この第2章では、塾の現状について述べようと思う。
第1節 通塾率にみる塾の現状
まずはここ最近の通塾率について見てみようと思う。『国民生活白書 1996年版』によると、学校外での学習時間は減少傾向にあり、95年と80年とを比べると、小学生で約10分、中学生で約20分、高校生で約30分減少しているという。一方、小三・小五・中二の生徒と生徒父母が対象の『東京都子ども基本調査報告書(96年)』によると、学習塾への通塾率は前回調査(92年)をピークに減少傾向を示し、95年はバブル期前の86年の水準に戻っている。これを表に示しておく。(表2ー1)

その要因について同報告書では、バブル崩壊後の家庭の経済状態、親の意識の変化の二つをあげている。それらとともに、少子化や教育政策の変化の影響なども反映して、塾を取り巻く状況は大きく変化しつつある、と書かれている。つまり、通塾率は東京都では減少している傾向にある。では、全国の、そして地方の塾にかかわる現状はどうなのであろうか。
全国の資料は日本PTA全国協議会が行なった『学習塾に関するアンケート』(1997年)を、富山に関しては『通塾等に関する調査』(富山市教育センター・1996)を参考にした。ただ、全国の資料では1997年のものが一番新しいため、その時点での現状をまとめようと思う。それぞれの調査の概要を説明すると、『学習塾に関するアンケート』は1997年の12月、全国の小学6年生と中学3年生約3900人とその保護者、学校の教師、学習塾の講師ら計約9000人を対象に行ったものである。この結果によると通塾率は小6が43.2%、中3が64.3%であった。中3の通塾率は10年前より約20ポイント増加しており、塾通いが一般化している実態がうかがえる。
そして地方の資料である『通塾等に関する調査』は富山市の教育センターが毎年行なっているものである。こちらのデータが一番詳しいので、「一地方都市、富山における学習塾の現状」という視点で現状をまとめて行こうと思う。
まずは小子化がすすんでいるといわれている近年であるが、富山市ではどうなのであろうか。この『通塾等に関する調査』の対象にあたるのは、富山市内で1994年度が学校番号奇数校、1995年度が学校番号偶数校、1996年度が学校番号奇数校の小・中学校児童生徒というように一年おきに交代するようになっている。この調査の結果として出た生徒数の変動はあとで3年分まとめて表にして示す。(表2−2)

この結果をみると、富山市も例に漏れず少子化の傾向にあることがわかる。1994年から1995年にかけてはいったん増加しているが、1996年には約1000人生徒が減少している。
それでは通塾率に関してはどうであろうか。ここでは1996年の調査の中学生に限っての結果を示そうと思う。これは私が今回卒業論文のために行なった調査の対象を中学生としたため、それに関係したデータを紹介したいためである。まず調査人数について説明すると、1年生が1573人、2年生が1545人、3年生が1590人の計4708人である。この中で学習塾(家庭教師を含む)で習っているのは2374人で、全体の約50%であった。これは前に行なった調査と比較してみてみると、1994年の調査では53%、1997年では51%であったので、前回調査からは1%の減少となっている。これをもっと詳しく学年別や塾だけ・家庭教師だけ・両方というように区別した表を示しておく。(表2−3)

