第一章 外国人労働者をとりまく現状


1 はじめに  かれらの実態

 日本は戦後の高度成長期(1950年半ば 1973年)において政策として外国労働力を受け入れないで発展してきた。また外国人労働者の自然発生的流入を経験しないできた。これは先進国では稀なことで日本だけと言ってもいいだろう。受け入れ大国であるフランスをはじめ西欧諸国はその発展において大量の外国人労働者を積極的に受け入れてきた。米国においても、移民が労働力としてその発展を支えてきたことは周知の事実である勿論、地理的、歴史的要因はあるにしても先進国のほとんどはその成長において外国からの労働力に多かれ少なかれ依存してきた。では、なぜ日本は外国労働力に依存しないで成長してこれたのだろうか。それは、ひとつは国内労働力移動、農村から都市へ大量の労働力が流れていったこと。次に女性のパートや学生を中心にしたアルバイトなどの労働力に依存してきたこと。そして、企業の合理化、オートメーション化の進展。こういったものが外国労働力の「機能的等価物」としての役割を果たしてきた。しかし、外国労働力の受け入れの議論が全くなかったわけではない。高度成長期に財界の要望などで政府、学会が検討したことはある。しかし受け入れは行なわないという方針で今日まできている。
 ところが、先にも述べたように1980年代に入り外国人労働者が日本に流入しはじめ年々増加の一途をたどっている。日本政府は「出入国管理及び難民認定法」=入管法によって「単純労働者」の受け入れを原則的には認めていない。この現状においてはそのほとんどが不法就労者である。それゆえその数の詳細を知ることは不可能であり、あくまで推計である。例えば不法就労のかどによる摘発者は1982年に1889人だったのに対し1991年には32908人にも達する(表1ー1)。ここから推計すると実際の数は1993年の時点で30万人余(表1ー2)。更にこの他に、滞在許可期間を超えていない外国人の中にも、「資格外就労」のかたちで労働に従事している人々が約5万人存在していると言われている(1)。そして合法化されているが出稼ぎ日系人(Uターン)が1996年現在約20万人近くいる。

 大きな特徴として1980年半ばまで大半を占めていた女性から、それ以降男性が多数を占めるようになった。「ジャパゆきさん」とよばれ、風俗関係に従事する女性達が多数を占めていた時代から、製造業などいわゆる3kとよばれる職場に従事する男性達が増えはじめ1992年には女性の2倍以上にもなっている。なお、表1ー1においてバングラデシュ及びパキスタンの数が91年以降激減しているのは政府間ビザ免除協定が停止さたことによる。

表1ー1 不法就労のかどによる被摘発者の国別、性別内訳
             (森田桐郎、1994年、334頁より引用)
                      (カッコ内は女性を示す。単位:人)
1985198619871988198919901991
総数5,6298,13111,30714,31416,60829,88432,908
中国4273564947394811,162
台湾上に含む上に含む上に含む492531639460
バングラデシュ1584382,9422,2775,925293
イラン0000156527,700
韓国761192081,0333,1295,5349,782
マレーシア00182791,8654,4654,855
パキスタン361969052,4973,1703,886793
フィリピン3,9276,2978,0275,3863,7404,0422,983
タイ1,0739901,0671,3881,1441,4503,249

表1ー2 滞在許可期限を超えて残留する外国人人数の推計
                        (出典先は表1ー1と同じ)
             (国籍別、性別 Mは男性、Fは女性を示す。単位:人)
国籍、性別90年6月91年5月92年5月
バングラデシュ M713074298003
        F6569100
中国      M76551383619266
        F238436996471
イラン     M6451057838898
        F1193371103
韓国      M87931797722312
        F5083787113375
マレーシア   M50231009927832
        F2527431410697
ミャンマー   M104116763611
        F1933851043
パキスタン   M786777317862
        F122133839
フィリピン   M107611290514935
        F130441432317039
スリランカ   M159321432932
        F74138285
台湾      M208023563427
        F269528853302
タイ      M4062676720022
        F74611232624332
その他     M102001302121846
        F5879683010010
総計      M66851106518190996
        F396465431087896
合計106497159828278892

