第1章 性同一性障害



第1節 性同一性障害ができるまで


1998年(平成10年)10月16日に、埼玉医科大学にて、日本初の公式ないわゆる性転換手術が実施された。ここに至るまでには次のような経緯を経ている。
1995年(平成7年)5月22日に埼玉医科大学倫理委員会に性転換の外科的療法の倫理的判断を求めた申請が出された。これを受けて同倫理委員会は計12回にわたる審議を重ねた上、結論を答申書として作成し、翌1996年(平成8年)7月2日に同大学石田正統学長に提出した。
この「性転換治療の臨床的研究」に関する審議経過と答申が社会に与えたインパクトは大きく、メディアはこぞって取り上げた。当然のごとく性の再判定を望むTSはもちろんのこと、トランス全体に与えたインパクトは一般人の比ではなかっただろう。これ以後トランスへの関心は、一時的な感はあるものの、高まっていったのである。
では、なぜ今ごろになって性転換手術に「日本初の公式な」という前置きが付いたのだろうか。それ以前から日本国内で、手術が行われていたことは隠しようのない事実であるのに。
メディアに登場するいわゆる性転換手術を受けた例としては、カルーセル麻紀がモロッコで手術を受けたことが有名だが、それ以前にもゲイ・ダンサーと称する銀座ローズが「性転換の第一号」として雑誌に登場している。しかし、「性転換の第一号」とはあくまでも業界内で言われたことであって、実のところ裏の世界ではすでに何十人ものTSが手術を受けていたのである。その中に、日本の性転換事情が暗黒時代を迎えるきっかけとなった事件があった。世に言う「ブルーボーイ事件」である。

[1]ブルーボーイ事件
1969年(昭和44年)、東京地裁にていわゆる性転換手術を行った産婦人科医に対して有罪の判決が出された。この医師は1964年(昭和39年)、その頃ブルーボーイと呼ばれていた男娼3人から、睾丸摘出、陰茎切除、造膣等一連のいわゆる性転換手術を求められ、1964年(昭和39年)に当時21歳から23歳の男娼3人に睾丸全摘出手術を行った。また、幼馴染の暴力団幹部にせがまれ治療用麻薬を渡していた。したがって優性保護法違反、 並びに麻薬取締法違反として懲役2年、執行猶予3年、罰金40万円の判決が出された。量刑の内訳は、「麻薬取締法違反については他の同種事案との比較から懲役二年、三年間執行猶予および相当額の罰金の併科を、また優生保護法違反については懲役刑を選択するのは酷に過ぎるので将来に向かって世間に警告を発する意味で罰金を科するのが相当と考えられ、結局その所定罰金刑と麻薬取締法の罰金を合算した範囲内で40万円の罰金を科するのが相当」とされている。性転換手術を行った方の罪は優生保護法(現母体保護法)二十八条違反である。この優生保護法二十八条は、「何人も、この法律の規定による場合の外、故なく、生殖を不能にすることを目的として手術又はレントゲン照射を行ってはならない。」と規定している。ここでの「故」とは、結核性の副睾丸炎、睾丸の悪性腫瘍、睾丸捻転症、ホルモン依存性の前立腺ガンや睾丸が外傷を受けた場合のほか停留睾丸や真性半陰陽に対して行われる場合という意味で、このような場合は正当な医療行為として手術を行えるのである。
しかし、この判例では一方的に性転換手術を否定しているわけではない。30年も前の裁判ながら、有罪を下した裁判官が次のような知見を判決文に付け加えている。
この時点では性転換症を同性愛の一部と見なしていることや、TSの事情を「異常な精神的欲求」と言及するなど、今現在の認識とは違っている感があるが、これを見る限り海外からの情報も仕入れていたことは分かる。しかも、この判例は性別再判定手術を全て否定しているわけではない。不可逆的な手術であるというその性格上、厳しい前提条件ないし、適応基準が設定されない状態での手術は正当な治療行為と呼べないとしており、逆を言えば条件や基準を設け、「故」あれば性別再判定手術も正当性を持ち得るのではないかという可能性を示しているとも考えられる。
しかし、これ以来日本の医学会では性同一性障害の診断ガイドラインを作るどころか、「触らぬ神に祟りなし」とばかりに性転換治療をまったくタブー視してきたのである。この事件以後、手術を望むTS達にとっての「暗黒時代」が始まったのである。

