5章 分析

1節 サークル内他者との関係

1項 正統性の芽生え

 

 正統的周辺参加論は、学習を他者との関係性という水準でとらえる方法である。ここで登場する「他者」は、街アップにおいて2つの形をとる。一つは「サークル内他者」である。これは自分と同じく学生の立場でサークルに参加するメンバーを指す。先輩・後輩・同級生などが考えられる。もう一つは「サークル外他者」である。これは学生以外で街アップの活動に関わる大人や、商店街に暮らす人々などを指す。MAG.netを管理する株式会社まちづくりとやまの社員や頻繁にMAG.netに出入りする市役所の職員、そして街アップが企画するイベントに反響を寄せる地域の人々などはこの類型に含まれる。そして、サークル外他者の中でも特に学生に近い存在ととらえられているのがMAG.netに常駐するコーディネーターである。コーディネーター業務も株式会社まちづくりとやまの社員が行っているのだが、街アップが企画するほぼ全てのイベントに関わっていることや、学生たちと常に連絡を取り合う存在であるという面では、その他のサークル外他者とは質が異なる。よって、コーディネーターは「外と内の中間にある存在」として区別し、論じていきたい。

 新しく集団に加わった者が、その後その集団に継続的に参加していくためには、自分の存在がそこにいてしかるべきものだと実感する必要がある。この感覚を「正統性」と呼ぶ。今回のインタビュイーは初期の参加においてどのように正統性を獲得していったのだろうか。これについて、すべてのインタビュイーに共通して見られたのが先輩メンバーからの好意的な取り込みの経験だった。初めてのミーティングに参加した際、先輩メンバーはとてもフレンドリーで、慣れない新メンバーたちにたくさん話しかけてくれた(Mさん・Yさん)。街アップの活動についてはもちろん、大学生活の先輩として勉強のことや生活のことも教えてくれる頼りがいのある存在と認識されている(Nさん・Aさん)。さらに、あだ名をつけるという街アップの慣習を通して仲間になったな感を得られている(Yさん)ことからも、誰にでも分け隔てなく親しく迎え入れてくれる先輩メンバーの存在によって新メンバーが街アップに正統性を見出すことができていることがわかる。特に、Yさん、Aさん、Nさんは、街アップに加入して間もないころは横のつながり(同級生とのつながり)よりも縦のつながり(先輩とのつながり)の方が強く、印象に残っているという。このことからも初期の参加において先輩の存在が大きな安心感につながり、それを足掛かりに街アップ内での参加を深めていったことが読み取れる。ここで見た先輩の姿は街アップの第一印象としてひとつのイメージを定着させる。誰に対しても親しく接し、まちなか活性化という目標を共有しながら積極的に活動に取り組む一体感のある街アップは、一つの理想像として、各個人の参加が進むごとに意識されるようになる。

 

 

2項 先輩メンバーと街アップの理想形

 

 活動初期の自分を好意的に受け容れてくれた先輩メンバーのイメージは、親しみやすく明るい街アップのイメージを確かなものにしたと同時に、それからの参加を支えるアイデンティティの基礎となっていた。そして、ある程度個人の参加が進むと、そのような先輩の姿は街アップが集団として目指すべき理想形だと解釈され、自分たちの活動内容を客観的にとらえるうえで一つの指標となりうる。先輩メンバーとの比較について、以下にMさんとAさんの語りを引用する。

 

間嶋:街アップ的に目指すべき、その良好な人間関係っていうのは、どういうイメージですか。理想ってありますか。

M理想はねぇ、先輩だよね。なんか、先輩を見て、こうなりたいなぁと思ったところが、(中略)まあ人対人で喋れるような、感じ、学生と大人、みたいな感じじゃなくて、「人」で、話せる感じだったから。

 

間嶋:3年生くらいになると、自分のことよりも全体のことを考えるようになるのかなあ。

A:なりますね。けど、先輩みたいにうまくできないそれが今の僕の悩みですね。(中略)

間嶋:リーダーになるべき人ってのは、どんなタイプの人がいいとかって

A:やっぱ、後輩の良さを見つけることが上手い人とか、人の良さ見つけるのが上手い人とか、あとやっぱ話がうまい人とか、誰とも分け隔てなくすぐ仲良くなれる人とか。

間嶋:今まで(先輩を)頼ってきたように、頼られそうな人がリーダーになる

A:=今までの先輩のように。気軽に後輩に話しかけて。って人がいいですね。

 

Mさん、Aさんともに先輩の運営を理想の形として提示している。Mさんは地域活動という文脈の中で、大人と対等に話ができるスキルを、Aさんは後輩の良さを見つけることができるコミュニケーション能力を尊敬している。街アップを運営していくうえで、集団としてどのような姿を目指していくべきなのかという理想がはっきり浮かんでいれば、現状の街アップに足りないものを把握することができる。「先輩みたいにうまくできない」というAさんの悩みはそのような感覚を反映しているのではないだろうか。そして、先輩メンバーと比較して自分たちの活動内容を相対化していること自体が、今後の参加への能動的な気持ちを象徴しており、その点で参加度が深まっていることが確認できる。

 

3項 イベントに携わること

 

