第四章 FUJI ROCK FESTIVAL

 

第一節 FUJI ROCK FESTIVALの変遷

 

 ここからは、FUJI ROCK FESTIVAL を中心に、全国規模で集客のあるロック・フェスについてみてゆく。過去のFRFに関する内容については、雑誌記事や、SMASH代表・日高正博氏の著書『やるかFUJI ROCK 1997-2003』(2003:阪急コミュニケーションズ)などを参考にまとめる。

 

(年表)FUJI ROCK FESTIVALの軌跡

1997年 FRF:富士山麓・天神山スキー場にて初開催。メインステージとセカンドステージの2つを設置。

2日間開催の予定が2日目は台風の影響により中止。

1998年 FRF:東京ベイサイドスクエアで日間開催。Green、Whiteの2ステージ。

1999年 FRF:会場を苗場スキー場に移し、日間開催。ステージ数は4カ所。

その後7カ所へと徐々に増やし、チケット料金の値下げや、早割りなども導入しさまざまに改良し続ける。

この年、北海道でRISING SUN ROCK FESTIVAL初開催(オールナイト)。

2000年 SUMMER SONIC初開催。ROCK IN JAPAN FESTIVAL初開催。

2002年 FRF:前夜祭開催。最終日(日曜日)のチケットが初の完売。

2004年 FRF:チケット日間通し券のみ販売。チケット料金値下げ。完売。

RIJ:全日程チケット完売。

2005年 FRF:1日券復活。初めて料金値上げ。

 

 

1997年、第1回FUJI ROCK FESTIVALが開催された。この年は、富士山麓の天神山スキー場を会場に二日間の日程が予定されていた。「富士山で開催するロック・フェス」から「FUJI ROCK」という名前がついた。日本で初めて開催される本格的な野外ロックフェスティバルであり、当時人気の国内外のアーティストが30組以上出演するとあって、開催前から音楽誌で大きく取り扱われ、音楽ファンの関心を集めていた。

 

しかし、開催初日、会場の天神山周辺は台風が直撃、激しい風雨に見舞われた。それにもかかわらず、「フェス」に初めてやってくる観客たちはみな、ノースリーブやハーフパンツにサンダルなど、山にやってくるには無防備すぎる格好だった。雨をよける場所もない中で、激しい風雨にさらされ、観客たちの体力は消耗していった。また、会場と河口湖駅を結ぶシャトルバスの運行もほとんどストップしてしまっていた。会場周辺の村道を駐車違反の車がふさいでしまい、ひどい渋滞になっていたためだ。加えて、準備できていたシャトルバスの本数自体も集まった観客に対しカバーしきれておらず、河口湖駅は会場に向かう人達でどんどんあふれ出していた。中にはバスを諦め、徒歩で会場へ向かう人までいたそうだ。一方会場では、風雨の中で、休憩スペースも無く、会場からの移動も出来ず、苛立ちを隠しきれない観客たちも多かったそうだ。

 

そして二日目。台風は去り、雨も上がっていたが、会場内は前日の風雨のため泥とゴミで酷く荒れていた。一日目の夜に、事態の悪化を防ぐため、主催者が急遽用意したわずかな救護施設で夜を明かした観客たちの体力も衰弱しきっていた。日高氏は二日目の未明に、公演を中止することを決定した。雑誌、インターネットなどで97年終了後の会場の写真を見ることが出来るが、そこには本当に悲惨な状況が映し出されている。地面はドロドロで、ビニールシートや、カッパ、傘、毛布、生ゴミがその泥にまみれて散乱している。

 

 二年目の1998年FRFは、昨年の失敗やその他の事情があって富士山での開催は出来ないことになった。東京・豊洲、都会のど真ん中でFRFは「絶対成功するはず」(日高2003: 102)の環境でFRFは「リベンジ」する。昨年の反省を踏まえ、主催者は細かすぎるほどのマニュアルを作成し臨んだ。雑誌メディアは、来場者に対し熱射病・日射病の対策を盛んに呼びかけた。観客も「今年こそ」と意気込み臨んでいた。結果、FRF98は二日間の日程を無事終え、97年のような悲惨な状況もなく、成功に終わった。しかし、この年のFRFは再び自然の中の開催に戻るため、次に繋げていくための経過点に過ぎず「妥協」の東京開催だった。

