「最近パソ通からインターネットにやってきて山田村のホームページを見つけてやっとメールアドレスが役に立つ!とか思った[16]」学生のように、メールを通じて会話をしたいと思っていてたまたま山田村の(ホームページの)存在を知り、そこでふれあい祭やメーリングリストの存在を知ったという人([17])、山田村のふれあい祭の存在を知っていて、単純に「学:東京出身で田舎もないので、普通の村に泊り込めるなんて楽しそうだ[18]」という理由でふれあい祭やメーリングリストに参加した人([19])、というように分けられる。すなわち、調査・研究が目的の人、交流することを望んでいて真にそれを目的にしている人、交流も目的のうちに入っているのだがどちらかというと興味の方が勝っている人に分けられる。

4.参加者にとってのふれあい祭

(1)目的について

 ふれあい祭の目的は、「こ:学生と学生、学生と村民のふれあいの場[20]」であり、それを提供することによって交流を深めていき「村長:交流を通じて変化と活気を生みだし、ふれあいの中で文化を深めていきたい[21]」と考えている。そのため、ふれあい祭でのイベントは「こ:ふれあう方に重点を置いて[24]」「学OB:自然に村の中に溶け込めるような[25]」交流の場をつくるイベントを行なっている。また、「こ:学生と付き合うことで、こりかたまった自分の考えを崩して[26]」村の中にいたら見えにくくなってしまう山田村あるいは村民の良いところ、悪いところを知り、それによって村も良い方向に向かって活性化していければと考えている人もいる([22・23・27])。

(2)コンセプトについて

 今年のコンセプトは「学代:『継続できるイベント』にすること[28]」で、将来山田村を背負っていく若者との交流を積極的に行なおうとしている。しかし一方では「こ:目的や意義はなければ困るものであるが、それを頭の上にのせて動くことは大変だと思う。結果としてそれがついてくればいいのであって、皆で楽しめるようなイベントとして考えていけばいいのではないか。交流の場をつくる、というのが大切[22]」と考えている人もいる。また、「学OB:様々な考えと手法を持った人が緩やかに集い、皆がそれぞれに参加して、あるいは見て知ることで、村と僕らに良い活気が生まれる[29]」と考えている人もいる。そして、社会人グループについては学生の側面支援として「社グ:縁の下の力持ち[30]」になってもらい、表舞台には立たずに裏で働いてもらっている([31・32])。

(3)魅力について

 ふれあい祭の魅力は、「学OB:イベントを作り上げていくプロセスが非常に面白[33]」く、その楽しさを味わえることだと考えている人がいる。また、「こ:皆さんと一緒に話していることが一番楽しい[35]」らしく、実際「学:いろいろな人との出会いを楽しみ[38]」にしている人が多いようである。村民も「村の中で村の人を見つけたら、できるだけ多くの人に気軽に声をかけてみてください。畑仕事しているおばあちゃんとか、うれしい気持ちになりますから[40]」と言っており、ふれあえる機会があることを楽しみにしているようだし、ふれあい祭を通して深い交流ができることを期待していて、それがふれあい祭の最大の魅力のようである([34・36・37・39・41])。