 街アップ内で、参加による学習が最も深まると考えられるのが「イベント」の運営である。街アップでは毎年継続して行っているイベントが数個あり、それ以外の時期でも依頼があるイベントの運営に参加しているという。街アップの学生にとって、イベントを作るという経験はどのようなものとしてとらえられているのだろうか。

 今回のインタビュイー4名とも、初めて経験したイベントは毎年6月上旬に開催される「山王祭」であった。活動の開始時期によって準備に参加できたどうかは異なるが、当日は主に客引きや食品の販売、子ども神輿企画の手伝いなどを行った。このイベントの感想についてMさんの語りを引用する。

 

M:大変なことはやってもらってたんだけど、でも中に入れてもらって、仕事を与えてもらったっていうことが、なんかもう一員になった感じで、なんか、先輩も別に「1年生だから」とか、上下の感じもなくて、自分でやれることどんどんやっていいよみたいな感じ…

 

イベントに関する感情の変化で最も象徴的なのは「役割を与えてもらい、一員になった感じ」を得たという部分である。これは正統的周辺参加論における「役割の変容」にあたる変化である。ただ集団に所属しているだけでは自分がその集団に対して役に立っていると感じづらいが、イベントの実行に伴って何かの役割を果たすことで集団に参加しているという実感が得られる。第1項で取り上げた「あだ名」や本項で取り上げている「イベント時の役割」のように、街アップ内で自分自身を定義するものが変化したとき、そこにはアイデンティティの変化の実感が見られ、それがその後の参加を大きく決定づけている。

また、同じ点でYさんからは「まあ、達成感が。その、大学生っぽいなって感じが。高校生で、自分らでそんなイベントを何か企画してやるってことがなかったから」という語りが、そしてAさんからは「基本学生メインであそこまでのことができるっていうのにすごい驚きました」という語りが得られた。ここでは、「学生」として地域でイベントを実行することへの満足が読み取れる。まちをフィールドにある程度規模の大きなイベントを企画し、実行することは普段の大学生活だけではなかなか経験できない特別な出来事であり、そこに街アップの活動の特殊性を見出している。

また、以下のNさんの語りからは活動場所がまちであることが喜びにつながっている様子が分かる。

 

 

 

 

間嶋:自分が初めてイベントに携わったときに、その感触というか、感想はどうでしたか。

N:率直な感想、うーん、自分自身はすごく楽しめたなって感じ、イベントを作るという経験は昔からあって、生徒会活動とか、イベントの喜びというよりは、その、まちでやったという喜び、まちでできたな、という喜び

 

まちでやった」事実が当人の喜びにつながるのは、それが自分たちのコミュニティで完結するものではなく、より広範囲の人々に対しはたらきかけることができるからである。学生の自己満足だけにとどまらない、まちに何らかの影響を与えたという社会的な自己実現が、当人の満足感を一層高めるとともに、街アップへの参加度をも高めている。

 いずれにせよ、イベントを実行したという経験は街アップにおける大きな思い出としてインタビュイーの心に残っている。活動初期のイベントにおける手ごたえや達成感は街アップらしい楽しさとしてインプットされ、その後の参加の礎になっていく。このように、今回のインタビュイーからはイベント実行に伴う感情と行動の変化が強く感じられた。

 

4項 イベントリーダーの経験

 

 周辺的な参加から十全的な参加へと少しずつ変化していくきっかけとして、イベントの実行は大きな意味を持っていたが、徐々に参加が進むにつれ、イベントに参加する一員からイベントを取り仕切るリーダーへと役割が変化していく。このイベントリーダーという役割は当人の参加のどのような影響を及ぼすのか。

 Mさんは1年生時に「お絵かきプロジェクト」のリーダーを、Yさんは2年生時に「紙芝居プロジェクト」のリーダーを、またAさんは3年生時に「なかもん大量発生」のリーダーを務めた。Nさんはイベントリーダーに就いた経験がなかった。

 まず、イベントリーダーという役割はどのようなものとしてメンバー達に理解されているのだろうか。これについてYさんからは「自分がリーダーだから、自分が一番責任を負う立場だから、やっぱ成功させんなんなっていう。」という語りが得られた。リーダーは一般メンバーと比べて受け持つ仕事の責任が増し、それにより気が引き締まるという実感があるようだ。一方でMさんからは以下のような語りが得られた。

 

M:…何にせよ、リーダーが最後決めるのもあれば、他の人が、すっごいこれがいいと思うっていうのがあって、周りも、なんかその熱にこう、負けるじゃないけど、リーダーじゃない人の意見がバーって通る時もあるから

 

 

 

 Mさんが語るように、リーダーはそのイベントにおける学生の責任者なのだが、それは様々な決定権が一極集中しているという意味ではない。あくまで皆でイベント作りを進めていくという前提のもとで選ばれるリーダーであり、リーダー以外に熱意をもってイベントを推し進める人物が存在すればその人の意見が通ることもある。そのような雰囲気があるため、リーダーに就く機会は誰にも開かれており、すべてのメンバーの意志が相応の形で活かされるようになっている。

