第二章 先行研究
第一節 岐阜県高山市の事例(伊藤2005)
【まちひとぷら座 かんかこかん】(以下「かんかこかん」)
岐阜県高山市上二之町にあった築70年の古い商店を改修して平成15年に開設された、「まちの縁側」をコンセプトとしたコミュニティ施設。地元の住民から観光客まで、誰にでも立ち寄ってもらえるスペースとして賑わいを見せている。開館時間は10〜17時で年末年始のみ休館。
●設立の経緯
平成14年度の商店街空き店舗活用支援事業・コミュニティ施設活用商店街活性化事業として、空き店舗の改修費と賃借料の補助を受け開設される。平成15年度には、厚生労働省の「つどいの広場事業」⁽¹⁾を高山市から受託。高山市商店街振興組合連合会が管理運営を、市民、商店街、商工会議所、商工課、児童課などの行政職員が加わって構成される運営委員会が実質的な運営を担っている。
このような市民、行政が協働スタイルをとる関係づくりは、平成9年に発足した「高山市まちづくり・住まいづくり研究会」から始まった。市民・民間・行政協働による市民参加のまちづくり活動であり、まちづくりをいろいろな視点から考え、共に学び合う場として「まちづくりカレッジ」を開催した。研究会の活動は5年間で終了したが、ここで培われたネットワークがその後、商店街のまちなか再生を考える「空き店舗ドリーミン事業」にもつながった。商店街の人間に加え、一般市民、商工会議所、行政による実行委員会が立ち上がり、企画の段階から関わって、開店後の運営にも関わってきた。このような試みが、商店街の活性化という枠組みを越えて、まちなか再生のための努力を商店街、市民の双方でしていこうという方向性を生んだ。このドリーミン事業の更なる段階として、かんかこかんをオープンさせることにつながった。
●施設の主な役割と内容
・子育て
子育ての相談や子育て支援に関する講習、子育て親子(祖父母らも)の交流の場。
・情報発信
観光・行政情報の発信や買い物客、観光客の休憩所。
・人材育成
NPO・市民ボランティアの育成・交流の場。各種コミュニティビジネスの試み。
コミュニティビジネス
・一時保育 子ども一人につき一時間1000円
・レンタル ベビーカー…一時間300円
電動スクーター…登録時(年度更新制)保険料200円、利用料無料、利用可能時間は一人につき2時間以内
車いす…無料
・その他 コピー…1枚10円
印刷…10円
インターネット使用…一回または30分ごと100円
●事業の目的
子育てだけではなく、子供と高齢者、障害者と健常者、地域住民と観光客の交流も狙いの一つであり、ニーズに応じたコミュニティ形成の場として「まちにサロンのような場の実現」を目指し、まちなかのにぎわい創出につなげたい、としている。また、運営に際しては、商店街組合を中心に行政や民間、NPO団体などと連携し、まちの活性化に取り組む拠点の一つになることを目指す。
●「かんかこかん」とまちなか商店街
以下では、かんかこかんの運営委員長である伊藤(2005)の考えをまとめたい。
全国至るところで、商店街が衰退し、まちなかの空洞化が嘆かれているなかで、高山のまちも例外ではない。人間が暮らしていてはじめて、そのまちのよさが生きてくるのであり、子どもからお年寄りまでが共に暮らす、本来のまちの機能を取り戻すことが、求められているのではないだろうか。かつては人との出会いや語らいがある、まちの情報交換の場であった商店街が担う、まちづくりの役割を再認識することが大切になっている。「地域の人々にまちづくりの関心、理解を深めてもらうこともかんかこかんの大切な役割と考えている」。
注.まちひとぷら座 かんかこかん,2010,「まちの縁側|||まちひとぷら座 かんかこかん|||」(http://www.takayamashishouren.net/kankakokan/index.shtml)より引用
第二節 東京都中野区の事例(山岸1988)
【みずの塔ふれあいの家】(以下「ふれあいの家」)
