第三章 POPHILLについて

 

第一節 北陸で開催されたロック・フェス

 

ロック・フェスについて調査を進めるにあたり、調査へアクセスしやすい北陸に地域を絞り、どんなフェスティバルが開催されたのか調べてみた。調査のアクセス性を考慮し、北陸で開催されていることに加え、北陸の企業・団体が運営の主体を担っているフェスティバルを対象にすることにした。この条件を満たすフェスティバルとして、POPHILL 、MUSIC CAMP、Come Come RIDE、の3つのイベントが北陸では行なわれていた。

 

まず1つ目は、北陸のロック・フェスの中で、最も歴史があり、最も知名度もあるイベント、石川県のPOPHILL。POPHILLは1984年に開始し、毎年、ヒットチャートを賑わすアーティストやブレイク前のアーティストが幅広く出演し、北陸では最大規模のオムニバス形式の音楽イベントであった。北陸で豪華な出演者の演奏がナマで聴けるイベントとして、最盛期には1万人以上の集客を誇った。しかし、2002年の開催を最後に、現在は休止状態が続いている。

 

MUSIC CAMPは富山県南砺市(旧福光町)IOX-ALOSAで開催されている音楽イベントである。1998年に始まり、開催は不定期で、開催される年とされない年がある。これまでのところ、1998年から2001年までは毎年開催され、その後2003年と2005年に開催された。ただ、メインアーティストが1組しか出演しない年もあり、フェスティバルというよりは、野外コンサートイベントという形式に近い印象を受ける。

 

Come Come RIDEは、2004年に石川県白山瀬女高原スキー場で開催されたロック・フェスだ。オールナイト形式で、メインステージとサブステージの2ステージが組まれ、キャンプサイトも設けられるなど、本格的な野外フェスであったが、2004年に一度開催されただけで、翌年以降の開催には続かなかった。

 

 

(表1)北陸ロック・フェスの一覧

 

開始年

会場

開催形式

継続状況

POPHILL

1984

1年目は辰口町(現能美市)

丘陵公園

2年目以降津幡町森林公園

1ステージ1日開催(昼夜)

出演8組前後

02年まで毎年開催19回

03年以降休止

MUSIC CAMP

1998

福光町(現南砺市)

IOX-ALOSAスキー場

1ステージ1日開催(夜)

出演1〜3組(メインと前座)

97〜01、03、05年に開催し6回

Come Come RIDE

2004

白山瀬女スキー場

2ステージ・オールナイト開催

メインステージとDJブース

出演15組ほど

キャンプ用スペースも設備

04年1回開催されただけ

 

 

この3つのイベントとも、開催が不安定であり、全国の大規模なイベントに比較して、何らかの問題点があるのではないかと予測が出来る。フェスバブルの一方で、継続が困難になってしまったフェスが存在するのだ。継続に成功し、多くのファンから支持を受け続け、文化的存在感を大きく成長させていくフェスと、不安定な開催で継続されないフェスの間にはどのような原因があるのだろう。岡田(2003)によると、観客動員の成功の要因には、オーディエンス構築の成功が背景にあった。ならば、継続できないフェスでは、オーディエンスの成長・成熟のプロセスに何らかの問題点があるとは考えられないだろうか。

 

そこで、フェスが流行する以前から開催されており、歴史の最も古いPOPHILLについて詳しく調査を行なうことにした。POPHILL事務局の窓口となっている津幡町商工会青年部に調査の依頼をしたところ、加納渉さんにインタヴューにこたえていただけることになった。

 

 

 

第二節 POPHILLに関するインタヴュー調査

 

2005年6月28日、POPHILL運営の事務局となっている津幡町商工会青年部の加納渉さんにインタヴューに協力していただいた。インタヴューでは主に、POPHILL事務局のこと、運営に関すること、フェスブーム到来前と到来後のPOPHILLへの影響、そして2003年以降続いている休止状況について詳しく伺った。