各インタビュイーのリーダー経験について分析していく。Mさんは「お絵かきプロジェクト」でリーダーを務めた。特徴的なのは1年生でその役割に就いたということである。当時1年生がイベントのリーダーを務めることは異例であったが、それは結果としてMさんの参加度を深める大きなきっかけとなった。不慣れではあったものの、先輩をはじめとする他のメンバーと協力しながら一つのイベントを完成させられたという達成感はMさんにとって大きな自信につながった。リーダーという新しい役割は、街アップの活動の流れや、その実行に伴う困難を最前線で経験することで、街アップへの参加モチベーションをさらに高めることにつながっている。特にMさんは1年生でそれを経験しているため、より早い段階から街アップに対する理解が深まっているといえるだろう。

一方Yさんは「紙芝居イベント」のリーダーとして、大人との連絡調整、チラシ・ポスターなどの広報資材の準備、部員の割り振りなどを行なった。その際、個人の希望や興味をできるだけ尊重する形で役割を決めていった。先述したように、あるイベントのリーダーになるということは、そうでない時と比べて責任感が増し、イベントを成功させなければならないという強い使命感につながる。Yさんに、リーダーになるとイベントへの心構えも変化するかという旨の質問をしたところ、「うん…違った。全体をわかってないといけないし」という語りが得られた。これは、(リーダーではない)一般メンバーであったときよりも、サークル内部ないしサークルのメンバーひとりひとりの個性・特性に強い関心が向けられている状態であるといえるだろう。

 また、Aさんは自身が3年生の時に行われた山王祭の一企画として「なかもん大量発生」を計画・実行した。イベントは大成功を収め、参加者から直接楽しかったという言葉を得られただけでなく、SNSに感想をつぶやく人もいた。「自分がリーダーの時はそのイベント絶対成功させたいから、常にそのことばっかり考えてて」というAさんの語りからもわかるように、「なかもん大量発生」にかけるAさんのモチベーションは高く、事前準備にも力が入っていた。そのイベントの成功体験をリーダーとして最前線で体験したことについて「自分がやった企画が自分だけの満足じゃなくて他の人も参加者も満足してもらえたので、非常に嬉しいことでした。」と大きな満足感を得ている。このように、イベントリーダーという役割は街アップを通じて自分がしたい何かを実現するという自己実現の要素をはらんでいる。Aさん自身が発案したイベントをAさん自身の手によって企画運営していくことは、大変な作業でありつつも一番の思い出としてAさんの心に残った。このような、街アップの自己実現的要素については次項で詳述する。

 そして、今回のインタビュイーの中でイベントリーダーの経験がなかったのがNさんである。インタビュー時、Nさんは自分自身の活動を「(人ではなく)ものに対する仕事が多かった」と語っている。各イベントで必要な物品を購入したり、他メンバーとともに制作物の設計を行ったりしたものの、メンバーの役割分担やイベントに参加する人集めなどの人を動かす仕事には携わらなかったという。これまで、一般メンバーからリーダーという役割の変容の過程において得られた新たな発見と成功体験が、当人のアイデンティティをより深めるというモデルを見出した。その中でMさん、Yさん、Aさんはそれぞれリーダーである自分をそれ以外の時の自分と区別したうえで語っていた。ところがNさんにおいてはイベントというシチュエーション内での役割の違いはさほど意識されておらず、前述の3名よりもフラットな認識である印象を受けた。以下はそれに関する語りである。

 

間嶋:その都度リーダーと呼ばれる人は別にいて、リーダーに指示をされてやるものなんですか。

N:指示をされてやる人もいるし、こういうことをせんなんなーっていうのをリーダーに伝えて、ああ、じゃあそれしようかってなって

間嶋:自分から提言する感じ?

N:提言することもあるその人その人によって変わるので、まあ、会議で決まったことはみんな必ずやる、リーダーに聞く聞かない関係なく、それはせんなんなってわかるので、これをするって決まってることはしてた。それは誰関係なく。

間嶋:より意思があれば自分のほうから言ったりすることもある

N必要だなと思ったら言えば、実現するんじゃないかなと。

 

 ここでも重要なのは個人単位で必要だと思ったことを発信し、提案していく熱意であり、そこにリーダーかどうかという基準はあまり存在していない。リーダーという役割への価値観がそのようなものであれば、必ずしもリーダー経験がそのままアイデンティティ変容に結びつくわけではないともいえる。イベントに関するNさんの参加スタイルからは、リーダーという役割に関する認識の多様性を見出すことができた。


 

2節 コーディネーターという存在

1項 自己実現の重要性

 

 街アップ内でのアイデンティティの変化には、他者との関わりあいが大きく関わってくる。そしてそれは、学生同士のつながりが主の「サークル内他者」と街アップがはたらきかける対象である地域に暮らす人たちを含む「サークル外他者」に分類される。しかし、その他にも「大人」というサークル外機能を持ちつつ学生と密接に関わり合っているコーディネーターの存在もある。本節ではその特殊性に着目し、“内と外の中間”の存在としてのコーディネーターを分析していく。

 前項ではAさんのイベントリーダー経験を通して街アップの活動の自己実現的要素について少し触れたが、この自己実現とコーディネーターの存在との間には関わりがある。Aさんは自分で発案したイベントが実現し、それに対して周囲から好意的な反応が得られたことでイベントを通じた自己実現を果たすことができた。しかしそのイベントはAさん含む学生の力だけでなし得たものではなく、イベントにかかる費用、イベントに使う場所などの許可など、大人の協力もあっての成功であった。そして、そのような要望を一番初めに相談する相手としてコーディネーターの存在が考えられる。これについて以下にAさんの語りを引用する。

 

間嶋:…じゃあ、次の質問に行きます。街アップのどんなところが好きですか。

A:うーん、やっぱり自分のやりたいことを実現できるところですかね。

間嶋:否定されたりせず、ということ?

