ホーム :第3章 テーマ別分析 :

第2節 「職人」であるという誇り(北 えみ)

前へ 次へ

 ここでは、インタビュー・データから職人の意味世界を特徴的に示すポイントをとりあげ、論じてみたい。

(1)技への自負

 伊賀は、燕の鑢職人の精神構造のひとつとして「業への自負」を挙げている(伊賀 2002: 263-6)。例えば鏨の刃を研ぐ仕方は、先達から盗み取った秘伝であり、自分しかできないと語る職人の例が、そこでは挙げられている。ここでの「業」は「一般的な顧客による評価ではなく、親方による評価を受けてこそ意味がある」ものとされているが、今回は「業」を職人の技術的な「技」と同じものととらえることとする。それでは、高岡漆器職人の場合、技への自負はどのように語りの中にあらわれているのだろうか?
 彫刻師のHTさんは、自身の仕事である彫刻以外にも、欄間や銅器の木型もできると話した。「彫るってことにはもう自信ありますから・・もうなんでも。もうこの年になってね、もういろいろ研究して」。自分自身で木に関するあらゆる技を勉強し続けてきたという意識が、「木であればなんでもできる」という自信につながっていると考えられる。さらにHTさんをそのような道へと向かわせたものにライバル意識があるのではないか、と考えることもできよう。HTさんは、独立した以上は父親や兄弟、弟子や他の人も「ライバル」だと言う。「あのガキ、くそ、ならあいつに負けん」と激しい表現をされるライバル意識が、向上心とつながり、木に関するあらゆる技術の習得に拍車をかけたのではないだろうか。さらにそれは自らの自負へとかわり、「今高岡の彫刻屋6人おれど、欄間もできる、この木型もするのは私だけです」と語るまでになる。
 塗師のUAさんに関しても、自らの塗りの技術に対して自信を持って語っているように感じた。UAさんは何度も何度もくり返しやった作業の経験があり、それが自信につながっていると考えられる。彼は、商業高校を卒業し、先生のもとで自分の左手をスケッチブックに500枚描く。30年間、月に300枚ほどの菓子皿を作った。 「こればっか、寝ても覚めてもこればっかしとった。もう嫌なくらいした。顔見たくないくらい、ようした。そんなんは、珍しいやろな、高岡市内でも」。そのような途方もない修行に裏打ちされた自信が、自動車に漆を塗るという離れ業を成し遂げさせたのかもしれない。「わし頼まれたけど、何とかならんかなあ思たけど、なんならんがやちゃ。どうしてもならんが。あの漆が、こうね、横の方が垂れていったりねえ、ドアの(漆)が垂れていったりねえ、上の方が縮んできたりねえ。ほんっとに、もういやになって俺、こんなんやめたいって(笑)言うくらいに、技術者が必要やったんや、あの仕事には」。そのような難しい仕事を成し遂げたUAさんは、今は高岡での仕事はあまりないと言う。漆器の産地である神奈川県の鎌倉などからUAさんの技術は評価され、仕事を頼まれるようになった。「私の技術で良かったもんは、どこ行っても通用すると思っとるから」。高岡を離れても、自らの職人としての技術への自負は変わらないようだ。
 青貝師のOHさんは、戦没者記念品に3ヶ月で1万個以上の螺鈿を入れるという大きな仕事を国から任されたときの経験を、自身の仕事では「失敗」だったと語った。高岡ではない他の産地から送られてきたものに青貝を貼る、という普段やっていない仕事であったため、段取りも悪く、「自分の能力以上のことをやった」のだそうだ。その経験については「後で考えると自分はそれくらいの仕事ができるとわかった」というように、自信へとかわる。
 以上の3者はそれぞれ自分の技に対し、かなりの自信を持っているといえる。そこには、大量の数をこなしてきた、あるいはあらゆる技術を磨いてきた経験が関係している。さらに、その自信は職人としての経験を長く積んできたHTさん、UAさんのふたりにとっては特に大きいと感じられる。欄間のような多分野でも、あるいは高岡以外でも、ひとりの職人として通用する能力を彼らは語っているからである。

