第二章  スワンベーカリーによるパン屋事業と、その他のパン屋事業

 

第一章第二節で見てきたように、障害者の一般企業での雇用率は低く、一般企業での就職が難しいとされる人たちは、従来作業所と呼ばれる場所で主に働いてきた。しかし、ここでの工賃(賃金)は平均して1万5千円程で、なかには1万円に満たない場合もある。こうした現状から、この脱却を図るための新たな事業として、一般企業でも作業所でもない就業の場が生まれる動きが出てきた。そのなかでも、パン屋で障害者雇用を行い、後に続く大きな流れを作り出した例として、スワンベーカリーが全国的に有名である。この章では、スワンベーカリーが誕生するまでの経緯と、スワンベーカリー第一号店・銀座店と、チェーン店・十条店の概要について、建野(2001)をもとにまとめる。また、スワンベーカリーを参考に立ち上げられた事業として、千代田区さくらベーカリーについても兼平(2007)を参考に述べる。

 

第一節  月給10万円を目指したスワンベーカリー事業

 1993年9月、クロネコヤマトの宅急便を開発し、ヤマト運輸株式会社の社長・会長を歴任した故・小倉昌男氏は、個人資産の大半を寄付し、心身に障害のある人々の「自立」と「社会参加」を支援することを目的として「財団法人ヤマト福祉財団」を設立した。設立した当初は何をしたいというビジョンもなく、ただ障害者のために何かをしようという一心で作り上げた財団だったが、その後障害者の社会参加につながる活動や障害者学生などに対する金銭的援助を行うことで徐々にその活動の幅を広げていった。

 1996年、福祉の現場を見たことがなかった小倉氏は、養護学校や作業所を訪ね歩くようになった。爪楊枝などの袋詰め作業や木工品などの自主製品を作る作業所をまわって、そこで働く利用者達に収入のことを尋ねていくうちに、小倉氏は彼らの給料が平均月給1万円に満たないことや、それが当たり前とされていることを知り、怒りを感じた。福祉施設の職員に経営のノウハウを教えることで今の経営体制を変えていかない限り、低賃金からの脱却は望めないことを痛感した小倉氏は、長年の経営者としての経験を活かして、1996年から作業所の経営力アップをはかるための「小規模作業所パワーアップセミナー」を全国で開催するようになった。しかし、そのなかで小倉氏は具体的な商売案を紹介したのだが、なかなか実践しようと動き出すものはいなかった。そこで月給10万円も実現可能であることを、パン屋を通して自ら証明することに決めたのである。

 パン屋を立ち上げるにあたって、「アンデルセン」「リトルマーメイド」を全国展開しているタカキベーカリーの高木社長の協力を得て、同社が開発した冷凍生地を使えば障害者でもパンが焼けることが分かった。そして1998年6月、タカキベーカリーの冷凍生地を使用したスワンベーカリー銀座店が第1号店としてオープンすることとなった。またこれに併せて、1998年6月には資本金を全額ヤマト運輸が出資をして、ベーカリー経営を行う株式会社スワンが設立された。

第二節    スワンベーカリーの概要

第一項 スワンベーカリー直営店・銀座店

 ビジネスマンが行き交う銀座・昭和通り沿いを歩くと、白鳥の絵が描かれた青い看板が見える。店先には「スワンのおいしい焼き立てパン」と書かれたのぼりが設置され、正面向かって右手には、ウィンドウ越しにたくさんのおいしそうなパンが並ぶ。明るいオレンジ色の明かりが広がる店内では、制服を着た店員がレジを打ったり、パンを並べており、OLやサラリーマンがトレイやトングを片手に、パンを選んでいる。このパン屋が、いまや全国に直営店3店、チェーン店20店と広がりをみせているスワンベーカリーの第一号店・銀座店である。

 

