第3章 調査
第1節 調査対象
射水市に継承されている六渡寺の獅子舞を調査対象とする。六渡寺を調査対象に選んだのは、担い手が50人ほどと多く、庄西子供獅子という独自の活動も行っており、継承に積極的な様子がうかがえたからである。またホームページを開設しておりコンタクトを取りやすかったというのも選んだ理由のひとつである。
第2節 調査方法
2007年の春季祭礼および秋季祭礼、秋季祭礼前の練習に足を運んでフィールドワークを行った。春季・秋季祭礼ではホームページ「六渡寺獅子方保存会」管理人のIさんをはじめ保存会員の方数人にインタビューを行った。Iさんにはメールで質問文を送り、それに答えてもらうという形での調査も行った。
また子供獅子が行われている中伏木小学校のS先生とH先生にインタビューを行った。
第3節 六渡寺獅子舞概要
六渡寺の獅子舞は、射水市庄西町で継承されている獅子舞である。毎年5月14日と10月6日の年2回の祭礼がある。獅子舞の形態は射水獅子に分類される。2006年には「とやまの文化財百選事業」の第2弾、「とやまの獅子舞百選」に選ばれている。祭りには毎回数百人ほどの観客が集まり、神社前にはヤシがでるなど他の獅子舞に比べ人気・知名度は高い。
第1項 六渡寺獅子方保存会
六渡寺の獅子舞は現在、六渡寺獅子方保存会によって活動、保存が行われている。保存会は、昭和50年ごろ祭りを開催することが出来ないほど人員が不足したのを機に発足。現在の会長は4代目で代替わりしたのは8年ほど前である。役職は会長のほかには、副会長、事務局長、会計、前役員等で構成される長老、相談役がある。役職は任期制ではなく後継者が育ってきたころあいで世代交代する。保存会発足以前は、青年団で祭りを行っていたそうだ。六渡寺では「ハナ」がうたれるのは、お祝い事があった家や企業からだけで、各家から「ハナ」代がでるわけではない。そのかわりに祭りごとに協力費という形で各家からお金をだしてもらう。これが保存会の資金源となっている。
庄西町の人全員が保存会の会員ということになっているが、直接獅子舞に携わっているのは5、60人ほどのようだ。会長を含め、庄西町外に住んでいる人も数名参加している。
そのほかにホームページの運営や獅子舞競演会や各種イベントへの参加などの活動も行っている。
後継者育成を目的とした「庄西子供獅子」という活動も行っている。「庄西子供獅子」に関しては後述する。
第2項 演目
演目に関してはキリコの舞と天狗の舞がある。種類は以下のとおりである。
キリコの舞う舞
・トウロウ舞 キリコ棒を打ち鳴らし獅子舞と戯れる舞
・八節キリコ舞 八つの節で構成される曲にあわせ獅子と戯れる舞
・鈴ガラ舞 神事に巫女が持つ鈴ガラを持ち獅子と戯れる舞
・回る鈴ガラ舞 獅子が鈴ガラを持ったキリコの周りを回る舞
・肩車舞 獅子舞の上にキリコが肩車される舞
・餅つき舞 祝い餅をまく町流しの時に行う舞
天狗が舞う舞
・バイナラシ舞 天狗の舞の全てにこの舞の一部が入っているほどの基本の舞
・1足舞(一節舞とも言う) 基は氷見の系統の舞で、天狗の周りを1節で回る舞
・2足舞(二節舞とも言う) 1足と同じで、獅子が二の足を踏むとも言われる舞
・キョウロロ舞 テンポが速くなったり遅くなったりして天狗が薙刀を振り回す舞
・マッタマッタ舞 天狗が獅子の攻撃にマッタを掛け前へ出させない舞。
・ドンドコ舞 曲の中にお神楽が入る舞
・唐傘舞 天狗が唐傘を持ち獅子と対決する舞
・大クズシ舞 天狗が薙刀にて獅子を大きく振り回し静まらせる舞。
・サン崩し舞 今は舞われていない舞
・蓬莱舞(剣) 蓬莱とは宝来とも書き宝を呼び寄せる舞
・蓬莱舞(6尺棒) 六尺棒を振り回す舞(危険度が高い舞)
・ミソシル舞 獅子の眉間を剣をスリコギの様に動かす舞
・宮参り 祭りの日に宮2箇所でしか舞わない舞
・剣取り舞 の始めに天狗が獅子に剣を奪われそれを取り返す舞
・呼び出し舞 ヨソブリ舞の松明を焚かない舞