5.山田村の反応

 村民の反応は、学生が「予想していた以上に村の人と親しくなれました。こうりゃく隊をはじめとする中年層の方々は去年にもまして、僕らと同年代や小学生など若年層とも仲良くなれ、かつら寮にも気軽に遊びにきてくれていた[42]」と言っているように、イベントに参加している村民は友好的で、イベントを一緒に楽しむことで打ち解けていき学生との会話も広がっていっている。また、イベントの主催者側もなるべく村民と交われるように「学生3人+村民1〜2人のチーム[45]」にして工夫している。しかし、ふれあい祭の期間はたった10日間のうえ1つのイベントが2・3時間程度なので、やはり村民は学生をお客さんとして扱っているような感じがした。それでも、イベントに参加している村民はふれあい祭に参加したことを満足しており「参加してよかった[48]」と思い、ふれあい祭後も学生と交流を続けて、学生が村を訪れた時は「(学生の)一部の人は村民の家に宿泊した[50]」り、初めて訪れた人にも親切にしてくれる。また、村側も「村長:村を見てもらえるように、受け入れ易いようにと活動して[21]」いる([40・43・44・45・46・47・49・51])。とはいえ、「こ:『こんなイベントに村の予算を使うのはもったいない』『お助け隊はどうせ村から指導料をもらってるのだろう』みたいな会話があった事を耳にしました[52]」とこうりゃく隊が言っているように、ふれあい祭に参加していない村民は村に外の人間が入ってくることを快く思っていなかったり、ふれあい祭に対しての理解がまだまだ不十分であったり、ふれあい祭を自分とは関係のないものとして見ていて興味がない様子だったりしてまだまだ問題も多い([53・54・55・56])。しかし、イベントに参加していなくてもお助け隊による“パソコンのお助け”の要望は多く、ふれあい祭に積極的には参加していない村民でも、学生側の熱意で少しずつではあるが歩み寄ってきている人も少なくないようである([57])。

6.ふれあい祭を通しての山田村に対する考え方

 学生はふれあい祭に参加することによって「学: 山田村が好きにな[58]」り「学:山田村が田舎のような気持ち[59]」になっている人もいる。また、「将来住みたいな[60]」と思っている学生は昨年もふれあい祭に参加した人だったり、運営を行なっていてかなり深いところで村民(こうりゃく隊)と仲良くなった人で、ふれあい祭にどのくらい関わったかで山田村に対する思いの深さが異なってくるようである。そして、ふれあい祭に参加することによって「学OB:自分は山田村のことをよく知らないのではないか、と思[61]」い、もう一度参加しようという気持ちになる人もいる。学生だけでなく、それほど積極的には参加していないNPOのグループも「このような新しい試みが行なわれるのは、非常にいい事[62]」と山田村を評価しており、子供達が「情報にまつわる一連のプロセス、つまり『情報を収集→選択→加工→発信/外化』という流れをすでに身に付けているようであった[63]」というように良い意味での影響を感じとっているのかもしれない([47])。

7.ふれあい祭から生まれる交流について

 ふれあい祭から生まれる交流は、「手のあいている学生が『こんにちは』と隣に座り、和気あいあいと会話が始まるところがいかにも『ふれあい祭』である。普段なら絶対聞けないお話をたくさんしていただいた。思うに『ふれあい祭』ではこれが何より楽しい時間なのかもしれない[64]」と学生が言っているように、イベントに一緒に参加することできっかけを作り、数時間のイベントの中で深まっていくようである。特に、お酒がはいると村民と学生の区別なしに語り合ったり、盛り上がったりするようである。また、学生が「今までメールでのやりとりのみだった方、合同オフ会で少ししか話さなかった方たちと交流が持てて良かったです[70]」と言っているように、メール上でしか交流のなかった人やふれあい祭がなかったら知り合うことがなかった山田村の様々な年齢層の人達とつながりを持つことができたことは、交流を行なっていく上で大きな意味を持ったようである([5・36・42・44・45・46・57・65・66・67・68・69・71・72])。村民同士の交流にしても、ふれあい祭に参加することで「山田村の今まで話したことのない人ともゆっくり話す機会を持つことができた[35]」ようである。そしてこの村民同士の交流が、山田村の交流の特徴になっている([73])。
 ふれあい祭後は、学生は「社:ふれあい祭に関わったという名目で、みんな集まってわいわい騒いでるし、『ふれあい祭』期間じゃないけど、山田村にみんなで行って、わいわい騒いだり、スキーしたりして[37]」同じ地域の人達と集まったり、お互いの地域に遊びにいったりしてふれあい祭以上の交流になるようである([50・74・75])。というのは、たった10日間(人によってはそれ以下)ではお互いを知るには短すぎるためと、ふれあい祭期間中はイベントやお助け隊で忙しすぎるためである。また村民も、学生が「村の人たち(とくに同年代の)とつながりを持てたことが、収穫でした。祭りの後も、関西まで来てくれたし[72]」と言っているように学生のところに遊びにいって学生が案内してあげるということもあるし、「学:去年からの交流が続いています[76]」というように、ふれあい祭後も学生との交流が続いているようである。そして、「学代:この素晴らしい集まりをこれからも続けて[7]」来年もふれあい祭に参加し、ふれあいの場を大事にしていきたいと考えている。また、「社:こういう集まりから形成される人間関係って、めったに築かれるものではないんだよね。だから、めちゃくちゃに大切にした[37]」いと思うし、コンピュータのネットワークも成長し続けていければ、そして「社:続けていくほどの価値がある[37]」と考えている([46・50・61・76・77・78・79])。

