質問紙調査の自由回答項目における「家族言説」

佐藤裕

 人々が「家族とはどのようなものか」と問われた時に、どのような言葉でそれを説明しようとするのか。これもまた一つの「家族言説」であろう。

 今回の調査では、2つの自由回答項目を設け、このような「家族言説」を収集した。質問紙調査の自由回答項目で言説を収集するという方法については、インタビューやテキスト分析などと比べていくつかの長所・短所がそれぞれ考えられる。まず、それらを整理したうえで、このデータから明らかにできることを考えてみよう。

 長所としては、大量のデータを容易に集めることができることがまずあげられるだろう。また、そのことと関連して、統計的なサンプリングを行うことによって、対象となる集団全体の傾向を推定することが可能であるという点も指摘しておきたい。さらに、自由回答以外の質問への回答とリンクさせることにより、様々な属性や意識・態度との関係を統計的に分析してゆくことも可能となる。

 しかし、言説分析のデータとしては、自由回答はかなり重大な欠点も持っている。それは、その「言説」が社会生活上の文脈からは全く切り離された(あえて言うなら「調査」という文脈の中での)「言説」にすぎない、ということである。人々が家族について語る場合、様々な文脈に応じて、その内容は変化していると考えられる。例えば子どもをめぐる言説の中で言及される「家族」、福祉や医療の文脈の中での「家族」、職業活動や消費活動の文脈の中での「家族」、余暇やレジャーの文脈の中での「家族」など、それぞれに異なった「家族」が語られているだろうし、どのような場で、誰が誰に対して語られているのかによっても、異なっている可能性がある。

 にもかかわらず、自由回答での「家族言説」の分析を行うのは、自由回答で書かれたことがらが、社会生活上の様々な文脈で語られる「家族」と全く無関係ではあり得ないと考えるからである。おそらく自由回答で書かれたことがらは、これまでの社会生活で実際に使われたものや聞いたことだろうし、今後様々な場面で「家族」が語られる際に参照される可能性があるものであろう。

 すなわち、ここで分析される「家族言説」は、社会生活上の文脈からは切り離されたものではあるが、「家族」が語られる際の「言語的資源」のようなものだととらえることができるだろう。以下の分析はこのことを前提として読んでもらいたい。

1.データと分析の手順

 今回の調査は、富山県在住の20歳以上70歳未満(1997年10月1日時点)の男女を対象に郵送法で行った。

 サンプリングは選挙人名簿をサンプリング台帳とし、2段階無作為抽出(2段めは系統無作為抽出)で行った。1地点30人とし、30地点で900人の対象者を抽出した。

 事前に葉書で調査依頼を発送し、その際にすでに転出していたことが判明した人は予備サンプルと差し替えた。1997年11月初旬に調査票を発送し、11月下旬に礼状を兼ねた督促葉書を1回発送した。最終的な有効回収率は55.6%(500人)であった。調査票は巻末に資料として掲載しておく。

 今回の調査では、2つの自由回答項目で「家族言説」を収集した。質問文は以下の通りである。

    問33 あなたにとって家族とはどのようなものでしょうか。自由にお書きください。
問34 あなたは現代の日本の家族のあり方についてどう思われますか。自由にお書きください。

 問33は、「家族」のイメージを抽出することを意図した質問である。この質問への回答から、主要な「家族言説」が得られることを期待している。

 問34は、一見中立的な尋ね方をしているが、近年のメディア等に見られる言説状況から、おそらくは現在の家族の問題点を指摘するような回答が多くよせられるであろうと予想してつくった質問である。この質問からは「家族をめぐる問題状況」への「クレイム言説」を抽出できると期待している。

 自由回答の回答率は、問33が75%(377人)、問34が64%(322人)であった。問33は男性より女性の方が、また40代が他の年代に比べて回答率が若干高かった(男性71%に対し、女性80%。40代は82%で最低は50代の70%)。以下で分析に用いているその他の属性については、問33、問34ともに回答率に大きな差はなかった。

 問33の方が個人的な経験を尋ねたものであるので回答しやすかったのであろうか、回答率が高くなっている。しかし、回答の平均文字数を調べると、問33が(全角で)36文字、問34が62文字と、その関係は逆転し、「現代の日本の家族のあり方」というテーマが、(少なくとも回答してくれた方にとっては)語るべきことが多いテーマであったようである。

 これらの自由回答のコーディングは、佐藤の自作プログラムである「AUTOCODE for Windows(Ver. 1.02)」(1)を用いた。これは、回答の中に出現する文字列とコードを結びつける「コーディングルール」を作成することによって、機械的にコーディングを行うプログラムである。「コーディングルール」の作成は、実際の回答文を参照しながら、その中に出てくる特徴的な表現を抜き出し、グループしながら行ってゆく。AUTOCODEによるコーディングは、回答を分類するのではなく、回答の中から要素を抽出するという考え方なので、1つの回答について複数のコードが付与されることがある。最終的に作成された「コーディングルール」は、資料として添付しているので参照してほしい。

 AUTOCODEは「文字列」の検索・分類を行うプログラムであり、分析の目的に応じて「文字列」の範囲や分類の細かさを考えなくてはならない。例えば、「家族」「やすらぎ」などの単語を抽出することもできるし、「大家族が良い」「家族には何でも話せる」など、主張が読み取れる範囲を抽出することもできる。分類の仕方は、ほぼ同じ言葉を使っているもののみをひとまとまりにすることもできるし、ある程度同じ趣旨の表現だと判断できれば1つのカテゴリーにまとめてしまうこともできる。

 今回の分析では、「言説」を対象にしていることから、単語ではなく主張が読み取れる範囲を対象にした。ただし、実際の回答文は主語と述語がきちんと対応しているような文章で書かれているとは限らないため、主張が読み取れれば単語を抜き出しているケースもかなりある(例えば「大切」とか「宝」とだけ書かれているような場合)。

 分類の細かさに関しては、本来は形式的な類似性でのみカテゴリー化を行うことが望ましいと思うのだが、そうするとひとつのカテゴリーにあてはまるケース数が非常に小さくなり、統計的分析には耐えられない。また、細かくするほど分類が困難な表現が増加する。そこで、かなり大胆な統合を行って1カテゴリーのケース数を確保した。この点は十分留意してご判断いただきたい。

2.回答の傾向

「家族言説」(問33)

 問33への回答から最終的に抽出したコードは表1の通りである。一番左の欄はコード名、真中の欄にそのコード名に対応づけた自由回答文中の文字列のなかからいくつかを抜き出して示しておいた。抽出した文字列の全体は巻末の資料を参照してほしい。

 最も数が多かったのは、「きずな」というコード名に対応づけた表現である。これらは、コミュニケーション、や相互理解など何らかの意味でのつながりの強さについて言及しているものをひとつのカテゴリーにまとめたものである。実際に用いられる言葉はかなり多様であり、際立って多用される表現を指摘することはできない。

 2番目は2つあり、1つは「大切」である。実際に用いられる言葉としても「大切」が多く、それに加えて、「かけがえのない」「なくてはならない」「宝」などの表現をまとめた。

 もう一つは「やすらぎ」である。「温かい」「いこいの場」など、リラックスさせられたり気持ちを安らげるような働きを表現しているものをまとめた。

 次は「助け合い」である。これは互いの(あるいは一方的な)何らかの意味での支援を表現しているものを集めた。「支援」には、経済的なものから精神的なものまで幅があり、厳密に考えると区別したいところだが、文章からその違いを読み取れるものは少なく、すべての「支援」をひとまとめにした。「信頼」という表現を「きずな」に、「頼りになる」という表現を「助け合い」に分類していることからもわかるように、「きずな」と(精神的な)「助け合い」の境界は微妙である。