 

POPHILL事務局とは、石川テレビ、北陸中日新聞、そして津幡町商工会青年部の三者のことを指す。三者協同主催の形態をとっており、石川テレビが全体的な運営面での決定権や中心的役割を担い、北陸中日新聞は広報、津幡町商工会青年部では会場周辺の許可等雑務全般、という役割分担がされていた。石川テレビはトップの決定権をもち、運営の実務を行なっていたのは津幡町商工会だったようだ。また、三者それぞれにPOPHILLへ対する意識があったようで、石川テレビは経費を出費していたこともあって、ビジネス目的としてPOPHILLへ取り組んでいた。北陸中日新聞も同様にビジネスが目的であったようだ。一方で津幡町商工会青年部としては、会場である津幡町のアピールという、「地域活性」及び「まちおこし」という目的が一番にあった。石川テレビ、北陸中日新聞、津幡町商工会青年部、三者にそれぞれの目的があったが、それぞれの意識が合致し、三者で協力体制を組んでPOPHILL運営は支えられていた。

 

運営の主な流れは、開催年の前年12月までに開催するかどうかを決定し、12月中にブッキングするアーティストをリストアップしていく。最初にメイン出演するアーティストを決定し、アーティストの予定に合わせて、7月末から8月中の土曜日で開催日程を調整する。POPHILLでは、メイン出演者ありきで開催の日程が決定する。1月の時点で仮押さえの契約をし、3月ごろに出演者と正式契約を結ぶ。メイン出演者の契約が決定したら、その他のアーティストのブッキングを進める。ここでもメイン出演者の希望・都合を優先させて他の出演アーティストが選出されるそうだ。出演が大方ブッキングできたところで、4月に開催告知をし、5月からチケット販売、7月もしくは8月の開催へ、という流れになる。POPHILLの運営においてはメイン出演者の都合が、日程や他の出演アーティストを左右するほど影響力が大きかったようだ。

 

 そんな中、運営面での困難はさまざまあったようで、加納さんはPOPHILLとFUJI ROCK FESTIVALの運営面での違いを比較しながら、色々と説明してくださった。

 

まず、出演料は、POPHILLでは出演者のネームバリューによってそれぞれの出演料を支払っていたが、FRFの場合、どのアーティストに対しても一律の金額だという。FRFというのは日本では最も権威のあるロック・フェスであり、アーティストとしては出演すること自体に、プロモーション効果があるという利点がある。そのため、出演料以上に得られる大きなプロモーションという報酬があるそうだ。

 

出演者の予定を拘束する時間においても、FRFとPOPHILLでは差が出てしまう。FRFは新潟県苗場で開催されている。東京から会場最寄りの越後湯沢駅までは新幹線で乗り換えもなく、2時間弱で到着する。出演当日の朝に出発すれば、現地でのリハーサルを行いその日の出演に間に合うことが出来る。出演翌日に帰京することを考えても拘束日数は2日間である。POPHILLの場合、リハーサルは当日ではなく、前日に行なっている。そのため、前日リハをするために、出演の前々日には石川県入りをし、出演日の翌日帰京するとなれば、移動日+リハーサル日+出演日+移動日となり、4日間もスケジュールが拘束されることになる。この点でも、POPHILLはやや不利な点を背負っている。

 

 アーティストに出演依頼を行なうプロモーター会社もFRFはsmashという東京のプロモーターであるのに対し、POPHILLは北陸を基盤にした地方のプロモーター会社である。アーティストへの「パイプ」が弱いといえる。また、FRFに続きさまざまなフェスが各地で開催される時代に入り、アーティストの中には、「メインならば出ない」という考えも見られるようになったそうだ。一見、メインで出演するほうが、プロモーション効果がありそうだが、出演者としては、メインででるのであれば、わざわざフェスでなくても、自分たちの名義でライブを行なったほうが、効率が良いのである。また、フェス出演は、メインのアーティストを目的でやってくる観客に対し自分たちをアピール出来る場になる。メインで出演すれば、元々の自分たちのファンが集まるため、ファン層の拡大という点では「効率が悪い」と考えるアーティストもいるそうだ。