8.ふれあい祭の問題

 ふれあい祭によって生まれた、あるいは分かった問題は数多くある。
 まず1つめは、ふれあい祭のコンセプトや目的・意義の問題である。学生が「ふれあいの面を強調していた。情報化など、オタク系に偏りがちな面をさけ、ふれあうことを念頭におくのもいいが、やはり学生が集まってただたのしむだけでなく、理念としてあるべきお助け隊の姿がもうちょっと強調されるべき[80]」と言っているように、‘ふれあい'というコミュニケーションの方を意識しすぎて情報化の技術的サポートが手薄になってしまったこと。また、ふれあい祭の意義や目的が村民の間に広まっていないということが問題である。なかには、ふれあい祭への関わり方に対する考え方の違いや参加意識の強さの違いによる批判も起きていて、今後のふれあい祭の在り方を検討する必要があるようである([81・82・83])。
 2つめは、運営に関する振り分けの問題である。「学:一部の人に業務が集中してい[84]」て、参加者によって仕事がなくて暇な人と忙しくてほとんど眠れない人がでた。そしてこの問題に関しては、「学OB:去年の反省が生かされていない[86]」という批判がでており、イベントの数を減らすとか中日を設けるという意見も昨年の反省会ででていたらしいのだが、結局は今年も同じことを繰り返し、運営側の負担が大きかったようである([80・85・87])。
 3つめは、お助け隊に関する問題である。「学:本部のコミ(=コミュニケーション)が不足のせいか、かなり険悪のものを感じた[88]」というように、お助け隊本部の意思疎通不足に問題があり、ミスをするとすぐ険悪な雰囲気になりそれがまったく関係のないところにまで影響して本部内の結束が良くなかったり、本部が他の人から入りづらい環境にあったようである。また、村側のパソコンリーダーの意識の違いにより連携がうまく取れなかったり、パソコンリーダーだけでなく学生とお助け隊が来た家庭とのコミュニケーションが続かなかったり、関西側と関東側の仕事の連携がうまく行ってなかったりもした。他に、イベントとの兼ね合いの調整もうまくいっていなかったため、スケジュールが重なってしまう人もいた。
 4つめは、学生と学生の、学生とOBの、学生と村民の壁の問題である。学生と学生の壁については、「学OB:はじめてのふれあい祭の準備をしていた頃も、まずは同じ年代で協力してくれる人をさがそうとしました。でも。うまくいきませんでした。得体が知らないことを持ち出していた上に、俺がまあ自分からうちとけようとするほうでなかったですから[36]」というように自分で壁を作ってしまうのだが、「学:思った以上にこっちから話しかけた人は打ち解けてくれる[90]」らしく、話しかけることでその場に溶け込みやすくなるようである。また、調査・研究の関係で同じ大学の人が集団で来ていて、なかなかなじめなかった(なじもうとしなかった)ようである([89])。
 学生とOBの壁については、今年のOB・OGは運営に関わらないという意識があり、ふれあい祭の参加に関して一歩引いて参加していた。また、学生は学生で、OBはOBでわかれて盛り上がってしまい、学生がOBの集団に入れなかったり、OBが学生の輪に入れなかったりした。そのため、お互いのコミュニケーションが不足し、双方の間に壁ができてしまったようである。
 学生と村民の壁については、「学:村の人と学生の区別が私的にあった。何らかの壁があって、自分でコミュニケーションをとりずらくしてい[91]」て、これは「学:学生同士のコミュニケーションに終始し、それを打破できなかった[91]」結果だったり、「学:フツーの村民との交流ができなかった[93]」上に時間も短く、学生と同年代の村の若者の参加が少なかったためと思われる([55・56・92・94])。
 これらの壁の問題を解決するためには「こ:新しい参加者にも参加できる余地を残しておいて[95]」「社:同年代の若者達をもっともっと山田村ネットワークに引き込んで[72]」考えをぶつけ合ったり、「学:村民一般(を対象にしたイベント)というのを来年盛り込[93]」んだり、「学:お助け隊に行った家庭にメールで連絡を取っ[97]」て交流を図ったり、「社:前から村人を知っているOB/OGを通じて仲良くなる[98]」ということも考えた方がいいだろう([96])。

