第2章 高次脳機能障害

 

 第1節 高次脳機能障害の定義

 高次脳機能障害とは脳外傷の症状の一部をさす言葉である。交通事故や病気によってダメージを受けることで脳外傷になるが、症状には以下のようなものがある。

 

 ・次脳巣症状・・・失語・失行・失認など

 ・記憶障害・・・新しいことが覚えられない、昔のことが思い出せない

・注意障害・・・ぼんやりしている、簡単なミスが多い、集中できない

 ・遂行機能障害・・・段取りが立てられない、計画どおりの行動が取れない

 ・社会的行動障害・・・イライラしやすく怒りやすい、喜怒哀楽のコントロールが難しい

 

 以上のうち下4つを総称して「高次脳機能障害」という。障害の内容はダメージを受けた脳の箇所によるので十人十色である。脳外傷と別に高次脳機能障害という名があるのは厚生労働省の定義づけによるものであり、今までは後遺症や障害として認められなかった部分を法律で支援するためにこの名称が作られた。医学的には高次脳機能障害については解明されていない部分も多く、医学では厳密に規定されていない。しかし実際にこの障害により苦しむ人は多く、2001年より5年間をかけて行った「高次脳機能障害者支援モデル事業」によって国は高次脳の定義を作成した(赤松 2006:158-160)

 

 

 第2節 特徴と問題点

高次脳機能障害の大きな特徴として不可視性がある。他のあらゆる障害と比べて特殊なのは「見えない(見えにくい)障害」であることである。多くの高次脳機能障害者はその外見が健常者と変わらない。そこには本人にしか分からない苦悩があり、職場などで周囲から完全な理解を得ることも難しい。

また、社会的知名度がまだまだ低いことも大きな問題点である。1990年代以降、医療関係の雑誌などで特集が組まれるようになり、高次脳機能障害の研究はその量と質を一気に高めることになった。1995年には大阪、名古屋での設立を皮切りに、各地で当事者組織が相次ぎ、富山で脳外傷友の会高志ができたのは2000年のことである(赤松 2006:164-167)。メディアに関しては高次能機能障害を扱った映画作品として「博士の愛した数式」[i]「ガチ☆ボーイ」などがあり、本人による自伝が発行されたり、テレビでドキュメンタリーが放送されたりもしているが、一般的な知名度は低い。交通事故被害として自賠責保険が平成13年に認定されたが、認定に至るには約10年の歴史があり、裁判で起訴するも障害が理解されず、苦しんだ患者も過去に存在した。現在でも病院によっては高次脳機能障害という診断が出ず、「後遺症なし」の診断で退院を余儀なくされてしまうケースもあり、まだ課題の多い障害であると見受けられる。[ii]

 

 

第3節 段階―問題点と関心点をふまえて

 高次能機能障害は人によってまったく症状の異なる障害であるが、彼らはおおよそ同じ段階を経て変化していくことが分かっている。本節では資料を参考に、本研究での発見を踏まえて段階を分かりやすく示すとともに、問題点と本人や家族の語りから見る関心点を書き加えた(図表1)。人によっては経験しなかったり、順番が入れ替わったりする項目もある。

 

<図表1>高次脳機能障害者の経る段階

 

段階と補足

問題点・関心点

入院生活

受傷

 

奇跡的に生還

「命が助かっただけでも・・・」というジレンマ。

身体の障害への気づき

 

違和感の発生

 ・・・身体の異常ではなく、日常生活において異変が起きる。(性格の変化、奇行など)

病院によっては高次脳機能障害という診断が出ない場合がある。自分で調べて気づく人も多い。

家庭生活を経て社会生活へ

退院

違和感がある場合でも「後遺症なし」とされ退院を余儀なくされる場合がある。

知能・記憶・行動・感情の障害への気づき

 ・・・入院生活では気づかなかった様々な異変。

家族からしばしば「変わり果てた姿」として捉えられる。

抱え込み

 ・・・親子の場合起こりやすい。

夫婦の場合は関係性の変化が起こる。

情報収集

 ・・・この時に高次脳機能障害と知る人も多い。

 