・ヨソブリ舞 松明を焚き獅子を住処より引き出し対決する舞
六渡寺の獅子舞は獅子、獅子あやしともに動きが速くとび跳ねたりする動作の多い動きの激しい獅子舞である。いくつか具体的な様子を紹介しよう。
ヨソブリ舞
六渡寺の獅子舞においてもっとも重要な舞。10分近い長い舞で、獅子は何度も頭を担当する人が変わりながら踊るが、天狗は一人で踊りきる。
序盤は天狗が両手にタイマツをもつ。しばらくタイマツで獅子を威嚇したあと天狗はとび跳ねながらタイマツを獅子に向かって8の字を描くように振り回す。それに合わせ獅子はひざを曲げたままの姿勢で飛び跳ねる。中盤は獅子がおとなしくなり静かな展開が続く。終盤天狗が剣を手にすると同時に獅子も立ち上がる。天狗は片足で飛び跳ねながら剣で獅子を突く動作をしたり振り回して威嚇したりする。獅子は頭を激しくふり胴幕も左右に激しく振られる。天狗、獅子ともに左右に動きながらこれらの動きを行う。天狗は武器をナギナタに持ちかえ、同じような動きをしばらく行ったあと舞は終了する。
唐傘舞
橙色と黄色でうず模様が描かれた唐傘を持って獅子と対峙する。途中で傘を開き担ぐ。担いでいる時は片手で傘を回している。天狗は低い姿勢で傘で顔を隠すようにしていることが多い。動きはそれほど激しいものではなく優雅な印象を受ける。
蓬莱舞
天狗はとび跳ねながら剣を回したり剣で獅子を突いたりする。天狗は右手で剣を持ち囃子のリズムに合わせて溜めて突くといった感じ。獅子はしゃがんだり左右に動いたりしながら胴幕や頭を振る。途中獅子は天狗を取り囲むように一周し、その後天狗が前半と同じように獅子を突く動作をして舞は終了する。
第4節 六渡寺獅子舞の風景
第1項 春季祭礼および秋季祭礼
本項では六渡寺の獅子舞の様子を、フィールドノーツをもとに紹介する。フィールドノーツは、春季祭礼は2007年5月14日、秋季祭礼は2007年10月6日のときのものである。
日枝神社へと足を運ぶ。神社の前にはヤシが10ほど出ている。神社の敷地の中にも2つほどヤシがある。ヤシには平日にも関わらず、小学生くらいの男の子が10人ほど集まり騒いでいる。この子達は祭りの格好をしているわけではなく、祭りの参加者というわけではなさそうだ。しかし黒いはっぴを着た高校生くらいの男の子が面倒をみているようでもあるのでどうやら地元の子供のようだ。歩き回るのにも疲れてきたので、神社の前で始まるのを待つことにする。神社のまえは交通規制されており自動車は入れないようになっていた。神社からは笛の音がずっと聞こえてきている。笛を吹いている人はみあたらなかったので、スピーカーから音を流しているだけのようだ。
目の前を二人の男性が通り過ぎる。はっぴは着ていなかったが、足元が足袋だったので獅子方の人だとわかった。二人ともそろいの服を着ており、上は背中に「栄弥」と書かれたTシャツ、下は白の短パンだった。(春季祭礼フィールドノーツ)
六渡寺の獅子舞では春、秋どちらもヤシが出る。たこ焼き、お好み焼き、射的、ベビーカステラなどひと通りのヤシは出ていた。これまで3度六渡寺の獅子舞を見たが、3度ともヤシは出ていた。毎年安定して多くの人が来ていることがうかがえる。春季祭礼のときは小学校が休みだったようだ。
舞の流れとしては、各家の前に着いても「ハナヨミ」などは行われず、いきなり舞が始まり、終わるとすぐに次の家に行くという感じだった。舞の間はずっと「イヤサーイヤサー」とか「ドッコイドッコイ」といった掛け声が威勢よく出ていた。威勢のよさに圧倒される。
太鼓をのせている太鼓台は、高さ3メートル、横1.5メートル、縦2メートルくらいの大きさで、下半分は紅白の幕で覆われている。上のほうには「六渡寺獅子方保存会」と書かれた幕が下げられている。太鼓台には人が乗ることができ、太鼓を叩く人は太鼓台に乗って叩いていた。また、ひとつの太鼓を2,3人同時に叩いていた。移動中も常に太鼓と笛の音を鳴らし、獅子方の人も「イヤサーイヤサー」と大きな声をだしながら移動する。囃子の音は、移動、舞、次の舞、移動と音色を変えながらも途切れることなく続いていたため、舞の始まりや終わりがわかりにくかった。道が狭いところでは太鼓台は家の前まで行かず、10数メートル離れたところで待機して、そこで叩いていた。
