第三章      考察

 

 第二章と第三章で取り上げた各パン屋には、それぞれパン屋を立ち上げるにいたったきっかけがある。スワンベーカリーは、作業所の経営力不足のために利用者の工賃が月給1万円であるという実態を知った小倉昌男さんが、自分の経営力で月給10万円が可能であることを実証させようとしたことから始まった。さくらベーカリーのきっかけは、行政から積極的に障害者雇用の実例を示すことで、民間による雇用促進を促すことにある。またパン工房Tの場合は、知的障害者が働ける場所を新たに設けることで、養護学校生やその他障害者の受け入れ範囲を広げていくためである。このように、それぞれ理由は異なっていてもみな「パン屋」という共通の職種を使ってその実現を試みており、さくらベーカリーとパン工房Tはまだ日が浅いものの、スワンベーカリーも含めた全ての店が、ひとつの事業として成功している。さくらベーカリーとパン工房Tがパン屋を選択したきっかけはそもそもスワンベーカリーにあるとはいえ、これらの店はなぜ「パン屋」で成功できたのだろうか。

 この章の第一節では、これらの障害者雇用を実践しているパン屋の経営上の特徴を捉えていくとともに、そこから「パン屋の障害者雇用」がなぜ成功したのかを考察していく。また第二節では、障害者と共に働くとはどのようなものなのかという点について、インタビュー等から垣間みえた発言を参考に論じたい。

 

第一節 なぜパン屋なのか

 パン屋を商売に選んだ理由として、さくらベーカリーとパン工房Tの場合、スワンベーカリーという前例があったことがその一つに挙げられるだろう。しかし、たとえスワンベーカリーの影響を受けて始めたとしても、その他にパン屋には、素人でも経営に着手しやすい理由があるのではないだろうか。

 その理由の一つにはまず、「パンの消費性」が考えられる。パンは日常的に私達もよく食べるものであり、パン屋に買いに行けば少なくとも2、3個はまとめて買っていく可能性がある。買ったものを食べてしまえば、また改めてパンを買いに行く。パンは私達にとって身近な消耗品の一つなのである。K氏が小島氏のもとを訪れたときも、「形のあるもの作っても、最初は売れるけど、毎日使うものでないとやっぱり売れない。安定した売り上げにつながらないから、消耗するものが一番いい。」と言われ、やるならばパン屋をやろうと決めた。スワンベーカリーを始める際の小倉氏も、何回も繰り返し買う必要があるもので、地域の人が気軽に買っていけるようなものを商売にしようと考えて、パン屋の構想を思い描くようになった。買ったパンがおいしければ、パンの購入者はそのパンを求めて自然とお店へやってくる。需要が出来ることで、そこで働く障害者も自信とやりがいをもって仕事ができる。工芸品などと違い、パンは頻繁に消費するものであるのと同時に、おいしいと認めてもらえれば作り手に関係なく買ってもらえる、当たり前の商売ができる商品なのである。

また、パンはそれ自体の受け入れやすさと需要の大きさから、売り方や売る場面も幅広く、売りやすい商品であるのかもしれない。具体例をあげるならば、スワンベーカリー十条店は家庭でのパンの需要が大きいことを考え、焼きたてパンの宅配を開始した。家庭だけではなく職場にも目を向け、忙しい会社員が外出する手間を省けるように宅配や出張販売をし、好評を得ている。パン工房Tでは、十条店同様に宅配販売をするほか、地域でのイベントの出張販売や保育園に給食用パンの宅配も行っている。また、週1回のペースで夕方になると小学校の職員室へ赴き、その日売れ残ったパンを見切り価格で販売している。パンの廃棄を少なくするというパン屋側の利点もある一方、夕方の小腹がすいた時間に外出せずとも買えるという購入者側にとっての利点を活かした販売方法である。パンは、それ自体の単価も低く、私達にとって手軽で身近な消費物である。このパン自体の需要の大きさが、それぞれの店舗での販売方法の工夫に活かされ、パン屋を成功させた一つの要因なのではないだろうか。

 

 パン屋が成功した理由は、パンの消費性だけではない。その他の要因として、パンメーカーなどによる「冷凍生地・講習などによる指導の提供」がある。スワンベーカリーの場合、タカキベーカリーによる冷凍生地や指導の提供があった。生地においては、スワンベーカリー用に手間を掛けすぎず、かつ工夫しやすい冷凍生地を新たに開発し、開店にあたっては、タカキベーカリーから販売指導と製造指導の担当者があてられた。さくらベーカリーでは、ベーカリーの管理者である社会法人緑の風がもともと小麦粉の製粉やパン作りを行っており、スタッフの大半がパン作りの経験者であることからメーカーによる冷凍生地の提供はないものの、技術指導としてパン焼き機メーカーの代表を中心とした横浜のパン職人グループがサポートをしている。パン工房Tの場合は、敷島製パンによる冷凍生地と技術指導の提供がある。開店前には敷島製パンから担当者がパン工房Tを訪れ、2週間程店内で研修を行い、開店時も販売・製造のサポートを行った。地域性を活かしてパンの種類を決定するなど、製造だけでなく、販売面でのサポートも大きかった。敷島製パンのホームページによれば、敷島製パンでは事業主に対して冷凍生地の提供、設備紹介、販促提案、技術サポート、講習会などの総合サービスを行っており、パン屋に限らずスーパーやカフェ、コンビニエンスストアなどの業態別に合わせてあらゆる提案を手がけている。このように、パンメーカーでは新たなパン屋事業に対して、様々なサポートをおこなっているようである。また扱うパンの種類も豊富で、食パンやデニッシュ生地などのシンプルなものに限らず、クリームや焼きそばなどが入った惣菜パンなどがあり、毎月新メニューも生まれている。

