第5章 まとめ

.....やおい少女の行方

第4章まででやおい少女とはどういう存在なのかということについて考察してきた。その中でひとつの疑問が生じた。「やおい少女はどこへゆくのだろう」

最初のやおい少女が現れてから20年たち、やおいが流行してから15年近く経った。その頃のやおい少女たちは現在30代半ばになっているはずである。しかし、今回の調査では、そのような層というのはほとんどいなかった。彼女たちはやおい少女ではなくなったわけである。

栗原は「依存心に基づく恋愛幻想を破壊してやおいを卒業する4つの方法」として「見合いして結婚する」「セックスレスの人生を選択する」「レズビアンになる」「女から男にせまる方法を習得する」を挙げている。(栗原、1994、p.32)この4つは極端な例であろうが、つまりやおい少女が「女制」へのとらわれを捨てることができた時やおいは必要ではなくなるということであろう。そして、もうひとつの可能性は「女制」を受け入れてしまうというものだ。

では「かつてのやおい少女たち」はどうなのだろうか。捨てたのだろうか、受け入れたのだろうか。

この事を考える上で興味深いクロス表がある。恋愛経験とやおいが好きかどうかのクロスである(図5−1)(やおいが嫌いという回答は非常に少ないため、欠損値とした)。有為水準は10%未満と弱いが、恋愛経験があるとやおいが好きというわけではなくなるという傾向があることが分かる。

やおい少女の中の大学生(以下、やおい大学生)の恋人経験を見ると(図5−2)対照群よりも低いのは当然だが、やおい少女全体の恋人経験よりも低い結果となった。さらに実際に「現在恋人あり」と答えたのはやおい大学生の7.7%と、やおい少女群の約半分の割合になった。これは、大学生というのは比較的時間に余裕もあり、恋愛に関わる機会も多いであろうということから考えると非常に意外な結果といえよう。これは、推論の域をでないが、やおい少女が大学に入り時間などに余裕ができるとやおい以外のことに接する機会も増えるであろう。その中で例えば恋愛を経験することによって「脱やおい」をすることが多いのではないだろうか。恋愛はやおい少女に具体的にどのような影響を与えるのかはわからないが、何かがあるのではないだろうか。

また、20年前少年愛も一般的ではなかった頃、それまでの少女マンガに自己投影できないでいたやおい少女たちが初めて自己投影できる作品として新しくそれらを受け入れていったとすると、「女制」を捨てた時やおいは必要ではなくなるという説は有効であろう。しかし、20才前後のまさに今やおいを支えるやおい少女たちにとって、やおいは既にあるものとして存在していた。そしてやおいを知るきっかけてして友人の占める役割は大きく(単純集計問15)、同人誌を読む友人は当然であるが、やおい少女の44.4%が「同人誌には特に興味のない友人」も自分が同人誌を読むことを知っていると答えた。さらに、第1章でも述べたが「ボーイズラブ」という言葉が浸透し、後ろめたい雰囲気が変わりつつもあるように思われる。このようにやおいが日常生活においてもより近く存在している現在のやおい少女たちにとって、「女制」を捨てるという説はあまり有効とはいえないのではないだろうか。

質問紙調査のやおいに関する自由解答欄でよくあった2つの意見がある。それは「やおいという言い方をやめて欲しい」と「やおいだからってダメとか馬鹿にしないで欲しい」というものである。この2つは一見似ているが実は正反対である。前者はやおいという言葉に対してネガティブであり、後者はポジティブなのだ。これは第2章でも述べたようにまさにやおい、やおい少女が過渡期にいることの表れではないだろうか。

10〜20年後、現在のやおい少女たちがどうしているかが「やおい少女の行方」の答えになっているのであろう。