表1 問33のコーディング結果
コード名 代表的な表現 件数
きずな 「つながりが深い」「なんでも話せる」「喜びも苦しみも共有」「信頼」「理解者」など 131
大切 「大切」「かけがえのない」「なくてはならない」など 99
やすらぎ 「いこいの場」「温かい」「ほっとする」「気遣いせず」「明るい」など 99
助け合い 「支えてくれる」「協力し合う」「頼りになる」「力を合わせ」など 62
張り合い 「はげみ」「活力源」「元気が出る」「生きがい」など 47
人間関係に問題 「煩わしい」「ついついぶつかり合う」「理想通りにはいかない」「逃げ出したくなる」など 33
互いを尊重 「お互いの意思を尊重」「尊敬し合う」「お互いに成長していく」「節度ある接し方」など 19
社会に貢献 「家族があるから、社会があり」「社会組織の最小単位」「日本の将来を大きく左右する」 17
しつけ・子育て 「子供を育成する」「新しい世代を育て」「躾情操教育」「人生観を作ってゆく場所」 17

 「張り合い」は「家族」が仕事などをしていく意欲を作りだしているといった意味の表現を集めている。「はげみ」「活力源」などが代表的な表現である。「生きがい」といった表現は、「大切」とも重なる部分があるかもしれない。

 ここまではすべて「家族」に対するポジティブな表現であったが、ネガティブな表現の代表的なものが次の「人間関係に問題」である。家族の中の人間関係に関してなんらかの不満を表明したりや問題点を指摘しているものを集めたのだが、その内容はかなり多様である。「煩わしい」「ぶつかり合う」などは人間関係であることは明確であるが、「理想通りにはいかない」などは微妙なところである。注意しておきたいのは、この「言説」は単独で出現することは少ないということである。この「言説」を書いている33人のうち、「きずな」から「張り合い」までの5つの「言説」のいずれかを同時に書いている人は24人(73%)にのぼる。多くは「わずらわしいこともあるが、大切である(きずなが強い、生きがいであるなど)」といった表現の中に出現する「言説」である。

 「互いに尊重」は、ネガティブとは言えないが、家族といえどもその中の個人は独立した人格として尊重すべきだという考えを表明したもので、「張り合い」までの「言説」とはややおもむきが違う。「尊重」「尊敬」などのキーワードが使われているものや、「節度のある」という表現で、やや距離のある人間関係を求めているものも集めた。「互いに成長」といった表現は「しつけ・子育て」との区別が難しいが、子どもを念頭に入れているとは読み取れないものはこちらに分類した。

 「社会に貢献」と「しつけ・子育て」はいずれもかなり多様な回答を集めており、1つのカテゴリーと考えるのはやや無理がある。「社会に貢献」は家族が社会の基礎的な単位であり、家族の営みが社会を支えているといった考え方を想定しているが、「社会組織の最小単位」であるといった表現で、必ずしも家族の機能のようなものには触れているとは限らないものも含めている。「しつけ・子育て」には、子どもの教育・しつけに関するものと、養育に関するものを集めている。

 「互いに尊重」以下の3つは、回答数も少なく、カテゴリーとしてのまとまりもやや弱い。また、「人間関係に問題」も回答の多様性が大きく、カテゴリーとしてのまとまりは弱い。

 そこで、この自由回答から主要な「家族言説」を抽出するならば、それは、「きずな」「大切」「やすらぎ」「助け合い」「張り合い」の5つであろう。問33に何からの回答を記入した人の中で、この5つのいずれか1つまたは複数を答えている人は84%にのぼる。大多数の人がこの5つのいずれかを書いていると言ってさしつかえないであろう。

 この5つの特徴を考えてみると、親密なあるいは情緒的な関係性に関わる「言説」が多数を占めている(「きずな」「やすらぎ」「張り合い」)。「大切」は、どのような意味で大切であるかが必ずしも特定されない表現であり、むしろ特定の理由は必要なく「無条件に」大切なのだという「言説」だと思われる。この点から考えても、親密なあるいは情緒的な関係性への「言説」に近い関係にあると言えるだろう。「助け合い」のみが、機能的ないしは道具的な要素について言及したものであるが、すでに述べたように「頼りになる」など心理的な側面について書かれたものもあり、情緒的な要素が反映しているように思われる。

 逆に、回答の中にあまり/ほとんど出てこなかった表現についても指摘しておきたい。

 「血のつながり」など血縁関係であることを指摘するような表現はごくわずか(5人)見られただけであった。「きずな」の表現を書いた人の中には、その根拠として血縁関係を想定している人もいるかもしれないが、言説としては表面化していない。

 同様に「イエ意識」的な表現、例えば「祖先をまつること」「家屋敷や墓を守ること」「家族の中のヒエラルキー秩序」などについて述べた人もほとんどいなかった。

「クレイム言説」(問34)

 問33は、「家族をめぐる問題状況」への「クレイム言説」を抽出する意図で配置した質問であることを既に述べたが、結果としてはおおむねその通りになった。問33への回答から最終的に抽出したコードは表2の通りである。表の見方は表1と同じである。

 最も数が多かったのは、「きずなが弱い」というコード名に対応づけた表現である。これらは、問33の「きずな」に対応し、それが損なわれているというクレイムである。表現のパターンはいくつかあり、「バラバラ」などつながりが弱くなっていることを感覚的に表現したもの、「愛情が不足」など情緒的な関係の欠如を表現したもの、「会話がない」などコミュニケーションの不足を表現したもの、個人主義的傾向を指摘したものなどをこのカテゴリーに分類した。また、「家族の崩壊」といった表現も人間関係の破綻について述べているのであろうと解釈し、ここに含めた。

 2番目は「道徳の低下」である。ここには、「親をいたわらない」などかなり具体的なものも含めているが、多くは「わがまま」「思いやりがない」「感謝する心」など、人間関係一般についての規範の欠如といったクレイムである。また、より抽象的に「道徳の低下」「精神の荒廃」などと書かれたものも含めている。

 次の2つは、実はかなり重なっている。「核家族化」は価値判断は含めず単に核家族化している状況を指摘した表現であり、「核家族化反対」の中には核家族化を批判するあるいはそれに反発するような「言説」が含まれている。実際の回答では、例えば「核家族化が多くなり寂しい」といった表現がいくつもあり、このような回答は、核家族化している状況を指摘したうえで、それに対する反発を述べていると判断し、「核家族化」と「核家族化反対」の両方に含めた。

 「核家族化」は、「核家族」というキーワードを含むもの以外に、「小人数」「別居」などの言葉で表現しているものも含めた。「核家族化反対」では「大家族」「同居」などの表現も含めている。

 「子育てに問題」には、子育てに関する様々なクレイムを集めている。「過保護」「放任」「親の無責任」「躾が不十分」などである。

 「現状で良い」は「問題点の指摘」という意味でのクレイムではない。ただしその中のいくつかは過去と比べて現在は良くなったといった表現もあり、それらは過去の(あるいは現在でもある程度残存している)家族のあり方へのクレイムであると受け取れなくもない。

 「父・母が問題」は、主として性別役割分業意識に基づいた母役割、父役割が失われていることに対するクレイムである。母に対するものと父に対するものはほぼ同数で、両方を書いている人も多かった。

 「社会が悪い」には、何らかの意味で問題の原因を社会に求めているものを集めた。「世の中」一般に対するもの、教育ないしは学校に対するもの、マスメディアに対するものなどがある。

