第二章 先行研究
第一節 ライフヒストリー研究について
今回の研究はライフヒストリーの分析によって行うが、本論を進めるにあたって、まずライフヒストリー研究の特徴を把握したい。
以下、小浜(1996:27-35)に従ってライフヒストリーについてまとめる。
小浜は「ライフヒストリーとは、人がその生涯を振り返り、自分にとって意味あるプラスあるいはマイナスの出来事の記憶として語る主観的現実である」(小浜 1996:27)とライフヒストリーを定義しており、それは個々人のアイデンティティ形成に重要な意味を持つとしている。だが、記憶の不確実性や、語る本人による解釈の導入、自己正当化、過去における行為を合理化する傾向があるなどライフヒストリーにおけるマイナスの面も指摘している。
また、小浜は「経験」と「体験」を区別することでライフヒストリーを説明している。
「個人の主観的なフィルターを通して意味ある出来事として意味づけられた時、経験は単なる経験の域を出て『体験』として記憶に蓄積されることになる」(小浜1996:28)
そして、その体験の累積が個々における独自のライフスタイルを形成すると言う。
言い換えれば、当該主体の人生観を形作っているのは、人生で経験してきた出来事というより、むしろ、それに伴う主観的な事実であるといえる。その点で、本論にはライフヒストリーの手法が適していると思われる。高齢者の現在における学習意欲の形成要因を、今まで生きてきた過去という個人的な資料から分析するからだ。その過去を探り、構成するのはインタビュイー自身による作業であるので、彼らによる「意味づけ」に資料の価値は委ねられることになる。その「意味づけ」を重視するのがライフヒストリー研究であると、小浜は説明している。
第二節 学習意欲についての研究のレビュー
ここで、筆者があたった、学習意欲の形成、および学習の在り方について分析した研究から、三つを取り上げてレビューする。なお、参照する文献は高齢者に焦点を当てているものに限定していない。
・「ライフ・コース論からみた学習意欲の形成と展開」山岸治男(1995)
この論文では、山岸が収集したライフコースの事例をもとに、学習意欲の形成のメカニズムを洞察し、理論的に分析している。この論文で言われている「ライフコース」は「ライフヒストリー」と同義と考えてよい。山岸は、学習意欲を「興味に基づく学習意欲」と「関心に基づく学習意欲」に分類しており、前者は情感に基づく欲求を満たそうとする心の傾向から現れ、後者は認識に基づく状況判断に対応しようとする心の傾向から生まれると分析している。また、生活環境において当該主体に迫りくる「出来事」と学習意欲の現れ方についても以下のように分析している。
「本稿ではこれを、主として情感がかかわる意識状態および主として認識が関わる意識状態として区分することによって、学習意欲の形成過程を少し分析的に探ろうと試みた。この試みによれば、興味は日常的出来事および非日常的出来事の両方からともに発生する可能性があるが、関心は日常的出来事から発生する可能性が乏しく、主として非日常的出来事に由来することが推測される」
・「高齢者の学習の成立条件に関する一考察:福井県鯖江市高年大学を事例として」堀薫夫(1989)
この論文では、福井県鯖江市の高年大学の受講者に対する質問紙調査をもとに、高齢者の学習の成立条件について考察している。質問紙の内容は大きく二分され、交通手段などの外在的要因と、学ぶきっかけや評価などの内在的要因について質問している。
調査の結果、外在的要因については、高年大学に通学する利用者の過半数が送迎バスを利用しており、また「どちらかといえば健康ではない・健康ではない」と答えた層は四人中三人までがバスを利用していることからも、堀は、無料送迎バスシステムはより広く高齢者へ教育機会を開いているのではないかと分析している。
内在的要因については、受講する「きっかけ」においては「学習内容」が、「評価」においては「友人関係」が大きな位置を占めているという結果が出た。調査の結果を受けて、堀は以下のように分析している。
「高年大学受講のきっかけは、表面的には「学習内容」が最も高率であるが、実際にその学習内容から何らかの成果を得ている者は、むしろ地域活動の実践やそれまでの学習内容と関連があるものではないか、ということが考えられる」
