第6章 「障害」と「回復」へのまなざし
第1節 障害の位置づけと回復機能
障害をどのように捉えるか、これが本研究の要ともいえる部分であるが、語りからは障害と人々の向き合い方の様々な形、その多様性をみることができた。
●貴重な出会いと、できるならしたくなかった経験
障害者になる前の自分に戻りたいかと質問したところ、Cさんは以下のように答えた。
戻れるものなら戻りたいっていう面も反面ありますけど。こうなったから、知り合えた人とかもいるんですね。こうなったから今の友達がいたりとかもあるんですけどそういう面では複雑ですね。(中略)私は(出会った人を)大切にしたいなって。・・・できることならでもしたくない経験でした。
新しい出会いを大切に考えている発言は他の人にも多く見られた。新しい出会いと受傷とをはかりにかけるわけではないが、そこには誰しもが抱える複雑な思いがある。
●考えない、どうでもいい
Dさんの考え方はとても特徴的である。Dさんが口癖のように発する言葉は「どうでもいい」という言葉である。何か失敗しても長い間気に病むことはなく、インタビューで聞いた話はいつも「でもどうでもいい」というオチに行き着く。Dさんは「(障害に)正面からぶつかっていくのも一つの生き方かなと思うし。・・・(自分は)あんまり「なにくそーっ!」っていう気はない。」と語る。「入院したときに思ったんやけど、悩んで治るものなら悩む。色々やって治るならやればいいけど、ダメなら楽なほうがいいんじゃないっていうのもあったわ。」と、柔軟な態度を見せる。記憶を思い出そうとすると頭が痛くなるというDさんであるが、考えないことが、彼の防衛反応であり、彼の心を助ける機能になっているのではないだろうか。
●いつか完治する
体験記『神様、ボクをもとの世界に戻してください』の主人公である鈴木郷さんは、タイトルの通り、「元の世界に戻ること」つまり「もとの自分に戻ること」を未だに考えているようだ。
記憶がなくても不安なんて感じない。
いまの自分は自分じゃないのに、そんな記憶はなくてもいいじゃないか。
自分は絶対もとに戻るんだから、いまの自分を記録する必要もないでしょう。
(鈴木,2006:82)
この考え方は第3章で紹介した「自分から障害を差し引く」に当てはまるものではないかと思うが、しかしこれが郷さんの意思を完璧に表したものと捉えるのは語弊があると思う。なぜなら、高次脳機能障害者の多くは自分の中に複数の自分を持っていると考えられるからである。
自分一人でセンターや病院へ通えないという「幼稚な部分」、病院などで順番を待っていられないとか、怒りが爆発するという「おかしな大人の部分」、そして「もとの自分」が混在していることに気づき始めたが、自分ではどうすることもできない状態だった。
郷自身、いまの状況に耐えられなくなってきていた。
(鈴木,2006:102)
健常者にも同じような部分はあるのだろう。しかしそれをコントロールできないのが高次脳機能障害者であり、どんな人の中にも回復の語りは消えずに残っているのではないだろうか。
第2節 過去と今と未来
フィールドワークで気づいたことであるが、本人たちは自分から将来について進んで話すことがあまりない。その点が非常に気になったのでインタビューにおいて訪ねてみた。Aさんは以下のように語った。
みんな結婚もしたいと思うし、あの若い子たち(本人)は若い女の子いるとこに行ったらすごい興味もあるし、若い子とも知り合いたいし、そういうが思っとると思うよ。だけども、今の自分では無理やいうのもあるんね。だけど、どれだけそこに近いようなふうに持ってけばいいのかというのは親も考えるね。うちの息子が結婚したときに、最後まで「俺は結婚できない」いうて、そういう人格ではない言うて。(中略)思いはみんな健康な人と一緒やと思う。そこに自分のハンディキャップがあるから諦めがあるというか声に出さないというか。思ってることは一緒やと思う。ちゃんと自分が高次脳機能障害だと分かってる人はね。
実際インタビューを行ってみると、Aさんが言うように、諦めや挫折を抱え、将来を進んで語らない人もいた。しかしその形にも様々なものがあり、障害の内容や性格によって個人差のあるものだと感じた。
●制限される将来、不安
「将来について考えてみたとき、したいこと、不安なこと、何かあれば教えてください」という問いに対して、Cさんは「なりたい仕事がある。でもその仕事をするにはある程度条件がいるとか。そういうときに、ちょっと大変かもってありますね。(中略)でもそこで立ち止まってもどうにもならないと思いますし。」と、ある程度希望が制限される事実を感じながらも、そこで立ち止まらない、と語っている。Bさんは将来自分の子供が大きくなったときに、自分の障害を理解できるようになった時に子供がそのことをどう感じるか気になると語った。
●今を、頑張る