 ヤマト運輸元会長・小倉昌男氏が手がけたスワンベーカリーは、まずこの銀座店から始まった。1998年6月、ヤマト福祉財団が入居しているヤマト運輸別館ビル1Fを店舗にあて、スワンベーカリー銀座店がオープンした。開店にあたっては、同年2月ごろからタカキベーカリーの全面的な協力のもと設計や設備の導入計画がたてられ、急ピッチで店舗の工事が進められた。従業員の募集に先駆けて5月には、タカキベーカリーから販売指導担当の女性と、製造指導担当の男性が開店準備要員として参加し、彼らの指導の下、当時ヤマト運輸の社員だった2名がパンの製造研修を受けていた。2人ともパン屋の経験はなく、パンの性質や焼き上がりまでの全工程を覚えるまでは、できそこないのパンも多かった。冷凍生地を使うとはいえ、簡単にできるものではなく、それなりの練習を重ねる必要があるのだ。こうして技術的な研修を受ける一方で、開店へ向けた従業員の募集も始まっていた。6月に入ると、ハローワークや共作連などを通じてパン屋で働く障害者スタッフの求人募集を開始し、説明会や面接を行った。開店当初のスタッフに選ばれたのは、比較的障害の軽い人たちで知的障害者4名、精神障害者2名の計6名である。彼らも開店1週間前には顔を揃え、開店に向けて接客など仕事内容の練習を重ねた。こうして障害者6名、健常者8名の計14名のスタッフ構成でオープンの日を迎えることとなった。

 建野(2001)によれば2001年の時点で、知的障害者6名と精神障害者1名、ヤマト運輸からの出向者4名を含む健常者スタッフ7名、計14名のスタッフが銀座店で働いている。

勤務形態は早番と遅番のシフト制で、2人1組で早番と遅番を1週間ごとに交代で行う。

朝8時のオープンに向け、製造担当の早番は朝の6時半に出勤し、前日に解凍・発酵した生地を取り出し焼き竈へ入れる。販売担当の早番は7時に出勤し、焼きあがったパンを店頭に並べていく。仕事は主に、竈入れを健常者が担当し、そのほかの作業を障害者が分担して行う。具体的には店内での接客、パンのトッピング、洗い物などである。1日の勤務時間は、休憩2回を含む7時間。週休2日制で、給料は時給750円であり、1ヶ月140時間労働と考えて、月給は10万5千円ほどになる。 

 店舗面積はそれほど広くはないが、レジの横にはコーヒーも飲めるイートインカウンターがある。また、スワンベーカリー銀座店の正面左手には、2002年にスワンカフェ銀座店がオープンし、焼き立てパンだけでなく、パスタ・肉料理などの豊富なメニューでランチやディナーも提供している。

 銀座店では、店頭販売のほかにも会社などで出張して行う外売りも行っている。売り上げは、パン屋の売り上げが落ちやすい夏場以外は外売りも含めて1日1517万程度であり、客単価はおよそ500円ほどになる。また、客層は近所で働くOLやサラリーマンが多い。

 

第二項 スワンベーカリーチェーン店・十条店 

スワンベーカリー十条店は、スワンベーカリーフランチャイズ第1号店として1999年5月にオープンした。通常フランチャイズ方式では、初期投資となる加盟金や月々の売り上げの一定割合をフランチャイズ本部に収めるのが一般的で、設備や消耗品を本部が販売したり、指導料を徴収することで利益を捻出しているところもある。しかし、スワンベーカリーの場合は、冷凍生地の仕入れは株式会社スワンを通さずにタカキベーカリーと店舗が直接取り引きをする。また、冷凍庫や解凍機、竈などの機械をリースする場合はヤマト福祉財団が保証人になる。しかし、銀座店の成功を受けてこの事業に関心を示しつつ、こうした好条件がありながらも、踏み切れずにいた作業所は多かった。そこへ、当時養護学校の教員だった小島靖子氏が、フランチャイズ店の候補者として名乗り出たことからスワンベーカリー十条店は始まる。32年間都立八王子養護学校で教員として勤めてきた小島氏は、卒業生の就職先を世話するなかで、一般向けの商売をする店をつくりたいと構想を膨らませていた。そんなとき、スワンベーカリー銀座店のオープンを知り、興味を抱いたのである。スワンベーカリー銀座店に就職した卒業生を通して店内の様子を知ることもでき、それにつれて、自分が目指していた商売はこれではないかと思いたった。そこで、事業計画書を持って小倉昌男氏本人に会い、直談判をしてスワンベーカリー十条店出店の許可を得ることができた。