 

 1999年、FRFは再び自然の中での開催を迎える。新しい会場は、富士山ではなく、新潟県・苗場スキー場だった。苗場に移って以降、FRFはさらに進化し続ける。二日間開催から三日間開催に日程がのび、ステージ数も苗場初年度は4ステージ、その後徐々に数を増やし会場整備も進め、現在は7ステージ設備されている。1999年から2003年にかけては、類似の「野外ロック・フェス」が次々と開始し、「フェス」がよりポピュラーなものへとなっていく中、FRFの入場者数も年々増加していく(表2)。2004年には3日間通し券のみの販売になるなど、さまざまな面で変化し続け、FRFはまだ決して完成形には達していない。

 

 

2)FRF入場者数

 

前夜祭

1日目

2日目

3日目

延べ

1997年(天神山)

35,000

中止

35,000

1998年(東京)

35,000

32,000

67,000

1999年(苗場)

22,000

30,000

20,000

72,000

2000年( 〃 )

20,000

23,000

18,000

61,000

2001年( 〃 )

28,000

31,000

20,000

79,000

2002年( 〃 )

9,000)

25,000

30,000

35,000

90,000

2003年( 〃 )

15,000)

32,000

37,000

31,000

100,000

2004年( 〃 )

(??)

3日間通し券のみ 30,000

90,000

2005年( 〃 )

15,000)

35,000

40,000

350,000

125,000

 

 

 

第二節 FUJI ROCK FESTIVALの光景

 

苗場に会場を移して以降のFRFは、7月最終週もしくは8月第1週の金曜日から日曜日にわたる週末の3日間に開催されている。2002年からは前夜祭も行なわれるようになり、木曜日から日曜日(実質的には月曜日の未明)まで、苗場は「フジ・ロック」の町となる。私は、2005年7月31日、FRFに初めて行ってきた。2005年FRFの最終日であり、前日までの雨も上がり、まさにフェス日和という晴天だった。

 

フェスの開催は、例年その年の元旦に公式ホームページ上で発表される。FRFに限らず、全国から観客が集まるような規模の大きいフェスのほとんどは、その年の元旦に開催発表が行なわれるのが一般的だ。元旦の第一報の時点では、日程と会場、チケット料金のアナウンスがあるくらいで、出演アーティストなどの詳細は全く分からない。出演アーティストは決定次第、徐々に、公式ホームページで発表される。2005年の場合、第1弾の発表は2005年2月27日に24組のアーティストが発表された。その後、決定次第発表されていくので、開催前には第10弾発表になった。

 

チケット料金は毎年変化するが、2005年FRFの場合、主な券種は2種類で、前売り3日間通し券が¥38,000、各日1日券が¥16,000だった。それと入場券のほかに、駐車場を利用する場合は「駐車券」(1日1台につき¥2,000)、キャンプサイトを利用する場合は「キャンプサイト券」(1名期間中有効¥2,500)が必要になる。また、FRFではシャトルバスの利用はチケット料金に含まれ、無料で利用できるが、フェスによっては入場チケットとは別にシャトルバスのチケットが必要な場合もある。入場券は、当日会場に到着したら入場ゲート等で、リストバンドと交換する。リストバンドは、「通し券」「1日券」「キャンプサイト券」などがそれぞれ一目で分かるよう色分けされており、来場者全員、手首にリストバンドを装着することが義務付けられる。会場内各所には係員が立ち、開催中は常に「リストバンドチェック」が行われる。

 