以上の結果から山田村の交流の特徴を説明しようと思う。

山田村の交流の特徴

  • ふれあい祭が始まったきっかけにはインターネットが関わっている(第3章)ことから分かるように、山田村の交流はインターネットがなかったら生まれなかったものであり、ふれあい祭の計画や話し合いがMLで行われている(調査結果2)ことから、インターネットがあるからこそ続いている交流である。
  • 地域間交流は、姉妹都市交流にしろ国際交流にしろ、行政が中心となって交流を支援している(交流相手はたいてい行政が決めている)が、山田村の場合は、パソコン支給は行政が行なったが、それによってインターネットを使い交流を行なうかどうかは、村民次第であるため、行政が中心となっての支援はない。また、村民によって交流の有無の格差が大きい。
  • 地域間交流は、普通、相手が誰なのかはっきりしているが、山田村の場合は、インターネットを使っているため、相手がどういう人なのか分からないことが多いし、交流相手が無数に広がっていく。また、一人一人、人数や相手も違う。
  • 必ずしも山田村の外の地域との交流とは限らず、山田村内での交流もある。(調査結果7)
  • メーリングリストに入ったりすると、1対1の交流だけとは限らず、その交流の形が多元的になる。また、山田村と地方、山田村と都市、山田村と外国というようにいろいろな交流が混ざっており、その交流が更に広がっていくことが考えられる。
  • 山田村の地域間交流において大きな意味を持っているふれあい祭は、第3章のふれあい祭の説明からわかるように、もともと考え出した(企画を持ち込んだ)のが山田村村民ではなく、外の人間である。
  • ふれあい祭は、山田村が主体ではなく、外の人間の方が主体的であり積極的である(第3章)。
  • 「村民のみなさんと私達学生は、「お互いの名前と『メール口調』は知ってるけど、顔も声も知らない同志」という不思議な関係になっていました。(中略)いざ村に行ってみると「あ、○○さんですか〜、いや〜どうもどうも」みたいな乗りで、まるでずっと前からの友達のように距離を感じないのだから不思議です」というように、実際に交流相手と出会えるふれあい祭は、交流を円滑に進めるための通過点であり、交流相手とコミュニケーションをとるための共通の話題になっている(調査結果2)。
  • ふれあい祭で得られる交流は、村民と学生の交流 < 学生と学生の交流 である(調査結果8)。
  • 盛り上がっているのは、村民 < 学生 である(調査結果8)。
  • 山田村の存在が交流の後押し的な役割をしており、山田村が媒体となってさらなる交流が広がっている(調査結果7)。

