第四章 限界集落の実態

 

第一節 上畠集落

 上畠集落は、南砺市利賀村の山間部に位置する集落。2009年9月において、実世帯数16世帯、実人口数は36人、高齢化率は61%である(注2)。近年集落の人口は微減しており、世帯数や若者数、新たに集落に転入した世帯数に変化はない。観光スポットとして瞑想の里があり、3年前から上畠アートというイベントも行っている。昨年から年に一度夏場の草刈りを手伝う上畠サポート隊が結成されている。南砺市田中幹夫市長は上畠集落の出身。冬場に降る大雪は、高齢化した住民達が除雪をするのが年々困難になってきているため、ひとつの問題である。

 

●上畠アート

上畠アートは、高齢者が多い同地区の活性化のため住民が中心となって企画されたイベントである。開催場所は南砺市利賀村上畠一帯。山里の民家や畑をギャラリーとして開放し、多彩なジャンルの芸術作品を展示する。出品者は県内外の作家。平成19年8月に初めて開催。平成18年度には1200人の来場者を達成、大好評を得た。各地方新聞でもその準備段階やイベント当日の様子は記事に取り上げられている。

 

集落の周辺地図(上畠アートのパンフレットより引用)

 

趣旨:利賀瞑想の郷への回廊。利賀地域上畠地区はかつて40戸の集落であった。現在は22戸が住居や別荘としてあるが、高齢化の進んだ地域である。信仰心の篤い住民は念仏道場を中心に協力しあって生きて来た。児童画家・金沢佑光氏、ネパールの画僧サシ・ドージ・トラチャン氏が長期滞在して大作を残し、日本を代表する書家関根薫煙氏、洋画家古川通泰氏など内外の芸術文化界の人たちと親交を育んできた。今回地元住民の発案で、古民家そのものを画廊として解放し、各界の方々の協力による創作と、交流の場を創造することとなった。

目的:1、地区の誇り魅力が再発見できる交流の場とする。

2、地区の住民が自ら考え、自ら取り組み「もてなしの心」を合言葉に出会いを大切にする。

3、地区の公共施設、個人の施設を活用し、美しい地区づくりを行う。

4、地区住民の伝統的な共同体機能を育成する。

5、地区住民と南砺市内外の住民との交流から「地域力」を高める。

 

上畠アートに対する田中幹夫市長のコメント(調査依頼に対する田中幹夫市長からの返事より)

上畠アートは、一昨年集落のお年寄り達と何かやろう、の一心で始めました。その結果、ふるさとは若干注目を浴び、離れて住む息子、孫らが興味を持ち、県内に住む若者(出身者)で集落の道路管理の為の草刈りや公共施設の管理や、屋根雪下ろしなど手伝う応援団を組織し、手伝ってくれるようになりました。54日は春祭り。多くの応援団が獅子舞を手伝っています。限界集落からの抜本的な脱却は難しいけれども少しだけ元気は出ているようです。

 

 

●上畠ふるさとサポート隊

上畠集落の出身者20人が、高齢化が進む同集落で暮らす住民を支援する「上畠ふるさとサポート隊」を結成。お年寄りが集落での生活を続けられるよう、雪かきや夏場の草刈り、祭りの運営などを手助けする。メンバー20人は、上畠集落出身の3060代の男性。ほとんどが利賀地域を離れ、県内で会社勤めをしている。サポート隊は、草刈りや雪かきのほか、神社や公民館の補修、農業水路の維持管理など、集落の住民による共同作業を支援する。それぞれの作業を行う日時が決まるごとに区長が連絡し、都合がつくメンバーが参加する。

発足は、北日本新聞の限界集落の上畠集落で暮らすお年寄りを取り上げた記事がきっかけ。記事中には過疎と高齢化が進む上畠集落の厳しい生活環境を描きながら、そこに愛着を持って暮らすお年寄りの生きざまが紹介されていた。結成者は、「古里の厳しい現実にあらためて気付かされた。悩んでいる住民を見て見ぬふりはできないと思った」「高齢化がさらに進めば、集落が消滅する恐れもある。古里のために、ほかにもできることがないか、住民とともに考えていきたい」と話している。(200914日読売新聞より引用)

 

 

●移動スーパー

 近隣の百瀬という集落から週に二回、月曜日と木曜日に魚や牛乳を売りに来る。

 

 

 

第二節 調査報告

 

第一項 世帯用アンケートおよび集落点検シートから

まず、限界集落支援員事業の世帯用アンケートで得られた上畠集落のデータである。

 

●一番望むこと

「集落として、自分たちが「住んで良かったまち」となるために、一番望むことは何か」という問いに対しての、自由記述の回答である。回答は、2つの系統に分けられた。

 