冷凍生地の利点は、冷凍保存ができて長持ちするだけでなく、多品種を少量ずつ取り揃えることができるということにある。届いた生地を専用のオーブンで解凍・発酵させれば、熟練の技術を必要とせずとも短時間で安定した品質のパンが焼きあがる。今やおいしいパン屋は他にもたくさんあり、パンの需要が大きいとはいえ、一からパンを作りながら他店と競合していくことは素人には難しい。その点、パンメーカーによる冷凍生地の提供があれば、製造工程の負担を軽減しながらも、おいしいパンを作ることができるのである。タカキベーカリーや敷島製パンなどのパンメーカーによる冷凍生地の提供やサポートは、パン屋経験のなかったスワンベーカリーやパン工房Tにとって、欠かせないものなのだ。さくらベーカリーの場合、パンメーカーによる冷凍生地の提供は受けていないが、パン職人によるサポートが必要不可欠である。これらのパン屋の成功は、パンメーカーやパン職人による専門的なサポートが最も大きな要因であると言える。

 

第二節 共に働くということ

 こうして、パン屋での障害者雇用は広がりをみせていった。しかし、障害者を雇用していくからには、給料を支払っていけるだけの売り上げを出さねばならず、他のパン屋と張り合えるだけの安定した収入を目指していかなければならない。第三章第二項で述べたように、NPO法人Eの代表であるK氏も、パン工房Tが利益追求にこだわらず楽しく仕事ができる場となることを理想としていたが、売り上げを維持していくためには、多少の無理をしながらも生産性をあげていくことが必要であると感じている。だが、利益を求めて生産性をあげていくとなると、そこにはやはり健常者と障害者の間に多少なりとも作業のギャップが生まれ、作業効率が落ちることもあるだろう。パン工房Tの店長であるM氏は、自身のブログで次のように綴っている。

 

知的障がい者は仕事はていねいだが、ゆっくりだ。また時間内にこれだけのものを仕上げなければいけない、というノルマ意識も持ちにくい。そこをどうやって工夫して効率をあげていくのか

「『障がい者もあるがままに生きる』というようなことが最近よく言われるが、『あるがままに仕事される』と困ることがある。(=仕事として成り立たない場合がある。)ここに矛盾を感じるところである。」         

(M氏のブログ 2007.11.4より抜粋)

 

  障害者と何らかの関わりを持ってきた者であれば、指導の仕方や接し方がある程度わかるだろうが、障害者と仕事をしてきた経験のないM氏がこのような矛盾や難しさを感じることは当然なのかもしれない。同様に、スワンベーカリー銀座店の販売指導員として働いていた横森氏も派遣された当初は戸惑いを感じている。「一日限りの交流ではなく、毎日一緒に仕事をする仲間として障害者に接することになった横森は、少なからず戸惑いを感じたと言う。(中略)知的障害や精神障害をもつ人たちにどこまで厳しく言っていいのか、どの部分で手を差し伸べればいいのか、見当がつかなかった。」(建野 2001: 173)と述べているように、横森氏も障害者との接し方に頭を悩ませていた。しかし、日々試行錯誤するなかでスタッフそれぞれの個性を理解するようになり、指導のコツをつかんでいったという。また、かつて養護学校で教員を勤めていた十条店の小島氏は、障害者と共に働いていくことについて次のように語っている。

 

「彼らにできること、得意な部分というのが必ずあって、そこで頑張ることができればいいわけじゃないですか。本人が力を出せそうな仕事を用意して、人から喜ばれたという思いがもてたら、働く元気がどんどん出てくる。万能でなくてもいいから、得意な部分で頼りにされるということ。これが大事だと思うんですね。

(中略)そんなことを言ってても、忙しくて間に合わないときは手を出しますよ。ゆっくりでいいときは見守っていてもいいし。要は、一緒に働くなかで補完していくということ。手を出しちゃいけないとか、意識しすぎるのはどうかと思う。だって、ここは教育の場じゃなくて仕事の場なんですから。あんまり頭で考えないほうがいい」(建野 2001: 176,177)

 

