第2章 上越市の取り組み

 

第1節 調査概要

 調査は、2009年1月17日〜同年1220日にかけて直江津屋台会館で行われた企画展「越後上越 天地人博」を中心に行った。期間中のフィールドワークやパンフレット収集とともに、この企画展に携わる方々にインタビューをさせて頂き、活動の内容と目的を明らかにした。また、大河ドラマという単発の活動としての側面だけでなく、これまでの観光産業への取り組みからの一連の流れとしての見方も視野に入れるべく、同時進行で上杉謙信を核とした観光への取り組みに関する調査や、春日山5)などのゆかりの地と「謙信公祭」6)という歴史ある時代祭りへのフィールドワークを行った。

 今回調査させていただいた6団体は以下の通りである。

上越市観光企画課

71日上越市役所まちなかサテライト内にある観光企画課にて、副課長の田中さんに1時間半ほどのインタビューをさせていただき、上越市の観光資源や観光の実態についてのお話を伺った。

大河ドラマ「天地人」上越市推進協議会

831日、天地人博会場にて事務局員の大島さんに1時間半ほどのインタビューをさせていただき、推進協議会の概要や、活動内容を中心にお話を伺った。

上越商工会議所青年部

10月中旬、上越商工会議所青年部の徳道さんにメールインタビューをさせていただいた。

社団法人上越観光コンベンション協会

1112日、上越観光物産センターにて総務企画課長の若山さんに1時間半ほどのインタビューをさせていただいた。

一義会

1115日に行われた「越後上越うまいもん市」での午後公演後にお時間をいただき、会長を含めた3名の方に20分程度のインタビューをさせていただいた。

軒猿衆

927日、天地人博会場にてサークルのメンバー6名の方々にインタビューをさせていただいた。天地人博の公演で主力メンバーとしてやってきた8名のうち、当日の公演に参加していた方々と座談会形式で1時間30分ほどお話を伺うことができた。

 

2節 各団体の観光に対する取り組み

 6団体へのインタビューから、活動内容や、考え方、これまでの活動について多くのことを聞くことができた。この節では、その内容をまとめ、各団体の上越市や天地人観光に対するとらえ方を示していくことにする。

 

1項 上越市観光企画課

 上越市の観光に関する課は観光企画課と観光振興課の二つに分かれており、今回のインタビューでは主に上越市の観光を旅行会社等に営業する観光企画課の方にお話を伺った。

 これまで上越市の観光資源で多くの観光客を呼ぶ事ができているのはおもに高田公園の百万人観桜会だけである。東京方面に営業をし、観桜会はすでに「旅行会社に広く認知される観光資源となっている」そうだ。また、同じ高田公園のはすについても観光資源となりうると考え営業を行っているが、観桜会ほどの認知度がないのが現状である。また、経済効果を狙うような観光のためには個人客の誘客以上に大きなツアーで多くのお客さんを呼びこむ観光に焦点をあてている。これについては

 

百万円かけてお客さんが12人しか来ませんでしたってなったら全くやる意味がないんですよね、だから、いいか悪いかは別にして、観光と旅のどっちを選択するかって言われれば当然行政とすれば観光地を目指しますとしか言いようがないはずです。

 

と述べるように、行政ならではの営業の視点があることがわかる。

天地人を受けての観光企画課という単位での動きは、まずは推進協議会設立の声かけをした事である。これを設立した意図は、「天地人博を活用して上越の民間の方にも入っていただいて儲けていただくことにある」という。しかし、天地人に対しては冷静な考え方が強く、「天地人っていう打ち上げ花火」と表現したことからも、一過性のイベントであると捉えている事がわかる。そのうえで、今年の営業活動については天地人1本に絞って精力的に進めているのが上越の2009年の観光の営業活動である。今年1年は人々にどれだけ深く記憶づけられるかを勝負にしており、「大河ドラマをやっておりました上越市ですっていう風に挨拶できるかどうか」が今後のカギになってくるようだ。

2009年以降の観光の展望について尋ねると、まず上越市の観光に対するスタート地点の低さを認識している事を述べた。首都圏での上越市の場所に対する認知度がとても低く、ここをスタートにしているため、今年は認知度を高めるのが最優先にされている。また、観光地としての意識低さや、交通、宿泊のハード面の弱さにも課題があるとした。上越市はそれを踏まえたうえで上越の魅力づくりに取り組んでいきたい。

