第五章  外国人労働者問題の今後


1 人種関係の類型

 日系人と日本社会の関係から外国人労働者全体に対してみえてきたもののひとつに、法的にその存在が認められたとしても、日本人とは異質なものとして差別を受けてしまうということがある。
 中野は、人種関係をホスト社会の側のエスニック集団に対する対応の仕方から次の二つの軸を組み合わせた四類型として想定している。第一の軸は、同化ー異化(差異化)であり、第二の軸は、平等化ー階層化である。(中野、1993、249頁)(図5ー1)この類型で考えると例えば在日朝鮮人の場合、帝国主義下においては「類型(同化ー階層化)として扱われていた。アイヌ人や沖縄人に対しても同様、同化ー階層化という枠組みで捉えられた(階層化は、法的に行なわれたものではないが)。戦後、朝鮮が正式に独立国家と認められ、「類型から類型(異化ー平等化)へとイデオロギー的には移行する訳だが、現実には彼等を日本人と平等な立場としては捉えなかった。つまり異化とは日本社会において、「何か邪魔なもの、何か災いをもたらす存在、出来れば排除すべきもの」といった捉え方がされてきた。これまで日本社会に存在する「エスニック集団」に対して、「同化ー階層化」もしくは「異化ー排除すべきもの」といった捉え方しかされてこなかった。日系人においても”日本人に準ずるもの”として同質的な存在と捉えられているが、決して日本人と同等の諸権利を有するものではない。アジア系外国人に対しては、日本人とは異なる存在であるからすなわち排除すべき存在である。という考えである。これは第1章の3、において「急増している不法就労外国人は、出入国管理制度の根幹を乱すのみではない。このような事態の放置は労働市場への悪影響、犯罪の増加、住民との摩擦など、社会問題、人権問題などの発生をもたらすこととなるので、厳格な対応を行なう必要がある。」という政府の考え方からも顕著にみてとれる。
 「外国人労働者は不法滞在者ゆえ様々な差別、不利益を被っている。」という捉え方がよくなされているが、正確には正しくない。確かに、賃金の未払いや悪質なブローカーの介入、労災の問題など不法滞在ゆえ被る不利益というものはある。しかし、以上の点から考えると、合法化されても様々な差別、外国人ゆえの不利益は確実に存在する。

図 5ー1   人種関係の類型  (中野、1993、249頁より出典)
(省略)

 外国人労働者に対する様々な人権上の問題は、政策や法律で簡単に解決できるものではない。日本社会のなかにある「同化ー階層化」「異化ー排除すべきもの」といった価値観を根本から考え直さなくては真の解決はありえない。そのためには、大前提に立ち戻って「日本人とはいったい何なのだろうか」ということを、より広い範囲で議論していく必要があるように思う。そして、それが真の国際化につながるのではないだろうか。

2 同化から共存へ

 ここまで述べてきたことを簡単に整理すると、エスニシティについては、日本社会は政策にみられるホスト社会と、地域住民としてのホスト社会という違ったエスニシティ観をもち、各々がエスニック集団と対峙すると指摘した。また日系人ついては、彼等の重要な「中核価値」である、伝統的日本のアイデンティティというものが日本社会のなかで崩壊しているという現状を指摘、その結果として今後日系人社会との対峙が起る可能性を示唆した。そして、日本政府はこれまで外国人に対して「同化」もしくは「異化ー排除」の立場で対応してきた。その結果、我々一般においてもそういった捉え方が当然のようになり例え、法的に在留が認められた外国人でも「異化ー排除すべきもの」として扱われてしまう。そこでそういった価値観を見直す必要がある。
 以上のことから考えると、こういった問題の解決のために、法律の改正などといった小手先での対応ではなく、「日本人とは何なのか」、「民族とは何なのか」といったもっと原則的なことから考える必要があるのではないか。
 そういった意味で、エスニシティ・アプローチが非常に重要になってくる。例えば、世界的な流れとして、エスニック集団の共存・共栄に積極的に志向している多元主義の定着が揚げられるし、現代国家の役割に関する再考、人権・民主主義イデオロギーの世界的拡散などの問題もある。
 日本は帝国主義下の時代から現代まで「同化」政策、「異化ー排除」政策で一貫してきた。今後は、異なるものを認める、そういった方向に進んで行くべきではないか。そして共存をテーマに外国人労働者問題を考える時期が来ているのではないだろうか。

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