ここから読み取れることは、学習塾(家庭教師を含む)で習っている生徒が学年が進むにつれて増加しているということだ。具体的な数字で示すと、中学1年生では39.6%、2年生では51.7%、3年生では59.9%に達している。その他にこの調査では一週間に何回塾に通っているかと、何曜日に習っているかも集計してあるのでそれもあわせて紹介しておく。塾に通っている生徒の中では、週2〜3回習っている割合が高く、どの学年でも、約80%以上になっている。そして通っている曜日は金曜日が37%と最も高く、続いて火曜日が36%、木曜日が35%、月曜日が32%、水曜日が31%、土曜日が30%、日曜日が6%という結果となった。私が塾に通っていたのは、土曜日や日曜日であったことが多く、講師をしていた塾でも土曜日・日曜日の授業数が多かった。しかし、富山ではどちらかといえば、学校から帰ってきてそのまま塾へ行くという形態が多いようである。
ここまで富山市の現状をみてきたわけだが、通塾率に関していえば少し減少傾向にはあるが、現時点ではそんなに急激な変化をみせているわけではない。ただ東京都では年々確実に通塾率は減少しつつある。この波はいずれ地方にもやってくると思われる。これから少子化も進んでいく。学習塾が生き残っていくには難しい時代になることが予想される。
ここまでは「通塾率」というデータにみる現状というものをみてきた。次節では、データには出てこない現状について考えてみようと思う。
これまでの世間一般にある「学習塾」に対するイメージはあまりよいものではなかった。第1章のなかでもでてきたが、「子どもに寄生する害虫」といわれていた時期もあったほどである。塾が定着した最近でも「必要悪」と捉えられていることが多い。現代において学習塾は子どもたちにとってどういう存在になりつつあるのだろうか。これがこの卒論を通して私が調べていきたいことである。
ここでこのことに関して私が持っている仮説を少し紹介しておこうと思う。私は子供たちは決していやいや塾へ通っているわけではないと考えている。塾は行くことを強制されている場所ではないのだから、そこに通い続けるということは、子供たち自身にとって何らかのメリットがあるからだろうと考えられる。この仮説を考える上で参考になった説をここで紹介しておこうと思う。
第2節 子供たちにとっての塾の現状ーサロンとしての学習塾
これは「学習塾のまじめな話」(小宮山博仁(注5)・1992・新評社)のなかで述べられているものである。この説によると、学習塾が増えたから一人遊びの子どもが増えたのではなく、逆に一人遊びの子どもが増えたため、学習塾に行くようになったのだという。どこそこの有名塾に一時間もかけて通うより、15分以内で通うことのできる学習塾を選ぶ子どもが圧倒的なことを考えると、学習塾を友達関係を重視したサロン的なもの、と考えて通塾している生徒が、かなりいることを示唆しているのではないか。受験のみの進学塾は別として、補習塾や総合塾に通っている大部分の子どもは、勉強をするだけの目的でそこに通っているわけではない。勉強もするが、その学習塾で新しい友達を見つけるのも、子ども達にとっては楽しみの一つなのだ。学校と違った雰囲気、個別的に教えてくれる魅力、友達と一緒に勉強できる喜びなど、さまざまな理由や目的で、毎週決められた曜日に学習塾通う子供たちが多いのである。友達と一緒に勉強できるところ、休み時間にいろいろな情報交換をするところ、それが今の学習塾のもう一つの顔といってもよい。昔に比べて現在は、子ども達の遊び場が少なくなったといわれている。昔なら地域社会の中で、集団での遊びや学習を行っていたが、現在はその地域社会(共同体といってもよい)のなす役割が低下してきている。共同体が崩壊してきたため、子どもの行き場がなくなってきたともいえよう。その代役を学習塾が引き受けていると言ったら、大げさであろうか。しかし現実として、地域社会の子どもを取り込んでいる組織の一つとして、学習塾があるのが現実と思わなくてはならない。以上が「サロン説」である。ここでこの「サロン」という言葉にも注意しておこうと思う。そもそも「サロン」とはどういう意味合いで使われているのだろうか。「サロン」を調べてみると、「@客間・応接間、A上流階級の人々が客間などで催す社交的集会」などとなっている。ここで一番意味として近いのは「社交的集会」だと思うのだが、ここでもうひとつ注意しておきたい点がある。サロンとは「客間」で行われる「社交的集会」なのである。つまり、「家」というリラックスできる空間で催される集会なのである。このことはサロンがアットホーム的なものであるということができることにつながると思う。ここでもう一度整理してみると、学習塾とは「友達関係を重視したアットホーム的な空間で行われる社交的集会の場」でもあるということになるのではないかと思う。このサロン説と似たものが95年版の『子ども白書』にも載せられていたのでここであわせて紹介しておこうと思う。
そして95年版の『こども白書』の「学習塾と子どもの地域生活」では、「居場所としての塾」という説が取り上げられている。内容を紹介すると、95年版の『国民生活白書』によると、子ども達の悩み一位は「勉強・進学」であるが、今子ども達は「他人を気にせず自由に生きていきたい」という要求も強く持っている。競争を強いられるのではなく、何でも言えてほっとできる仲間関係の中で、学び育ちあえる場を作っていくことが求められる。学習塾の中には、こうした子ども達の心に寄り添いつつ、学力保障と居場所づくりを目指して活動している良心的な塾も存在するという。このような塾のネットワーク組織として地域教育連絡協議会(地教連)をあげて、その多彩な活動内容を紹介している。そして、受験を突破できる学力をつけることと進路相談に努力している点は共通しているが、塾が多彩な活動をすることによって、父母の塾への期待も子ども自身の気持ちも、受験戦争の狭間で揺れつつも、変化していく。学習塾で成長した高校生・青年たちのとって、そこはもはや受験のためだけの場所ではない、と述べている。
というように学習塾は今まで世間でもたれていたイメージとは違った面も持ち合せているのかもしれないと考えている人々もいる。この二つの主張をみていると、どちらにも関わっているものは「地域社会に根ざしていること」と「友人関係」である。この二つが私がこれから行なう調査を分析する上でのキーワードになってくることが予想される。これらの主張は大筋賛成できるのだが、少しいきすぎているように思う。そこで、第4章で分析の結果をつかいながらこの主張たちを検証していこうと考えている。
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