 

また、イベントの方向性自体もFRFとPOPHILLでは異なると、加納さんは言う。FRFは「フェスティバル」という空間を提供すること、お祭り空間そのものを楽しむということを主にしているが、POPHILLは出演者ありきであり、出演者のラインナップを目的にやってくる観客をターゲットにしている。そのため、FRFはフェスそのものを楽しむ観客が毎年やってくる。一程度の集客は毎年確保できるのだ。一方でPOPHILLはその年の出演者の顔ぶれによって、観客層は大きく入れ替わり、集客もまちまちになってしまう可能性を持ち合わせている。

 

会場のキャパシティ自体もFRFは苗場スキー場を広く利用し、ステージを複数設けられるほどで、3万人から4万人まで観客を動員できる。POPHILLが行なわれる森林公園の緑化広場にはステージを1つ組めるだけで、最大収容人数は1万1千人までだそうだ。チケット収入においても、大きく差があり、その差が運営面にも響いてくる。また、スポンサー収入でも、FRFは東京本社の上場企業がスポンサーとなり大きくバックアップをするが、POPHILLでは北陸を本社においた企業や支社に限られる。

 

 1984年から続いていたPOPHILLであるが、2002年の開催を最後に現在も「休止」状態が続いている。加納さんには、休止の理由などについても伺った。原因は大きく二つあった。まず一つに、やはり金銭面での困難があげられた。「商売」として採算が合わないそうだ。FRFと比較したこれまでの話からも分かるように、どうしても地方開催という部分で敵わない部分が何点も生じる。イベントとしての魅力は充分備えていても、「商売」としての魅力もなければ運営の継続は出来ないのだ。もう一つに、フェスが世間に浸透していく中で、「複数ステージ・オールナイト開催」という流れに乗って行けなかったということだ。森林公園で設置できるステージは1つまでが限界で、他のフェスのようにいくつもステージを設置し、同時進行で行なうことは不可能だった。そしてキャンプスペースを設けられるような場所も備えておらず、オールナイトでイベントは開催できない。これらの点からフェスがブームとして浸透していく中で、時代の需要に対応できない事情があった。

 

 

 

第三節 まとめ

 

インタヴュー調査を行なった結果、イベント継続が困難になった大きな原因は、「地方で行なうことの難しさ」だった。オーディエンス構築や、主体性を教育していく過程に何らかの原因があったのではないかと考えていたのだが、主に金銭的な運営面での困難があったためであった。加納さんの話にもあるように、FRFなどの大きなフェスに比較して、どうしても劣ってしまう面がいくつも重なるように存在する。むしろ「ここまで続いていたことが不思議なくらいだ」とも言っておられた。ただの「商売」としてフェスをとらえた場合、POPHILLの場合は決して有益なものとは言えなかったようだ。津幡町商工会青年部が関わり、「まちおこし」の熱い思いがあったからこそ、イベントの継続はここまで支えられてきたのかもしれない。

 

 しかし、加納さんは決してイベントへの思いを諦めてはおらず、再び森林公園で音楽イベントが開催できるよう活動を続けておられる。「森林公園はステージとしては最高のものだ」と加納さんは言う。すり鉢状の広場があり、ステージを組むにはとても適している。緑に囲まれ、広がる山並みを一望しながら演奏が出来る。このような素晴らしい公園を使って「津幡町」の名が全国に知られるような音楽イベントを今も目指している。地元の津幡町の町民にとってもPOPHILLは「地元で開催される大きな音楽イベント」として慕われてきた。POPHILLという名前ではなくなるかもしれないが、またいつの日か、津幡町で最高の音楽イベントが開催される日が望まれる。

 

 

 

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