ホーム :第2章 職人たちのライフ・ヒストリー :第2節 塗師 :

2.漆とともに生きる:MKさんのライフ・ヒストリー (森田 真由子)

前へ 次へ

(1)出生
 
 1951年(昭和26年)高岡生まれ。当時の家族構成は両親とMKさん。後に妹が1人生まれる。
 父親も漆器職人であり、幼いころから父親が漆器を作るのを見ていた。しかし、その当時はMKさん自身が漆器を作ることはなかった。
 進路決定は中学終わりごろ。当時は父親の仕事を継ぐことは当たり前だった。このことについてMKさんはこう語っている。「やっぱり、そんないい暮らしはしとらんだからね、今ほど。で、その中で、家を建て直したりね、そういうことみとっから。結局それが、主な原因かな。後継ぐようになったがの。」
 親の仕事を継ぐことに関しては生活をよくしたい、というのが主な理由である。
 中学卒業後、MKさんは機械科の定時制に通いながら父親の師事をうけ、高岡市の技術者養成スクールに在籍した。
 機械科に進学した理由としてはだんだんと機械の時代になっていくから、それに対応するためだそうだ。
 父親からの師事を受けながらも技術者養成スクールに通う、ということについてMKさんは「…高岡の場合やったら無地塗とかね、うん、彫刻に…大まかに言うたらその2つに分かれとったが。うち、彫刻塗りの人やったが。で、無地塗りを習いに行ったり、蒔絵を習いに行ったりしとったが。」と語っていた。彫刻だけではなく、ほかにもたくさんの技術を習得しようという気持ちがあったことがスクールに通った大きな目的であった。スクールでは技術を教わるだけではなく、そこでいろいろな人と交流を持てたことも重要だったとMKさんは語っている。
 その後、父親とは32歳までともに仕事をし、その後独立する。

(2)職人になって

 中学卒業後、問屋の下請けで初めて漆器を作る。初めて作った漆器は作品とよべるものではなかったそうだ。
 現在は問屋が持ってきた木地に漆を塗ってそれをまた問屋に卸し、工賃をもらう仕事をしている。
 全工程を自分でやることもあるが、商売にはつながらない。その作品は展覧会に出品する程度である。
 MKさんによると漆器職人はみな、自分が作った漆器を外に出したいという思いはあるが、時間的・金銭的制約があり、なかなか実行できないそうだ。

(3)伝統工芸というものについて

 MKさんが伝統工芸士の資格をとったのは1998年。きっかけは特にない。「ただそろそろ、受けるかなー」と思って受けた。資格をとってからは各種展覧会での出品が多くなり、負担が増えた。また、伝統工芸士の資格をとってしまったために「伝統的工芸品」を作らないといけないという精神的負担も生じるようだ。
 伝統工芸士という肩書きには重圧を感じるが、自らが伝統工芸品を作るということには重圧を感じないそうだ。MKさんによれば、伝統工芸である誇りや重圧を考えること自体がおかしい。
 塗師であるMKさんにとって、伝統工芸士としての重圧は「漆を使うこと」だけであり、その他のことはとくに重圧を感じないようだ。むしろ、お客さんの要望にあわせて漆塗りの工程を変えたりするなどして現代の需要に柔軟に応えていこうとする姿勢がみられる。昔ながらのやり方にとらわれていてはならないという考えがあるようだ。MKさんと会話している時に感じたが、MKさん自体は漆を塗るという仕事は平生やっていることであり、伝統工芸であるという特別な感情はないのだ。生業として漆を塗ることが普通になっているからこそ、昔からのやり方にとらわれず柔軟に工程を変えていくことができるのではないだろうか。

(4)MKさんにとっての「漆」

 MKさんにとって、伝統工芸士としての重圧は「漆を使うこと」だけである、と先に述べたが、MKさんに漆にどのような思いを持っているのだろうか。
 インタヴュー中には、それを読み取れるような発言が幾つかあった。
 塗料というものには漆以外にもいろいろな種類がある。昔はカシュ塗料を使っていたが現在はウレタンやポリエステルなどの化学塗料が多い。そのなかでMKさんは漆一本で仕事をしている。
 漆という塗料について、MKさんがとくに話していたのは「天然」である、ということである。「天然」であるために扱いも難しいのだが、MKさんは科学塗料を使うということはしない。その理由について聞いたところ「自分は平生漆を使っていてそれが当たり前になってしまったし、科学塗料を使う人は平生から科学塗料を使っているから扱いがうまい。だからあえて科学塗料をつかうことはしない(要約)」という答えが返ってきた。MKさんがかって漆もカシュ塗料も使っていたから、このような答えが返ってきたのだろう。

(5)後継者について

 MKさんは現在伝統工芸士として漆器を作るかたわら、高岡市伝統工芸技術者養成スクールで1週間に1度講師をしている。養成スクールの生徒達は、漆器を知りたい、作ってみたいという気持ちで通う人が多いらしく、MKさんは生徒達に漆塗りを習った以上は、是非家で作品を作ってもらいたいと願っている。その他、高岡漆器のPRとして、工芸体験実習を高岡市で行っている。
 MKさんには短大1年生、高校2年生、中学3年生の子どもがいる。自身の子どもにも漆器を継いでもらいたいという気持ちはないそうだ。MKさんは「期待はするせんよりも、無理やろう」という。その理由としては、今から勉強をするには年齢が高い事、なによりも子どもが漆器を受け継ぐ気がないということをあげていた。
 誰かに後を継がせるということに対しても、本人がやりたいというなら継がせるが、漆器が売れなければ生活が確保されない可能性があるので好きだからといって続けられるものでもないということを話していた。

(6)生き残る漆器

 インタヴュー中に強く感じたのは、MKさんが需要に対して非常に柔軟であるということである。「伝統工芸」であるために、漆器作りに関してはかなりのこだわりがあるだろうと思っていたが、そうではない。MKさんはその時代時代の需要に合わせて、工程をかえ、形や塗り方を変えている。そうでないと、生き残れない。「自分の作りたい物を作るのもいいが、その客の需要が自分の作りたいものでもある」とMKさんは言う。その姿勢が高岡漆器を現在まで受け継がせてきた要因ではないかと思う。
 


第2節 塗師 に戻る