+Robin Hood+
童話作品・その7
Robin Hood
[主な作品]
『ノッティンガム州の高名なるロビン・フッドの愉快な冒険』(The Merry Adventures of Robin Hood,of Great Renown in Nottinghamshire)
[作品解説]
トマス・パーシー(Thomas Percy 1729-1811)が「ロビン・フッドとギズボーンのガイ」を『古代英詩拾遺集』(Reliques of Ancient English Poetry 1765)に収めたのが最初のようである。一般に普及したのは、ハワード・パイルによる『ノッティンガム州の高名なるロビン・フッドの愉快な冒険』とペンギン・ペーパー版のロジャー・ランセリン・グリーン(Roger Lancelyn Green 1918-87)による『ロビン・フッドの冒険』(1956)によってである。物語は、リチャードT世(獅子心王)を主君と仰ぐが、アウトローの立場を余儀なくされたロビン・フッドが、シャーウッドの森を本拠にして、大男のリトル・ジョン、鋳掛け屋、料理番、赤服のウィル、アラン・ア・デール、タック和尚ら愉快な仲間たちと義賊として活躍する話。シャーウッドの森を出たロビン・フッドは、王に忠誠を誓い、遠征にも出かけるが、やがて森へ帰る。王が女子修道院長に命じた策略で、森で息絶えてしまう。
[作者]
アーニー・ハワード・パイル(Ernie Howard Pyle 1853-1911)
アメリカ、デラウェア州ウィルミントンのクエーカー教徒の家に生まれる。家業の皮革商を手伝うかたわら、挿し絵入り寓話を雑誌に投稿。結婚2年後に『ノッティンガム州の高名なるロビン・フッドの愉快な冒険』を出版し、成功を収める。昔話や歴史物語に材を採って童話を創作。42歳ごろから、工房で絵を教えることに専念。50歳から「アーサー王物語」4部作を手がけ、完成させる。旅先のフィレンツェで客死。「アメリカの挿し絵の父」と呼ばれる。
▼ロビンとマリアンAnd Soon They Were Forced to Part by B. Westmacott 1915▼