①変化を求める意見

・戸数が減り、共同体の維持が難しくなる。町に通じる快適安全な道路の整備

・高齢化対策に力を入れてほしい

・集落としての共同体意識をもっと高めること

・高齢化や過疎は、すぐには解決できない。環境、自然を守ることも考えると集落の存続は大切。町部住民や市外(都市)住民との交流活性化をさらに進め、コミュニティビジネス支援を行うこと等。均衡ある発展こそ重要である。不便さはあるにせよ、行政サービスの均一化が必要である。

・若者の職場がたくさんあって、人口が増加すれば良いと思う

・すべての団体の人選を、地域別ではなく利賀村全体で行ってほしい。小さい地区は役をする人がいなくなったから。

 

②現状維持

・今の現状に満足ですが、夫が生きていてくれたら…との思いです

・病気にならないように気を付けてさえいれば、住み続けていきたい

・今のままの自然を楽しみたいので、自然を大切にしてください

・集落が存続すること

・集落機能が維持できること

・今のままが一番いい

変化を望む意見では、共同体としての存続が危ぶまれるために快適安全な道路の整備をしてほしいという意見や、若者の雇用の場を希望する意見がある。しかし、その一方で現状に満足、今のままでよいという意見も多い。ほとんどの人が永住の意思を示していることから、変化を望む意見の裏側には、より現実的に考えて存続可能な集落となるためにどうなったらよいか、という想いがあるように感じられる。変化と現状維持という違いこそあるが、いずれも今後とも集落が機能を保ったまま存続していって欲しいという思いが共通の願いとして根底にある。

 

 

  生活の不安

グラフ①今の生活で不安を感じること


グラフ②10年後の生活を考えたとき、不安を感じること

 

・今の生活で不安を感じること

今の生活で不安を感じることとして、回答数が多かったものを順に挙げると

1.集落(自治会、町内会)活動の維持…8

2.集落の存続…7

3.除雪作業などの雪対策…6

であった。

誰も票を入れなかった項目は、以下の4つである。

・買い物

・保育園などの子育て環境

・消防や救急体制

・情報通信などの接続環境

買い物は、家のすぐそばまで来てくれるという移動スーパーが重宝されているようである。自分たちの子どもはすでに独立し、集落に子どもが少ないせいか、子育て環境に関する不安は少ない。実際に集落に暮らしている人々にとっては、今現在自分たちの生活に直接関わること(集落活動・雪対策等)が大きな関心事であることがわかる。

10年後の生活を考えたとき、不安を感じることのグラフを比較してみると、今の不安と10年後の不安に大差はみられない。現在よりも10年後のことを考えると、自動車等が運転できなくなることが不安と回答する人の数が少し増えている。

 

 

  集落の魅力

グラフ③集落の魅力

集落の魅力として、自然に恵まれている、空気・水・食べ物がおいしい、のんびりできる、人情がある等にたくさんの票があった。“暮らす”という点に大きな魅力を感じているようである。一方で、山林や洪水防止に役立っている、地球温暖化防止等に貢献しているというような、環境についての観点はあまり着目されていないようだ。

 

 

これらのことをまとめると、住民たちは高齢化によって、除雪や草刈、掃除などの集落活動に少しの不安を抱えているものの、永住したいという意思を持っている人が多いということになる。限界集落に住み続けたいという住民の想いからは、やはりコミュニティ保護を願う気持ちが大きいように感じられる。集落を守る意義について考えると、実際の人々が感じていることは、大野論文にあったような環境保全からの観点ではなく、やはり実際に住んでいて、土地に住む人々に愛着があるから、自然がいい、暮らしやすい、というように自分たちの生活を守ることが集落を守る意義につながっているように思われる。

行政側としても「いまいる住民たちが最優先」という方向性を示していることから、このケースにおいては、住民側と行政側の考えは共にコミュニティ保護に基づいて集落を存続させていこうという意識が共通している。

 

●集落点検シートの話し合い

2009913

南砺市利賀村上畠集落内 カルチャーセンターにて

集落点検シートの回答のための話し合いに同席

参加住民:6人、すべて男性。年齢は60代~80代くらい。

 

○集落で良いと思うこと

・普段の買い物先(移動スーパー)

「何十年も前からやっとる」

(スーパーまで)移動距離ゼロキロメートルやね、家の前まで来てくれる。()

・集落外から観光客が訪れる施設や名所、旧跡の有無

「瞑想の里。」

 

○集落での不安等

・熊、イノシシなどの獣害

「イノシシはある。去年は一反分の田んぼで、普通だったら8表半の米が、6表しかなかった。去年豊作で、たくさんイノシシがふもと来て。」

「ハクビシンやタヌキがひどい。タヌキは去年から。」

「ハクビシンは家の中入るもんの。駆除してもらわんな。」

・土砂災害等の発生が予想される場所

「一回まわって見てもらえたらいい。()