獅子方の人はこの時点で、天狗、キリコ、獅子役、囃子方合わせて40人くらい。(衣装を着ている人を獅子方と判断した)見ている人は自分を含めても、数名。(春季祭礼フィールドノーツ)
獅子の胴幕は紺地に桜の花びらと、海沿いの町らしく波の模様が描かれている。獅子方は朱色や紺色、黄色地に鳥や花、手毬などが描かれたはっぴ、白の短パン、腰元は紫や水色のたすきを巻き黒の前掛けをしている。足袋を履き、ふくらはぎに藍色の布を巻いている。豆絞り手拭を頭や首に巻いている人も多い。囃子方は黒のはっぴやTシャツ、黒の長ずぼんで足袋ではなく靴を履いている。天狗は長髪のカツラと天狗の面をつける。カツラではなく烏帽子をつける場合もある。服装は袖の長い羽織と袴で、袴はふくらはぎの部分が細くなっている。天狗の衣装は、羽織は水色や紫色、袴は「バカ殿様」のような柄でとても派手である。キリコは朱色の衣装で、頭には花笠をかぶる。足には獅子方同様に水色の布を巻いている。(秋季祭礼フィールドノーツ)
舞が次々行われていくのは、各家から「ハナ」が出ていないからである。春季祭礼、秋季祭礼ともに町内を回る順は同じだった。道具や衣装の準備は祭りの前日と前々日に行われる。太鼓台は夜の部までの間に模様替えされ数十個の提灯がつりさげられる。
夜の部は19時ごろから始まった。すでに日は暮れていた。しばらくすると夜の部が行われる家に向けて移動が始まったのでついて行った。太鼓台は上の幕が取り払われ、代わりにちょうちんが四段取り付けられていた。道中は「アイヤサーイヤサッカイ」の掛け声が昼間以上に声が大きく、気合が入っているのがわかった。昼に確認したときにはその家の前の防波堤に、「ここで夜の部がありますので駐車しないでください」というような内容の張り紙がしてあった。太鼓台が着いたころにはすでに家のまわりには大勢の人が集まっており、防波堤の上にも人が大勢いた。100〜200人はいたと思う。テレビのものと思われるカメラもいた。また昼と違い、しっかりと「ハナヨミ」があった。
人が多く、また広い場所でもないのでほとんど見えなかったが、掛け声は奇声に近いものに変わっており、テンションの上がり具合がみてとれた。獅子や天狗は持ち運び式の照明に照らされ、餅つき舞、唐傘舞などいくつも舞が披露される。ヨソブリ舞のタイマツのパートのところだけは照明が落とされ、火の明かりだけになる。この家では30分以上は舞っていた。(春季祭礼フィールドノーツ)
18時50分ごろに太鼓台とともに獅子方の移動が始まった。庄川沿いの道を海方面に向かって進む。夜の部の一軒目へ向かうようだ。大勢の観客がそのあとをついていく。道には路上駐車の自動車が列になっている。やって来る自動車もあり狭い道は人と車で混雑している。獅子方の人が観客や自動車を誘導している。
19時ごろ一軒目での祝い花が始まる。ヨソブリ舞をはじめいくつも舞が披露されていく。観客は200人ほどはいただろうか。獅子と天狗のまわりを360度ぐるっと取り囲んでいる。獅子との距離は1メートルもない。ここでは20分ほど舞っていた。
その後2軒目、3軒目と花が打たれていく。場所を確保できずほとんど見えなかったが、舞の内容はだいたい1軒目と同じようだった。観客の中には脚立を用意しているつわものもいる。神社前も家族づれや若い人でかなりにぎわっている。
庄川沿いの道は端までずっと路上駐車の自動車が続いている。保存会の人が交通整理を行っているが帰る自動車と今からやってくる自動車とで渋滞になっている。(秋季祭礼フィールドノーツ)
夜の部は「ハナ」がうたれる家、つまり結婚などのおめでたいことがあった家で行われる。夜の部がどこで行われるか会長含め数名しか把握しておらず、保存会員も直前まで知らされていない。これは家の前で一般の観客に場所取りをされて、肝心の「ハナ」の家の人が獅子舞を見られなくなるという事態を防ぐためである。路上駐車も多く観客が増えての問題点もあるようだ。