具体的には従来の桜やハスなどの季節型の観光資源に加えて通年型の観光資源として春日山にその可能性を感じており、季節型の従来の観光へのコースとして組みこんでいくことで、上杉謙信公が中心の観光地イメージを形成していきたいという。しかし、上杉謙信がほんとうに観光客が求める観光資源としてニーズがあるのかということに対しての答えはない。また、行政としてはあまり長いスパンでの政策を組むことは現実的ではないので、

 

夢を描くんであれば行政ではない誰か。一番いいのは、市民の団体があっちこっちできあがって、俺はこういう上越にしたいんだ、こういう観光地にしたいんだって言うね、意見がつきあっていってなんとなく市民の誰に聞いても、上越市ってのは100年後にはこういう観光地にしたいね、っていうふうに政策がとられていくって言うのが一番いいと思いますね。

 

と全体での雰囲気作りの必要性を感じていることも述べていた。

 

 

第2項      大河ドラマ「天地人」上越市推進協議会(以下推進協議会)

平成20年1月18日、大河ドラマ「天地人」の放映決定をきっかけに、天地人を利用した地域の活性化を目的に組織された協議会である。メンバーは行政と民間が合わさった50団体ほどで、県や市、地域の商工会議所、観光協会、観光商業関連(宿泊、飲食等)、報道、交通、教育委員会、ゆかりの地関連者、と幅広く、実働の企画等に直接関連のありそうな団体が参加している。

議論は市の観光企画課が企画の中心となり、それをメンバーによる協議で諮る形で進められる。協議内容は協議会の企画した「越後上越天地人博」や「上杉戦国物語展」への来客数を伸ばすための工夫や仕組みについての話し合いや、広報戦略、収支計算などである。協議会の中で細かい部会に分かれているといったこともなく、様々な立場、視点を総合した決定がなされている。

推進協議会の事業の柱は先にも出てきた平成21年1月17日から1220日にかけて開催された「越後上越天地人博」と、平成20年、21年に開催された「越後上越上杉戦国物語展」の2つの企画展である。これを目玉にしてHPや広告掲載、パンフレットなどのあらゆる宣伝活動をしたり、旅行会社などへの営業を市の観光企画課が中心となって行うのが主な活動である。また、企画展の盛り上がりを支えるために受入体制の整備としてボランティアスタッフを募集したり、土産物の販売やおもてなし7)の向上にも力を入れている。そして、会場までの交通への配慮も事業内容に入っており、シャトルバス「天地人号」の運行や自家用車で来るお客さん用の誘導看板の設置などでGWなど混雑期の渋滞などをなるべくさける工夫がなされた。また、何度来ても楽しんでもらえるようにということで、季節やイベントごとのサービスを企画したり、天地人に関連したアナウンサーやドラマの俳優などを招いたトークショーやイベントも多数実施した。

以下に2つの企画展についての説明を載せる。

 

<越後上越 天地人博>(以下 天地人博)

 推進協議会が主催し、天地人の放映に合わせて2009117日から20091220日までの期間限定の企画展として作られたもの。開催地は直江津駅から徒歩約15分のところにある直江津屋台会館だ。

 展示内容は、天地人のスタジオセット再現やセットでの写真撮影、歴史やドラマのパネル展示など主にドラマに即した内容で構成されている。その他会場には物産展が設けられており、上越のおみやげ物が買えるようになっている。また、土日や祝日にあわせて市民サークルによるショーを企画したり、イベントを企画するなどして変化のあるものとなっていた。

 当初の目標入場者数は20万人だったのだが、途中目標値の向上を経て最終的には倍の40万人を突破するという成功を遂げることが出来た。

 

<越後上越 上杉戦国物語展2009>

 同じく推進協議会が主催した企画展。期間は200943日から20091220日だったが、実際にはその前の年からの「上杉戦国物語展」から続く継続的な企画展であった。開催地は春日山のふもと、春日山駅から徒歩約20分の上越市埋蔵文化センターだ。

 天地人博とセットで企画したもので、こちらは歴史的な展示を中心にしている。しかし、交通の便があまりよくないことや、上杉の遺物の華やかなものはほとんどが米沢に渡ってしまっていることなどから、入場者数の目標値はクリアしたものの、天地人博のように入場者数を大幅に伸ばす事は出来なかった。

