第二章 先行研究のレビュー
第一節 限界集落
第一項 限界集落とは
●限界集落の定義
限界集落とは、過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指す。長野大学教授の大野晃が、高知大学人文学部教授時代の1988年に最初に提唱した概念である。山間地や離島を中心とした過疎化・高齢化の進行している地域は、集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など、共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。このような状態を、共同体として生きてゆくための「限界」というように表現している。限界集落には、もはや就学児童より下の世代が存在せず、独居老人やその予備軍のみが残っている集落が多く、病身者も少なくないという。最近では、都市部においても限界集落が出現している。
表1 集落の状態区分とその定義
集落区分 |
量的規定 |
質的規定 |
世帯類型 |
存続集落 |
55歳未満人口比 50%以上 |
跡継ぎが確保されており、社会的共同生活の維持を次世代に受け継いでいける状態 |
若夫婦世帯 就学児童世帯 跡継ぎ確保世帯 |
準限界集落 |
55歳以上人口比 50%以上 |
現在は社会的共同生活を維持しているが、跡継ぎの確保が難しく、限界集落の予備軍となっている状態 |
夫婦のみ世帯 準老人夫婦世帯 |
限界集落 |
65歳以上人口比 50%以上 |
高齢化が進み、社会的共同生活の維持が困難な状態 |
老人夫婦世帯 独居老人世帯 |
消滅集落 |
人口・戸数がゼロ |
かつて住民が存在したが、完全に無住の状態となり、文字通り集落が消滅した状態 |
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※準老人は55歳〜64歳までを指す
●限界集落の概念の提唱者である大野晃氏が表現する、「現代山村の姿」
―独居老人が滞留する場と化した「むら」。人影もなく、一日誰とも口をきかずにテレビを相手に夕暮れを待つ老人。天気がよければ野良に出て、野菜畑の手入れをし、年間35万円の年金だけが頼りの家計。移動スーパー(販売者)の卵の棚に思案しながら手を伸ばすシワだらけの顔。バス路線の廃止に交通手段をなくしタクシーでの気の重い病院通い。一カ月分の薬を頼んでも断られ、2週間分の薬を手にアジの干物を買い家路を急ぐ老人。テレビニュースの声だけが聞こえているトタン屋根の家が、女主人の帰りを待っている「むら」。
家の周囲を見渡せば、めぐら地(家周りの田畑)に植えられた杉に囲まれ、日も差さない主人なき廃屋。苔むした石垣が階段状に連なり、かつて棚田であった痕跡をとどめている杉林。何年も人の手が入らず、間伐はおろか枝打ちすらされないまま放置されている線香林。日が差さず下草も生えないむき出しの地表面。野鳥のさえずりもなく、枯れ枝を踏む乾いた音以外には何も聞こえない。「沈黙の林」。田や畑に植林された杉に年ごとに包囲の輪を狭められ、息を潜めて暮らしている老人。―これが病める現代山村の偽らざる姿であり、<限界集落と沈黙の林>はその象徴である。(大野2008:P14-p15)
第二項 限界集落がもたらす問題
●集落が消滅することによって起こる問題(大野2008:P18)
@伝統芸能・文化の衰退
A山村の原風景の喪失
B自然環境の貧困化
集落が消滅すると、日本の原風景や歴史的な遺産である山村風景が喪失し、伝統文化や芸能も廃れてしまう。また人が住まなくなることで田や畑の耕作放棄地が増え、山が手入れされなくなると自然環境が荒廃する。山や田に保水力がなくなり、下流の地域にも渇水や水害をもたらす。
●大野晃氏のコメント(岩手日報より引用)
@行政サービスの効率が悪いと言われる限界集落を維持する必要性は?