 「核家族化賛成」は、「核家族化反対」と反対の立場から意見を表明したものを集めた。ここでもやはり「同居」などのキーワードが使われている。

表2 問34のコーディング結果
コード名 代表的な表現 件数
きずなが弱い 「バラバラになってきている」「愛情が不足している」「家族の崩壊」「会話がない」「個人主義」「他人行儀となってきている」など 91
道徳の低下 「わがまま」「思いやりがなく」「道徳の低下」「感謝する心」「精神の荒廃」「親をいたわらない」 68
核家族化 「核家族が増え」「小人数となり」「別居とした方が多く」 66
核家族化反対 「大家族が良い」「どうして年寄りと住むのが嫌なのか」「両親と同居する生活を営みたい」「核家族はよくない」「核家族化が多くなり寂しい」 47
子育てに問題 「過保護」「子供に対して無関心」「親の無責任が目につく」「放任」「躾が不十分」「子供はさびしいかもしれない」 46
現状で良い 「このままで良い」「自由に生きやすくなった」「女性の地位が上がってよい」 18
父・母が問題 「女は家庭を守り」「男は男のやるべき仕事」「主婦が仕事を持つこと」「父性(権)の喪失」 18
社会が悪い 「世の中が悪い」「マスコミが騒ぎすぎ」「勉強、塾と時間も少ない」「学歴社会」「今のままの教育で本当によい人間関係ができるか」 16
核家族化賛成 「親と同居はしたくない」「夫婦単位で生活していくほうが良い」「核家族の方がお互いに自由を束縛せず」 14

 これらの回答から代表的な「クレイム言説」を抽出するとすれば、「きずなが弱い」「道徳の低下」「核家族化反対」および「子育てに問題」の4つであろう。「核家族化」や「現状で良い」はクレイムではないし、「父・母が問題」以下はその4つに比べるとかなり数が少ない。

 「きずなが弱い」は先に書いた通り、「きずな」という「家族言説」に対応するものだと考えられ、コミュニケーションや情緒的紐帯が失われているというクレイムである。また「核家族化反対」も、親と既婚の子どもとの関係に関るクレイムであり、コミュニケーションや情緒的紐帯の問題の1つの現れ、もしくは条件であると考えられる。これらはいずれも、状態についてのクレイムである。

 これに対して「道徳の低下」は、個人に焦点を当てたものであり、態度や行為へのクレイムであると言うことができるだろう。「子育てに問題」も同様である。

 これらのことから、今回の調査から抽出される主要な「クレイム言説」は、「きずなが弱い」「道徳の低下」「核家族化反対」「子育てに問題」の4つであると考える。問34に何からの回答を記入した人の中で、この4つのいずれか1つまたは複数を答えている人は62%であった。「家族言説」の主要5「言説」よりも比率が低いが、これは「クレイム言説」の方が多様な回答パターンが見られたことの反映である。

3.属性との関連

 以上のような「言説」は、どのような人々によって発せられたものであろうか。もしある「言説」を発しているのが特定の属性を持つ人々に集中していれば、それは生活条件や社会的な立場と結びついた「言説」であると言えるかもしれない。そこで、次にそれぞれの「言説」といくつかの属性との関係を見ておこう。

 ここで用いた属性は、性別、年齢、最終学歴、配偶関係、結婚形態の5つである。

 性別は問1をそのまま使用、年齢は、問2の生年月日から10歳ごとの階級に整理したものを用いた。

 最終学歴は問20を就学年数によって3つの階級に整理した。新制の制度に合わせて便宜上「中学卒」(新制中学卒と旧制少学校卒)、「高校卒」(新制高校卒、旧制中学卒)、「大学卒」(新制短大・高専・大学卒と旧制高校・大学卒)と呼ぶことにする。

 配偶関係は問3を用いた。離死別は「既婚」に含めた。

 結婚形態は恋愛結婚か見合い結婚かの別のことである(問16)。選択肢には「結婚紹介業社」というものもあったが、全く回答がなかった。

「家族言説」(問33)

 表3は、問33の回答から抽出した「家族言説」と属性との関係を示した表である。「言説」は、先に述べた5つの主要な「言説」と、唯一ネガティブな「言説」である「人間関係に問題」の6つの絞った。

 表の中の数値は、ぞれぞれの属性ごとにその「言説」を発している人の割合をパーセントで示したものである。比率の分母は有効サンプル全体とした(2)

 数値の右にある「*」印はカイ2乗検定での有意水準を示している。「*」が5%、「**」が1%である。また、「L」はカイ2乗検定において5%水準で有意ではなかったが、属性と「言説」の間にリニアな関係が認められたことを意味している(相関係数が5%水準で有意)。

 まず年齢による違いに注目してみよう。家族に関する考え方・感じ方は年齢によって大きく異なっており、それが「家族言説」にも反映しているのと予想されるからである。

 ところが、年齢に対してリニアな関連が認められたものは「大切」だけであった。「きずな」「やすらぎ」「助け合い」については年齢による違いはほとんどなく、「張り合い」は年齢と強い関連があるものの、40代に集中しているというものであって、リニアな関係ではない。

 「きずな」や「やすらぎ」などの「言説」が、この40年間の間に変化してきていないとは考えにくいが、この調査において年齢による差がないということは、年月の経過による変化があったとしても、それはすべての世代に対して生じた変化(いわゆる「時代効果」)であったのだと考えられる。すなわち、それぞれの世代が同じ性質を保ち続けることによって生じる世代間の違い(コーホート効果)は認められないというのが結論である。

表3
きずな 大切 やすらぎ 助け合い 張り合い 人間関係に問題
20* 19 19  9*  6*  3**
31* 20 21 16* 12* 10**
20代 24 27L 12 14  3**  9
30代 29 20L 25 14  8**  5
40代 23 25L 18 12 18**  9
50代 24 14L 24 11  9**  4
60代 31 14L 19 12  5**  7
中学 23 15 21 12  9  3L
高校 29 22 19 14 10  6L
大学 25 17 23 11 10 11L
未婚 26 21 14  8  3*  8
既婚 26 19 21 13 11*  6
恋愛結婚 22 25* 22 12 10  3*
見合い結婚 31 15* 19 14 11  8*

 「大切」は年齢との間に弱いリニアな関係が認められるが、その他に結婚形態とも関連が認められる。恋愛結婚をした人ほど「大切」と答えている人が多く、年齢が若ほど恋愛結婚が多いので、年齢と「大切」との関連は結婚形態を媒介とした擬似相関であるとも考えられる。そこで3重クロス集計を行って調べたところ、ほぼそれを支持する結果を得られた。すなわち、若い世代で「大切」が多くなっているのは恋愛結婚の増加によるところが大きいと言える。

 「張り合い」と年齢との関連はかなり強い。しかも40代にのみ集中しているというかなり特殊な関係である。「張り合い」言説が40代に集中している理由は、この年代が家族の中で実質的に中心的な役割を担っている世代であるためであろうと推測できる。とするなら、「張り合い」という「言説」は、比較的属性との関連の小さい(すなわち普遍的に見られる)他の4つの主要な「言説」と異なり、家族の中の位置という、発言者の状況と結びついた「言説」であると言えるだろう。

 次に性別との関連を見てみよう。すでに述べたように、そもそも女性の方が問33への回答率が高いのであるが、「言説」ごとに見ても、「きずな」「助け合い」「張り合い」「人間関係に問題」の4つにおいて女性の方が比率が高くなっている。「きずな」「助け合い」は「大切」「やすらぎ」と比較して、より具体的な関係性ないしは相互行為について言及したものだと言えるだろう。その意味では女性の方がより関係性指向の「言説」を多く発していると見ることができる。ただし、「きずな」や「助け合い」などが年齢や配偶関係と無関係なことを考えると、家庭内での経験などに基づいたものではなく、一般的な性別役割分業意識のようなものとの結びつきによってこの違いがもたらされたものであろう。

 それに対して、「張り合い」は、すでに見たように40代に集中しており、それと関連づけて捉えるなら、性別による違いも性別役割分業意識などからではなく、家庭内の位置に関係しているのかもしれない。

