ホーム :スライド6〜16:「商店街の人」(各個人の紹介) :


(8)上田 与一郎(うえだ よいちろう)さん――蔵島屋(中央通り)(スライド13)

前へ 次へ

「15年かかって、自分が少し呉服屋なのかなと思うようになってきました。」中央通りに店を構える蔵島屋の4代目、上田与一郎さんはこのように語ってくださいました。上田さんは、蔵島屋初代の曽祖父と同じ名前を祖父によって付けられ、小さい頃から呉服屋になるよう言い聞かされてきたといいます。中学、高校生のときは、それに対し、反発していたそうですが、大学卒業後、岐阜での4年間の修行を経て、富山に戻ったそうです。富山に戻ってきた次の年に、中央通りに現在の店を建て、しばらくは中教院通りにあったお店と2店舗体制で経営をしていたそうです。中央通りには、自分を育ててくれた街として愛着があり、現在に至っているといいます。創業が明治で4代続くお店であることや商店街にお店があることが蔵島屋の強みだと考えておられます。
 普段着物を着る習慣がなくなっている今、上田さんは、お客様に着物がすごく欲しい物と思ってもらえるようにはどうしたらよいかを考えているそうです。その際、一番大切だと感じていることは、お客さんに着物の知識など様々な話をし、伝えていくことだそうです。上田さんは、今までのやり方をガラッと変えることは、長くお付き合いしているお客様に対する裏切りになると考えている一方で、古いものを守るだけがすべてではないと考えておられます。最近では、着物のレンタルや和雑貨の販売を始めるなど、古いものを残しつつ新しいものを取り入れる広い視野で前向きに取り組まれています。今は、衣装のレンタルから写真撮影までの一貫したサービスを行う写真スタジオとどのように競争していくかが自分の課題だと語ってくださいました。


スライド6〜16:「商店街の人」(各個人の紹介) に戻る