A:否定されることもあるんですけど、まあ、割とお金も出してくれるし、こういう、なかなか、自分のやりたいことをお金まで出して実現させてくれる団体は他にないなと、感じています。そういうとこが好きです。

 

Aさんは街アップの一番好きなところとして「自分のやりたいことを実現できるところ」を挙げている。そしてそれが可能になるのは「自分のやりたいことをお金まで出して実現させてくれる」雰囲気があるからだと感じている。そのお金は株式会社まちづくりとやまから執行されるものであるため、この語りからは「学生のアイデア+大人のアシスト」によって魅力あるイベントが作られ、それが学生メンバーの満足に大きくつながっているということが分かる。

一方でAさんから以下のような語りも得られた。

 

A:そうですね、うーん、自分たちがやりたいって言って始めたイベントなら、そうやって作った企画だったらそういうまちを盛り上げる意気込みとかも非常に強く感じるんですけど、大人から言われたりだとかずーっと昔からあったものをやるところにはあまりそういう強い熱意が感じられないなということもあったりします。

 

街アップでは通常、ある程度決まったイベントスケジュールのもとでその年ごとに趣向を変え、イベント作りを続けている。加えて、大人側からイベントを頼まれることもしばしばあるようだ。しかし、そのようなイベントは自分の興味や熱意と結びついているとは必ずしも限らないので、モチベーションが上がらず、断ることもあるそうだ。

 

2項 コーディネーターという存在

 

学生メンバーとコーディネーターの関係性についてMさんからは以下のような語りが得られた。

 

間嶋:コーディネーターの方の存在ってみなさんにとっては

M:いやー、軸というか、あの方たちがすべてを包囲してくれてる感じなんで、街アップの特徴は、そういう大人の人と一緒に、分け隔てなくじゃないけど、一緒にやらないとなんか街アップのイベントにならないので、意見を聞いたりとか、なんかまあお金のことで相談したりとか=

間嶋:=学生でできない部分もやってくれる=

M:=そうそう、やらなかったらやってくださるから、そこは学生がたくましくなればコーディネーターの方達は、最低限のフォローだけになるし、で、なんかお互いに仕事の量持ち合いながらやっている、感じだね。まあだいぶ頼りきってるけど、一緒にやってる感じでいきたいな。

 

 コーディネーターは、毎週水曜日に行われる街アップ定例のミーティングにも参加しているほか、MAG.netに常駐し常に学生と顔を合わせる“街アップメンバーに最も近い大人”である。活動にこのような立場の大人を交えることは、学生の柔軟な(時に突飛な)アイデアを、経済的・時間的制約に照らして検討し、より現実味のあるアイデアとして消化するという面で有意義である。そのような、大人としてのアシストを受ける状態をMさんは「あの方たちがすべてを包囲してくれてる感じ」と説明している。学生がアイデアを発し、それを大人とともに計画することでより具体性を持った魅力あるイベントとして実行することができる。このように、街アップにおいて大人と学生の間には持ちつ持たれつの関係が構築されている。それにより規模の大きなイベントを実行することが可能になっており、結果として学生の自己実現につながっているとも考えられる。次節でも触れるが、サークル外の人間が街アップに対して抱きがちな「街アップは大人とともにまちなか活性化に取り組んでいる団体」という漠然としたイメージは、このコーディネーターの活動のイメージと強く結びついていると思われる。こうした、サークル加入の動機にもなりうる「大人」のイメージは、サークル内部の学生からはどう映っているのだろうか、次節ではそれについて詳しく取り上げたい。

 

 

 


 

3節 サークル外他者との関係

1項 サークル加入の動機

 

 第1節では学生メンバーを中心としたサークル内他者との関係性について、第2節では内と外の中間の存在としてのコーディネーターの存在について取り上げた。それに加えて本節ではサークル外他者との関係性について分析したい。街アップの活動は中心市街地の活性化を目的としており、そのためにまちなかを舞台にした様々な取り組みを行っている。ゆえに、街アップの活動はサークル内部で完結するものではなく、その外部へ開かれたものとなる。街アップを取り巻くのはまちに暮らす住民たちをはじめ、まちづくりに携わる大人、イベントの参加者など様々な人である。そして、このような人々の存在は街アップとして活動するメンバーに少なからず影響を与えていると考えられる。ここでは特に、街アップが関わる外部の人々、いわゆる「大人」の存在に着目してメンバーのアイデンティティ変化を追いたい。

 各人の参加過程において、最初に大人の存在が意識されるのは、サークル加入の動機についての語りである。街アップが大人との関わりに厚いということそのものがサークル加入の動機になっている例がいくつか見られた。Mさんの場合、「公務員とか、社会人の方としゃべれる」というパンフレットの文言に惹かれ、街アップに興味を持った。当時公務員という進路を考えていたMさんにとって、実際に働いている大人と接する機会が多い街アップには付加価値が置かれている。続いてYさんからは以下のような語りが得られた。

 