 ここまでは女性の方がボジティブな「言説」を多く発しているという傾向であるが、最も性別による違いが際だっていたのは、ネガティブな「言説」である「人間関係に問題」である。女性の方が回答率が高いことから、家庭の中での女性の位置と関係がありそうだが、より詳しく調べるために、配偶関係ごとに性別との関連を調べてみた。その結果は、未婚女性、未婚男性、既婚女性は8〜10%で大差はないが、既婚男性のみが2%とかなり回答率が低くなっていることが分かった。すなわち、この「言説」は、未婚者と既婚女性によって主に発せられているということである。前者はおそらく親との葛藤、後者は家庭内での女性の地位と関連していると思われる。後者については見合い結婚の方が回答率が高くなるということもその仮説を支持する材料であろう。

「クレイム言説」(問33)

 表4は、問34の回答から抽出した「クレイム言説」と属性との関係を示した表である。「言説」は、先に述べた4つの主要な「言説」と、「現状で良い」の5つに絞った。表の見方は表3と同じである。

表4
きずなが弱い 道徳の低下 核家族化反対 子育てに問題 現状で良い
17  9** 10  7  4
19 17**  9 11  4
20代 29L  6**  8 11  2
30代 20L  8** 11 10  6
40代 15L 17**  7 12  5
50代 17L 11** 10  9  2
60代 14L 22** 11  5  4
中学 17 22**  8  7  2
高校 17 14** 10  8  4
大学 21  7**  9 13  5
未婚 29*  7  7 11  3
既婚 16* 15 10  9  4
恋愛結婚 18 15 10 10  4
見合い結婚 15 14 10  8  4

 これも年齢による違いから見ていこう。年齢とのリニアな関連が見とめられたのは、「きずなが弱い」と「道徳の低下」であった。特に、「道徳の低下」は高齢者に集中しており、60代と20代では4倍近くの開きがある。年齢による違いは、前述のコーホート効果と、どの時代でも年齢を重ねるに従って考え方が変化してくるという「時代効果」の2つが考えられるが、最終学歴によってもかなりの差があることから考えると(学歴は加齢によって変化しないので)コーホート効果ではないかと推測される。すなわち、世代による意識の違いが反映したものであろう。

 「きずなが弱い」の方は、最終学歴による差が少なく、配偶関係による差が見られる(未婚の方が回答率が高い)。このことから、この「言説」は家庭内の位置と関っている可能性がある。

 その他の3つの「言説」については、いずれの属性とも関連は認められなかった。特に、「核家族化反対」が年齢によって回答率に違いがないことは注目に値するであろう。

4.「家族意識」との関連

 最後に、それぞれの「言説」と家族に関する意識との関連を見てみよう。この分析は、それぞれの「言説」が特定の価値観などと結びついているのか否かを判断する参考になるだろう。

 「家族意識」は問30の質問の中から以下の3つを選んで分析に用いた。それぞれ回答の選択肢は「そう思う」「どちらかといえばそう思う」「どちらともいえない」「どちらかといえばそうは思わない」「そうは思わない」の5つである。

1)長男には、他の子どもとは異なる特別な役割がある
5)家族こそが最もお互いに分かり合える関係である
11)男性は外で働き、女性は家庭を守るべきである

 1)は、「イエ意識」を測定する質問項目としてしばしば用いられるものの1つである。ここでの分析でも「イエ意識」を測定する質問として用いた(以下「イエ意識」とする)。

 5)は、家族の親密性・情緒性を強調する考え方であり、近代的な家族観を測定する質問として用いた(以下「近代家族指向」とする)。

 11)は、性別役割分業意識を測定する質問である(以下「性別役割意識」とする)。

 それぞれの選択肢を、「そう思う」と「どちらかといえばそう思う」、「そうは思わない」と「どちらかといえばそうは思わない」をまとめ、前者を「賛成」後者を「反対」とした。「どちらともいえない」は「中間」と表記している。「近代家族指向」に限っては、「反対」が極端に少ない(4%)ため、「反対」は「中間」に統合し、2つのカテゴリーで分析を行った。

「家族言説」(問33)

 表5は、問33の回答から抽出した「家族言説」と「家族意識」との関係を示した表である。表の中の数値の見方は表3と同じである。

 一見して分かるように、「家族言説」と「家族意識」の間にはあまり関連は認められない。特に、「きずな」と「大切」の2つの「言説」は、「家族意識」とはほとんど無関係であると言ってよいだろう。

 「やすらぎ」は、「近代家族指向」との間に関連が見られ、家族の親密性・情緒性を強調する考え方を持つ人によって多く発せられる「言説」であると言えるだろう。

 「助け合い」と「張り合い」もまた、いずれの「家族意識」とも関連が見られなかった。しかし、同様の分析を男女別に行うと興味深い結果が得られた。

 男性の場合、「助け合い」「張り合い」のいずれも性別役割に賛成する人の方が回答率が高かった(「助け合い」は賛成で15%、反対で2%、「張り合い」は賛成で12%、反対で3%)。このことから、男性にとってこれらの「言説」は性別役割意識と結びついたものであると考えられる。「助け合い」はおそらく男女それぞれがみずからの性別役割を果たすことによる「助け合い」のイメージから来るものであり、「張り合い」は男性が経済的あるいは精神的に家族の中心としての責任を持つといった自覚から来るものではないだろうか。

 これに対して、女性の場合は「助け合い」は「性別役割意識」とほとんど関連がなく、「張り合い」は(統計的に有意ではないものの)むしろ性別役割に反対する人の方が回答率が高い。このことから、女性にとっての「助け合い」は必ずしも性別役割分業に基づいた「助け合い」とは限らず、その点で男性の「助け合い」言説とはやや異なった含意を持つ可能性がある。

 「人間関係に問題」は、「近代家族指向」と関連が見とめられた。しかし、先に見たようにこの「言説」は属性との相関が大きく家庭内の位置と関っていることが推測されるので、むしろなんらかの「問題」を感じることが「近代家族指向」を抑制する要因になっていると考える方が妥当であろう。

表5
きずな 大切 やすらぎ 助け合い 張り合い 人間関係に問題
イエ意識 賛成 27 19 20 12 10  7
中間 29 22 13 17  7  5
反対 23 21 23 10 11  8
近代家族指向 賛成 28 22 22* 11 10  5**
中間 23 15 12* 17  9 14**
性別役割意識 賛成 27 19 17 15 10  4
中間 27 20 22 13  7  8
反対 25 22 20 10 12  8

「クレイム言説」(問33)

 表6は、問34の回答から抽出した「クレイム言説」と「家族意識」との関係を示した表である。

 「きずなが弱い」「核家族化反対」「子育てに問題」の3つについては、いずれの「家族意識」とも関連は認められなかった。これらの「言説」については、家族に関する意識とはほぼ無関係だと考えられる。

 「道徳の低下」は弱いながらも「イエ意識」との関連が認められる。イエ意識を持っている人の方が「道徳の低下」言説を発している割合が高いという結果であった。この「言説」については、すでに年齢との関係からコーホート効果があるという結果を提示したが、そのことと「イエ意識」による違いとは関連していると考えられる。

 「現状で良い」は「性別役割意識」の強い人の回答率が低いという結果が見られた。「性別役割意識」は他のどの「クレイム言説」とも関連が見られず、性別役割意識に基づいた積極的なクレイムが行われているとは言いがたいが、「現状で良い」言説に対する抑制要因になるという形で消極的な影響を与えているようだ。

表6
きずなが弱い 道徳の低下 核家族化反対 子育てに問題 現状で良い
イエ意識 賛成 20 17* 10 10  5
中間 12  7* 14  9  3
反対 20 10*  6  9  2
近代家族指向 賛成 19 15 10  9  3
中間 16  9  8  8  4
性別役割意識 賛成 15 17 10  8  1*
中間 16 13 10 11  6*
反対 23 11  8  8  4*

5.結論

「家族言説」の主要な要素

 本調査の第一の成果は、自由回答から「家族言説」の主要な構成要素を抽出したことにある。

 「家族言説」の主要な要素は、「きずな」「大切」「やすらぎ」「助け合い」「張り合い」の5つであり、これらは「家族」という「言説」が様々な状況で語られる際の資源となっていると考えられる。

