第1章 観光とは何か
この章では、観光経験の考察にあたり、観光の概念を明確にしていく。まず、旅行という幅広い概念の中から、観光をその定義によって説明する。次に、観光の発祥の起源がどこにあり、どの様に発展して国民生活に根付いていったのかを見るために、特に重要な転換期と思われる時期を大きく2つ取り上げてまとめていく。
第1節 観光の定義
英語でおよそ「旅」を表す英語には、journey、travel、trip、tour等がある。journeyが一地点から他の地点までの移動を表す意味のため、単なる移転をも含む概念なのに対して、様々な理由や必要から、しばしば苦痛をともなって行われる旅(travel)<よく知られているように、英語の"travel"は「骨折り」「労働」「苦痛」を意味するフランス語の"travail"と語源を同じくしている>は人類史上古くからあったが、その語は、現代においては一般的な「旅」の意味で使われている。そして、tripは一泊程度の小旅行を指す。
これに対しtourとはラテン語のtornus(轆轤)を語源とした英語で、日本語に訳すと「周遊旅行」であり、もとの場所に戻ってくることが前提となっている。これが、敷衍されたのがtourismという言葉であり、現代では主に「観光」の意味で用いられている。このように、単に旅といった場合には、その目的や形態に応じ区別され、様々な言葉で使い分けされている。
そもそも「観光」の語源は、中国古代の『易経』の内容に基づくもので本来は他国の輝かしい文物を視察する意味であるから、国際的なもののみを指した。また「観」は「みる」と同時に、「しめす」の義も合わせもっているので、観光の語は受入国からすれば、国威発揚の意味を有した。
我が国においても明治年間までは、この語はおおむねこの意に用いられた。今日では、「観光」の語はツーリズム(tourism)の意に用いられるが、これは大正以降であり、それまでは「漫遊」の語が用いられていた。両語が併用された過渡期を経て、「観光」はやがて完全に「漫遊」の語にとって代わり、国際、国内を問わずに用いられ、また内容も遊覧・慰安・休養なども含め広範なものになった。
では、現代ごく一般的に用いられている「観光」という言葉はどのように定義されるのであろうか。単に旅と言った場合には、「日常定住地を離れて少なくとも24時間以上で、一泊以上宿泊して帰ってくること」と定義して良いだろう。しかし、観光はこの行動中に定住地とは異なった文化や文明を「観る」ことに重点が置かれる。人類が文明を築くことによって、社会が構成されるが、このことがさらに定住を促す。観光とか旅行とかは定住があってこそ、その意義と価値が生み出されていくものである。すなわち、一定の定住地を離れることにより、他の分明・文化圏を見聞きし、定住地に帰ってくることが、観光の基本的な役割であった。したがって、観光とは、旅行の定義づけに、自然、風物とレクリエーションを主たる目的とした、日常生活圏を離れる行為である、という解釈が妥当である。
「観光」の定義として、目下最も分かりやすく、しかも妥当で権威のあるものとしては以下のものであると言える。
「観光とは自己の自由時間(=余暇)の中で、観賞、知識、体験、活動、休養、参加、精神の鼓舞等、生活の変化を求める人間の基本的欲求を充足するための行為(=レクリエーション)のうち、日常生活圏を離れて異なった自然、文化等の環境のもとで行おうとする一連の行動をいう」(内閣総理大臣官房審議室編『観光の現代的意義とその方向』大蔵印刷局、1970)
この中にある「余暇」とは、一日の中で睡眠、飲食、排泄等の生理的欲求にもとづく時間と、勉強、家事、勤務などに要する業務時間(通勤通学時間を含む)を差し引いた、自分の自由意志によって処理可能な時間を指す。また「日常生活圏」とは、毎日過ごしている居住地付近と通勤通学の途中目的地界隈を示す。
ところが、近年は単に「観光」という言い方だけではなく、「観光レクリエーション」という呼び名が使われるようになってきた。レクリエーションを語源は言うまでもなく、're-creation'(再び創り出す)であり、精神的・肉体的に新たな活力を求めて積極的に活動することを意味する。最近では、旅行先でスポーツを試みたり、博物館や重要文化財の見学など知的リフレッシュに挑んだりと、その内容が個人の嗜好によって多様化してきている。このような「動的観光」を指して「観光レクリエーション」と呼ぶ。
逆に、例えばある地点に立って風景を観賞したり、湯治に出かけ温泉を満喫したりするような観光を「静的観光」と呼ぶ。このように「観光」現象を行動面で大きく二つに区分したとき、近頃の観光は前者の方に比重が置かれる傾向にあると言える。
以上のことを考え合わせると、「観光」であるか否かは行動そのものではなく、それを実施する場所が日常生活圏に属するか否かに関わってくると言えるだろう。
第2節 観光の発祥