 

 スワンベーカリー十条店の経営母体は有限会社ヴィ王子である。この会社は、もともとは卒業生の親や、小島氏を含む教職員が中心となって結成した「王子養護学校の卒業生を応援する会(Vの会)」という名の組織が土台となって設立されており、十条店の店舗には、この会のメンバーである卒業生の親が所有する建物があてられた。当初、開店準備資金が十分ではなかったために、店舗はまず所有者である親に作ってもらい、その分を上乗せした賃貸料を払うことにした。また、パンの製造に使う冷蔵庫、冷凍庫、焼き竈などの機械は、ヤマト福祉財団を保証人としてリースで揃え、月々支払っている。従業員は、建野(2001)によれば2名の健常者正社員を含む25名が働いており、障害者と健常者のパート・アルバイトがほぼ半数で構成され、互いに仕事を補助しながら働いている。障害者スタッフの内、養護学校の卒業生から10名ほどが採用された。スタッフの時給は、最低賃金の上昇に伴って改定されたものの700円で、1日4時間働くと月給6万円ほどになる。1日6時間働いてたまに残業をする人は、月給10万円を越えることもある。障害者のスタッフが行う仕事は、主に接客、パンのトッピング、宅配パンのお届けなどである。

 

JR埼京線の十条駅から歩いて5、6分の場所にスワンベーカリー十条店はある。住宅街に入った場所に位置し、まわりには他の商店もないために人通りが少なく、商売をするのに適した環境とはいえない。事実、開店前にはタカキベーカリーグループのスワンベーカリー担当部門から、「1日の売り上げは、5万円あればいいほうだ」と予測を立てられていた。しかし、それが2年後には1日の平均売り上げが20万にせまり、現在では年間8千万から9千万の収入を得るような店舗へと発展している。(ヤマト福祉財団NEWS No.14

その発展を支えた大きな要因は、宅配事業である。立地の悪条件を逆手にとって、小島氏はパンの宅配事業をやることに決め、Vの会のメンバーを中心に宅配先の会員を募りスタートした。宅配セットは1セット625円、毎週1回ずつ月4回のペースで宅配を行い、1ヶ月2500円の会費になる。宅配では健常者のスタッフがドライバーを務め、障害者のスタッフが宅配先にパンを届けている。中には食パン1斤、菓子パン3種、パンの説明書きが書かれた紙と、小島氏直筆の季節折々のお便りが同封されて入っており、このお便りを楽しみにしている会員もいる。その後徐々に宅配先は広がり、労働省、区役所、警察署、消防署、学校、一般企業といった職場宅配も始まった。また、個人向けには生協方式をまねて近所合わせのグループ宅配を開始し、より宅配範囲を広げている。その結果、当初300セットほどだった宅配セット数は、750セットを超える数に増えていった。労働省で始めた配達も最初は5セットから始めたが、その後省内で評判が広がり、障害者雇用の担当部署以外からも注文が入り約45セットに増え、十条店の1番の得意先となった。

宅配事業以外にもその他の活動として、区役所の食堂周辺や職業訓練学校、ヤマト運輸の配送センター、障害者スポーツセンターなどで出張販売や、給食パンの採用、ハンバーガー店へのパンの提供、イベントでの出張販売などがある。