 逆に、血縁や祖先などにまつわる言説は年代を問わずほとんど出現しないことも分かった。

 「家族」に関する「クレイム言説」として主要なものは、「きずなが弱い」「道徳の低下」「核家族化反対」「子育てに問題」の4つであった。

「家族言説」の背景

 「家族言説」と属性及び「家族意識」との関連を調べることにより、それぞれの「言説」の背景について、ある程度の知見を得ることができた。

 まず、これらの「言説」が時代によって変化してきているかどうかをまとめてみよう。

 5つの主要な「家族言説」の中で「大切」だけはコーホート効果が見られたが、これにしても年齢による違いはそれほど大きいものではなく、大まかに言えば、40代に集中していた「張り合い」以外、世代による違いはさほど大きくはないと結論づけて良いだろう。すなわち、「家族」はきずなの強いものであり、無条件に価値のあるものであり、やすらぎを与えてくれるものであり、互いに助け合うものであるという言説は、あらゆる世代に共有されているのである。少なくとも、「家族とは何か」という問に対する答え−「家族のあるべき姿」と言い換えても良いかもしれない−という文脈では言説レベルにおいて世代間のギャップは見当たらない。

 これはむしろ、世代間でギャップを生じないような表現が好んで使われているということかもしれない。次の「クレイム言説」で見るように、あるいは「家族意識」を尋ねた場合に年齢による差が現れることからも分かるように、世代による家族観のギャップは決して小さいとは言えない。家族は異なった世代の人々が共同生活を行う場なので、そのような世代間のギャップが曖昧になるような表現が使われているのだと考えることもできる。

 対照的に、「クレイム言説」では、「道徳の低下」言説にかなり大きな年齢差−コーホート効果と見ることができる−が見られた。また、この「言説」は「イエ意識」とも関連が見られ、年齢の高い人により特徴的な特定の家族観と結びついた「言説」であることがわかる。注意しておきたいことは、そのような家族観を持つ人々も、「家族言説」としては、家父長制的な色合いを持つ表現を用いているわけではなく、先に見たような各世代共通の表現を使っているということである。

 近代的家族観は、家父長制的な家族観と鋭く対立しているのではなく、むしろ「きずな」や「助け合い」など曖昧な表現の中に家父長的な意識を取り込ながら、世代間の違いの少ない言説空間をつくり出しているのだではないだろうか。

 しかし、実際の家族生活の中では家族観の違いは様々なコンフリクトを生み出し、それが年長世代の(家父長制的家族観に基づく)「クレイム言説」を生み出しているのであろう。

 「言説」によっては、特定の社会的地位に特徴的なものや、同じ「言説」であっても、社会的地位によってニュアンスが異なると考えられるものがあった。

 「張り合い」言説は、40代に著しく回答が集中しているという際だった特徴を持った「言説」であった。このことは何を意味しているのであろうか。「家族意識」との関連が認められないことからも、これは先にも述べたように40代という年齢層の家族の中での位置に関っていると考えて良いだろう。この「言説」は、働くこと、努力することの動機づけや意欲を「家族」が与えているという認識の表明である。40代でこのような認識がより多く表明されているのは、子どもの成長段階などから(学齢期の子どもを持つ人に「張り合い」言説が多いことも確認できる)、より大きな責任と負担がかかる年代であることが関っていると考えられる。しかし、この「言説」は決して負担の大きさへの不満を表現したものではなく、むしろ「家族」をポジティブに評価する「言説」である。この点こそが、「家族」という言説の独特の性質なのかもしれない。

 「張り合い」言説は、男女によって「性別役割意識」との関連が異なっていることも重要な発見である。男性の場合、「性別役割意識」の強い人の方が「張り合い」言説の回答率が高いが、これは、男性が「家族」を労働の動機づけとして利用するために、性別役割意識が媒介していることを示していると考えられる。女性では、「性別役割意識」と「張り合い」言説の関係はあまりないが、これは性別役割意識に基づいた家族への貢献(専業主婦など)と性別役割意識をどちらかと言えば否定する方向での家族への貢献(市場労働)の二通りの方向性があるためではなかろうか。

 「助け合い」も同様に、男女によって「性別役割意識」との関連が異なっている。「性別役割分業に基づく助け合い」のイメージが強い男性に対して、必ずしも性別役割分業を前提としないで「助け合い」を表現している女性というずれが感じられる。このことは、「助け合い」言説が社会生活上の文脈で用いられる場合に、複雑な効果を持つと予想される。

自由回答による言説分析の意味について

 最後に、自由回答による(計量的な)言説分析という方法論の有効性や射程についていくつか指摘しておこう。

 自由回答を「言説」としてとらえることは、一定の有効性を持つことが確認できたと思う。例えば、「きずな」という「言説」は、それを選択肢を用いた質問に直せば分析中で用いた「近代家族指向」(家族こそが最もお互いに分かり合える関係である)に近い質問文になるだろう。ところが、表5をあらためて見てもらえば分かるように、「きずな」言説と「近代家族指向」の間にはほとんど相関は見られない。すなわち、自由回答に「きずな」表現が書かれているということは、なんらかの意識や態度やイメージが存在しているといったことを必ずしも意味しない。

 しかし、これまで見てきたように、いくつかの「言説」については、属性や意識との関連が見とめられ、決してランダムで無意味なデータではないことは明らかである。

 それでは、ある「言説」が自由回答の中に出現するという事実は何を示しているのか。私はそれは「家族」というキーワードを中心とした言語的資源のネットワークを(不十分な形ではあるが)表現しているのではないかと思う。つまり、一種の「連想ゲーム」のようなことをしてもらったわけで、例えば「やすらぎ」という「言説」が現れるということは、「家族はやすらげる場である」といった認識や価値観の存在を示しているというよりは、「家族」という言葉と「やすらぎ」(に類する)言葉とが自然な形で結びつきやすいような言語ネットワークを持っていることを示していると考える方がより妥当だと思うのである。

 このようなネットワークは、言語的資源として、人々が様々な言説をつくり出していく基礎となると同時に、場合によっては外在的に人々を拘束するような働きをする場合も考えられる。

 先に見たように、家父長的家族観を持つ人が、それをストレートに表現する言説よりも「きずな」や「やすらぎ」などの表現を選択してしまうことにより、価値観の違いを覆い隠したり無化させられているとするなら、このような言語ネットワークは、その人にとって「内なる権力装置」であるとさえ言えるかもしれない。

 このように考えると、「自由回答による言説分析」という手法は、これまであまり活用されてこなかった自由回答を、従来からある計量的分析と同じ手法に接続するという消極的な意味(それだけでも意味があることかもしれないが)ではなく、全く新しい質問紙調査の可能性を開拓する手法として十分に検討する価値があると思う。そのためには、ここで示したような解釈の論理をより精緻化することも不可欠な作業であろう。

 問題点としては、まずコーディングの不安定性を指摘する必要があるだろう。本研究で用いたAUTOCODE for Windowsはコーディングにかかる労力を大幅に軽減し、コーディングルールの明示化を可能にしたが、それでもすべての問題が解決したとはとうてい言えない。私は今回示した回答の分類を十分に説得力のあるものだと信じているが、いくつかの回答については別のカテゴリーに分類すべきだという意見はあり得ると思うし、別の観点からの分類もまた可能なはずだ。すなわち自由回答はアフターコーディングという手続が加わることによって、不安定性が、選択肢による質問に比べてどうしても大きくなってしまう。また、無回答の割合も選択肢による質問と比べて大きいし、特定の回答パターンが出現する割合は一般に非常に小さい。そのため、選択肢による質問の分析よりもより大きなサンプルが要求される。

