第三章 医療化論

 

 医療化とは医療がその対象や扱う領域を拡大していく動向を言う。本稿では医療化論の観点から、うつ病の歴史を分析していきたい。

 

第一節 医療化論とは

 

 進藤(1990)によると、医療化とは、従来別の社会領域、宗教・司法・家族・教育に属していた事柄が、医療の対象として再定義されることである。今まで医療化されてきたものとして、妊娠・出産・死などが挙げられ、一旦医療化されたものが医療の領域から抜け出ようとする動きを脱医療化といい、医療化と繰り返しておこる現象であるとされる。社会から逸脱した状態が医療化されるステップとして、次の五段階がある。

 一に逸脱定義の先行。ある行動を逸脱とする定義が、医学的な規定より先に存在すること。

二に試掘。ある行動についての診断・治療法が、新しい発見として医学雑誌などにおいて提唱されること。

三にクレイムメイキング。ある行動の医療化に関心を持つ医療内部の小集団の積極的活動や、多様な利害関心を持つ医療以外の集団による権利を要求する活動。

四に正当化。立法・司法機関を通じて、要求された権利が国家に認められること。

五に医療による逸脱規定の制度化。逸脱の医学的な定義が整備され、新たな疾患のために大規模な組織がつくられること。以上五点である。

 また、医療化の特徴も五点ある。

 一に、医療化と脱医療化が繰り返し起こること。

二に、逸脱の医療化は、犯罪に対して過酷な処罰に対抗するために進められる場合が多いこと。

三に、医療専門職のうち、医療化に関わるのはごく一部であること。

四に、逸脱を医学的に定義しなおす場合、自分ではある問題行動を制御できない、つまり強迫性を持っていることが根拠になる場合が多いこと。

五に、医療化と脱医療化は科学的な事よりも、政治的な事柄に左右されて起こること。

 以上が医療化のステップと特徴である。


 

第二節 医療化に則して見たうつ病の歴史

 

 うつ病をめぐる動向を逸脱の医療化として捉えると、三〜五の段階が観測される。

 まず顕著に表れるのは第三段階のクレイムメイキングである。これにはうつ病の啓発キャンペーンが当てはまる。第四段階の正当化では、厚生労働白書にうつ病に関する記述が現れることが観察できる。医療による逸脱行為の正当化も同様で、第四段階と第五段階を明快に区別する結果にはならなかった。

 第三段階のクレイムメイキングでは、冨高(2009)で述べたようなうつ病の啓発キャンペーンが観察できる。以下は、啓発活動の様子が端的に表れている新聞記事である。この記事が掲載された2000年は、SSRIが初めて導入された年の翌年にあたる。

 

うつ病治療し自殺防ごう 宮田親平(年につける薬) 【大阪】

 自殺者数が年間三万人を突破し、ことに五十歳代、六十歳代の男性の自殺が大幅に増えて、ゆゆしい問題になっている。

 現象の背景には、人生のやりなおしがききにくい中年以上を襲っている企業のリストラや中小企業の不振が深く関係していることはいうまでもなく、横の移動がむずかしい労働市場などをそのままにして、バブルの後遺症を中高年にしわ寄せする、企業や行政の責任は大きい。

 「自殺大国」と呼ばれるこの国で、悲劇を防ぐために、個人も防衛しなければならない。一つの目安として、自殺に結びつきやすい病気として、うつ病があること。この病気になると、七〇パーセントが死を考え、一〇パーセントが実際に実行に移すといわれる。

 その症状として、よくいわれるのが、ことに朝の憂鬱(ゆううつ)感が強いために、「朝刊シンドローム」といって新聞の朝刊を読まなくなる。また、女性では、化粧をしなくなるなどがサインといわれる。

 幸いうつ病には、最近SSRIというこれまでの薬より副作用の少ない薬が現れてきたので、できるだけ早く治療を受けたい。そしてこうした場合、受診を勧めることを含め、もっとも大切なのは家族や職場の人たちの支えである。

 (医療ジャーナリスト)

(朝日新聞200027日夕刊)

 

 この記事ではまず、自殺者の数が年間三万人を突破したことを上げ、悲劇を防ぐために、個人も自殺からの防衛活動をしなければならないと述べられている。そのために注目するべき点がうつ病であり、うつ病のサインとして現れる症状を述べ、早く薬による治療を受けるように促している様子がみられる。つまり、うつ病は自殺に結びつく病気であること、有効な薬があることを伝えている。うつ病の今日にもつながるイメージが発信されている。

 次に、第四段階の正当化である。これは厚生労働白書にも観察される。

 1997年(平成9年)厚生白書の厚生労働白書の、第一編第一部第三章第一節は「現代の「心の不健康」」と題され、燃え尽き症候群や空の巣症候群などが紹介されている。精神疾患に関する関心が高まった様子を見ることが出来るが、うつ病に焦点が置かれている様子は見られない。

しかし2001年(平成13年)の厚生労働白書においては、はっきりとうつ病に注目が集まり、白書で多くのスペースを割かれている。現代がいかにストレスの多い社会であるか、そのために自殺者がどれほど増えているかが述べられ、自殺を企図する者のうちうつ病の症状を持つ人が多かったという報告から、うつ病が注目されている。「うつ病は身近な病気」と明記され、詳しい解説が加えられている。以下は平成13年厚生労働白書第1 1 1 2の一部である。

 

うつ病は身近な病気

 うつ病は適切な治療を行えば大部分が改善するものであり、このためにはうつ病の症状や治療についての正しい知識を国民に普及し、早期に発見し、早期に治療に入れるよう環境を整備していくことが重要である。(中略)

 初期のうつ病はなかなか気づきにくいものであるが、寝付きが悪かったり、朝早く目が覚めたりといった睡眠障害やこれまで容易にできていたことがおっくうに感じられたり、わけもなく疲れたように感じられたりといった倦怠感が続くような場合などは要注意である。

 うつ病は抗うつ薬を中心とした薬物療法や精神療法などの適切な治療を行えば回復する病気であり、まずそのことを本人や家族が理解するとともに、早期に精神科や心療内科の医師などに相談することが重要である。また、うつ病患者にとっては、何よりも休息が必要であり、励ましたり叱ったりすることはむしろ逆効果となり、家族や周囲の者がそばにいることを伝えるなど、外側から温かくサポートしていくことが重要である。

(厚生労働省 2011年)

 

 このように、国が発行する白書に、うつ病が明記されているのは、正当化の証ととらえることができる。新聞記事と同様、ここからもうつ病のイメージが発信されている。

 新聞と白書から発信されているイメージを整理すると、うつ病は適切な治療をすれば治る病気であり、そのためには早期発見が必要である。自殺に繋がりうる病気であり、軽症のうちに精神科を受診するのが望ましい。休息と適切な薬物治療が必要であり、励ましたり叱ったりせず、周囲の温かいサポートが必要である。このようなイメージが発信されている。


 

第三節 まとめ

 

 医療化に則してうつ病の動向を観察すると、クレイムメイキングから正当化につながる動きを見て取ることが出来る。その中でうつ病について、副作用の少ない薬があり、治療可能で、自殺に繋がらないように早期発見が必要である、というイメージが発信されている。

 発信されたうつ病のイメージは、実際にはどのように受け止められたのだろうか。また、そのうつ病のイメージは、社会にどんな影響を与えているのだろうか。この様な点を、インターネット・新聞などマスメディアや、実際の医療従事者やカウンセラーへのインタビューを通じて考えていきたい。