観光の起源について、イタリアのマリオッティは「観光は、もし、われわれがそれを今日存在しているような形と発展の中でとらえようとするならば、それは最近だけに見られる一現象と考えて良いだろう。実際、観光の第一の本質は移動し、旅行し知識を得ようとする必要と欲求とに求められ、そしてそれゆえに、それは人類の歴史とは言わないまでも、少なくとも文明発達の歴史と同じように古い」(塩田正志『観光学研究T』学術選書、1978、1頁)と述べている。観光=tourismという社会的な現象が認められるのは近代になってからである。その前提となる過程をたどっていくと、当然のことではあるが、観光の原点は旅をすることにはじまる。太古より、人々は生活のために物資や土地を求めて移動した。しかし、こうした時代の旅はあくまでも必要に迫られた上での移動であって、今日の観光とは本質的に異なるものである。つまり、現代においての旅行は定住が基本的な前提条件であり、交通や文化の発達にともない人々が移動した旅の中に、現代の観光に通じるものが見受けられるのである。
人類が共同生活を営み社会を構成していく過程の中には広義の交通の発達(注1)があり、その発達の程度はその社会における文化の発達とも深い関係を持っている。やがて原始的な旅は、物々交換から商人の旅へ、神々への崇拝から巡礼の旅へと、そして観光的な要素をも含んだ旅の形態へと進んでいく。農耕が始まり、やがて人々はある一定の場所に定住するようになり、さらに工業化によってより潤沢な形で生活の基盤が整えられた。しかし、定住した後も何らかの目的をもって未知の世界に出かけた。これは現代の観光往来と比べると、あらゆる面において未熟な往来であったが、旅をするという意欲の芽生え、旅の始まりであった。
観光の原型をたどっていくと、ヨーロッパにおいては、古代ローマ時代に観光に類似するものが見られる。当時の人々は、職務旅行や商用旅行のほかに保健・教養・娯楽・宗教等の動機をもって、現代の観光と同じように祭典などのイベント、文化的遺跡の見学、各地の神殿への巡礼、温泉や海水浴での保養にでかけた。その後、観光的要素は聖地巡礼という宗教的な巡礼に受け継がれていく。
一方、日本では古代において今日のような庶民の自由な旅の形態はみられないが、室町時代になると、それまでは貴族や武士など、限られた階層においてのみ許された巡礼の旅が、一般庶民の間にも広まり、そこに観光の原型を認めることができると言える。江戸時代に入ると、お伊勢参りや西国霊場巡り等、人々はかなり自由に旅行をできるようになり、空前のにぎわいを見せた。その背景には、道中の大阪や京都での遊楽が含まれていたことが大きく、今日の観光における慰安の一面が当時の宗教観光のなかにも見受けられたと言える。また、当時は、庶民に許されたレクリエーションとして、巡礼のほかにも湯治を中心とした温泉療養もかなり普及していた。
その時代に人々が「観光」ということを意識して行動していたかは定かではない。ただ言えることは、そこには確かに現代の観光に通じるものがあるということだ。そこを起源とし、時代に応じて変容し現代に至るのだ。しかし、観光がその地位を確立し、人々の生活に定着していくのはもう少し後の時代となる。
近代的な観光、つまり現代に見られるような観光形態は、経済や交通などを含む社会の発達の中で、国民生活に定着していった。それは同時に、観光という意識が人々の間で認められるようになったということでもあった。
欧米における、近代的な観光の推進は、驚異的な歴史の転換の中ではじまった。最初のマス・ツーリズム(大衆観光)が発生したのは、18世紀後半イギリスに始まった産業革命以後のことである。経済的にも社会的にも大きな改革がなされ、この中で人々は労働で賃金を得ること、その余暇に自由を得ることになった。このことが後の観光往来の発展に大きな影響を及ぼしたのだ。近代的な観光の発展はこの労働の中から発生したものであり、また仕事と余暇をはっきりと区別して行われてきたのである。
一方、日本においては、観光の芽生えは明治時代に見られるが、マス・ツーリズムの発生は第2次世界大戦後であると言える。戦後、日本は奇跡的な復興を遂げる。経済的な自立が進み国民の生活の質が向上し、テレビ放送の開始による情報の普及、交通機関の発達によるスピ−ド化といったような社会的に大きな発展の中で観光は国民生活に根付いていったのだ。
さらに20世紀後半の欧米では、マックス・ウェーバーの言う「資本主義の精神」を支えてきた「働くことはよいことだ」式の労働哲学が衰退し、余暇や遊びの中において自己実現や生きがいを見出す人が出現してきた。その影響を受けてか、「エコノミック・アニマル」あるいは「働きバチ」などと揶揄されてきた日本人の間でも、いまや労働時間の短縮化と休暇の長期化は大きな傾向として確立されつつある。こうした中で、観光という余暇利用の形態が拡大してきたと言える。
観光の発展の過程を見たときに、宗教的な観光が、やがて社会の発達の中で近代的な観光に受け継がれていったという大きな流れを読みとることができる。しかし、観光という旅行形態がある程度浸透した現代においては、初期の頃とは比較するに及ばないほど、あらゆる面において進歩してきている。次章では、観光経験の捉え方に関する先行研究をまとめる中で、現代の観光をさらに掘り下げて考察していきたい。
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