 今回の分析においても、回答をもっと細かく分類していけば、よりつっこんだ分析が可能だったかもしれないが、500という有効回答数ではこの程度の分析が限界であろう。

 また、このような分析手法がどのようなテーマでも適用可能かというと、必ずしもそうではないように思う。「家族」という言説は、社会生活の中で使われる可能性がかなり高い言説であり、そのことによって初めてこのような分析が可能になったのだと思う。自由回答すべてが「言説」というとらえ方による分析が可能なわけではなく、その回答の性質をよく吟味した上で適用できるかどうかを判断すべきであろう。

  1. AUTOCODE for Windowsの詳しい説明は以下のアドレスのホームページを参照してほしい。また、このホームページからプログラムそのものもダウンロードできる。
    http://jinbun1.hmt.toyama-u.ac.jp/socio/satoh/autocode/
  2. 比率の分母は全有効サンプル数と自由回答に何らかの答えを記入した人数の二通りの考え方があるだろう。どちらを採用すべきかは難しい問題だと思うが、今回は無回答も意味のある情報を含んでいると判断し、前者を採用した。なお、自由回答記入者を分母として同様の分析を行っても、結果に大きな違いはない。

コーディングルール

 AUTOCODEで用いるコーディングルールファイルを、分析に用いた部分のみそのまま掲載した。

 <>に囲んで表示したものが「コード名」であり、その後に続く文字列(抽出文字列)のいずれかが自由回答文中に出現した場合に、そのコードを割り当てる。例えば<きずな>の下には「いたわりあう」という文字列が記入されているので、回答文中に「いたわりあう」と書かれていると、「きずな」のコードが割り当てられる。

 文字列の先頭に「<」や「>」と書かれているものは、「回避文字列」である。その直前の「抽出文字列」の直前(「<」)または直後(「>」)に「回避文字列」がつながって現れた場合には、「抽出文字列」が見つかってもコードを割り当てない。例えば、「きずな」という抽出文字列の次に「<へんな」という回避文字列が割り当てられているので、「へんなきずな」という表現には「きずな」というコードを割り当てない。

「家族言説」(問33)

<きずな>

LOVE
ありのままの自分を出せる
いたわりあう
いたわり合い
いろいろなことを相談し
お互いに思いやり
きずな
<へんな
その日の出来事を話し合う
つながりが深いもの
どんなことも許しあえる
なぐさめ
なんでも話し合えて
なんでも話せる
みんなで理解
みんなで話し合い
よき理解者
わかち合える(物・心両面で)
わがままが言える
愛するもの
愛情が生まれる
愛情で結ばれていたい
愛情を与え、与えられる
愛情豊かに日々生活してゆくこと
安心してグチることができる
安心し合える
意見を言い合い
一つ輪になっている
一緒にいたい
一緒に喜び悩み
一緒に泣いたり笑ったり喜んだり悲しんだりできる
一番の相談相手
一番よく理解してくれ
一番近い
一番信用のおける者
一番良い話し相手
仮面のない姿
何でも言え
何でも話しできる
何でも話し合え、
何でも話せる
家族皆の健康やうれしいことがあれば幸せ
会話がある
皆で喜びまた悲しみ
楽しみ合える
完全に親子になれました
喜び、悲しみ、すべてをわかち合い
喜び、悲しみ、怒りなど共に分かち合い
喜びも苦しみも共有
喜び悲しみ苦しみを共にあじわう
喜怒哀楽をわかちあえる
喜怒哀楽を共に共有
苦楽を共にする
苦楽を共にできる
苦楽を分かち合える
元通り話ができるようになっている
語り合え
語り合える
好きなことを言い合え
思いやり
>自分勝手
思いを素直に出せる
自分をさらけ出し
自由なことが言い合える
自由に発言できる
失敗しても許される
受け入れてくれる
信頼
心が通い合った
心のつながり
心の許せる場(人)
心の通い合う
心の通った
心を分かち合える
親身になってくれ
相談できる
他人でも親切にしてくれる人がある。でも言えることと言えないことがあり、あんまり深入りできない
誰がいなくても心が休まらない
仲のよい
仲良く暮らしたい
仲良く暮らす
悩みを相談したり
腹のそこから
分かりあえる
分かり合える
本音でつきあえる
本当の自分を見せれる
理解し合い
理解者
良いコミュニケーション
和・愛・誠
話し合い
話し合える
>間柄ではない
絆が深く結ばれた

<大切>

かけがえのない
だいじなもの
なくてはならない
<わきまえ
<助け合わ
なくなると本当につらいもの
愛しい
一人でも欠けてほしくない
守るべきもの
守るべき存在
大事な
大切
<(私)を
<これからを
<一緒の時間を
<家族を
<子供の考えや幸せを
<親戚の付き合いを
<努力していくことが一番
<日常の会話を
<老後も
>なのは妻
必要である
必要なもの

無いと困る

<やすらぎ>

あかるい
いこいの場
いこいの場所
おだやかな
くつろぎ
ぬくもり
ほっとする
ほっとできるような
みんな、喜んでいるような、そんな雰囲気
やすらぎ
やすらげる
オアシス
ストレスを取ってくれる
ホーッとさせてくれる
リラックスでき
安らぎ
安らぐ
安らげる
安心して休むことができる
安心して生活できる
安心できる
一人だとさびしい
一日の嫌なことがとんでいってしまう
円満な日暮らしを送る
温かい
楽しいこと
楽しい場所
楽しく過ごし
楽な空間
帰宅してこころよく待ってあげるような
気が楽になる
気のやはらぐ
気の休まる
>日がほしい
気をつかわなくてもよい
気楽に接する
気遣いせず
気持ちが安らむ
居心地のいい
憩える
憩の場
自由でいられる
少し気が楽になる
心。よりどころ
心から楽しめる
心が休まる
心のよりどころ
心のオアシス
心の和む
生活を楽しくする
息抜きのできる
暖かい
暖かく
暖かな
暖めてくれる
明るい
明るく健康に
明るく前向きに
落ち着ける

<助け合い>

いざというとき心をひとつにできる
いざという時、大変必要
ささえてくれる
わかち合える(物・心両面で)
寄り添って行かなければならない
共に助け合って
協力してもらえる人
協力してやりとげる
協力し合う
協力する仲間
協力者である
最終的に自分自身を守ってくれる
支えたり支えられたり
支えてくれる
支えられる喜びを感じる
支え合い
自分を守ってくれる
守り、守られる
守り合える
助けたり助けられたり
助けのあるもの
助け合い
助け合う
助け合える
助け合ったり
助け合って
助け合わなくてはならない
相互扶助できる
面倒を見てくれる
頼ったりしている
頼ってしまうもの
頼りになる
頼れる
力になってあげたり
力を合わせ

<張り合い>

はげみ
やる気のもと
エネルギー
何ごとにも頑張れる
家族がいなかったら毎日元気に働く気力もおきない
家族がいるから生きていける
家族が居るから頑張ろうと思える
皆のために頑張ろうと思う
活力源
元気が出る
元気の素
仕事にも打ち込める
仕事への意欲
支える張り合い
自分も必要とされている
心の支え
生きがい
生きていくための支え
生きてゆく支え
生きる意欲
生きる活力
生きる原動力
生き抜く為の支え
体中から労働(はらたき)が吹き出てきます
励みとなり
労働意欲を充分にかきたてられる

<人間関係に問題>

いいものだとはあまり思わない
いらないとさえ思うこともある
ついついぶつかり合う
わずらわしい
わずらわしさを伴いつつ
一人になりたいと思う
一番遠い他人
何でも話し合える間柄ではない
嫁姑の関係は大変むなしかった時代もありました
家族だから許せる、許せないと、いろんな悩みがあります
家族なんか壊れてもいいと時々思う
家族に気を配りいつもくよくよ考えている
気を使い
現実は大変厳しい
自分の思いどおりにならなくてもガマン
自由を制限されることもありますが
少し重荷
心が通じ合ってなく
心は離れて行きました
心悩ませ
束縛されるもの
逃げ出したくなる
頭にくること
煩わしい
負担に感じることもあり
毎日がストレスの積み重ね
理想通りにはいかない
籠の中の鳥のよう