     上記の結果を地域間交流型の定義である「地域が、地域の個性・独自性を活かして、他の地域と交流を行ない、相互のニーズを充足させ、新たな地域の活性化を目指す」に照らし合わせてみると、第1章で述べた‘地域’と‘地域’の交流ではないということ以外にも、交流相手が決っていないということや必ずしも山田村の外との交流だけとは限らないということ、また山田村の交流において大きな位置を占めているふれあい祭に関していえば、主体は村民というより学生(外の人間)であり、企画を持ち込んだのも学生であることなど、地域間交流型とは明らかに外れた交流となっている。しかし、“地域間”ということを抜きにして考えると、「地域の個性・独自性を活かして、他の地域と交流を行ない、相互のニーズを充足させ、新たな地域の活性化を目指す」という定義は山田村の地域おこしにぴったりとマッチする。つまり山田村の場合、「地域の個性・独自性」というのはパソコン支給によるインターネットの導入であり、「相互のニーズ」というのは、山田村側は村民の視野を広げ交流を深めるということ、相手側は交流をしたいということになる。また、“地域間”の交流ではないとはいえ、山田村には明らかに他の地域の人との“交流”があり、ただ“地域間”の交流ではないということでカテゴリーに含めないというのはおかしいのではないだろうか。
     さらに今後の地域間交流を考えるうえで、特に注目したい特徴がある。それは山田村のふれあい祭における学生の主体性・積極性である。つまり、ふれあい祭の企画を持ち込んだのも学生(外の人間)であるし、主体的に積極的に行動しているのも学生であるということである。ふれあい祭が山田村の交流において大きな位置を占めている(ふれあい祭によって交流が盛んになった)ことは何度か述べていると思うが、それは言い換えると、山田村の交流のきっかけを作ったのが学生であり、引っ張っているのも学生だということになる。外の人間が始め、引っ張っているというのは他では見られない交流の形で、山田村独自の交流といってよいだろう。でもだからこそ、今後の地域間交流の新しい展開が期待できるのではないだろうか。例えば、過疎化が進み、人口特に若者の数が減り地域おこしも立ち行かないような地域にとって、外の人間が引っ張っていってくれる交流というのは希望の光になり得ると思う。もちろん山田村の場合、「村民にパソコン配布」ということでマスコミに騒がれ全国的に有名になったおかげで興味を持ち、交流に参加したという人が多かっただろうし、インターネットという手段があったから交流が続けられるという利点があり、特別といえば特別なのだが、インターネットに関していえば、現在コミュニケーションツールは多様になり、インターネットの普及も広がっているため、インターネットを使った交流はこれからも増えるだろうから、今後ありえない交流の形ではないだろうし、またインターネットによって「行政が中心とならない交流」もどんどん増える可能性があると思うのである。しかしここで注意しておきたいのだが、山田村の地域おこしはインターネットの存在だけで成功したように思われるかもしれないが、行政が中心となっていないところや行政が交流をするうえでの媒体となっているところなど、むしろインターネット以外の面もあったからこそ成功したのではないだろうか。
     地域おこしというのは、第1章でも述べているように、社会の背景によって少しずつ変化してきた。まして現在は著しい速さで社会が変動していて、地域自体も今までになかった新しい地域おこしを求めてきている。だから、山田村の地域おこしが地域間交流型から外れた交流になっているのは当然といえば当然のことで、むしろ、地域間交流型の定義をもっと広義なものと考え、山田村を新しい地域間交流型として含めるべきだと思うのである。つまり、新しい地域間交流型とは“地域間”にこだわらず、何らかの形で交流があり、それによってその地域が活性化する交流であり、たとえその‘地域’が、交流を行なううえでの媒体としての役割しか果たしていなくても、それによって何らかの影響がその‘地域’に起これば、それは地域間交流型に含めるものとする。それによって、今まで‘地域’という単位の活動でないと‘地域おこし’として含めてもらえなかったものが、地域という単位だけでなくそれ以外の単位(例えば‘個人’や‘グループ’など)の活動も地域おこしに含めることが出来るようになり、山田村はその「‘個人’や‘グループ’の活動による地域おこし」の代表例となるのである。また、地域間交流型の範囲を広げることが地域おこしの幅を広げることにつながり、山田村の交流の特徴によって今後の地域おこしの可能性を見出すことができるのではないだろうか。つまり、「行政は中心にはならないが支援はする」という面や「行政が交流の媒体となり後押しをする」という面、「交流相手が1つとは限らず相手も分からない」という面などが地域おこしの今後の広がりを示唆するものとなり得るのではないかと考えるのである。


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