・交通事故の発生が予想される場所

「坂道は冬凍結する。180度すべる人が何人もおる。」

10年後の集落の人口

6割は減るやろ。」

20人ほど減るっちゃ。」

10年後、居るやら居らんやらわからん。()

「今の民主政治にかかるちゃ。」

10年後の高齢者の割合

「いない。()

5人のうち3人ほどが」

10年後の中学生以下の数

「ぜろ。()

10年後の跡継ぎが居ない高齢者の世帯は

「ぜろ。()

 

○現在の集落活動、作業、行事等について、将来的に予想される状況

・「利賀ダムは中止になるがやろ。道路ができれば利賀の交通環境はがらっと変わる。

時速80キロで走れば…」

80歳のじいさんが80キロで走る。()

「利賀の道はみんなドライブに来た人"すごい"って言う」

「すごい怖いって言うがやろ。()

・「(跡継ぎについて)今のままの状況でいきゃあ、なんも行く手段とか政策がなければ、このまま推移していくちゃね。、ここで今このような調査をされて、なんか、そのー、元気になるとか少しこう希望が見えてくるようなことへ転ずれば、まぁ多少は、いま言う数字が変化するかもしれん。…だからこれがなかったら、このままいく。」

「今後継者ほとんど県内におるんやけれども、現在の交通環境が悪すぎて、なんもあの検討の余地ないんで、先ほど話しとるような状況なんだけれども、いまやっぱ道路完成すれば、環境がぜんぜん変わりますから。風光明媚なすばらしい環境ですから。住むがにしちゃ面白い環境だと思いますよ。」

(一番の関心ごとは)道路以外ない。」

「食べ物はたくさんある。いいところやちゃ。」

 

 

第二項 支援員、住民それぞれの想い

 

(1)支援員・Aさんへのインタビュー

○限界集落について取り上げる新聞記事の内容が悲壮感漂う傾向があることに対して

 

私たちとしてはこのままお友達がいて、先祖の墓があるところで、このまま元気に過ごしたいと思ってみんな頑張っているんだよーっていう雰囲気だったけど、新聞とかはやっぱり社会問題みたいなのを提起せんならん、そういうのが義務だからね。最終的には「それでいいのか」、っていう書き方にになってて。私たちもその記事読んでて、先行きの見えない暗い感じに書かれていると思った。でもあのおばあちゃん(Bさん)とか見てると、そんな感じ全くないでしょ。新聞の書き方には少しびっくりしたけど、それでも利賀村に他の地域の人々が興味を持ってくれるきっかけになったことはとても感謝している。例えばあなたみたいな学生さんもね。

 

○いままでアンケート回収されてきた方たちも、みんな同様に集落に残りたいという思いでしたか?

 

一人残らずといっていいほど、みんなここで暮らしたいって言ってた。事情が許せば、このままここにいたいと。

ただ、心の片隅には、人様に迷惑を掛けるようになってまで、その自分がおりたいからといって、居れるもんじゃないやろなということは、ちょっと覚悟しておいでるみたいだったけど。自分で自分のことできる間は、ここに居たいっていう感じでしたね。

なんとかそういったのは守ってあげたいなぁとは思う。

 

 

(2)世帯用アンケート聴き取り調査

実施日:9月2日

インタビューイー:Bさん(上畠集落)

 

インタビューの回収・聞き取り調査に同行させてもらい、Bさん宅の玄関に座りインタビューを開始。Bさんと支援員のAさんは知り合いということもあり、終始笑い声が絶えず、楽しい雰囲気のなか調査が行われた。

以下、一部の質問とその回答

○集落にどの程度満足していますか?

・農林水産業

 そんなことは年寄りやしわからんわ。なんも。

・働く場所は?

 そんなこともわからんわ。だれもどこもいけんもんやさかい。

・観光は?交流施設の整備については?

 どこもいかんからわからん。

・情報通信の整備については?

 なんもかも放送してくださるがか?あれはいい。満足している。

・冬場の雪については?

 いままでは、じいちゃんが雪の始末してくれてた。でも、これからはふたりともおぞな      って心配。

・毎日の食べ物は?

 食べ物は不自由したことない。移動スーパーが来てくださるし、子供(息子)が出入りのときに買うてきてくれるし。食べ物はありすぎるちゃね。

 

10年前にくらべて

・上畠の道路はどうなったか?

 外へ出んもんじゃさかい何の関係もなけれど、良うなったね。

・バス等の交通機関は?

 便利になった。

・学校の教育については?

 なんもおらんもんでわからん。

・生涯学習に参加できる環境は?

 村で「ふれあいサロン」とかいう施設に、そこへだけ呼んでくださるさかいね。みんないろいろ話聞かさしてもろとると。楽しい。

・図書館や文化ホールは?

 そんなもんいらんが。

・病院や診療所は?