<互いを尊重>

お互いが人間として成長してい
お互いに成長していく
お互いの意思を尊重
お互いの自由を尊重
お互いの存在を一番認めあえる
お互いの立場をよく理解し、尊重し合えば
それぞれ自由に行動しているの
家族が同じ立場で
各自がそれぞれの生き方をもって
各自のプライバシーは尊重されなければならない
各自自分の立場を守
個々の人格を尊重し
個人尊重の心掛け
節度ある接し方
相手の気持ちを尊重し
相手を尊重し合えることもできる
尊敬し合う
仲良く役割分担をして
利己的になることを注意しなくてはいけない
良いところを見つけ合う

<社会に貢献>

→社会が円満
そこから社会の広がりがあります
家族があるから、社会があり
家族を通じて世の中のいろいろなことがわかる
国家の繁栄につながる
最小単位
次の社会へと踏み出せる
社会との関りにも継続していく
社会においての対人関係も基本は家族の関係
社会に貢献できるよう
社会を構成するための基本的存在
社会を構成する最小の単位
社会組織の最小単位
地域との付き合いを大事にする
日本の将来を大きく左右する

<しつけ・子育て>

お互い育て合う
基礎生活習慣をしっかり植え付けさせ
基本的な社会常識を教えてくれたか
子どものために、できる限りのことをしたい
子供の考えや幸せを大切に考えていきたい
子供を育成する
子供を円熟した大人に育て上げ
社会人として育てるために必要な基礎集団
心と身体の生育に欠くことのできない
新しい世代を育て
親が一番の理解者でありたい
人格形成にも大きな影響
人生の考え方、行動の基礎になるもの
人生観を作ってゆく場所
生まれ、育ってゆく
生活面での育成の場所
躾情操教育

「クレイム言説」(問34)

<きずなが弱い>

(多くは)真の家族とは言えない
「キズナ」が薄くなっている
1台のテレビを見るように
いっしょにいる時間が今の家族には少なすぎる
きずなが失われている
きずなが弱い
きずなが弱くなっています
きずなが薄い
きずなが薄くなってきている
だんだん悪く難しくなっていっているような気がします
つながりが薄くなった
つながりが薄くなっている
コミュニケーションが希薄
コミュニケーションが少ない
コミュニケーションはどんどんなくなりつつある
コミュニケーションもうまくいっていない
スキンシップがない
バラバラになってきている
愛が薄くなった
愛情が不足している
愛情というものがなくなっていき
愛情の確認も薄れている
愛情は薄くなってきている
一つの部屋で家族みんなが楽しむことがない
一つの部屋に集まって話すこと少なくなりました
一人一人がばらばら
一人一人が個別化されている
一人一人が自由な時間を持つようになり
一人一人のつながりが浅いものになっている
一同揃って話し合うことが少ない
家族がバラバラ
家族が成りたっていない
家族のきずなを弱めている
家族のそれぞれの構成員が役割を見失い
家族の団らん、むくもりは望むべくもない
家族の談話が少なく
家族の崩壊
家族の和が昔ほど強くない
家族愛が薄く
家族関係が希薄
家族制度が徐々に崩壊
家族性が少ない
家族崩壊
家庭崩壊
会話がない
会話が少ない
会話をすることもほとんどない
会話をする機会が少なくなった
各自部屋をもって
関係がだんだんくずれてきて
関係をへだたりあるものにしている
形だけ(決してコミュニケーションがないわけでもない)の家族が多い
結びつきが薄くなっている
結びつきが薄くなってきて
健全な家族のつながりがない
個々の自由を優先する方が多くなった
個室も当たり前
個室を一人一人が持つようになり
個人が尊重され
個人が分離されている
個人の主義が多く見られ
個人個人別々にという感じ
個人主義
個別行動化
孤人主義
互いの心が離れ
思いやりのようなものがなくなりつつあり
自分の両親に対して遠慮
情が薄れる
触れ合い不足
心のつながりがうすれている
心の触れ合いが少ない
心の通わない
親子の会話があるのだろうか?
親子関係が希薄
親子関係が薄れている
人とのつきあい(又は家族とのコミュニケーション)がなくなってくるの
人の顔色をうかがう家族が多い
人間関係がうすくなり
昔の家族はきずなが深い
他人行儀となってきている
団らんが少なくなってきた
団らんの時が少なくなっている
団らんの時間が少ない
仲良くやっているのが表面だけ
同居人の集まりが多い
付き合い方が浅い
父親とは話をしないという高校生などが増えている
崩壊の一途をたどっています
無関心
冷たい感じの家族
和にかけている
話し合いがない
話し合いの場が少なくなりつつある
話し合いも少なく
話し合う時間が少ない
絆が薄れている
絆が本当にうすい
絆をさらに弱々しいものにしている

<道徳の低下>

おもいやり、我慢ができない
お年寄りをうやまい大切にする思いやりの気持ちを忘れがち
この人のために何かしてあげようという気持ちがない
ぜいたく過ぎる
わがまま
わがままな子供が多い
何か問題が発生したとき親のほうへ泣きついてくる
家族に他人を受け入れない体質になってきた
各々好き勝手に行動
感謝する心
感謝の気持ちも忘れがち
血縁、血族意識の強すぎる
今の若者はわがまま
子供は親に甘えすぎ
思いやり、いたわり、やさしさの心が失われ
思いやりがなく
思いやりが欠けている
思いやりが足りない
思いやりのない家族が増えそう
思いやりのない家族が多くなって
思いやりの気持ちを忘れがち
思いやる心や祖父母を敬う気持ちが欠け
自己愛が強く感じられる
自己中心的
自分が良ければあと知らない
自分たちが良ければと思うような家族が多い
自分のわがままを通している
自分の家族だけが良ければ他の家のことはどうでもいい
自分の家族だけを大切にとの考えが多い
自分の家族のことのみを考えすぎ
自分の家庭さえ良ければ主義が多く
自分の子供だけ見ていて人の子供は
自分の思いばかりが強く
自分主義が多く
自分勝手
自分中心のように考えている人が多い
自由が多く
自由すぎる
自由だけが先走りしている
自由と奔放をごっちゃにならないよう
自由な家族が多い
自由になりすぎた
自由気まま
自由自由といって
宗教心
勝手すぎる
勝手な生活を送る子も見る
少しの気配りがほしい
心(精神)を忘れ去ってきた
心の貧しい人が増え
心の豊かさがない
心の淋しい
親に甘えてばかり
親や先祖を大切に思う気持ち
親をいたわらない
親を従い尊敬することが少ない
親離れ、子離れができない
親離れできない
精神の荒廃
精神的なものが失われ
責任感がなくなった
祖父母を敬う気持ちが欠け
祖父母を大事にしない
相手を思いやることが少ない
長幼の序が失われつつある
長幼の序のわきまえが失われた
道徳の低下
年上の人(祖父母)を大切にする気持ちが薄れてきている
年長者を大切にする
年配の方を大事にしたいと
夫婦相和し朋友相信じとかいかないものでしょうか
父母に孝に兄弟に友に夫婦相和し朋友相信じとかいかないものでしょうか
目に見えないものへの畏敬の念が教えられなく
目上の方を尊敬、敬愛する心が乏しく