「要因は3つある。1つ目は日本の原風景であり、歴史的な遺産である山村風景の喪失。2つ目は伝統文化や芸能が廃れてしまうこと。3つ目は人が住まなくなることで田や畑の耕作放棄地が増え、山が手入れされなくなると自然環境が荒廃するためだ。山や田に保水力がなくなり、下流に渇水や水害をもたらす。」
A集落をどうやって維持するべきと考えるか。
「限界集落は山村の過疎の問題だけではない。より深刻で、山の問題はダイレクトに災害など都市につながっていく。だから『流域共同管理』を提唱している。上流、中流、下流で流域社会圏を設定。山から恩恵を受けている都市など下流の人たちが、上流の山村を支援しながら、流域で人間と自然が豊かになる仕組みをつくるべきだ。市町村合併も理念なき数合わせでなく、流域社会圏で合併するという考えがあってもいい。また、山村の担い手は農業も林業もこなす『農家林家』だ。林業の直接支払制度の創設も必要ではないか。」
B住民は集落維持へどんな意識を持つべきか。
「これからは地方の草の根の政策提起が国を動かす時代。例えば高知県大豊町は、農家や農協、町と私たちが議論を重ねて、棚田の耕作放棄を防ぐための交付金制度を独自につくった。これがモデルとなって、国が中山間地の直接支払制度を導入している。自分たちの手で地域をつくり、課題解決に向けた政策立案能力を高めてほしい。そのためには、行政やNPOなど集落の外から入って意見を集約する『プロジェクトリーダー』のような人材育成も必要だ。欧州連合(EU)は、リーダーが入って住民が考えた集落の活性化案を事業化する制度がある。」
第三項 限界集落の実態
限界集落の実態・抱えている問題(大野2008:限界集落と地域再生・新潟県上越市での調査を元に)
@林地の管理状況
・ほとんど管理されておらず、荒れ放題になっている
・林地は所有者の管理だが、ほとんど手が加えられていない
・林道の共同管理を行っている地域はごく一部
・現実的には林地や林道の管理はほとんど行われておらず、荒れ放題になっている
A耕作放置などによる荒廃農地の状況
・ほとんどの集落で耕作放置による荒廃農地が存在
・高齢化や人手不足により、耕作を断念せざるを得ない実態がある
B住民の健康維持等の現状及び問題点
・後継者がいなくても、元気でいられる限り現在地に住み続けたいとする意向が強い
・病気や寝たきりになって、今の生活が維持できなくなることへの不安が大きい
・高齢化の進行により、要援護世帯が増加していく
C集落の良いところ
・豊かな自然、美しい景観がある
・人間関係が良く、助け合いの精神がある
・見栄をはることなく気楽にのんびりと生活できる
・水がきれい、おいしい農作物がとれる
D地域で守りたいもの、残したいもの
・人と人とのつながりや住民同士の相互扶助の精神、義理人情
・豊かな自然や景観に恵まれた現在の環境
・おいしい米、棚田、きれいな水
・地域の神社や祭り―など
→人口減少と高齢化が進んだ集落では、集落機能の維持が困難になってきており、集落だけでは解決策を見いだせない状況にある。多くの集落が最盛期に比べて人口・世帯数ともに激減しているものの、豊かな自然や美しい景観があり、豊富な山菜や清らかでおいしい水に恵まれており、人情味あふれる人間関係や集落の祭りなどを大切にしつつ、今後も住み続けたいと願っている。ただ、雪や健康に対する不安も感じており、それらの対応や集落に住みながら収入を得る方策などの検討も必要と考えられる。
第二節 限界集落を守る意義−コミュニティ保護の観点より−
姫野宏輔によれば、現在、地域社会学や環境社会学などの分野においては、「消滅の危機に瀕している集落を維持・活性化すべきである」という考え方がほぼ共通意識となっているのに対し、経済的に非効率であるという観点から、そうした集落を維持することに対して否定的な(主に経済学分野からの)主張が存在している。河川の水源に位置する山村の環境荒廃は河川下流に位置する都市部に環境にも影響を与える、という、環境保護の観点から限界集落を維持すべきだ、という主張がなされていることが多い。(姫野2009)
第一節でも触れたように、大野氏が提唱した限界集落を守る意義は@伝統芸能・文化の衰退A山村の原風景の喪失B自然環境の貧困化の3つである。これに対し、姫野はもうひとつ別の意義を提唱した。
調査:限界集落問題を論じた論文の調査と、実地に赴いて行ったインタビュー調査から、限界集落を維持すべきであるとする議論が構築されていった過程に着目する。
結論:限界集落を維持すべきであるとする議論は、集落の維持によって
@都市部への悪影響を防ぐ(デメリット阻止型環境保護)
A山村の森林などの資源を有効活用する(資源活用型環境保護)
B地域固有の歴史・文化を保護する(文化保護)
C居住し続けたいという住民の意思を守る(コミュニティ保護)
の4つに分類できる。
主に行政や学者は@とAの観点からの議論が多いが、地域住民としてはCが最も重要視されていると姫野は述べている。
過疎が進み、高齢化した地域では集落の機能が年々衰え、行政の介入が必要な時代になってきている。山間部にある集落では、林地や耕作地の手入れは行き届いておらず荒廃しているようだが、美しく豊かな自然、人情味ある人との繋がりなどの良いところもあり、住み続けたいという意思を持つ住民も多いようだ。
限界集落を守る意義は、都市部への悪影響を防ぐデメリット阻止型環境保護、山村の森林などの資源を有効活用する資源活用型環境保護、地域固有の歴史・文化を保護する文化保護、居住し続けたいという住民の意思を守るコミュニティ保護の4つの観点に分けられる。行政は経済成長・環境保護を重視、住民はコミュニティ保護を重視しているとされているが、富山県南砺市のケースではどうだろうか。
この論文では、コミュニティ保護の観点に重点を置き、限界集落支援員事業を通して、南砺市においての限界集落を守る意義を分析していく。また、インタビュー調査から、限界集落の今後の在り方についても考えていきたいと思う。