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(6)黒崎 晃治(くろさき こうじ) さん――平安堂(中央通り)(スライド11)

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 生まれも育ちも富山市、小さなころから富山の商店街に触れてきた黒崎晃治さんが、ご自分のお店である和菓子店「平安堂」や自らの人生、そして商店街について語ってくださいました。
 黒崎さんは、昭和48年生まれ。祖父の創った和菓子店「平安堂」で働いており、いずれは現在の経営者である黒崎さんの父に代わり、経営にも携わっていくことになります。
 黒崎さんが平安堂を継ぐと決意したのは大学入学後です。大学は、家業の和菓子作りには関係のない工業科の大学に入学していましたが、兄妹の中で店を継ごうという人がいなかったことから、自らが平安堂を継ぐ決意をしました。和菓子作りの修行は大学卒業後から大阪で始めました。修行時代について、「今に比べれば楽かな(笑)」と黒崎さんは語るものの、何の経験もなく、突然始めた修行はかなり大変なものだったのではないでしょうか。修行先大阪において、後の妻となる方と出会っていることからも、黒崎さんにとって大阪での修行は大きな価値があるのではないでしょうか。
 現在の商店街やお店は、不況や若者の商店街離れなどから、昔と比べるとあまり思わしくない状況であるそうです。しかし、今に続くような伝統あるお店を創った黒崎さんの祖父や、現在の経営を担当しており、「前向きというか、もう、なんでもやるっていうような感じですね」というチャレンジ精神や行動力に溢れる黒崎さんの父のように、黒崎さん自身も代々受け継いできたものや、大阪での自身の修行から得たものによって、これからも平安堂や富山市の商店街の活性化に向けて精力的に行動していってくださるでしょう。
 最後に、「大学生のかたはあそこ(五福)の構内で何人いらっしゃるんですかね、何千人といらっしゃいますね。そういうかたが、いろんなことをやっていただいて、いろんなとこに出かけていただければ、富山も活性化するかもしれませんね。」と語るように、大学生としての商店街とのかかわり方についても黒崎さんは指摘してくださいました。
 笑顔を絶やさず、終始紳士的な態度でインタビューに臨んでくださった黒崎さんに深く感謝すると同時に、これからの商店街の活性化に向けて富山県に住んでいる大学生として、われわれも自分にできる限りの協力をしていくべきではないでしょうか。


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