昭和59年9月に開設された、全国でも珍しい高齢者と子どもの融合施設。児童館と老人会館の2施設の機能を果たしながら空間を共有して運営を共同化し、地域の人々の世代を超えた交流を図る。利用時間は原則10~18時。学校休業日や対象年齢により、利用時間に多少のずれがある。0~18歳までの児童、その保護者や育成者(乳幼児は原則保護者の同伴が必要)と60歳以上の人が利用できる。休館日は日、月曜日、祝日、年末年始、および区長が必要と認めた日である。
●設立の経緯
中野区基本構想審議会は昭和53年、あすの中野をめざす区政の指針作成のための審議を重ね、昭和55年5月に基本構想の基礎となる考え方をまとめた。区民施設の設備について、核家族化を背景に児童と老人の家庭でのふれあいが少なくなっていることに触れ、世代間交流施設づくりを方針の一つに掲げた。こうして、昭和56年7月に、区が地域住民に、児童館と老人会館機能を有する融合施設計画を提案する。児童館及び老人会館設置の強い地域要望、ある程度まとまった土地の入手、核家族化を背景とした世代間交流施設の必要性と条件がそろい、融合施設建設の具体的提案となった。住民、区職員双方から、老人と子どもを狭い同一施設に入れることに疑問や反対の声が出る中、地域との話し合い・施設見学・学識経験者による学習会を何度も実施して地域合意を得る。開館準備の段階から地域の人を巻き込み、設立準備会を設け、昭和59年9月の開館に至る。設立準備会の討議を重ね、運営委員会は正式に「ふれあいの家協議会」として、昭和60年9月に発足。委員は公募とし、個人の資格で参加する地域住民から成り、民主的運営を第一とした。
●運営の基本
当時、ふれあいの家のような融合施設は、モデルが無く、手探り状態であったため、次のような運営の基本を定めた。
・日常的自然発生的な交流が生まれるような接触の場を設けて、お互いを理解させる。
・児童館、老人会館のそれぞれの機能を十分に果たすことで利用者を拡大し、日常の対
応の中で老人と子どもの気持ちをつかみ、運営に反映させる。
・取り組みをより多くの人に知ってもらうよう努める。
●ふれあいの家の融合施設としてのメリット
・単独施設が単一の要望しか満たし得ないのに比し、機能面で優れている。
・より多くの区民に利用されうる。
・老人と子ども、大人の世代間交流を図ることができる。
・コミュニティ活動の場として役立たせることができる。
・地域や家庭とのつながりを深めることが可能になる。
・維持管理等経済面の節約ができる。
●地域に根ざすことのできた理由
以下では、中野区江古田地域センター所長である山岸(1988)の考えをまとめたい。
地域に根ざすことのできた理由として、施設建設と運営に関し、実りある住民参加が図られたこと、利用者を主人公と考えた条件設備(構造、配置、設備、利用条件等)を行ったこと、住民の自主的な活動を充足できたことがあげられる。コミュニティ施設は「役所のもの」というよりは「地域のもの」であるという視点に立つべきであり、世代間交流という新しい試みを成功させるためには、地域住民の理解と協力が必要であった。地域住民の「ふれあいの家を見守っていきたい。」「ここに住んでこの施設と付き合っていく。」といった、自分たちの施設として大切に育てていこうとする強い気持ちがあることからもわかるように、コミュニティ施設として地域に定着しつつあり、区の目指したところは間違ってなかったと言える。
注. 山岸隆一,1988「新しいコミュニティ施設のあり方―世代間交流施設の取り組み―東京都中野区(都市型コミュニティ施策の新展開<特集>―自治体の取り組み)」『地域開発』 日本地域開発センター,286:p36より引用
第三節 まとめ
子どもからお年寄りまでが共に暮らしている本来のまちの姿が見られなくなってきている今、地域住民がコミュニケーションをとれる施設を設けることが求められている。しかも、そのような施設は、行政の手によるものではなく、地域住民の理解と協力のうえに成り立つことに意味がある。自分たちの施設として愛着を持ち、住民主体で作り上げていくことがコミュニティ施設の成功のポイントであると考え、本論文の調査においても、基本的な視点としたい。