夜の部は昼以上に獅子方は盛り上がっていた。観客が大勢いるなかで舞を披露するのだから当然である。私もこの雰囲気で獅子舞が出来たら楽しいだろうなと感じた。
第2項 練習
練習は本番の2週間ほど前から行われる。時間は7時半から9時までの1時間半ほど。イベント参加のときは1週間前から練習を行う。キリコは学校の体操服姿、大人はジャージやスウェットで動きやすい格好をしている。なかには仕事帰りなのか作業服の人もいる。
練習が行われるのは公民館の駐車場で、駐車場は一辺15メートルほどの正方形である。公民館は駐車場をかこむようにふたつ建っている。ひとつは赤茶色の2階建ての建物で「庄西公民館」、もうひとつは平屋の建物で「六渡寺公民館」。獅子舞の拠点になっているのは「六渡寺公民館」のほうである。
練習時には公民館の窓の上にライトが二個配置され、駐車場が照らされる。公民館の中から剣やなぎなたや獅子頭、パイプ椅子などが運び出される。獅子頭は本番でも使えそうな立派なものを使用する。幹部らしき人2,3名はライトの下(窓の前)にパイプ椅子を並べ、そこに陣取る。天狗は幹部の周辺、キリコは幹部の右側、囃子は左側、獅子方は幹部と対面する形で数メートル離れたところにそれぞれ集まる。人数は最初のうちは少ないが、練習が終わる頃には40名ほどの人が参加していた。
どの舞を練習するかは会長が決めており、「スズガラ」「はい、バイナラ」などと指定する。練習は交替で行われ、獅子方が一巡したところで別の舞の練習になる。天狗はひとりで、キリコは4人くらいが同時に練習を行っていた。獅子方は頭を持ってやっている人のほかに後ろで同じように踊っている人がいた。指導は会長が直接行う場合もあるが、だいたいは獅子方、天狗、囃子方それぞれの中で先輩が後輩に教えるというスタイルのようだ。キリコに関しては幹部の人が教えているようだったが、一から教えているわけではなく、「リズミカルにやらんな」などと注意するだけのことが多かった。おそらくキリコには今年からやるという子がいなかったのだろう。
キリコが練習するのは最初の30分だけである。キリコたちは練習が終わると一列に並び獅子方のほうを向き、「番号1」「2」「3」と1人ずつ順番に言ったあと、全員で「ありがとうございました」と言ってお辞儀をして帰る。キリコの様子を見て感じたのは、全員がミスをしないということだ。かなり慣れているようだった。
秋の練習には今年初めて参加した人たちがいた。彼らは頭を持って練習することはなく、ずっと頭の後ろで練習していた。以下がそのときの様子である。
この日は獅子頭を持って踊っている人の後ろで踊っている人が2名。あまりうまくない。見よう見まねで踊っているようだ。おそらく新人なのだろう。
新人2人は、私が来たときから休まずずっと踊っている。赤いジャージを着た人が踊りの合間に口で囃子を口ずさみながら、新人2人に足の動きを教えている。新人は足の動きだけで、手の動きはマネしていなかった。まず足の動きを覚えようということだろうか。(中略)結局新人2人は、松明の舞のとき以外はずっと後ろで練習していたが、一度も獅子頭は持たなかった。持たせてもらえなかったのだろうか。(9月29日フィールドノーツ)
あとで聞いたところによると、やはり六渡寺では一年目は頭はもたせてもらえないそうだ。そのため練習では胴幕の練習ばかりしていたようだ。
練習は厳しいとまではいかないが、かなり真剣に行っている。練習の終盤には「ヨソブリ舞」「呼び出し舞」などの長い舞の練習を行うのだが、このときは練習にも関わらず、「ア、イヤサーイヤサッカイ」と本番さながらの大きな声を出す。声が小さいと「腹から声だせ」とベテランの人から注意されていた。また練習が終わった後も帰る人は少なく獅子方は獅子方で、天狗は天狗で集まって各自練習したり、動きを話し合ったりしていた。