 

 

第3項      上越商工会議所青年部

平成3年5月に発足した団体で、総務企画、商業振興、工業振興、地域開発、観光開発と全部で5つの委員会で構成されている、各々の分野で活動を行っている企業経営者の集まり。今回はこの中の観光開発委員会にお話を伺った。

青年部はこれまでに以下のような活動に当たってきた。平成13年〜15年の8月に春日山城や上杉家の遺徳を県内外の方に発信・紹介するため、無料観光ガイド「あんない処春日山」を開設。観光ボランティアガイドを募ると共に青年部会員自らも歴史研究家による研修を受け、知識を取得し多くの観光客に春日山城を案内した。なお、この事業は現在()上越観光コンベンション協会が引き継いでしまった。

そして、この事業を「特定の観光地の魅力を掘り起こす事業」とした上で次のステップとして「上越地域に点在している観光資源をテーマに沿って結びつけることにより、上越地域を面で捉え魅力を発信する観光事業」を行った。具体的には「青年部がプロデュースするオリジナル観光ツアー」をJR東日本新潟支社のびゅう商品として販売し、新潟市からツアー客を呼んだ。

 また、平成19年には、上越市の英雄上杉謙信公の武勇と遺徳を称え行われている謙信公祭を盛り上げようと、その年の大河ドラマ「風林火山」で謙信公役を務めていたGacktさんを招聘するため、行政と共にNHKへ働きかけを行い、実現。併せて県内外から多数お越しになるお客様をおもてなししようと、同年より「大物産市in謙信公祭」などの企画・運営も行っている。

2009年、大河ドラマを迎えての活動には、主に推進協議会のメンバーとして天地人博や上杉戦国物語展の企画、運営実務の中心的役割をはじめ各事業に関わっている。また、商工会議所の会長が推進協議会の幹事長を勤めているなど、その関わりは深い。行政との関わりについては

 

行政は上越市へ如何に人を呼込むことができるか、当観光開発委員会はそれにより訪れた人へ如何に上越市の魅力を伝えることができるかを目指し活動しています

 

と、役割分担のような意識を持っていることもわかり、商工会議所として地域経済団体として中心市街地の賑わい創出にも繋げていきたいという観点から、「高田」「直江津」両商店街の各個店を重点対象として取り組んでいる。この具体策として現在取り組んでいるのが「観光客が初めて訪れた地で困ることに対するケアと、観光客と上越市民が触れ合う機会をつくり出すことを目的とした『いらっしゃいませステッカー掲示』運動」で、初めて来たお客さんが気持ちよくすごせるような工夫を始めている。

 また、「天地人」に関わるほかの地との交流も行っており、同じ境遇である米沢市との連携や相互の課題解決、魅力補完にも努めている。

 

 

4項 社団法人上越観光コンベンション協会

平成9年に直江津、高田の観光協会を一本化し、設立された協会である。事業予算の拡大が進んだことから平成19年には社会に対する責任という意味で社団法人化された。事業内容は協会の自主事業と市からの委託事業の2つに大きく分けることができ、前者の目標には観光案内サービスの強化があげられ、観光ボランティアガイドの派遣や観光案内所の運営、観光パンフレットの作成やHPの運営がある。また、委託事業では物産展で上越の特産品を売り込んだり、観桜会や上越まつりの運営があり、もともと行政との連携をもって活動していることが分かる。また、今回の天地人を受け、観光ボランティアのニーズの高まりと実際の実績は確実に伸びてきている。ボランティアガイド数は60名で、団体としてはこれまでの事業と同じように市と連携して活動を進めており、天地人博でも活躍をしている。

 これまでの活動の代表的なものは、観桜会、上越まつりなどの上越市からの委託事業と、親鸞聖人上陸800年記念イベントなどの自主事業の運営で、キャンペーン大使をたてた観光PR活動も行ってきた。また、観光コンベンション協会の活動の中で特徴的なものが観光ボランティアガイドの養成と派遣である。養成講座は一年間で12回講師を招いて開催され、9回以上参加してくれた人の中で、さらにガイドとしてやる気がある方がボランティアガイドとして登録される。ボランティアガイドになった人は自分の都合に合わせたガイド活動をしており、歴史知識を生かしたガイドをするなどして観光客を楽しませている。注目されている春日山周辺の観光については、