・「成人の学習欲求と学習方法に関する調査研究(2) : 吹田市と福井県における生涯学習基本調査から」堀薫夫(1995)
地方都市町部と大都市の衛星都市、両方における20歳以上の住民に対して質問紙調査を行い、それを分析した論文である。調査した地域は福井県永平寺町・南条町・越前町。そして大阪府吹田市である。質問の内容は大まかに分けると、今までの、現在の、そしてこれから希望する学習形態および学習内容である。堀は結論および仮定を以下のように整理している。
@学習欲求に関しては、両地域とも個人的・家庭的項目が高率。時事問題などの社会的・必要課題的項目が低率であった。
A学習方法に関しては、両地域で若干の差がうかがえたものの、「これまでの学習方法」では「個人学習」と「講演・講話」が多く、「今後希望する学習方法」では「仲間ときらくに」が多かった。
B「これまでの学習方法」と「今後希望する学習方法」との関連を分析したところ、両地域ともに、「高齢になるにつれて、それまでの学習方法を以降も希望する傾向が強くなる」という結果が得られた。
はじめに挙げた論文は、もっとも本稿と深く関連している。山岸(1995)は人生で起こる出来事に視点を当てることで、学習意欲の形成を分析しようとしており、この問題意識の持ち方は筆者と共通している。しかし、何が「日常的出来事」であり、何が「非日常的出来事」で、両者がいかに学習意欲の形成に結びついているか、もしくは、いかなる形で結びつけて語られているか。そのメカニズムにどうして至ったのかは示されていない。
人生経験という数量化できないデータを扱った調査だからこそ、実例と照らして紹介し、調査者自身がどう論理展開したかを明らかにするべきだと考え、本稿では、高齢者一人一人の語りを参照しながら分析をしていく。
また、堀による質問紙調査の研究を二つ挙げた。鯖江市高年大学の調査では、生涯学習を始めるにあたり、高齢者が何を求めているかということと、学習した結果、何に満足したかという評価の違いを調査しており、もう一方の論文では学習意欲の地域差を調査している。どちらも学習意欲における「差異」に目をつけており、質問紙調査によって差異のあり方を明らかにしている。これらの研究は高齢者の要求に応えるために、直接役立つデータである。だが、ここでは、あえて「ある地域の高齢者一般」と、対照を大きくとらえるのではなく、「ある高齢者」と、個人に対して焦点を当てる。そのことで学習意欲に対する多面的な理解が期待できるのではないか。本稿では五人に対象を絞り、分析を進める。
第三節 死への準備教育について
今回の調査の中で、インタビュアーの口からは病気に関する語りや、健康維持の必要を感じているという語りが多く見られた。また、何人かの語りの中では健康に関する話と、死に対する意識についての話が関連していた。
このことから、筆者は高齢者の学習欲求と彼らの死に対する考えが、意識の深いところで繋がっているのではないかと予測した。
死に対する意識と学習欲求の関連を分析するに当たって、堀薫夫の研究を見てみる。堀は高年大学の高齢者や、大学生、大学生の親などに対するいくつかの調査から、高齢者は比較的、死に対する恐怖を感じない傾向にあると指摘している(堀;1996;1998)。また、堀は老人福祉施設で高齢者に対するインタビュー調査も行っており、その時、次のような答えが返ってきたという。
「死は、怖いとか怖くないというものではない。それは自然の流れの一部だ」(堀 2006:91)
この答えからも、多くの高齢者は死を自然なプロセスとみなしているといえる。
また堀は論文の中で「死への準備教育」とは何かを確認するにあたり、アルフォンス・デーケンの説明を紹介している。
「死への準備教育の理念と実践の主唱者であるアルフォンス・デーケン(Deeken,A.)によると、死への準備教育の意義は、『死を身近な問題として考え、生と死の意義を探求し、自覚をもって自己と他者の死に備えての心構えを習得する』ところにあるということである」(
堀2006:85)
これは、あくまで概念である。また、堀の論文にも「死への準備教育」について具体的な行為が示唆されているわけではなかった。
もし、各人の死に対する意識と学習意欲とが関係しているとしたら、それはどのようなものか。本稿では、それを確かめるということを念頭に、主に第四章で死に対する意識と学習行為の関連について考察していく。