Y:大学生でもう就職ってなると、なんか、大人に気後れせず喋れるようになりたいっていうのが課題というかなんつーか、そういう目標みたいなものもあるから、(間嶋:うん)うん、そこも、大人と話せるっていうのも魅力だと思いました

 

Yさんについても、「大人と話せる 街アップの特徴がサークルに加入する動機の一つになっている様子がうかがえる。この語りは、これから社会に出ていくうえで学生以外の人と協働した経験を持っていることが、何らかの形で有利に働くという街アップの共通理解を反映している。ここで語られる「大人」は、街づくりに取り組んでいる公務員のような「大人」に限らず、より広義な“社会人”という意味での「大人」を指している。その点でMさんの大人像と若干の違いが見られた。

一方Nさんからは、次のような語りが得られた。

 

 

 

 

間嶋:大人と何かやるってことは、入る前からでも何となくイメージがつくかなと思うんですけど、それは、サークルに加入するためのモチベーションになりましたか。

N知らなかったのでモチベーションにはならないです。大人、大人か。

 

 Nさんは大学の友人に誘われ、実際に行ったミーティングで街アップの学生メンバーの雰囲気に惹かれ、サークル加入を決めた人物である。そこに大人の存在はあまり関わっていなかった。インタビューの語りでも、街アップに加入する前に大人との関わりが深いサークルだということを知らなかったと語っている。ある程度サークル活動に慣れてからは、大人の存在が街アップの大きな特徴であり強みであると認識されているものの、サークル加入の時点でそれが動機になるかどうかは、個人によって異なることが分かった。

 

2項 「大人」と関わるメリット

 

 インタビュイーたちは、街アップの活動を通して大人と関わったことで何が得られたと感じているのだろうか。メンバーそれぞれにおける大人との関わりの形と、そこから得られた新たな気づきに着目して分析していきたい。

 まずはMさんについてである。ここでは第3章第1節第3項で取り上げた語りを再び引用する。

 

M:(まちづくりを)お堅い人たちだけでやってるんじゃないんだな、っていうのと、センスのある人がいるからセンスのあるイベントがあって、楽しい、面白いまちになってるんだな、っていうのを知れたのが、面白かった

 

M地域をだれがまわしているのかって、高校生とかしてたら全然わかんないから、まあそれを、街の中に実際入ってるうちに、ちょっとずつ触れ合って

間嶋:ほんとは、こんなタイプの人がやってたんだ=

 

M:=そうそう、(中略)なんか、成り立つ上で必須のことは、まあ、公務員の人がやってるんだろうけど、それプラスで、面白い取組みしてるな、とかはその中の熱い人たちが、まわしてるんだな、って思って、ああなんか、そういう人たちがいないと面白くならないんだなって

 

Mさんは、街アップへの参加が深まるにつれ、まちの在りようやまちに暮らす人たち、そしてまちをつくっている人たちへの興味が深まっていった。特に、MAG.netに出入りするまちづくりに熱心な大人との出会いは、Mさんのまちへの興味をかきたてるものであった。まちの裏側で、誰がどんな思いをもってまちづくりに取り組んでいるかを知ることは普通の大学生活だけではできない特別な経験として認識されている。このように、Mさんにとって大人の存在は、まちというものへの理解をそれまで自分が知らなかったレベルまで深め、まちづくりをよりポジティブにとらえるようになるきっかけだった。それにより自分が取り組む街アップの活動にも能動的になっている。ここに参加度の深まりが見て取れる。

一方、Aさんは「自分たちのやりたいことを自由にやらせてくれる大人」としての認識が強かった。イベントの実行には手間やお金がかかるため、必ずしも自分たちが考えた企画を実行できるとは限らないが、街アップではその実現のために学生と大人が一体となって動く雰囲気がある。お金や場所など、ビジネス的な面に大人が協力してくれることでまちなか全体を巻き込んだ大規模なイベントが実行できるうえ、メンバーの達成感もより大きなものとなる。

 

A:…学生だけでやってしまうと、ほんとにそれが地域活性化につながっているのかって分からなくなるんですけど、大人の声で、大人がこここうしたほうがよかったよ、このイベント良かったね、って言われたらやって良かったなって。評価が見えて、やりがいとか、ちゃんとそれが、どちらかと言えば正しい方だったんだなって思うことがありますね。

 

また、実行したイベントに対し大人から好意的なリアクションが集まることでイベントの内容が「どちらかと言えば正しい方だったんだな」と安心することができるという語りも得られた。このように大人は、学生では力の及ばない部分を補完してくれる存在として、また実行したイベントの意義を認め、学生の取組みに関する正統性を保障する存在としてあることが分かる。

続いてNさんの事例を分析する。Nさんは、街アップの一員として地域の大人とかかわるよりも、一個人としてのつながりの方が多いと語っていた。街アップとして実施する活動を通して構築されるつながりもある傍らで、中央通りや千石町通りの商店主らとは共にお酒を飲むほどの仲である。Nさん以外のインタビュイーは、街アップという集団を通してなら地域と関わる機会がしばしばあるが、個人的に地域の人々とのつながりがあるわけではないと語っていたため、Nさんの参加モデルは街アップの中で珍しい形といえるだろう。地元ではない富山のことを知りたい、富山の人と仲良くなりたいという動機で街アップを選んだNさんにとって、富山の商店街の中に深い人脈ができたことは大きな達成だったが、それが街アップに入ることによるメリットとして解釈されているかどうかはわからなかった。