家族会などに所属

 ・・・インターネットや支援センターの普及により所属しない人も増えている。

家族会などで理解者を得ることで癒される人が多い。

自立支援・就労支援の利用

 ・・・社会生活への復帰

この過程については様々な苦労エピソードが語られる。

障害者手帳の発行

 

発見・苦労・慣れを重ねていく

高次脳機能障害は5年、10年と段階を経て変化すると言われている。

 

参考 千葉県リハビリテーションセンター,2008,「高次脳機能障害 あしたの一歩のために支援ガイド」

  

 

 第4節 富山県の高次脳機能障害

第1項 脳外傷友の会 高志とやま

 高志は富山県の脳外傷患者とその家族の会である。日本脳外傷友の会の富山支部でもある。会報の発行、ものづくりのイベント、月に一度の定例会などが主な活動。お互いの悩みや近況を話し合い、情報提供をしあう場の提供や、障害の理解を社会に対し深めるという目標のもと活動している。会員数は約20家族であるが現在も増加中。会長のAさんは2代目の会長である。

 

  第2項 支援センター

富山には現在「高次脳機能障害支援センター」というものがある。これは「交通事故などで高次脳機能障害になった特に若い人が就労できるように支援しようとする事業」であり、センターの機能は主に相談機能である(図表2)。コーディネーターが相談に乗り、リハビリ科や神経内科のドクターが診断などの計画をたてる(竹川 2007)。相談は電話予約制となっている。

高次脳機能障害が社会的にまだ浸透していないので、患者や家族は受傷当初まず情報を求める。こういった時にこのような相談機関が必要とされる。このセンターは全国に少しずつでき始めている状態で、富山県では2007年1月に開設。家族会も相談機能が主であるが、支援センターの設立やインターネットの情報の増大に伴って家族会には参加しない人も増えたのではないか、とAさんは語る。

  

 

<図表2>相談から社会参加まで

flow

高志リハビリテーション病院HPhttp://www.koshi-rehabili.or.jp/

 

 


 第3項 作業所と自立支援ハウス

 障害者の中でも、社会参加の段階になると障害者枠で雇用されて働く人、作業所へ通う人、有償ボランティアをする人など様々である。今回フィールドワークの中では前述の3つが会員の人々の主な進路先であるようだった。

 作業所とは、障害のある人たちが毎日通える範囲(地域)内にあり、地方自治体や家族の会、あるいは各種の民間団体やNPO法人などによって運営されていることが多い「福祉的就労」の一形態である。2000年の社会福祉事業法改正により、施設の事業規模や資産要件などが緩和され、小規模通所授産施設として社会福祉法人格を取ることも可能となった(石山 2008:31)。という位置づけであり、全国的に様々な作業所が存在する。障害者の保護者が設立することも多いようである。しかし、障害の程度によっては作業所で働くことも難しい人もおり、誰もが通えるわけではないようだ。

 自立支援ハウスは、名の通り障害者を支援する施設であるが、施設ごとに行っているサービスや活動内容は異なる。フィールドワークで名前が出たのは「ふらっと」「ダッシュ」「JAM」という名前の自立支援ハウスで、いずれも富山県内にある。知的障害児のデイサービスや、参加者同士の交流、イベントなどを行っている。主体はほとんどがNPO団体である。高志の会員にも自立支援ハウスへ有償ボランティアとして参加する人も見受けられ、就労以外のソフトな社会参加の形として、機能しているようである。        

 

 



[i] 博士の愛した数式・・・200年公開の邦画。原作は小川洋子の小説「博士の愛した数式」(2003)交通事故の後遺症で記憶が80分しか持たない博士と、家政婦の物語。

[ii]最近では政府が障害者の定義についての見直しに乗り出す動きがあり、個人の問題として心身の機能に注目する「医学モデル」から、社会参加を難しくしている社会側の問題を重視し必要な支援を把握する「社会モデル」への転換が図られようとしている。(毎日新聞,2010年1月11日)これによって支援を受けられる障害の幅が広がり、高次脳機能障害についてもよりサービスの充実が実現することが期待される。