第4章 考察
第1節 高度経済成長期と現代社会の違い 〜社会的標準の崩壊〜
高度成長期は、「いい大学に行き、いい会社や官庁に入る」というライフコースが一般的に望まれていた時代であった。村上龍(2003)によれば、「高度経済成長期では、ほとんどすべての企業が大きな利益を得ることができたので、会社に入社した人は、だいたい一生その会社で働くことが常識だった。利益があったので社員をリストラする必要がなく、商品や製品は爆発的に売れ続けたので、毎年毎年新入社員が必要だった」という。
また、乾彰夫(2002)によれば、1960年代に成立する日本型大衆社会では、会社からの給料と企業的福祉給与によって、国民は標準的な生活を送ることが出来た。「60年代以降、大企業ブルーカラー層はこの仕組みのもとで、『豊かな社会』段階の生活水準を平均的には獲得することとなり、そこにいわばライフスタイルの『社会的標準』が形成された」という(ibid,:p93)。そこでは、大企業を中心とする企業閉鎖型労働市場の構造を背景に、若くて独身のときには低いものの、結婚して家庭をもち、子どもが増えていくという段階ごとに増加していく給料と、企業内保険・年金・退職金・独身寮・社宅・ローン利子補填をともなう持ち家制度などの住宅給付金が企業を通して提供されていた。だが、企業社会型の中では「社会的標準」は、あくまでも企業内の競争に生き残ることによって得ることができる、きわめて競争主義的な性格を持っていた。「そこでは、この『社会的標準』を享受するためには、高卒以上の学歴と新規学卒正規採用による入社、同一企業での継続就業、そして毎年の査定で平均程度以上の成績を収め標準的な昇給・昇進から大きくはずれていないことが条件であった」という(ibid,:p94)。
しかし、現代社会ではそのような社会的標準の信憑性が崩壊している。乾によれば、バブル経済の崩壊した1990年代半ばから、若者達の「学校から仕事へ」の動き方は急速に変わり始めた。高卒後の進路では就職率が急に下がり、それに対して専修学校を含む進学率の上昇と、とりわけ無業比率が急上昇しているのが目立つ。「このような状況は、最終学校を卒業するまでに就職内定し、4月1日に一斉に入社するという、1960年代以降の日本社会に定着していた若者達の「学校から仕事へ」の移行形態を一挙に崩すこととなった」という(ibid,:p88)。若者たちを直撃している正社員等の正規雇用の急激な減少と、アルバイト等の非正規雇用の増加が、こうした状況を生み出したのだ。高度経済成長期には80%を維持していた新規学卒就職率も、90年代半ばから急降下し、2000年3月大学卒業世代では学校教育法第一条校(専修学校・各種学校を除く)のみでは男女とも50%を割ってしまい、専修学校専門課程を含めても60%前後まで落ちてしまった。
その背景には正社員等の正規雇用を減らし、アルバイト等の非正規雇用を増やすという雇用構造の変化があり、その結果、新規学卒求人が急に減少することになったのである。「1992年3月に167万件あった高卒求人は2000年3月には27万件にまで減少した」という(ibid、:p99)。
90年代では、雇用形態の変化が起こった。正社員等の正規雇用者を増やさずに、パート・アルバイト等の非正規雇用者を増やすというという変化である。この変化が若年層におけるフリーターの増加を生み出した。厚生労働省大臣官房統計情報部(2001)『平成11年度就業形態の多様化に関する総合実態調査報告』によれば、パート・アルバイトを増やす理由の中では、「人件費の節約のため」という内容のものがダントツで多く、「正社員を確保できないから」という内容のものはわずかなものである。ここから見ても、フリーター増加の主な原因が若者たちの意識変化の中にはないことがわかる。
このような雇用形態の変化は、新規学卒採用数を減らすだけにとどまらず、企業側の求める労働力、人材の質にも変化を及ぼしている。「新規学卒者にさえ即戦力的な能力を求めるなどの変化を生んでいる」という。「従来の日本的雇用においては、企業側は勤労意識・態度一般については要求しても、特定の業種・職種に沿った職業意識や知識・技能を強く求めてくることはなかったが、こうした要求変化は、従来の進路指導を進める学校との間に様々な摩擦を生んでいる」という(ibid,:p101-103)。