 

 

 

3項 まちのリアルな姿

 

前項までは、街アップメンバーと「大人」の存在とがどのように関係しあって当人のアイデンティティ変容に影響しているのかということを取り上げた。ここからは、街アップの活動フィールドである“まち”について、どのように理解が深まっていたのかを考える。街アップはまちなかの活性化を目的とする実践共同体である。それゆえ、サークルに参加する過程では、まちに暮らす人たちが街アップの活動に対しどのような印象を持ち、どう受け止められているかを振り返る場面が存在する。

これについて、街アップのメンバーは総じて、自分たちの活動はまちのなかで相応の評価を受けていると実感している。それは、自らが実行したベントに対し好意的な反応が返ってくること(Aさん)、イベントの協賛を依頼した際、快諾してくれること(Yさん)、たまたま通りかかった人から気にかけてもらえること(Mさん)などがきっかけとして語られていた。Mさんが「自分たちの存在を知ってる大人がいるのが嬉しい、(中略)結構、なんかうちらちゃんと見られてるなって」と語るように、地域側からの明確なレスポンスがあったときに、自分たちがまちのなかに存在しているという実感が得られ、それが街アップに対する満足につながっている様子がうかがえる。

しかし、すべての人がそのような好意的な反応を示してくれるかといえば、その対応は千差万別である。そういった反応の違い、つまりまちなかに暮らす人の温度差という部分について、Mさんから深い語りが得られた。以下はMさんの語りである。

 

間嶋:MAG.netって、中央通り商店街の中にあって、商店街に携わっている人たちとの交流があるイメージがするんですけど…そういう経験って何か…

M:…MAG.netがあるのが総曲輪通りで、その隣にあるのが、なんかずっと昔からある通り、なんか、総曲輪の方は、なんか昔からここで商売やってる、って感じの人たちじゃなく、働きにやってきてる感じだから、つながりを結びづらくって、かといって、こっちの昔からいる人たちが結びやすいかっていうと、なんかもう、そこでわしは商売やってきたんじゃって感じだし、この先別に後継ぎがいるわけでもないし、みたいな感じ、けっこう、引いて見てる感じだし、まその中で、40代とかでまちづくりのこととか商店街の将来のこととか考えてすごい動いている人とかは、自分たちの活動にも目を向けて、アドバイスしてくれたり、背中を押してくれたり人たちが、まあ固定だけど、いる感じで、商店街の中でも温度差があるし、その中で熱い人たちがMAG.netとか街アップにちゃんとなんか、(間嶋:積極的に…)ちゃんと見てくれてる。だから難しい

 

 

Mさんは、総曲輪通りと「ずっと昔からある通り」(=中央通り)の性格の違いや、そのなかでも精力的に街アップに携わろうとしてくれる人との出会いから、商店街に暮らす全ての人がまちづくりに寛容で、学生とのつながりを求めているわけではないということを知る。これについては以下のような語りも見られた。

 

間嶋…そういう温度差があるっていうのを感じ始めたのっていうは、いつごろとかってありますか。

M:うーん、でも、バイトを、し始めて、からかな、その、2年生のコンペのときに、なんか、いろんな商売の仕方を、してる人がいる、って聞いたりして、でなんか…そのもう商売自体が寛容な人と、なんか、しっかりとるみたいな、とるもんはとるぞみたいな、人といる、っていうのを、話を聞いてるうちに、感覚で知って…で確かに、いろんなお店に行くときに、なんか同じ和菓子屋さんとかでも、まあ人が違うから…雰囲気が違うのは…当然だから、商店街の中で温度差があるっていうのの、言葉の裏には、人は、人それぞれだよねっていうのがあって(笑)そうそうだから、人の個性…に、すごい意識するようになったら、お店もそりゃ違うよねってなって、別に…、興味ない人は興味ないだろうなぁと思ったり、だから(興味が)ある人をすごいありがたく思うようになったり

 

Mさんはまちなかでアルバイトをしていた。それゆえ、まちなかの実情はアルバイトをしながら知ることも多い。そしてそれは2年生・3年生といった、ある程度サークルにも慣れた時期から特に感じるようになっていった。Mさんにとって、街アップの活動への温度差を知ることは「学生がまちに携わること=まちにとってポジティブな効果をもたらすもの」というそれまでの自意識を覆すものであった。そして、Mさんの場合、それを個性によるものとして解釈し、納得している。違う個人なのだから活動に対する反応も様々である。当たり前のことではあるが、学生の活動であるからこそ忘れがちな地域の特性を、身を持って体感したといえるのではないだろうか。

同じ観点で、Yさんには以下のような語りが見られた。

 

間嶋:自分たちの(イベントの達成感の)感じ方、と周りの評価っていうのは一致してる?

Y:してる。自分でも達成感あるし、周りもそれをいい評価してくれてるし…

間嶋:そこにギャップが生まれることはそんなにない?

Y:そこまでの差はない。かな。

間嶋:なるほどねー。じゃあ、割と、地域の人にも認められてるし、(Y:うん)認められてるのが自分でも感じられるほどってことだよね?