(2)「職人」と「作家」

 インタビューの中で、何人かの人が「作家」について話題をだし、「職人」と対比させて語るという場面があった。両者の違いから彼らの自負にアプローチしてみたい。
 まず、「作家」と「職人」の違いとは何であろうか。そのことについてMHさんは、こう語っている。「作家さんっていうのは、同じ物を2個作らない、というか作れない。半年かけて1個作ったりとか。職人さんというのは同じ物を何個でも作れる。量産の出来る人」と語る。他の職人たちの間でも、「作家」とはひとつのものを作り、展覧会などで発表する、それに対して「職人」は同じ物をたくさんつくることができる人、という認識があった。(もちろんこれは、インタヴュイー全員の共通認識というわけではない。)
 そしてそのような作家の道を今の職人達は選ぶ傾向にあるという人がいた。その理由としてUAさんは「作家の道へ行きたいがは願望やろな」と語った。そこにあるのは作家に対する憧れ、あるいは職人が感じるひけ目のようなものであろうか。HTさんは小さい頃、職人である父の姿を見て「かっこいい」などではなく、「貧乏やな」と感じていたそうだ。「作家でないからね。作家かなんか、活躍して、日本とか県内とか名前売れてるとかね、そういう華やかなところで活躍してるところの子供ならね、まだ憧れる場合あるかもしれない。けど、ただホントの職人で問屋さんから仕事もらって、こつこつと生活のためにそう働いとる程度やったからね。職人さんみんなそうやから。そんな憧れるちゅうことはまずないと思うよ」。UAさんも「職人の話ちゃ、あんたたちにゃ、つまらんよ。やっぱ、作家のね、新聞に載ってくるような作家の話は面白いかもしれんけど。おらっち職人ちゃ、つまらん」と語る。職人は、作家と比較すると「憧れるちゅうことはまずない」存在であり、「つまらん」存在だというのである
 伊賀(2002)では職人が製造家になり、職人を養う立場になることを、「職人でありながら職人でなくなる」ことだという。職人から作家の道を選ぶ人も同じようなことがいえるのではないか。職人の感覚では生き残ることが難しくなった時代に、作家へと転向する職人がいるのも仕方のないことである。しかし、今回のインタビューイーたちは、作家を引き合いにだすことで、自分たち職人を肯定しているとも感じられる。自分たち職人はつまらないのだと言う一方で、作家とは確実に線引きをおこなう。例えばMKさんは「最初っから代々作家という人がやっとるなら別やけどね。その作家の姿、一生懸命、ほら、自分でデザイン勉強して、販路もちゃんと開拓して、そういう姿見とればね、子どももそういう姿でやってかんならん、ていうふうになるけど」と語っている。親が作家の子どもなら跡もつぐかもしれないが、自分は職人の子どもだからあくまでも職人なのだ、というのである。MHさんも、自分は将来的にも作家の方向に走ることはないと言う。UAさんは、作家と比べ自分たち職人はプライドがないと語った。一年一年、かわった作品を求められる作家とは違い、職人は自由であり、好きなようにできるのだという。プライドがない、という裏にはしばりのない職人の自由さを肯定する意識があるように感じられた。
 「作家」と「職人」を区別する感性は私には非常に意外で新鮮だった。それらの語りを考察した結果として私が解釈したのは、作家への憧れを認めつつも差異化をはかる職人の誇りが、そうした形をとることがある、ということだ。自分はあくまでも職人であるという確信的な自己定義は、自分の技を自負する心とコインの裏表になっているのだと思う。その点が「職人」に込められた意味であると感じられた。  

<参考文献>
伊賀光屋,2002,「産地の社会学」,多賀出版 


第3章 テーマ別分析 に戻る