授業について


  私の中文コースでの授業は「演習」「講読」「概論」「特殊講義」の4種がありますが、1期でこのうち2種を行います。

・演習

 「演習」では、古典文学を読むための基本的な「技術」を身につけることを目的とします。「演習」では原則として詩をテキストとし、注釈を読みながら、それに基づいて詩を解釈するという作業を行います。

 詩を読むと、いろいろ難しい言葉が出てきます。高校までの勉強なら、辞書を引いてその説明を見ればよかったわけですが、大学での学問はそういうわけにはいきません。そもそも辞書に書いてある語釈は、さまざまな用例をもとに辞書の編者が判断して付けたものです。つまり語釈に頼ることは、「辞書の編者の説を無批判に受け入れる」ことに他ならないのです。「他人の言うことを鵜呑みにする」のは学問的態度ではありません。

 語釈を参考にするのは大いに結構です。しかしそれで事足れりとしてはいけません。語釈の後ろに載っている用例を検討して、本当にこの場合にふさわしいのか、もっと適切な訳語はないかと考える作業が不可欠です。これこそが「自分の頭で考える」ということなのです。

 演習ではさらに、引用されている文献があれば、その原典を確認するという作業も行います。これは俗に言う「裏を取る」という作業です。引用が本当に正しいのか、原典の意図通りに引用されているのかを確認せずに、引用文をそのまま信用することは「孫引き」といって、学問では厳に戒められています。引用が誤っていたり、大幅に省略されていたりすることは、実際少なくないのです。鵜呑みは危険です。

 こうした作業を行うには、経験とカンがものを言います。まさに職人仕事のようなものです。今大学で教鞭を執っている人々は、みな学部と大学院で10年くらいは「職人修業」を続けてきているのです。演習を受講する皆さんには、カンを養うところまでは行けなくても、せめて「職人」の基本的な心構え、即ち「原典に当たって自分の頭で考える学問的態度」は身につけてほしいと思います。こうした態度は中国古典だけではなく、どんな分野にも共通するものです。

 ただ「自分の頭で考える」といっても、テキストの注釈を無視して自分勝手な解釈をしては困ります。演習は「テキストに書いてあることを正確に理解する」ための訓練です。相手の説を間違って理解したまま、それについてああだこうだと言ってみても始まりません。「相手の言い分に納得しろ」というのではありません。「相手の言い分を正しく理解した上で、反対意見があれば述べればよい」ということです。従って演習ではテキストの注釈の当否については深くは立ち入りません。不満に思うかも知れませんが、自分なりの解釈を行うのは、卒業研究で思う存分やって下さい。

・講読

 「講読」の授業は、古典文学を読みこなすための「基礎体力」作りの授業です。原則として散文をテキストとし、これを読みながら古典の語彙や語法に習熟することを目標とします。古典文は現代中国語の文と語彙は大幅に違いますが、語順や語法には共通した箇所もたくさんあります。便宜上中国語での音読に日本語での訓読を併用して授業を行いますが、これはあくまで中国語であるということを常に忘れないようにし、現代中国語と対比しながら学習を進めていくと効果的です。

・概論

 「概論」の授業は、古典文学の背景となる基本的知識を身につけるための授業です。私の概論では文学史がその内容になりますが、三千年に及ぶ古典文学史のすべてを半年で講義することはできませんから、一部の時代のみを取り上げることになります。従って概論の授業だけで古典文学史のすべてを知ることができるわけではありません。授業だけで満足するのではなく、自分で本を読んで知識を増やす努力が不可欠です。

・特殊講義

 「特殊講義」は私の研究の成果を講義形式で紹介するものです。専門家の研究とはどんなものか、その分野にはどんな学者がいて、どんな研究成果が発表されているのかを、この授業で知ることができます。いわば最もアカデミックな雰囲気に触れられる授業です。この授業では内容を丸暗記するよりも、どんな研究テーマがあるのか、どんな方法で研究をするのかを感じ取ってもらえれば、卒業研究で大いに役立つはずです。形式も講義にこだわらず、いろいろな形を模索していきたいと思います。

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