3 政府の対応

 次に、外国人労働者に対する日本政府の対応について述べていく。
 先にも触れたように政府はその政策として単純労働に従事する外国人労働者の受け入れを認めていない。平成元年一二月八日、国会において成立した「出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律」(改正入管法)は、外国人労働者問題に対する政府の考え方を具体的に示すものである。以下、小井土有治『外国人労働者』第二章を参照に詳しく述べることにする。
 「外国人労働者を含む外国人の入国及び在留のための基本的な枠組みを定めている入管法は昭和二十六年の制定以来、同五十六年に若干の手直しが行われただけであって、外国人の入国者数及び形態が当時とは大幅に相違するに至った今日の時代の要請に必ずしも十分に対応し得るものとはいえない状況にあった。
 今回の改正法は、このような状況を踏まえ、最近の出入管理をめぐる情勢の変化に対応するため、改正を行うことにしたものである。」(小井土、1992、38頁)このような意図のもと入管法は改正されたわけだが、今回特に重要なものは次の3つである。

1) 在留資格の整備 拡大ー国際社会への対応
 「我が国経済社会の国際化の進展に伴い有能な外国人を雇用したいとする各方面からの要請が増し、また、国際社会における我が国の地位の向上と相互依存関係の緊密化が進むという状況の中で、我が国経済社会の活性化、国際化、さらには国際協調と相互理解の促進、発展途上国の人材育成等に資するために、外国人の受け入れ範囲の拡大とその円滑化を図る。」(小井土、1992、41頁)実際には外国人の在留資格をこれまでの18種類から28種類に増やした。詳細は(資料2)を見ていただきたいが特に重要な点は「法務大臣が特に在留を認めるもの」の中から「定住者」が新たなカテゴリーとして付け加えられたことである。これによって過去ブラジルやペルーに渡った日系人の2世、3世が1年から3年の就労可能な在留資格を簡単な手続きで手にいれることができるようになった。いわゆる出稼ぎ日系人については第二章で詳しく述べる。もう一つ重要な点は「就学」という在留資格を新たに設けたことである。日本語などを学習したいという外国人に在留資格を与え、また許可をとれば週20時間を限度にアルバイトも認められる。しかしながら「留学」よりも手続きが簡単なため就労目的でやってくる人達の格好な抜け道になっているという現状がある。

2) 急増する不法就労外国人対策ー雇用者処罰規定の導入
 「急増している不法就労外国人は、出入国管理制度の根幹を乱すのみではない。このような事態の放置は労働市場への悪影響、犯罪の増加、住民との摩擦等、社会問題、人権問題等の発生をもたらすこととなるので、厳格な対応を行う必要がある。」(小井土、1992、47頁)このような考え方の是非は別として、少なくとも日本政府は以上の観点から、不法就労を目的として入国しようとする者の防止を的確かつ強力に実施するため関係規定の整備を行った。特に重要なものを次に掲げる。(資料3参照)

 ア)「資格外活動の規制の対象をより明確なものとするため、これを「収入を伴う事業を運営する活動又は報酬を受ける活動」に限定する(第十九条)とともに、違反した者に対する退去強制に関する規定(第二十四条第四号イ)及び罰則(第七十条第四号及び第七十三条)を整備して、より実効ある取締を行い得るようにした。」

 イ)「在留資格について活動内容を容易に識別し得るようその表示を改めるとともに、就労することができる外国人に就労資格証明書を交付できることとして、当該外国人及びその雇用主の利便を図るとともに、善意の雇用主による不法就労外国人の雇用を防止し、もって不法就労者の増加に歯止めをかけることとした。」(第一九条の二)

 ウ)「不法就労外国人の入国の状況等をみると、不法就労者本人だけをいかに取り締まってみても雇用主やブローカーの介在を放置しておく限りは、不法就労外国人の増加を阻止することは困難と思われる。そこで、雇用主やブローカーの介在が不法就労外国人の増加を促していることにかんがみ、不法就労外国人の雇用、斡旋等により不法就労活動を助長している者を処罰する規定を新設し、かかるものを三年以下の懲役又は二百万以下の罰金に処することによって不法就労外国人を来日させる推進力、吸引力となる者を独立して取り締まることができるようにし、もって不法就労事案の防止を図ることとした。(第七十三条の二)