Yそんなめっちゃ感じられるってほどでもない。うん(間嶋:なるほどね)ま、普通に感じれるなってくらい。そんなめっちゃ褒められる…めっちゃ、わーって褒められるわけではないから。たまに、ふっ、て褒められる。ぐらいの。

 

間嶋:その、じゃあその温度差が低い人っていうの、温度が低い人っていうのは、どんな、感じなの?

Y:まあ温度が低いって言っていいかわかんないけど、まあなんか、去年より(筆者注:街アップのイベントの景品としてお店から無償で提供する)商品を減らしてほしいみたいな。(中略)

間嶋:やっぱりあるんだね、そういう、ちょっと…この人はノリが悪いなみたいなそういうのを感じる、のもあるにはあるってこと?(Y:うん)うーん。

Y:まあめっちゃ、頑張れって、言ってくれる人もいるけど、まあ言ってこない人は、応援してないから、言わないっていう、ことでは、ないかもしれないし、ただ単にドライな人なのかもしれないし。

 

この語りから、Yさんにおいても、地域の人から直接かけられた言葉に温度差を感じたことが読み取れる。地域の方々は自分たちの活動をある程度評価していると感じており、Yさん自身それをよく思っているものの「そんなめっちゃ感じられるってほどでもない。」という語りからYさんが、褒められる・認められるということをそれほど重要視しているわけではないことも読み取れる。そして、自分たちの活動に対する反応は人によって様々であれ、どれもその人なりの応援の仕方であり、はっきりと励ましの言葉をかけることだけが応援ではないことを理解している。この点から、Yさんにとって、地域側からの評価は自分たちの活動の達成とある程度独立しているものなのだろうと考えられる。活動を否定されず、かといって強く肯定されるわけではない「ある程度(街アップが)認められているであろう関係」というのがYさんなりの地域の実感である。街アップがサークル活動という特性もあってか、Yさんの場合は地域活動を通した「自己の充実」という面がより強いように感じられた。

活動に対するあらゆる反応は、まちなかの「リアル」であり、街アップという共同体を通じて地域に関わるからこそ得られた発見であった。こうした発見は、地域というもののそのままの在りかた、人間模様をより深く理解していく過程において重要であるといえるだろう。

 

 

 

 

 

 

 

4項 街アップがすべきこと

 

3項の最後では、Yさんの語りから「ある程度(街アップが)認められているであろう関係」の自覚を導き出した。このように、大人(ここでは地域住民)との関わりは、地域と街アップとの距離感がどれほどのものなのかという認識につながっている。この観点でMさんからは以下のような語りが得られた。

 

M:…やるんだったら、まちなかの人がやってほしいと思ってることをやりたい、だけど、それを聞くまでが、多分大変。なんだと思って、なんか、うん、その、まちなかの人は普段、まあそこで生活とか商売とかしてるところに、ぽんって、まちづくりやりたいとは思ってるけど、ぽんって何もしてない人が来て、まちのこと知って、で、まちなかの人に失礼無いように接触して、でなんか、人間関係を築くところから多分始める、と、まあ、しっかりしたものができると思うんだけど、それって、大学でウキウキした1年生がやってきて、で、過ごして、4年で(間嶋:よそ者じゃないですけど)(笑)そうそう4年でできないことなんじゃないかなと思って、…

 

前項にもあるように、Mさんは地域の人にもまちづくりに対する温度差があることを知る。そしてその理解は、学生が限りある時間のなかで地域に携わることやまちづくりへの熱意が多層的な地域住民を相手にすることに対して、学生の態度がどうあるべきかという考えにつながっていく。

Mさんは、街アップとして活動を行なっていくなら、まちなかの人のニーズに沿った活動をしたいと考えているが、それにはしっかりとした人間関係の構築が必要だと考えている。しかし、特別な知識もなく、学業の傍らサークル活動としてやってきた学生が、まちに興味を持ち、中心商店街の人たちと信頼関係を結んでいくにはそれなりの時間が必要であり、大学在学の4年間では成果が出ないのではないかと、もどかしさを感じている。

このように、実際の地域に関わることでまちに暮らす人たちの人間性やその多様性を肌で実感する機会が増える。必ずしも好意的なものばかりでない地域の現実を知ることで「学生まちづくり」という活動が当該地域にどのような形で求められているか、という視点を獲得していくようになる。そしてそれは、学生にとって「地域活動」とはどうあるべきものなのか、また、自分たちが乗り越えるべき課題は何なのかを考える方向へと深まっていく。街アップのメンバーは、街アップとの距離感が多様であるまちをフィールドに活動するにあたり、どのようにまちと関わっていくべきだと考えているのか。まずは、Mさんの語りである。

 

 

M:…あと別に、商店街の人たちからあ、なんかここが後輩とのあれなのかもしれないけれど(笑)あの、認めてもらえなくてもいいって思ってる気持ちもあって、なんか、求めた瞬間怖くなるじゃない(笑)

(間嶋:そうですね、わかります、わかります(笑))別にいいんだねって思って。なんか、もうなんかやってるなっていうだけで、楽にそうそう(笑)

 