なぎなたの舞。天狗は長髪のかつらをつけて練習する。若い天狗の舞が終わったあと会長から「天狗全然だめ」との厳しい声。私からはかなり上手かったように見えたのでどこがダメだったのかはわからなかった。(9月29日フィールドノーツ)
会長が「さらさらっとやってしまおう」と言ったあと練習が始まった。3,40歳くらいの人が、キリコたちに「練習今日と明日だけやぞ」と言うと、「はい」と元気よく返事をした。練習は明日で終りのようだ。この日は獅子頭に胴幕もつけられていた。
52分ごろキリコを持ち上げる舞をやるらしく、胴幕の人を確認していた。「胴幕若いやつにやらせろ」との声もあった。この舞は最後にキリコやかしらの人が胴幕の人に肩車されていた。胴幕がつけられていたのはこの練習のためだったのだろう。一度一通り終わったあと、あまりうまくいかなかったらしく、胴幕の人に「ちゃんと下までしゃがめま、キリコ乗るがいぞ」「手さげて頭上げろ」と厳しく注意していた。
(中略)天狗の舞の練習が始まる。獅子頭を持っていた人の動きがよくなかったらしく「ちょっと見とけ」と言われて、獅子頭を交代し、見とけと言われた人は、獅子の前で見ていた。どうやら天狗に切りつけられたときの動きが悪かったらしく、「天狗切りにきたら逃げんな」と言われていた。さらに頭の微妙なうごきや「生き物らしい動きせんな」などと細かい動きの指導もしていた。となりでは獅子頭を交代するときのやり方を教えている。
ヨソブリ舞の練習からは、いつものように獅子方は掛け声を出し始める。しかし、「声出せよ、お前らこんだけおっても全然声聞こえん」と言われていた。
21時5分、会長が「はい終わり」といって練習終了。ベテランらしき人が、最後に獅子頭を持っていた人に、「言われたからやっとるじゃなくて、自分からやるっていう気持ちでやらんとプライドも意地もないがか思われっぞ」「こっちは命かけてやっとる」「お前くらいのときはかしら持たしてもらえんだぞ」と熱く語る。(10月2日フィールドノーツ)
このように獅子舞の細かい動きなどにも気を配っている様子が伺える。
第4節 子供を対象にした活動
第1項 庄西子供獅子
庄西子供獅子(以下子供獅子)は、六渡寺の獅子舞における小学生を対象にした活動である。公民館活動「青少年地域活動」として始まり、現在は小学校で郷土教育の一環として行われている。
子供獅子が発足したのは昭和54年で、当時の公民館館長が後継者育成のために始めたそうだ。活動は11月3日の公民館祭りでの披露と、そのための2週間ほど前から公民館で行う練習であった。六渡寺の男子はみんな子供獅子をやっていたようである。子供獅子で使う衣装や道具は婦人会や老人クラブで手作りされたものである。子供獅子の舞いは基本的に六渡寺の獅子舞と同じであるが、舞いの多少の簡略化や、吹けば音が鳴る特別仕様の笛を使うなどの配慮はしてある。
平成5年に活動の主体が公民館から小学校へと移る。
子供獅子のある中伏木小学校は全校生徒47名(平成19年現在)の小さな学校である。そのうち子供獅子を行っているのは3年生から6年生で、男子13名、女子20名の計33名である。校区は六渡寺の獅子舞のある庄西町1丁目(通称六渡寺)と庄西町2丁目(通称中伏木)である。
平成5年に活動の主体が公民館から小学校へ移ったわけだが、これはそれまで子供獅子を指導していた館長が亡くなり、館長か変わったことが一番の要因のようだ。子供獅子の活動の中心を担っていた館長がいなくなったことで活動を続けていくことが難しくなり、地域から学校で続けてくれないかと打診があった。もともと子供獅子を始める以前から小学校では「みつばの時間」という学校裁量の時間に囃子の練習をしていた。H先生がいうには、学校では道具等にお金がかかるため、獅子舞に興味はあったが囃子くらいしかできなかったそうだ。そこに道具は持っているが活動はできなくなってしまった地域から打診され、両者の利害が一致して学校での活動が始まった。