3)単純労働者は当面受け入れない
 「外国人労働者のうち単純労働者の受け入れの是非の問題は、単に個別産業の労働需給というような事情だけで判断すべきものではない。その受け入れが国内の雇用、労働条件や産業全般に多大な影響を与えるのみならず、我が国の経済社会、国民生活にも多様な影響をおよぼす可能性の問題として、国民の意識にも配慮しつつ、将来を展望しながら慎重に検討を加えるべきであり、当面は、これを受け入れないとする現在の政府の方針を維持する。」(小井土、1992、40頁)

4 問題点

 以上のことから政府の対応についてその意図と問題点を考えてみる。
政府の方針とは、すなわち従来どうり単純労働者の受け入れは認めない。そして不法就労外国人に対してはこれまで以上に厳しく対処する。具体的には罰則規定の導入、雇用主に対しても罰則規定を設けた。しかしながら、森田桐郎は「雇用主への罰則規定の導入に対しては、それがかえって「不法就労」をいっそう潜在化させ、悪質なブローカーなどの活動を助長するという批判が、当初からあった。その憂慮はしだいに現実のものとなりつつあるように思われる。」(森田、1994、357頁)と指摘する。更に、たとえ不法就労者であっても、基本的人権や労働者としての諸権利は保障されなければならないにもかかわらず、改正法にはこの点に関する考慮が全くみられない。現実に、労働災害に遭っても保障されないケースや賃金の未払いなど問題が起きている。その一方で国際社会に対応するため、又は国内における労働力不足(底辺労働者)(2)に対応するため入国資格の枠を拡げた。ひとつは日系人の受け入れの拡大。ひとつは研修生、就学生の受け入れである。しかしながら、日系人といっても二世、三世ともなれば、日本語を話せる人は少なく法的にも文化的にもブラジル人もしくはペルー人である。そしてかれらが来日する目的はアジア系外国人と同様、就労のためである。日本人を祖先にもつという理由だけで一方は合法的に就労でき、一方は閉ざされている。確かに、かつて日本の貧しかった時代に南米に渡り、想像を超える苦労をしてきた日本人またはその子供、孫が、経済発展を遂げた故郷で新たに経済活動、生活をすることに何ら文句はない。しかし、その一方でアジア系外国人が不法ゆえに処罰を恐れ生活している。この普遍性を欠く不公平さと、「日本的血縁主義」とでも言うようなものに問題があるのではないだろうか。宮島喬は『日本的なアイデンテイテイ、そして職場から地域社会にまで共有されている「血を分けた日本人同士」という同質性信仰がこの態度の底をながれているとみることができる。』(3)
(宮島、1993、59頁) と指摘している。

 また研修生、就学生についても、就労目的で来日する人達の格好のかくれみのとなっている。つまり一方で単純労働者の受け入れを阻止しておきながら、一方で日系人、研修生就学生といったように窓口を開けている。そして現実に数10万ともいわれている不法就労外国人が存在している。こうした実情を梶田孝道は『「バックドア政策」つまり外国人労働者政策には「公式」の政策と「非公式」の政策という二種類があって、日本は「公式」には外国人労働者を受け入れていないが、「非公式」には彼等を受け入れている、と理解すべきかもしれない。』(梶田、1994、33頁)と言っている。日本が単純労働者を受け入れないといくら言ったところで、現実に外国人労働者が存在し就労している、というのは「建て前」では禁止しているが「本音」では認めている。周辺諸国にはこのように捉えられているのが実情のようだ。 
 森田桐郎も『財界団体、自由民主党、政府当局は、「単純労働に従事する外国人の入国を認めない」という原則を固持しつつ、事実上は単純労働者の導入を可能にするような方策を探っている。』それがつまり研修生受け入れ制度の拡張である。そして日本政府の対応を「二重基準doublestandard)」にもとづく現実への対応である、と言っている。
(森田、1994、359頁)
 結局のところ、日本政府は国内の諸要件(底辺労働者の不足、高齢化による労働力不足)により外国労働力を必要としていることは、もはや疑いのない事実であろう。しかし政府はこのことに言及しないばかりか、以上の政策をみる限り、その場しのぎというか、いつでも外国人労働者を切り捨てることが可能なように、という意図が感じられる。必要なときだけ外国労働力を利用する、というような都合のいいことが許されるはずがない。
痛みを伴わないで外国人労働者を受け入れる、ということはありえないのだ。

5 次章に向けて。

 ここまで外国人労働者の実態と日本政府の対応を述べてきたわけだが、次章ではエスニシティという観点から、そして外国人労働者問題の先駆的立場ともいうべき日系人からのアプローチによって外国人労働者の問題、日本側の問題について考えていく。
 なお、外国人に対する簡単な調査を実施したので、その内容を付録として掲載する。 