 街アップは、学生の行動力を活かし、まちの活性化につながる新しい活動に積極的に取り組んでいる。その努力が周囲に認められ、たくさんの人から反響を得ることができれば、それは何よりも当人の満足感につながることだろう。しかし、Mさんが活動を通して実感したように、長年まちに暮らし、まちと共に生きる地域住民を前にすれば、むしろ学生の方が「よそ者」になりかねない。こうした、有機的なまちを相手に活動することの難しさは学生まちづくり最大の難関であるかもしれないが、Mさんはそれを実感したのである。そして、それを把握したうえで、街アップとしてどのように地域に参与していくべきかについて考えが生まれている。自分たちの活動はすべての人に受け入れられるわけではないかもしれないが、自分たちのやりたいことを学生らしく実行することで変わる何かがあると、ポジティプな気持ちに転換している。ある意味では諦観のような感情だが、それにより活動の柔軟さと純粋な楽しさが生まれているともいえるだろう。

一方、Yさんについてはまちなかの人との出会いによって得た気付きを、その後の街アップの街アップの行動と関連付けて語る語りは得られなかった。Mさんの場合「地域に貢献する街アップ」をひとつの理想に据えたうえで、それを指標に現状の街アップがどのレベルの至っているのかを語ることが多かったが、Yさんはサークル内の人間関係の成熟を軸に語ることが多かった。この点で、Yさんにとって地域との関わりの認識は、自身の参加度の深まりにMさんほど大きな影響を与えるものではなかったということがわかる。また、インタビュー当時3年生の7月だったYさんは、徐々にサークルの引継ぎを意識しているようであった。定例で行われている街アップのミーティングに集まる人がまばらになってきているため、皆が出席できる曜日に変更するかどうかについて、話し合いの場がもたれたそうだ。このように在籍期間が長くなるにつれサークルを担う立場としての自覚が芽生えていくのであれば、Yさんたちの学年が最高学年となった時に、地域との関わりを客観的な視点から見つめ直していくのかもしれない。

続いてAさんからは以下のような語りが得られた。

 

A:うん、そうですね、MAG.netの学生の利用者の大半が街アップっていうのが少し残念な気もしますね。部室みたいな感じがしてしまって。

間嶋:街アップのためのMAG.netってわけじゃないから

A:そうです、使い方っていうのも難しいですね、どう他の学生たちを呼んでいくかっていう…

間嶋:でもああいう、新入生勧誘とかで手作りで頑張ってやってるから

A:もっと来てくれたらうれしい。街アップがたむろしてると入りにくいのかなあ。

間嶋:あー、たしかにね。

A:いつも前の方でみんなでわいわいしてると

間嶋:1年生だったNくんが自動ドアをくぐれなかったように、外で見てるだけの人もいるのかもしれないよね。

A:多分絶対いると思います。そういう人たちのこと考えると、なんか、どうしたらいいか。

 

街アップがミーティング等を行うMAG.netについて、Aさんは当初「入ったときはすごく居心地悪かったですね」と語っている。これはAさんが「うわー、人がいて入りづらいなあ」と語るように、自分がそこにいる存在ではない、正統性を見いだせていない状態だからこそ感じるネガティブな感情であった。しかし、徐々に街アップへの参加が深まるにつれて、そこは疎外感を感じた場所から自分たちの活動拠点へと変わっていった。AさんにとってアイデンティティのよりどころとなったMAG.netについて、今度は本来の意義に立ち返って、あらゆる人々に開かれた場所にするにはどうしたらよいのかという問題意識が生まれている。それまで、一メンバーとして招かれる存在だった自分が、より多くの人を招くべき存在へと意識が変わったことがわかる。

そして、Nさんからは以下のような語りが得られた。

 

間嶋:今後輩が作ってる今後の街アップ、どんなふうになったらいいなとか、 求めることはありますか。

N:求めることは、学生がまちに来るきっかけになることであれば、制約の中でできることを何でもやってほしい。やることが目的じゃないから、やるのはなんだっていいと思います。

間嶋:それが何かを導いてくるんだったら

N:結果的にOK。あともう一つは、まちのひとともうちょっとコミュニケーションとれたらいいかなって

間嶋:やっぱそれはまだ足りないと感じてる?

N:足りない。それは今頑張ってやろうとしてくれてるのかな。なかもんっていうイベント情報の紙をまちなかに配布したりすることで、街の人に顔を覚えてもらおうみたいな活動は実際やってるので、そこから発展して自らが開拓していく、そこはまずきっかけであってほしい。その次に何かやってくれればいいかなって。サークル外で活動してほしいなと思います。

 

Nさんからは、今後の街アップの展望という形で、まちなかとの関わり方を模索している様子がうかがえた。Nさんの実感として、現状ではまちの人とのコミュニケーションがまだまだ足りていないと感じており、自分たちからまちなかにはたらきかける姿勢を今後の街アップに求めている。Aさん同様、まちなかとの距離感とそれに対する課題は街アップの実践のなかで生まれ来るものであり、それは自らの活動を客観的にとらえることにつながる。特に、「まちのひとともうちょっとコミュニケーションとれたらいいかな」という問題意識は今回のインタビュイーの中で普遍的なものであったが、そのなかでもNさんは、何かしらの効果をもたらすものであれば制約のなかで何でもやってほしい、と自らの意思を持っている。まちとのつながりの創出について、漠然とした認識にとどまらず、街アップ全体として取り組んでいく課題であり目標であると解釈している点で、より十全的に街アップに参加している姿が見られた。