その後、スワンベーカリー十条店は売り上げが安定し、2003年には霞ヶ関にある厚生労働省への出張販売をきっかけに、省内にスワンベーカリー十条店の霞ヶ関店がオープンした。また、十条店の路地をはさんで反対側には新たにカフェとパン焼き専門の「工房ヴィ(通所授産施設)」が設立され、パン屋としての成功を収めている。その他にも、Vの会ではグループホーム、就労支援センターといった施設を抱え、パン屋事業だけでなくブックオフの中間買取事業などにも携わって活動を続けている(ヤマト福祉財団NEWS No.14)。

 

以上、銀座店と十条店での成功を皮切りに、スワンベーカリーはその後全国で直営店3店、チェーン店20店へと増えていった(200712月現在)。またそれ自体の広がりだけでなく、スワンベーカリーは「障害者雇用のパン屋」として手本を示し、スワンベーカリーを真似たパン屋もまた広がりをみせていった。次にあげるさくらベーカリーは、その一例である。

 

第三節 区の事業として、障害者雇用を促進 −さくらベーカリーの概要

 2007年5月、千代田区新庁舎や国土交通省関東地方整備局などが入る23階建て合同庁舎内の1階に「さくらベーカリー」がオープンした。このパン工房は、千代田区の障害者就労支援事業の一環として設立されたパン屋である。助成金などの制度整備で事業主に障害者の雇用を呼びかけるだけでなく、行政側から積極的に障害者雇用の実例を見せていこうという千代田区長の思いから誕生した。そのため、パン工房を可能な限りオープンな環境にし、作業種目や支援方法を工夫するなど、障害者が働いている様子をじかに目に触れてもらうことができるよう積極的に公開している。この工房の企画段階では、区議会議員や生活福祉課のスタッフがスワンベーカリーの視察を行い、参考にした。

 さくらベーカリーは、千代田区の指定管理者「社会福祉法人緑の風」によって運営されている。パン工房の運営事業者募集には多くの法人から応募があったが、千代田区石川雅己区長は障害者就労支援施設とパンづくりの両方のノウハウを持ち合わせていることにあくまでこだわった。社会福祉法人緑の風は、山梨県北杜市で小麦生産・製粉、パンづくりを行う知的障害者就労支援事業を運営しており、関連会社である千代田区の株式会社緑風舎と共に福祉活動も展開している。こうした施設の運営とパンづくりの両面を合わせ持つことから、事業者に採用された。また、さくらベーカリーを運営する社会福祉法人緑の風は、同庁舎内3階にある障害者就労支援施設「ジョブ・サポート・プラザちよだ」も運営している。ここでは、就労移行支援事業と就労継続支援事業B型の支援事業が行われており、さくらベーカリーのスタッフ以外にもここから実習生がやって来て、お店を手伝うこともある(1)

 

 さくらベーカリーは、合同庁舎1階ロビー中央にある「ベーカリーショップ」と、その奥に位置する「パン工房」からなり、それぞれベーカリーは28u、パン工房は113uである。この間を移動するワゴンがロビーを通過する姿が1日に何度も目に入る。営業時間は午前8時から夜7時までで、日曜日と祝日が定休日となっている。店内では知的障害者2名を含む10名のスタッフが働いており、パンを多く焼く午前中にはパン工房の人数を多くし、ランチタイムにはショップスタッフの人数を増やすなど、時間帯や状況に応じて人員の配置を工夫している。障害者の仕事は、パンの配置、ショップ内外の清掃、洗い物、パンの袋詰め、ドリンクサービスの提供などがある。店内に並ぶパンは、原料に緑の風が自家栽培・製粉した北杜の小麦粉を使用し、毎日約60種類ほど焼かれている。パンづくりの指導には、業務用パン焼き機メーカーである株式会社櫛澤電機製作所の代表・澤畠光弘さんを中心としたパン職人のグループが協力をしている。お店には庁舎内外のビジネスマンやOL、一般区民など、1日に約400名ほどの来客があり、1日の売り上げは約25万円に達している。