<核家族化>

一家族の人数が少ない
一人暮らしが多くなった現代
一人暮らしや老夫婦だけの家が多い
核家族があたりまえのようになっています
核家族がますます増加
核家族が主流
核家族が進んでいる
核家族が増え
核家族が多い
核家族が多く
核家族が多くなっている
核家族が多くなり
核家族という形が増え
核家族となり
核家族と高齢化社会を迎え
核家族にかわってきている
核家族になり
核家族の傾向
核家族の増加
核家族の多い
核家族化
>が進むのは良くない
核家族化が進み
核家族化が進みつつある
核家族化が進んでいて
核家族化が進んでいます
核家族化が進んでいる
核家族化が進んでおり
核家族化が増えてきている
核家族化が多くなり
核家族化されすぎ
核家族化し
核家族化の進みすぎ
核家族構成になってきている
結婚して別居する人が多い
結婚すると別居する人が多い
今はやりの核家族
今は核家族
小人数となり
親との同居が少なくなり
親は親、子は子の時代になり
大家族が少なくなり
同居が難しく、又、数少なくなってきている
同居しない若い夫婦が多々あるようで
別居することが多くなった
別居とした方が多く
別居生活が当たり前
別居生活をする人達が多い
別居生活化していく傾向
両親と生活するのが嫌なようですが

<核家族化反対>

それなら初めから別居するな!!
どうして二世帯が一緒に生活(同じ家で)していけないのかなあ?
どうして年寄りと住むのが嫌なのか
なぜ年寄りと(同居)、一緒に住まないのでしょうか?
何世代もで暮らしていたほのぼのとした家が少なくなっていることはとても淋しい
何代もの家族が同じ家に住むのが望ましい
家族は多いほうがいい
家族は多い方が楽しい
家族同居が理想
核家族がますます増加の傾向があるが、若い親子関係だけでは養われない人間関係を見失いがち
核家族が多くなり、子供も少なく、さみしい
核家族が本当によいのか疑問
核家族になりすぎる
核家族にはどちらかといえば反対
核家族に対して生活の向上、子どもの教育を考えると無理がある
核家族に伴う影響が負に働いている
核家族のため、自由なのでわがまま
核家族はよくない
核家族は私のような年代ではとっても淋しい
核家族は少しさびしい感じがする
核家族は日本の社会を作ってきた大切なものをなくし
核家族化が進み、淋しく思う
核家族化が進むのは良くない
核家族化が多くなり寂しい
核家族化による家族の触れ合い不足が危惧される
核家族化の進みすぎで家族というより単なる同居的な家族が多くなっている
核家族化をくいとめたい
三世代、四世代同居の家族をTVなどでみると、大変さはあっても子供を育てる時にいろんな意味でよいことも多い
三世代同居の中で毎日楽しいこと、悲しいことを分かち合いながら生きるべき
子や孫に囲まれて楽しい生活ができるのが望ましい
祖父母、父母、子供、孫といった家族構成が良い
祖父母と生活することにより子供たち(孫)も老人から学ぶ
大家族(祖父母、両親、子供)のほうが楽しく暮らせる
大家族が良い
大家族で育ったものには家族のマナー、心づかいが懐かしく美しく思い出されます
大家族で大変な面もあったが、それがよかった
大家族のほうがお互い助け合う意識が育つ
大家族の方が愛情あふれる
大家族の方が人間形成に良い
大家族制も必要だ
大家族的なほうが良い
大人数のほうがよい
二世代、三世代共に暮らせたら
別居生活化していく傾向にあまり同調できない
両親と同居する生活を営みたい
両親の背中を見て生活することで、良いこと、悪いことを見て、自分の立場を考えてほしい
老人との同居が望ましい

<子育てに問題>

あまりにも子供を大切にし
けじめをもって躾(子供に対し)をし
しかられて当然なのにそれが黙認されている
しつけた方が良い
しつけを重視すべき
もっと子供には家の手伝いをさせる
カギっ子がかわいそう
家庭で躾られていない
過保護
厳しくしつけをする心構えを持ち
子どもに関りすぎ
子どもの教育に力を入れている親が多い
子どもの教育を考えると無理がある
子供がどんな悪いことをしても
子供たちは孤立してしまうと
子供たちは自由気ままであるが心は寂しそう
子供にあまりにも気をつかいすぎ
子供にかまいすぎ
子供にやさしすぎる
子供に干渉しすぎ
子供に甘い生活をさせた
子供に敬語を使い、いうことをなんでも聞いている
子供に対してあまりにも執着しすぎ
子供に対して気のつかいすぎ
子供に対して口出ししすぎ
子供に対して無関心
子供に対する愛情が薄れている
子供の習い事が多くて
子供の生、死への思いへの最大の教育
子供の善悪については厳しくかつ暖かく接し
子供はきちんとした思いやりのある人に育てる義務がかけている
子供はさびしいかもしれない
子供は放任
子供への愛情が薄れている
子供も自由な遊び場が少なく規制が多い社会である
子供を甘やかして
子供を私物化しすぎ
子供優先(中心)のような家族
子離れできない
若い人たちしつけがなっていない
親が子供にあまい
親が子供に気を遣いすぎている
親が子供の機嫌をとるようなことは戒め
親の無責任が目につく
親も叱らなくなった
親離れ、子離れができない
人間形成にも悪影響
青少年にとっては反面さみしい心の乱れの調整が難しくなり
善悪の区別を持ったたくましい人間に育てるのが私たちの大人の勤め
溺愛
放任
放任主義
面倒をみなかったり
躾が不十分

<現状で良い>

いろいろな家族があり、一概には言えないが良いと思う
おおむね良い
このままで良い
これでいい
これで良い
そういうふうに自由で助けあうのが大切
それでも良い
各自が自由に生活できることはすばらしい
現在のままで良い
現代は昔と違って幸福
今から小さくまとまっていくのではないか
今のままでいいのでは
今の方が家族を大切にできる環境になった
自由に生きやすくなった
女性の地位が上がってよい
前進していると思っている
大切なものを見つけることができるようになってきてる
男女差別がなくなりつつあるよは良いこと

<父・母が問題>

家庭の中心的役割に欠けてきている
子供がせめて小学校卒業するぐらいまでは、家にいる
主婦が仕事を持つこと
女の教育は大切
女は家庭を守り
大黒柱のイメージが希薄化
男は男のやるべき仕事
男性が外に働きに出かけて女性が家庭を守ってほしい
父親がかなめをしっかりと見て注意する
父親には一本筋が通っていてほしい
父親の厳しさが足りなすぎる
父親の存在感が軽い
父親の力が失われつつある
父性(権)の喪失
母親が一番重要なポジションにある
母親が働きに行かなくてはならないと言うことで子供を1歳半から保育所へ預ける
母親はまた子供に言い聞かす
母親は家にいて
母性と父性の役割分担(考え方)が乱れている
母性と父性の役割分担(考え方)が乱れている
両親ともあまりにも威厳が無さすぎ
両親ともあまりにも威厳が無さすぎ

<社会が悪い>

[道徳]のような時間を
「相続権の平等」という法律が家族のきずなを弱めている
マスコミが騒ぎすぎ
マルチメディアの世の中
学歴より個人の能力を十分に発揮できる(社会に)
学歴社会
今のままの教育で本当によい人間関係ができるか
今後の教育が重要
社会が乱れきっていて
社会にも問題がある
情報(テレビ、雑誌等々)があふれすぎて、家庭内に悪影響
世の中が悪い
世の中が変になって来ている
政治家、役人等の無責任さ
道徳教育が必要
勉強、塾と時間も少ない
勉強第一主義

<核家族化賛成>

2人からの新しい生活から出発していった方がいい
4世代同居なので時間の使い方、食事が違うので困ることがある
家族が多くなれば多くなるほど、家族どうしの心のつながり(夫・子供)の他に組織的なつながりもでてきて、一番やすらげるはずの家が別の意味で一番気のつかう場所にもなってしまう
核家族の方がお互いに自由を束縛せず
若人であれば当然別居しております
親と同居はしたくない
親は子と共同生活をするのではなく
仲良く自由に生きるためには良い傾向
同居となると抵抗を感じる
同居を望まない
夫婦単位で生活していくほうが良い
夫婦単位で独立して暮らすほうが家族の関係がより一層良好になる
別居しながらお互いを見守る関係で良い
別居にすべき