 いいがなったね。親切に教えてくださるし。

・保育園は?

 なんにも分からない。

 

10年後について心配なことについて教えてください。

よかれど、そんなもん生きとりゃ大騒動や。みんな心配なことばっかりや()

・後継者

 用事のあるときは来るがじゃけ。(息子)去年定年になって、土日ぐらいは来て手伝いもしてくれるし、寄り合いとかもじいちゃんにかわって出てくれるようになったで、心配もせん。

・病院・診療所は?

 先生がいてくださる。街と違うて、ひとりひとり知っとて、どこが悪いかみんな覚えとって下さる。

・山の管理は?

 そんなん考えもせん。

・除雪などの雪対策

 雪がちょっこし降るとみんな朝早くからやってくださる。不満なことはない。

・買い物は?

 移動スーパーが週二回してきてくれるし。着るもんは若いときの死ぬまできるが。

・災害時の不安

 それは心配。自然に起こるがはどうにもならん。

・老人福祉施設

 親切にしてくださる。大丈夫だと思う。

 

○これからも、上畠に住み続けたいですか?

 住みたいね。よそがよいとこ聞けど、ここにおりたい。

 

○集落として、自分たちが「住んで良かったまち」となるために、一番望むこと(求めること)は何ですか?

 ただ、おりたい。今のままが一番いい。近所の方とおしゃべりしているのが楽しい。のんびりと、暮らしていたい。

 

 Bさんは、食べ物や診療所、他の住民とのふれあいや村の除雪作業に関しては満足しており、集落で生活していくにあたって不満を感じていることは特にない。しかし農林水産業や働く場所、育児施設や山の管理など、自分にあまり関係のないものにはほとんど「わからない」と回答している。特に集落に変化は求めず、いまのままのんびりと平和な暮らしを望んでいる。10年後はもうこの世にいないかもしれないと言い、あまり村の将来については明確な考えはないようだ。

ただ、このままずっと村で暮らしていきたいという気持ちだけははっきりとしているようだ。

 

 

(3)集落住民の声

インタビューイー:夫Cさん、妻Bさん夫妻」

・いつ頃から若い人達が外へ出て行ったのですか?

「昭和40年頃かね。みな下へいってね、就職して、下で家建てて、所帯持って。この家でも、ほとんどの人が下に家もっとるわけじゃ。私の息子も今62歳やけどね、大学出てすぐ就職した。」(注3)

 

・昔は集落内だけで生活が成り立っていたのですか?

C「終戦直後は食料不足でね、相当の水さえあれば一定の平坦地で田んぼ作ってね。そして仕事はね、木炭はね、私やらんが、炭焼きは結構金になったんじゃ。それとか土木事業もあったしね。冬場は家におりながらね、藁細工や。わらじとかね、縄とか、金にならねど一生懸命やったもんじゃ。」

C「今農業は野菜、じゃがいもとかねぎとか、それからその他きゅうりナストマト、家で食べる。かぼちゃとみょうがは農協へ出荷しとるんじゃ。あんま金にならんが、補助があたるんじゃ。体が健康で達者やからね、何もせんと遊んどるわけにはいかん。」

 

・上畠集落についてどう考えますか?

B「この村は仲良しで、足らんこと助け合って、楽しいですよ。」

C「いずれは私らも家もなくなって、順番に過疎になってくちゃ。跡継ぎの息子たちがUターンしてこんからね。これはどうもならんこっちゃ。」

C「帰ってきてもね、若い人は職場がないからね、生活できん。冬の雪は不便じゃけ、夏は自然豊かなとこだから悪くないがね。冬場の生活と就職、ここから富山・高岡に通うのは大変だからね。」

 

・将来息子さんはこの村に移り住むことはないのですか?

C「ないな。せやからね、私らが死んでしまえばこの家はそのまま。しばらくの間は息子がここへ来て、一時別荘ということはなけれども、そういうこともあれど、家二つ維持するのは大変。山はね、冬の雪が。雪が降らなかったら心配がない。」

 

・一生この集落に住み続けたいと思いますか?

C「うん、そうさ。私もね、まぁ体の達者な、健康でおる以上はここに住み続けたい気持ちはある。しかし人間みな死んでいくんじゃからね、ほれで体がどうしても具合悪いというか、息子は下におるんじゃからね、“何時でも、今でもすぐ(息子の元へ)来い”と言うがね。“おらまだ達者だからこの家守っておる”こう言うがね。」

 

 

Bさんは「雪がひどくて、高岡に引っ越そうかと思った()」と話すが、山を降りずに今も集落で生活している。確かに、冬場の雪は問題だが、それを差し置いても「この村は仲良しで、足らんこと助け合って、楽しいですよ。」と話すように、村に愛着を持っていることがわかる。Cさんもまた、長年住み慣れた土地で、健康な限り暮らし続けたいと願っている。