 

(風林火山放送以降の)上杉謙信とか春日山に対する売込みって言うか力の入れ方って言うのは大きくなってきているっていう感じですかね

 

と述べており、大河ドラマと春日山観光の盛り上がりの関係性についても意識があるようだ。

 天地人放送を受けての観光コンベンション協会の活動は、おもに推進協議会への参加とその中でのおもてなし事業である。推進協議会の会長を観光コンベンション協会の会長が務めるなど、その役割は大きい。具体的には天地人博の運営に関わると同時にその中でのお土産物の販売や「謙信公のかちどき飯」の提供拡充や、天地人宣伝用のラッピングバスの運行に関わるなど、積極的な活動を繰り広げていることがわかった。また、ボランティアガイドも今回の天地人放送のために前年の平成20年から直江兼続に関する研修を行って天地人観光に備えた。天地人放送以降のボランティアガイド活動の実績も確実に上がってきている。ボランティアガイドのみなさんも楽しんで活動に参加している様子で、観光コンベンション協会のかたもこれからの観光には欠かせない存在であるとして期待をよせていた。

 また、天地人博等の企画展については

 

それを観て(春日)山を見ることによって思い入れって言うのも一段と深くなると思うんで。だからその天地人をきっかけにそういう企画展をやることによってお客さんにたいするなんていうのかな、よろこびじゃないけどきてよかったな、って思わせるための仕掛けをつくっていければいいんじゃないかな。

 

と述べ、来たお客さんの満足度を重視している事がわかる。また、今後の展望については「通過点としてじゃなくて目的地として来ていただく観光になればね」と上越市の観光の面としての広がりを強化する必要性を語っていた。

 

 

5項 一義会 

もとは春日山会という商工会議所の集まりの一つで、上杉謙信の出陣儀式である武てい式を保存する伝統芸能市民サークルとして発足した。市の呼びかけにより40年以上前に始まったものであるが、一義会という名前で独立したのは12年前と新しい。それまでは謙信流陣太鼓などの伝統芸能を引き継ぐ団体も一緒だったが、各々に別れてこの形になった。現在のメンバーは22名。60代が中心ではあるが、若い人たちも入ってきており、人数は徐々に増えてきている。基本的に希望者は加入でき、上杉謙信の義を重んじて和を大切にした集団であるようだ。

一義会のこれまでの活動は、毎年8月に上杉謙信の武勇と遺徳をたたえて行われる謙信公祭において、武てい式の再現をするのが活動の中心となっている。その他、上越市から受ける依頼で、イベントにも多く参加しており、上越市を中心としながらも県外の東京や京都への出張も受けている。このような依頼については、

 

声かかりゃどこでもいくんさ、全部自腹だからね、自腹よね、上杉謙信の義なんですよ

ここにいる人は上杉謙信好きなんですよ、みんな好きなんですよ、直江兼続いまブームになってるけど俺ら謙信が好きなんですよ

 

とメンバーが語っているように、このサークルの活動の核となっているのは上杉謙信の遺徳「義」で、活動において利益を求めない姿勢がうかがえた。

 大河ドラマとの関連では、市からの要請を受けて20091月から12月にかけての天地人博開催中に月に1回のペースで武てい式の再現を野外スペースで公演している。また、2009年は天地人にかかわるイベントも多く、今回のインタビューの際に開催されていた越後上越うまいもん市など各イベントにも、同じく市からの要請で参加していた。一方、大河ドラマと自分たちの活動の関係については

 

天地人はさ、直江兼続なんだけど、謙信公をやっている会だから。兼続は出てこないんですよ、景虎とかも出てこない。

 

と述べており、これらのイベントに参加する際の内容の変更といった様子もなく、これまで通りの上杉謙信の内容を貫くスタイルをとっている事がわかる。また、

 

市のほうから要請が来てやってるんですけど、もう、何年も続いているね、会でやってることは大体同じなので、これといって変わったことというのはないですね。

 