[2]埼玉医科大学による答申
トランスにとっての「暗黒時代」に一筋の光を投げかけたのが、埼玉医大の答申であった。答申はこのようなくだりで始められている。
「この課題に正面から取組んだ本倫理委員会の審議の経過ならびに答申の骨子は、日本におけるこの種の問題の討議の礎となるものと信じ、今後の参考にすべくここに発表する次第である。」
この答申は日本でトランスを語る上で、もはや欠かすことの出来ない大きな影響力を持つことになった。答申が出て以来、メディアでの報道にしろ、トランスに関する研究にしろ、シンポジウムにしろ、サポートグループにしろ、インターネットのホームページにしろ、それ以前とは比べものにならない数になったのは動かし難い事実なのである。と言うよりも、むしろそれ以前にほとんどなかったと言ったほうが正しいのかもしれないが。
ではこの埼玉医大の答申では性同一性障害とはどのような障害と説明しているのだろうか。以下埼玉医大の答申に基づき性同一性障害というものについて考えていきたい。
埼玉医大の答申では性同一性障害のもっとも主要なものは性転換症(transsexualism)、あるいは性別違和症候群(gender dysphoria syndrome)とされている。性転換症とは「生物学的には完全に正常であり、しかも自分の肉体がどちらの性に所属しているかをはっきりと認知していながら、その反面で、人格的には、自分が別の性に所属していると確信し、日常生活においても、別の性の役割を果そうとし、さらには変性願望や性転換願望を持ち、実際に実行しようとする人々である」と定義することができる。この性転換症の定義が性同一性障害の定義として用いられることもあるが、しかしこれは性同一性障害全体を説明するものでなく、性転換症以外にもいわゆる周辺群と呼ばれる症例・人々がいることは確かである。
よって性同一性障害とは次のように言い表すことができるのではないか。
また、答申ではこのようにも言っている。
このような定義は欧米でつくられたものを、言わばそのまま輸入したもので、その元となるものが米国精神医学界が作成しているDSM−W(精神障害分類と診断の手引き)である。DSMは、一説にはアメリカ精神医学会のバイブルとまで呼ばれるほどで、いわば診断の教科書的役割を果たしている。医者はクライアントの症例を聞きながら、一方でこのDSMをひも解き、患者が訴える内容と同等の症例を検索して、同じ症例を見つけたならカルテに症例名を表記するのである。このほかにWHO(世界保険機関)が定めたICD−10(国際免疫病分類第10版)が存在し主にヨーロッパで利用されている。日本でも埼玉医大の答申を受ける形で、日本精神神経学会によって1997年(平成9年)にガイドラインが作成された。答申ではDSM−Wの症状を引用し、性同一性障害の症例を次のように定めている。
このような性同一性障害の症例は、アメリカの性科学者ハリー・ベンジャミン(*注1)が最初に発見したTSの典型例を基本としており、50年以上も前のストーリーが現在もそのままの形で語り継がれているのである。つまり、トランスの事情は多種多様であるにもかかわらず、今現在でも手術を受けたいが故にこのベンジャミンのストーリーが使われることがある。MtFの場合「幼い頃、女の子達とお人形遊びばかりしていました。」とか「私は男の身体に囚われた女です。」と話せば、医者はこれこそがベンジャミンが言っていたトランスセクシュアルだと思い込むという。またそのことを手術前のTSが知って、「ふうん、医者はこういう風に話せば、手術してくれるのか」と学習したことを頭に叩き込み、医者との面接で話す。このようにして最初のストーリーは継承され、それが何十年も繰り返されているという事情もあるようだ。もちろん医学側もこのような事情は知っており、ある程度経験を積んだカウンセラーなら容易に見破ることができるようだ。
確かに、日本はトランスについての暗黒時代が長く続いていた故に欧米諸国の診断基準を輸入することは今の時点では妥当なことだろう。しかしトランスに起きている事情は、ジェンダーに関することなのでそれは各国の文化や社会状況や社会通念、また政治や思想などによっても大きく左右されるだろう。よってこれからは欧米の診断基準を参照しつつも日本独自の診断基準を作り上げていくことが望まれるのである。