Dさんは第4項で記述したように、障害を特別な捉え方で捉えている。将来についてインタビューで聞いた際、Dさんは自分の考え、今までに感じたことをリアルに語ってくれた。
基本的には考えられないっていうか、それと、まあどうでもいいのね。(中略)死にたいとも思わんけど、自殺みたいな積極的な死を求めてるわけじゃないけど、例えばガンであと余命1ヶ月ですよって言われても「ああそう」っていう感じ。でもそれはいかんやろっていう自分のあれ(思い)もあって。
死を考えた過去についての発言は体験記の鈴木郷さんや、Bさんについても見られた。しかし、Dさんは少し違う。Dさんは入院当初の「記憶を一生懸命思い出そうとした時期が一番辛かった」と語っているが、悩み苦しむことはそこで終わったとも語っている。特に生きたい、という生命力に導かれているわけでもなく、色々なことが「どうでもいい」Dさんであるが、次の目標へと向けて淡々と生きている。
事故後半年ほどで1型糖尿病の患者会に参加するようになったことについてEさんはこう語っている。
なんか行きたいなって思うようなったら自分で目標ができてそれまでもうちょっと頑張ってみよう…ってのが1年過ぎてだんだん分かってきて、ちょっと積極的にそういうのいれてみようかなと。それまで頑張ろう。その頃なったらまた次のなんかあるから。じゃあまたそこまで頑張ろうとか。それはちょっと意識してる部分があるんやけど。
第3節 まとめ―障害との向き合い方―
私は、当初障害者の人たちがどんなことを考え、どうやって障害と向き合っているのかを知りたかった。自分も人生を生きていけばいつかそういった困難にぶつかる。だからその答えを教えてほしいというのが本心だったかもしれない。
しかし、調査を通して分かったのは、決まった答えがないということだった。それぞれに違う境遇があり、違う苦しみを抱え、それぞれの方法で生きているということだった。第2章で示したように、同じような段階を経ているが、結局感じ方は人それぞれということである。
第3章第2節第1項において様々な先行研究をレビューしたが、どれもその通りであると思った。特に関谷の「障害との共存」という考え方は障害と向き合う人々の姿を現実的に描いている。しかし、本調査を通して高次脳機能障害の人々にはそれらとはまた違った向き合い方があるのではないかと感じた。それは、高次脳機能障害者にとって障害自体が全体像の見えない、曖昧な存在であると感じたからである。
高次脳機能障害は非常に複雑な障害であり、本人にも完全に全てを把握することは出来ない障害である。中途障害者の大きな特徴として健常者とのダブルライフ的存在であることを前述したが、私が出会った人々は「健常者であった自分」について多くを語らなかった。記憶障害で思い出せない人も、単に語りたくない人もいただろう。Dさんが自分の考え方について、「これが事故のショックで変わった性格なのか、元からなのか、分からないけどね」とインタビューで語る場面があった。性格まで変えてしまう障害を受けた後で、どこまでが「ふつうの自分」でどこからが「障害によって変わった自分」かということを線引きするのは実はとても難しいことなのではないだろうか。考える機能、人そのものである性格を障害によって揺るがされれば、それは「どうしようもないこと」と受け止めざるを得ないのではないだろうか。鈴木郷さんのように障害を受け入れない気持ちを率直に語る人もいるので、それこそ個人個人で「例外多々あり」の世界である。
それでも彼らはみな突きつけられた現実と「仕方なく」ではあるがしっかりと向き合い、自分なりに出来ることをして生きている。出会いや価値観の変化などプラス面はあっても、それが障害自体を「してよかった体験」にはしないのが真実なのかもしれない。「できればしたくなかった体験」というCさんの言葉が、とてもリアルに感じる。
しかし、本来人間の人生とは仕方のないこと、やりきれないこと、苦労があってこそのものではないだろうか。「仕方なく」という表現はマイナスに聞こえるが、それは目の前の事実から目を背けないことでもある。
調査を通して、障害者文化を脅かす健常者文化の存在に気づき、震撼した。健常者の障害者への理解はまだまだ完璧とはいえない。障害者の評価にはいつも「障害者にしては〜だ」という価値規範がつきまとう。それを象徴的に示すシーンを漫画『リアル』(井上 3:18-19)から以下に抜粋する。
「俺たちの(車いすバスケ)はよ・・・勝とうが負けようが世間の連中にはどうだっていいんだ。その証拠に新聞を見てみろ。車イスバスケがスポーツ欄にのるか? 「社会面」とかそんなんだろ。いいか戸川、勝ちなんか誰も期待してねーよ。「障害に負けず、明るく前向きに楽しんでます」奴らが知りたいのはそれだけだ。
井上雄彦『リアル』集英社 3巻pp18-19
痛切な言葉であり、これが現実だと思う。しかし、誰もがいつでも障害者になりうること、障害者も健全者と変わらず生きることに必死に向き合っていることを、多くの健常者に知ってもらいたい。