ともあるように、天地人にかかわるイベントに数多く参加しつつも自分たちの活動スタイルを変えずに脈々と受け継いでいってるイメージの強いサークル像が浮かび上がる。

しかしそのネットワークは大河ドラマをきっかけに確実に広がりを見せていると言えそうだ。メンバー自らが運営するHPのアクセス数がのびたり、「ネットワークは広まって行けばいいのかな」という会長の話が聞けるなど、この変化を歓迎している雰囲気が読み取れる。また、サークルへの参加も寛容で、市民とのつながりも大事にしている事がわかる。

 

 

6項 軒猿衆

 謙信公祭の出陣行列をきっかけにお祭り、「チャンバラ好き」が集まって2003年に殺陣同好会として発足。お頭の殺陣の先生が設立の後押しをしてくれたことをきっかけに、現在は全国各地にメンバーが存在するサークルになった。今回インタビューしたメンバーも、現在上越市在住3名のほかに、山形県、長岡市、新潟市在住の方が1名ずつという構成で、来ていない主力メンバーの二人はそれぞれ静岡、大阪在住だという。月2回の公演に参加するたびに上越に通っているそうだ。すぐには集まれない距離にいて、普段の交流はネットを通して交流しているため、なぜわざわざ遠くからこのサークルに参加するのか、と問うと、「自分が楽しいから」という答えが返ってきた。活動内容やリーダーの魅力がこのサークルを動かす力となっていることがわかる。

 また、同好会とはいえ、専門知識を持ったメンバーが存在し、主体となって活動していることがわかった。それらの知識を活かし、軒猿衆として殺陣のショーをする際にも安全面に気を配る工夫もきちんとなされている。

 さらに、市民サークルとしてこの活動をするに当っての社会的影響や問題意識についてもそれぞれ考えを持っており、自分たちが地域の子どもに働きかけることによって、

 

興味があるならそれをうまく生かして、で、ついでにせっかく自分の住んでるところの上越の歴史だったりそう言ったところにまで興味を持ってくれたらいいな

 

と語るなど、自分たちが楽しむことプラスアルファのところにまで目が向いているのがこのサークルである。

2009年以前の活動は謙信公祭(8月下旬)と柿崎時代夏祭り(7月)の2つのイベントでのみで、後はネットでの交流が中心だった。今まではほとんど認知度もなく、披露する場所やきっかけがあまり無かったそうだ。

 しかし、2009年大河ドラマを迎えることによって、このサークルに活動の転機が訪れた。メンバーと知り合いで、この活動を知っていた市の職員が「是非やってくれないか。」と誘ってくれたことをきっかけに、天地人博開催中月に2,3回のペースで殺陣ショーの公演をボランティアで行っている。前述のように住む場所がバラバラのサークルなので、練習にあまり多くの時間を割くことは出来ないが、公演の日には午前中に集まって練習をし、午後から公演を2回する、ということが決まっていたそうだ。

 天地人博での公演に対しては

 

天地人博に来たお客さんが、ついでに俺らをみて、なんか変なのやってるよ、っていうのをそのお客さんが地域に戻って話してくれる、で、一人でもいいんです、そのたとえば、大阪のお客さんがこっちに来て天地人博をみたと、たまたま俺らをみる、なんかおもしろいのやってるよって大阪帰って言ってもらえれば、一人でも二人でもお客さん呼べればそれでいいですよ。そう言うなんていうの、行政的なことじゃなくて、ちょっとのことが地域活性化になると俺は思うんです。

 

と語っており、市民サークルだからこそ出来ることを見据え、どんなに小さな影響だとしても「俺らが上越市に全国の人が上越市に足を向ける、目を向けるきっかけになればいいと思ってます。」と、上越市の観光が県外に与える影響のようなものも意識していることがわかる。

 また、天地人博が自分たちのようなあまり名の知られていないサークルが注目されるきっかけであることを示した上で、

 

(これまで点でしか存在していなかった)市内のそのサークルみたいなのがラインとして線でつながるようなきっかけになればという風には、そう言う思いはこの天地人博ではありました。

 

と、市民活動の活発化に向けたきっかけにもつながっているのではないかとした。そして更に

 

せっかくできた横のつながりであったりそう言ったものを大事にして次のステップにあの、せっかく上杉家に興味を持ってくれた方とか地元の興味を持ってくれた方と次の階段に行ける起爆剤になればいいと思います

 

と語り、今後への展望や期待も持っていることがわかった。