2005年FRFは、会場内大きく7つのエリアに分かれ、7ステージが設置された。(図1)入場ゲートから道なりに進み、最初に出る拓けた場所に位置するのが、「GREEN STAGE」である。FRF会場内で最も大きいメインステージだ。GREEN STAGEの前を通過し、さらに会場内を進むと、緑が生い茂る林に囲まれた一本道になり、木陰の道が心地よい。その道を抜けるとまた開けた場所に出て、そこに2つ目のステージがある。「WHITE STAGE」だ。反対にGREENからWHITEに行かずに逆方向、ややメインゲートに戻る方向に進み、「赤い橋」を渡ると、レストラン屋台やオフィシャルスポンサーの企業ブースが並ぶ広場があり、そこを抜けた所に「RED MARQUEE」がある。RED MARQUEEはテント内にあるステージで、ライブハウスに似た感覚がある。GREEN、WHITE、REDの3ステージがFRFの3本柱的な存在感を持つ。この3つのステージエリアを結ぶ通路は、観客の移動も多く、会場の大動脈となる。WHITEから会場をさらに奥に進んでいくと順に3つのステージエリアがあり、手前から「New Power Gear Field AVALON」、「FIELD OF HEAVEN」、「ORANGE COURT」の順で存在する。ORANGEでは、1日目の夜から2日目の朝にかけて、「オールナイト・フジ」という、テクノ系DJによるレイブパーティが開催される。最後にもう一つの「THE PALACE OF WONDER」は入場ゲートを出たすぐの巨大なオブジェ郡の一角にある。ここでは、サーカスパフォーマンスや、日替わりDJによるパフォーマンスが行なわれており、夜には「ROKIE A GO GO!」と題して、アマチュアや新人アーティストによるライヴが行なわれる。

 

(図1)2005年FRF会場各エリアの位置関係

  ==省略==

 

 

(資料1)FRF会場内各所への移動に要するおおよその時間

入場ゲート〜〜GREEN〜〜WHITE〜〜AVALON〜〜HEAVEN〜〜ORANGE

     8分    20分    5分    10分    5分

 

RED〜〜GREEN

      10分

 

 

会場内での移動は全て徒歩で、会場の端から端(RED〜ORANGE)までをスムーズに歩けば1時間程度で移動できる広さだ。各ステージ間の移動の平均的な所要時間は(資料1)の通りである。ただし、会場内の混雑や天候等によっては、移動時間が普段の2倍も3倍もかかってしまうこともある。

 

各ステージでのライヴは午前11時から始まり、24時までに各ステージで7組〜8組のアーティストの演奏が行なわれる。ただし、1日目にORANGEで行なわれる「オールナイト・フジ」は翌朝7時まで、RED、PARACE OF WONDERは3日間とも翌朝5時までライヴが続く。各アーティストの出演時間は30分〜60分ほどで、各ステージの「大トリ」や、「トリ前」を飾るアーティストには長めに時間が割られる事もある。FRFの3日間で出演するアーティストは総勢約100組に及び、洋楽・邦楽、新人・大物問わず、さまざまなアーティストが名を連ねる。

 

FRF会場内には、ステージ以外にもさまざまなアトラクションや飲食ブース、スポンサー企業のPRブース、NGO VILLAGEなどが存在する。それらを巡ることもフェスの楽しみの一つである。飲食店は、会場内8エリアにあり、全部で約65店舗出店している。その他のアトラクションなど2005年の例を以下にまとめた。

 

 

 KIDS LAND】メリーゴーラウンド、クラシカル・バス、クレープ屋さんやオムツ交換所などを提供し、家族連れをサポート。

fujirockers.orgインターネット・カフェ】インターネット・カフェ

【想い出館〜Let’s make a memory!】観客の“笑顔”を写真で記録、TVの公開収録など。

OFFICIAL MEDIAブース】FM局のサテライトスタジオ、TV局による各ステージのリアルタイム映像を楽しめる。

New Power Gear Field/AVALON】フィールド全体の電力をバイオディーゼルなどの発電でまかない、人権、平和、環境団体等がアピールブースを構える。マッサージテントや、楽器作りのワークショップ、エコ雑貨店などもブースを構える。

NGO VILLAGE】05年は、貧困削減、災害、エネルギーの3つをテーマに、比較的小規模で、草の根的な活動を行っている12団体が参加。

BOAD WALK】車椅子で自然の中で散策できる道を作ろうと、2002年から開始。FRF来場者による募金でボード工事を進めている。建設もボランティアの協力を得て行っている。

【木道亭】ボードウォーク内、林の中のステージ。ストリートアーティストが登場。

【富士映劇】星空映画館。24時〜映画が上映される。

【ドラゴンドラ】苗場スキー場の世界最長ゴンドラ。フジ・ロックの全景が楽しめる。到着した山頂では、野外レイヴ、紙芝居、パフォーマンスなど様々な「お楽しみ」が行われている。

 

 フェス会場で観客たちは、このようにさまざまに用意された「楽しみ」を各々のペースで楽しんでいる。

 

 

 

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