第2節 欧米の状況


このように日本では性同一性障害に関しての知識や情報の蓄積がほとんどないため、その点でより進んでいる欧米の知識を借りて来るしかないのが現状だ。ここでは欧米の事情を、欧米のトランス事情をレポートした松尾寿子著『トランスジェンダリズム 性別の彼岸』を参考にしてまとめることにする。
性別再判定手術については、1972年にスウェーデン、81年にドイツ、82年にイタリア、85年にオランダ、88年にトルコが合法化。性転換した者に対して年金や失業手当などを保障する社会保障番号、そしてパスポートを新しい性に変更ができるように法律を制定している。オランダなどでは性別再判定手術は医療保険の対象にさえなっている。またアジアではタイやシンガポール、韓国、中国などの国々でも同様に承認されている。アメリカでは、州によって法律が違うので一様ではないが、1993年の時点でオハイオ州、テネシー州を除くほとんどの州で合法化されている。そのほか、北欧の国々では同性間の結婚も認められている。
これを見ると、さすが欧米は進んでいると思ってしまうが、ここまで法整備がされている背景には、法的差別の撤廃を性的マイノリティが不断の運動によってやっとの思いで手に入れたことが隠されている。欧米ではつい何十年か前まで同性愛を強制的に禁じた法律が存在した。(*注2)そして異性装をも禁止していた国もあり、そんな状況を同性愛のコミュニティやその中から生まれたトランスのコミュニティは打破していったのである。その結果、1986年には欧州人権裁判所において、欧州人権条約の「すべての人民は個人の生活を尊重されるべきである」という条文に加えて「ジェンダー・アイデンティティを尊重されるべきである」という一文が追加されるまでに至ったのである。
このような経緯によって、欧米にはトランスに関するある程度の統計的データも存在するのである。一般にTSの数を確認することは難しいのだが、オランダの1990年の時点での性別再判定手術を終えた人の割合が分かっている。それによると11900人に1人の割合でMtFTSが、30400人に1人の割合でFtMTSが存在することを報告している。しかしこれはあくまでも手術を受けた数であって、経済的理由や身近な人間関係などから手術を受けられないTSや手術までは求めないというTGを含めての数の確認は不可能だろう。そしてMtFとFtMの割合はそれぞれの文化や社会状況に応じて変化しており、スウェーデンではFtMTSとMtFTSがほぼ同じパーセンテージ存在し、1988年に統計結果が発表されたポーランドでは5,5:1の割合でFtMの方が多いという興味深い報告もある。
またイギリスにはTSの性的指向を調査したものもあり、それによると手術後のMtFの場合、10%が両性へ(つまりバイセクシュアル)、40%が女性へ、40%が男性へ、10%がどちらの性にも向かない(アセクシュアル)という結果になっている。またFtMの場合は、10%が両性へ、70%が女性へ、10%が男性へ、10%がどちらの性にも向かないとなっている。こちらも文化や社会状況で変化が見られるだろうし、第一、一人の個人を取ってみても人生の内で性的指向が変化することもあるのである。しかし、このような不完全な統計データであっても全くないよりはあった方がいくらかましであり、日本でもこれからトランスに関するデータが少しでも集まることも社会がトランスを少しでも理解する手助けになるだろう。