小学校での活動は、毎週木曜日6限の「みつばの時間」で行われている。年間35時間のうち20時間がクラブ活動、15時間が子供獅子に割り当てられている。「みつばの時間」での活動は10月の学習発表会、11月3日の公民館祭りで披露することを目標にしているため、夏から秋にかけての期間にまとめて子供獅子の練習の時間にしている。また「総合的な学習の時間」としても10時間割り当てられており、こちらは3学期に子供獅子伝承の時間として使われている。子供獅子の伝承は、子供たちどうしで上級生が下級生に教えるかたちで行われる。
指導に関しては、PTAの組織として「子供獅子指導委員会」がある。児童の父兄や地域の人が委員で、現在の人数は5名ほどである。ただ普段の活動は授業時間に行われているため教えに行くことは難しく、イベント参加のときの夜の練習に指導に行くくらいだという。
H先生に子供たちの反応をうかがったところ、キリコとしてすでに獅子舞をやっている子も多く、そういった子は抵抗もなく楽しんでやっているそうだ。また、キリコとして獅子舞に関わっていない児童、特に女の子は具体的に何をすればいいかわからず、最初はとまどうようだが、笛や太鼓をやっていくうちに慣れていくそうだ。
以前は4年生から6年生だけだったが子供の数が少なくなり平成15年から3年生も加わるようになった。またもともとは六渡寺の獅子舞と同じように男子のみで行われていた子供獅子だったが、小学校主体の活動になってからは女子も参加するようになる。それもこれまでは女子は囃子方だけを担当していたが、最近では少子化に加え女子の人数のほうが多いため、今年は女子もキリコを演じ、来年からは獅子方にも女子が加わる予定だそうだ。
前述のとおり、学習発表会と公民館祭りがメインの活動だが、市のイベントなどにも参加している。H先生いわく、こういった場で自分たちの成果を発表することで、子どもたちは自分たちがなにをやってきたのか自覚でき、またモチベーションにもつながるそうだ。
以下は子供獅子として参加したイベントの一覧である。
平成8年度 新湊祭りに出演
平成9年度 新湊祭りに出演
市盟約締結祝賀式典に出演
平成10年度
平成11年度 ロータリークラブ北陸大会祝賀会に出演
平成13年度
平成14年度
平成15年度 「とやまの獅子舞展」開催記念子供獅子舞共演会に出演
「どーんとこい、氷見」に出演
平成16年度 南米音楽グループ「ウエイノ」との共演会に出演
ロシア青少年芸術フェスティバル公演に出演
平成19年度 若人の伝統芸能祭に出演
また、中伏木小学校に隣接する保育園でも年に一度「獅子舞伝授会」というものがあり、保存会の人が教えに行っている。
第2項 六渡寺獅子舞における子供の参加
六渡寺の獅子舞においても子供が活躍している。祭礼当日に行ったインタビューからその様子をみていく。
まずはキリコである。キリコは幼稚園児くらいから小学生3,4年生くらいまでの男子が担当する。誰かに強制されるわけではなくあくまで本人の希望でやっている。人数が8人ほどと決まっているため誰もがキリコになれるわけではない。
その他の獅子方、天狗、囃子方などはキリコをやっていた子もそうでない子も基本的には高校生からやり始める。これは六渡寺の獅子舞は動きが激しいため高校生くらいにならないと体力的に厳しいからだ。これも強制ではなく、やりたい人がやりたいところをやる。ただSさん(囃子方)のように中学生からはじめたため、希望者の少ない囃子方に誘われるということはあるらしい。一度役割を決めたら、途中で別の役にかわるということはほぼないそうだ。
ただ最近は少し変わり、以前は高校生ぐらいから始めるのが慣例だったが、最近は中学生から始める子も多いそうだ。町内の人口が減って後継者が少なくなったことが要因らしい。ただ中学生から始める場合はまず囃子方をやるようだ。そして高校生ぐらいになると、そのまま囃子方を続ける人、獅子方や天狗をやりたい人というふうにわかれていくそうだ。