 スワンベーカリーでは、こうして個性を活かしていくことで障害者のやる気を生み出し、共に補完し合いながら仕事ができるように模索しているようである。さくらベーカリーの場合は、もともと健常者スタッフの割合が大きくはあるが、同様に障害者スタッフの得意不得意を理解したうえで、作業範囲を狭めることで作業効率が上がるように工夫し、カバーし合っている。パン工房Tの場合も、毎日、翌日焼くパンの準備を手伝ってもらい、予想していたのよりはるかに能力の高い人たちであることを実感。それぞれに苦手なこともあるけれど、一人ひとりの得意なことを理解しつつ、その人にあったテンポで、的確な指示を出せばキチンとした仕事をしてもらえるのです。」(M氏ブログ 2007.2.21より抜粋)とM氏が綴っているように、個性を活かすことで仕事が順調に行くことは感じているようである。障害者と共に働いていくには、環境に慣れるまでの戸惑いや苦労はあるものの、その時間の中で障害者との関係を築きながら彼らの力量と個性を理解し、作業範囲やサポート体制を工夫しながら仕事を任せていくことが大切なのだろう。

 

第三節 「中間の存在」を目指して

 健常者と同じように、障害者がやりがいをもって仕事をしたいと望むことは当然のことである。そのため、経済的に力のある企業や行政が積極的にサポート体制を整え、障害者の雇用機会を広げていくことが求められている。しかし、一般企業での雇用率は低く、障害者がやりがいを持って仕事ができるだけの十分なサポートがある企業は未だ多くはない。作業所においても、障害者の個性を大切にした手厚いサポートは備わっているが、利用者のペースを尊重する作業体制の中では「やりがいを持って働く」ということがわかりにくい環境にある。だからこそ、「障害者自らが働く意欲を持ち、個性を活かしながらやりがいを持って仕事をする環境」を提供する「一般企業と作業所の中間」としての雇用形態が必要とされてきた。そして、それを実現するものとしてパン屋という雇用形態は適したものといえる。それはなぜか。まず第一節で述べたようにパンは需要が高く、その販売方法の多様性から売り上げを確保しやすい商売である。また、冷凍生地を使用し作業負担を減らすことで、作り手に関係なくおいしいパンを作ることができ、他のパン屋と競合していくことが可能である。さらに、パン屋の仕事はその作業の幅広さから、個性を活かして作業を分担することで、仕事に対する責任ややりがいを感じやすいのだ。そして、こうしたパン屋の特徴を踏まえて、うまく実現を果たした例がスワンベーカリーである。第二章で述べたように、スワンベーカリーの創立者である小倉氏は、従来の作業所における低賃金からの脱却と仕事のやりがいを求めて、株式会社スワンを立ち上げた。本来ならば、一般企業で障害者がやりがいを持って働くことが望ましいのだが、従来の一般企業では十分なサポートが整っていない場合が多かったため、従来の一般企業と作業所の中間的な雇用形態を目指し、自らの手で株式会社を立ち上げたのである。スワンベーカリーは、タカキベーカリーによる冷凍生地の提供を受け、宅配事業や出張販売でパンの販売方法を工夫しながら利益を上げていった。そして、結果的に障害者スタッフへの月給10万円を可能にし、パン屋での障害者雇用の実現を示すことができた。

これを受けて、パン工房Tのようにスワンベーカリーのチェーン店としてパン屋を立ち上げようとする動きも出てきたが、第三章で述べたように資金、立地、売り上げなどの厳しい条件があり、そのハードルは高いものである。また、スワンベーカリーのように株式会社や有限会社を立ち上げようにも、その設立には株式会社で1千万円以上、有限会社で300万円以上の資本金が最低限必要であり、民間の力では実現が難しい。そこで、パン工房Tは第三の道としてNPO法人という道を選んだ。NPO法人は株式会社や有限会社と比べて、余分な利益を求めることは許されないものの収益事業を行うことができ、設立時の最低資本金の規定がなく、たとえ資本金0円でも設立することができる。また、寄付金は原則非課税となり、助成金も受けやすい。寄付金を開店資金の糧としているパン工房Tにとっても、この条件がNPO法人を選んだ大きな要因となったようだ。こうした利点から、NPO法人は営利企業に比べてハードルが低く、K氏たちのように一から始める者にとって、取り組みやすいものなのである。こうして、パン工房TはNPO法人という道を選択し、スワンベーカリーを参考にパン屋を立ち上げる運びとなった。とはいえパン工房Tの場合、メイトさんに支給される給料は現状では月給4万円弱に止まり、スワンベーカリーのように月給10万円を実現することは容易ではない。また、そこにはM氏が感じているような作業効率の難しさがあり、サポートするスタッフの作業負荷が伴うなど、その経営には未だ不安定な部分も多いようである。

だが、その活動はまだ動き始めたばかりである。売り上げを維持しお店を存続していくことが今の目標なのだ。おそらく、経営が安定するまではまだしばらく試行錯誤の日々が続くことだろう。しかしその日々の中でよりよい作業体制を築き上げ、パン工房Tが、K氏も理想とする「一般企業と作業所の中間の存在」として完全に確立していく日が来ることを期待したい。