伊東俊太郎1)『十二世紀ルネサンス』2)

 

筆者(=Wunderkammer 管理人は昨年来、NHKのドラマ「坂の上の雲」にすっかりはまっている。明治期の日本人が、欧米列強に追いつこうと必死に努力する姿がすがすがしく、またそのまっすぐなエネルギーがまぶしい。

 

西欧文明は明治の文明開化期以降、日本人にとって常にお手本とすべきものであり、あこがれの対象であり、その一方で後を追うばかりであることに対して忸怩たる気持ちも持ち続けた。「脱亜入欧」という言葉に前者の、「和魂洋才」に後者の気持ちがうかがわれる。

 

そんな西欧にも「坂の上の雲」の時代があったと、本書は教えてくれる。それが十二世紀ルネサンスだという。西欧にとっての「追いつけ追い越せ」の相手は、イスラム世界だった。本書によれば、十二世紀当時のアラビアと西欧の科学知識の水準の差は「月とスッポン」だったそうだ(122ページ)。

 

西欧にあこがれるあまり、西欧中心主義の歴史観まで受け入れてしまった日本人には驚きの事実ではないだろうか。ギリシア・ローマの文明がそのまま近代の西欧文明につながっているのではない。つまり、「三千年にわたるヨーロッパ文明の連続性」は神話にすぎない。

 

ギリシアの最も優れた学術を直接受け継いだのは西ヨーロッパではなかったのです。むしろそれは五世紀以後のビザンティンであり、そして八世紀以降、そのビザンティン文明を、「シリア・ヘレニズム」を介して積極的に取り入れたのはイスラム世界にほかなりませんでした。(中略)イスラムの勃興以後の西欧世界は、地中海文明からむしろ締め出されていました。この西欧が自らの文明の祖先だとしている古典文明を十分に取り入れるのは、十二世紀にビザンティンやアラビアの先進文明圏からでした。そしてその場合、ビザンティンのギリシア文明だけではなく、イスラム圏において新しく培われたアラビア文明の新たな形態を受け入れることによってでした。

 

ですから西欧文明なるものの形式そのものが、このような異文明圏との接触を通して初めて、かち取られたものであるということが、忘れられてはならないと思うのです。ヘーゲル以後の十九世紀につくり出された西欧中心主義の歴史観は、このような事実をしばしば覆い隠してしまい、ヨーロッパ文明の単純な連続性というようなドグマをつくってしまいます。そういうドグマを破る重要な歴史的ドラマの一章がこの「十二世紀ルネサンス」のなかにあるのです。(中略)

 

実際、十二世紀以前における西欧は、世界文明史の辺境にありました。その西欧が、ビザンティンのギリシア文明をとり入れただけではなく、またアラビアからの新たな文明を豊富に受け入れ、その後の西欧文明の独自な発展の基盤をつくりえたのは十二世紀でした。この時期の西欧が他の文明を積極的に取り入れるということにのり出したのは、もちろん西欧世界のなかにそれを可能にするようなエネルギーが貯えられていたからです。西欧世界のなかにそうした体力が涵養されなければ、こうした刺激も刺激として受け取れず、それを消化もできないはずだからです。このことも一面において考えなければいけないことです。しかしあくまでもこうした西欧世界の内部的成熟がもたらした余裕とエネルギーをもってアラビアの文化的遺産を精力的に移入することなしには、その後の世界史的意味をもった西欧文明の発展は開始されなかったのです。西欧の個性と言われるものすら、こうした地盤の上に形成されたのです。科学文明についても然り、スコラ哲学についても然り、(中略)新しい恋愛の文学についてすらもそうなのです。  (285-287ページ)

 

 「恋愛」もやはり明治期に西欧から我が国に輸入されたものであることは知られているが、そのようなロマンティック・ラブも、さらに元をたどればイスラム世界から西欧にもたらされたものだったとは驚きである(第七講「ロマンティック・ラブの成立」)。

 

とはいえ、本書の目的は、西欧文明の価値を引き下げることでは無論ない。西欧に始めから何でもそろっていたというふうに、西欧文明を自閉化するのではなく、西欧文明の成立そのものが異文明との交流によって可能になったということを主張しているのである。

 

 2001911日のあの衝撃は、十年近く経った今なお記憶が薄まることはないが、単純なイスラム脅威論や文明の衝突論に陥ることのないようにしたいと思う。

 

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1)        いとう・しゅんたろう。1930年、東京生まれ。科学史専攻。東京大学教養学部教授を経て、現在東京大学名誉教授。

2)        講談社学術文庫、20069月刊。1993年に岩波書店から刊行された原本には「西欧世界へのアラビア文明の影響」という副題がついていた。1984年の6月から7月にかけて、7回にわたって行われた岩波市民セミナー「十二世紀ルネサンス」での講義がもとになっている。

 


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