付録

 去る96年11月8日に関東地域のある都市(県庁所在地) において、外国人労働者に対する意識調査を行なった。調査方法は面接で簡単な調査票を作成した。(資料1として掲載)主にクラブやバーで働く人達に話しを聞いた。
                             [( )内は男性]
人数   7人     年齢  20代ー4人(1)  40代ー3人(1)    
国籍   台湾ー4人(1)  タイー2人   中国ー1人(1)

 (1) タイ人   女性 26歳 独身
 滞在期間5年、中学卒業後バンコクの裁縫工場で働いていた。当時の収入で月収約7千円から1万円。5年前、友人の紹介で来日、以後この街でホステス業に。現在、ビザはなく不法滞在である。病気の時など保険が無くては大変ではと聞いたところ、友人のを借りるそうだ。これは皆よくやる手だと言っていた。現在の収入は15万程度で、ほとんど生活費に消えていくがそれでも自国への送金はしている(5万円程度)。日本へ来た理由はお金を稼ぐためと日本語を学ぶためで日本語学校にも通っている。しかしタイは漢字文化圏ではないので大変らしい。将来はタイに帰って通訳の仕事をするのが夢。日本人は嫌いだが、いい人がいたら結婚したいと言っていた。

 (2) 台湾人   女性 40歳 既婚(子供はなし)
 日本人男性と結婚し(ビザ取得のため偽装結婚する人がいるが、この女性は正式に結婚している)滞在期間9年。現在、クラブの雇われママで収入は25万程度。自国でも十分収入は得られるが周りの目が気になるので日本に来た。他の多くの台湾人も同じ様なこと指摘していた。(周囲、例えば両親、兄弟、親戚の目が気になるということ)永住権は取れるが手続きが面倒なため申請していない。3年ビザで滞在、周りの友人もほとんどそうだという。国に送金していないのも台湾人には共通していた。地域住民との付き合いについては、他の人達がほとんど無いと答えていたのに対してこの女性は町内会に出席するなど積極的に行なっている。

 日本に対するイメージは、統治時代を経験した両親の話しを聞くことで、厳格で美しい国というイメージをもっていた。しかし実際に来日して、そのイメージは180度変ったという。将来的には帰国の希望があるが、日本人と結婚していることもあり迷っている。
 
 (3) 中国人(黒龍江省)  男性 26歳 独身
 技術系の大学を卒業後、日本語学校へ入学するために来日。しばらく後、そこを辞め現在、クラブのバーテンをしている。収入はほとんど貯金している。将来、国に帰って友人と会社を設立するのが目標だといっていた。
 日常生活で不便に思うことなどあるか、という問に対して、外国人だからということで部屋を借りるときなど不便を感じる、と答えてくれた。日常での様々な場面でも差別を受けている、と感じている。

 調査を行うにあたって、外国人の方をどこで見つけるかということと、彼等の大半が不法滞在であるためどこまで話しが聞けるか、ということが重大な問題だった。そのせいもあって人数的に限られてしまい、また通訳の問題などもあり、なかなか新しい発見ができなかった。それでも実際に外国人の方達と会って話しが出来たことは実態を少しでも知る上で有益なことだったと思う。
 調査を通して、同じ外国人でも台湾人とタイ人では日本に来る理由に違いがあるのではないか、と感じた。調査した人数がわずかなので正確なことはいえないが、二人のタイ人は家族を養うというのが共通点となっており(仕送りをしていることからよくわかる。台湾人は4人全て仕送りをしている人はいなかった。)それに対し台湾人は来日の理由として、台湾では親や親戚など周囲の目が気になる、ということを揚げていた。勿論これだけの数で普遍的結論を述べることは出来ないが,各々の国によって来日する人の理由が違ってくることは考えられるのではないか。
 彼等の多くは不法就労者、つまり法を犯している存在なのだが、その一人一人を見ていくと、夢を実現するため日夜働いている人、淡い夢を思い描きながらも遠い国にいる家族に毎月仕送りをしている人、それぞれが自分の夢、将来のため、日本に来てがんばっている。確かに彼等は不法就労者なのだが、彼等の姿のなかに我々日本人が見習うべきところがあるように思えた。

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