地名の難字


 富山県西礪波郡福岡町に「開馞」という集落がある。「かいほつ」と読む。北陸には「開発」と書いて「かいほつ」と読む地名が多い。駅名でも富山地方鉄道に開発駅があり、京福電鉄に越前開発駅がある。新たに開墾された土地に付けられる地名であるが、福岡町だけは「開馞」という、とんでもなく難しい字を書くのである。
 この「馞」は、字書『玉篇』香部に「馞、香大盛貎」とあり、「香りの盛んなさま」という意味である。韻書『広韻』や『集韻』にもこの字は載っている。唐の類書『藝文類聚』が引く晋・郭璞『爾雅図讃』椒讃に用例はあるとはいえ、普通の文章に盛んに使われるような文字ではない。「開馞」という字を最初に当てた人は、恐らくこの文字を字書や韻書から拾ってきたのであろう。村に漢学に通じた人がいて、その人の発案で「開馞」という好字が当てられるようになった可能性が考えられるのである。

 北海道足寄郡陸別(りくべつ)町は日本一寒い町として知られるが、もとは「淕別」と書き、「りくんべつ」と読んだ。アイヌ語で「高く危ない川」を意味する「リ・クン・ペツ」に由来する。江戸時代はそのままかな書きであったが、明治5年に淕別村が成立。昭和24年に陸別に改称された。
 この「淕」という字もまた難字である。『広韻』に「淕、凝雨」とあり、「みぞれ雨」の意とされているが、実際に文章で用いられた用例は見当たらない。『文選』巻四の晋・左思「蜀都賦」には「陸沢」という言葉があり、字のとおり「陸地」と解する説と、「凝雨」と解する説とがあるので、ずっと後の清代に作られた作詩用熟語辞典『佩文韻府』ではこの字を「淕沢」に作っている。
 してみると「淕別」の字を当てた人は韻書でこの字を見つけ出したとしか考えられない。明治の初めのことであるから、今日のような漢和辞典はなかったはずである。元のアイヌ語が川の名であることと、豪雪地帯であることとを掛けてこの字を選んだものと思われる。さんずいの字には「浙」「洛」など、中国で川の名前にのみ用いられるものが多い。それにしても驚くのは、こんな用途のない字がJIS第2水準にちゃんと入っていることである。
 なお北海道の難字を用いた地名は、昭和25年前後に平易な文字に改称されたところが多い。これは当用漢字の制定とも無関係ではなかろう。
 
 漢学に通じた人が字書や韻書と首っ引きで好字を選び、地名をつける。こんな光景が明治の頃まではあちこちで見られたのであろう。今だったらマンションの名前を決めるのに英語やフランス語の辞書を持ち出すようなものであろうか。



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