第五章 考察
第一節 限界集落を守る意義・コミュニティ保護の観点より
第三章では、限界集落支援員事業を担当する南砺市市民協働課課長の話から、南砺市の限界集落に対する行政支援の方向性を明らかにすることができた。姫野(2009)では、主に行政側は@都市部への悪影響を防ぐ(デメリット阻止型環境保護)とA山村の森林な度の資源を有効活用する(資源活用型環境保護)の観点から限界集落を保護しようという儀論をすることが多いとされていた。しかし、南砺市の場合は別であった。限界集落支援員事業が発足したきっかけが住民の不安な声や行政への手助けの要望を聞いてということから、「住民の意思を尊重する」姿勢が強く見られる。よって、行政側もC居住し続けたいという住民の意思を守る、コミュニティ保護を今回の事業の動機づけにしていることがわかる。また、住民たちには集落が山林や洪水防止に役立っている、地球温暖化防止等に貢献しているというような考えはあまりみられなかったことから、やはりコミュニティ保護が一番の観点であるといえる。
姫野(2009)では、行政と地域住民はそれぞれ別の観点から集落を維持する議論がなされているとされていたが、今回の調査では、行政と住民との間に差異があるとは一概には言えないことが分かった。南砺市の場合では、住民の意思の尊重、どうすれば集落は存続するのかということを念頭に置いている。となると、行政と住民の目指すものが一致し、コミュニティ保護が意義となるのも自然な流れのように思える。
第二節 限界集落の実態
第三章の世帯用アンケートおよび集落点検シートから得られたデータでは、今住んでいる村に対して変化を求める意見と、現状維持の意見のふたつが見られた。変化を求める意見では、高齢化や過疎問題の解決についてが言及され、現状維持の意見では集落でこのまま暮らしていきたいという思いが述べられていた。変化を求める側の意見には、集落での不安についてのアンケートでも集落機能の維持や集落の存続について不安を抱えている人が多くいたことから、存続可能な集落となるためにこのままではいけないという心配や危機感があるように感じられる。変化と現状維持という違いこそあるが、大半の住民が今後も集落が機能を保ったまま存続していって欲しいと思っていることがわかった。
実生活では、イノシシやハクビシンの獣害、冬の大雪や路面凍結による坂道での事故などが不安なものとして挙げられていた。そして、集落への交通の便が悪いということも挙げられている。一方で、食べ物は豊富でおいしい、風光明美、のんびりできる、人情がある等、集落のいいところはたくさん挙げられており、「住むには面白いところ」と述べている人もいる。
住民たちは、雪や交通の便が悪く不便なこともあるけれど、集落での自然に囲まれてのんびりとした暮らしには大きな魅力を感じているといえる。
大野(2008)にあった現代山村の暮らしの描写は、そこに生きる人の孤独や寂しさを感じさせるものがあった。しかし、実際はそのようなところばかりではないということがわかる。都会ほど便利なものが揃っていなくても、集落には都会にはない暮らしがある。限界集落に住み続ける理由は、長年かけて培ってきた集落の暮らしと環境に対する愛着である。
第三節 限界集落のこれから
限界集落の今後は、住民の意識、行政の補助、住民たちの家族の手助けが鍵となり、その在り方の行く末はいくらでも変化していくと思った。
今現在そこに住んでいる人たちが今後どうしたいか、ということが一番重要であり、集落の今後の方向性を大きく左右する。もし、そこに住んでいる住民が、「このまま年月が経って、村がなくなってしまってもいい」というのなら、それもひとつの変化のあり方だと私は思う。しかし、実際には自分の暮らす集落に愛着を持っている人々は沢山いる。多少生活に不便なこともあるが、生まれ育ってきた土地には、長年の間に渡って染み付いた愛着があるのだ。Cさんも、「住民が一人もいなくなる、そんな事にはならないだろう。」と語る。先の見えない未来ではあるが、集落の今後の存続には希望を持っている人が一人でもいる限り、限界集落は守られるべき存在であると思う。
限界集落を守るためには、そこに住んでいる人の力だけではどうにもならないこともある。そこで必要になってくるのが、行政と住民の家族たちである。物質的なサービス面で力となれる行政はもちろんのこと、一緒に集落に住んでいなくとも、経済的にも精神的にもいちばん身近な存在として集落の住民たちを支えることが出来るのは、家族である。上畠集落の「ふるさとサポート隊」が良い例である。
南砺市は「その集落に合った問題解決策を」と述べていたが、確かに集落ごとによって抱えている問題は違うため、限界集落を守るためには、実際にその地域に住む人々が、自分達の集落の今後を見つめることが先決である。そして家族も、変わらなくてはならない。住民が能動的に集落が抱えている問題に向き合い、それを軸として、行政、住民が外側から支えていくことができれば、コミュニティは守っていけるのではないかと思う。
限界集落というと響きはどこか悲しいものがあるが、実際には他の共同体と同様、人が集まり暮らす場所として、何ら変わりはないのである。むしろ、今回の調査で触れた上畠集落には、「上畠アート」というイベントを集落外の人々と協力して立ち上げる活気や、豊かな自然と人情があった。そんな上畠集落は、限界集落という言葉で表現するにはなにか違うと思わせるものがある。人が少ないからこそ、都会から離れた土地にあるからこその、“人が集まるところ”としての魅力があった。
限界集落は、確かに集落が存続していくにあたっての限界にあるのは事実である。しかし、だからこそ他の地域にはない、住民と行政の関わり方や、集落としての在り方が、この先にあるような気がした。