現代社会は今や「勉強していい学校に行き、いい会社に入ればそれで安心」という社会として単純には信じられなくなってしまった。正規雇用の急激な減少、そして非正規雇用の増加により、今まで望まれてきた「いい学校に行っていい会社に入る」という社会的標準であったライフコースの信憑性が崩壊してしまった。その結果、個人が自分の職業選択について早くから考えなければいけないと意識される社会になってきているのである。そしてそのことは、できるだけ早い時期から職業選択をする準備をしておくことが、その人の人生に有利性を生むという発想につながると考えられる。
第2節 自己選択と自己理解 〜現代社会における進路指導の変容〜
刈谷剛彦(2003)によれば、進路指導のあり方が10数年前とは変わってきているという。進路を生徒に押し付けることを嫌い、自分で選び、自分で探すことを重視するようにシフトしてきたというのである。
近代社会は誰もが何にでもなることができ、それを自分で選択することができるが、一方で職業に就くチャンスは現実に制限されている。ここには矛盾が生じており、それを解決するために社会的選別が行われる。そして先進国の多くは、教育機関にこの重要な社会的選別を任せている。「大人になるまでの社会化の機関=期間である学校がその任を担うことになった」という(ibid,:p178)。
それゆえに、社会的選別を任された教育の中において、一方では個人の選択を尊重し、他方では人々のチャンスを制約するという矛盾を帯びた役割を担うようになる。個人側のの希望と社会側の制約との調整を学校の進路指導が任されているのだが、この希望と制約の調整の過程には社会学者が「クーリングアウト」と呼ぶ現象が含まれる。クーリングアウトとは、直訳すると、「野心の冷却」という意味になるのだが、しかしそれは単純に生徒に向かって「それは無理だ」と、生徒の希望を冷やして諦めさせるだけではない。生徒の持つ希望と親近性のある、代わりの希望に生徒を振り向けることも行われるのだ。 例えば、医者になりたいという生徒がいて、その生徒の学力等が原因で医学部に進学することが難しいと見なされた場合、医学部の代わりに医療技術を養成するための専門学校へ進学する道もあるということを、その生徒に提示するような場合である。「生徒たちの希望をあきらめさせるにしても、『何になりたいのか』という個人の希望を出来るだけ尊重するための方法である」という(ibid,:p179)。
ところが、近年の日本では、学校によるクーリングアウトの役割を嫌う傾向がある。「社会の制約よりも、生徒の主体性の尊重を大切にし、生徒の夢を壊さないように、個人の希望や『自己理解』、『自己選択』をより重視した方向に、進路指導の考え方がシフトしている」というのである。つまり、進路を押し付けることを嫌い、進路は自分で探し、選び、納得するという指導に変化してきたのである。
「『誰でもない者』が、何者かになっていくプロセスは現在の自分は何者であるかを問う『今の自分探し』=『アイデンティティの探求』という側面と、何者になるのかという『将来の自分探し』、つまり、なりたい自分探し、という二つの面とをあわせ持っている。進路指導の用語を用いれば、『自己理解』を通じて、将来の進路を『自己決定』していくということである。自分が誰であるのかを見極めながら、誰かになっていくという過程である」という(ibid,:p176)。
このような考え方は、すでに今日の進路指導を支える基本姿勢として浸透している。 「『本当の自分』探しを基盤に、職業や将来を選び取っていくことが、私たちの社会では望ましい進路選択であるという見方である」ということだ。この見方によれば、「自己理解」や「自己分析」などの、「自己」を尊重するということが、現在の進路指導において重要だということがわかる。「こうした考え方の前提には、『自分で選んだ、自分が本当にやりたい仕事こそ、それぞれの個人がやる気を出し、自己実現できる職業の選択につながる』といった考え方が暗黙のうちに含まれている。そして、それぞれの個人が高い意識を持ち、職業生活を送る(「誰かになっていく」)ことを通じて、社会に貢献し、社会をさらに発展させていく。そしてまた、それが同時に、個人のよき発展につながるという『良循環』を前提とした考え方である」という(ibid,:p177)。
苅谷は「このような考え方の基底にあるのは、『自己』を基点に置く教育のとらえ方である」という(ibid,:p177)。個人を突き動かすものとして、内発的な欲求を生み出す「自己」を想定し、その自己による選択、行動をよりよきものと見なす考え方がそこにある。今日の進路指導においては、「自己理解」「自己分析」「自己選択」「自己決定」「自己実現」といった「自己」のつくことばが多く用いられる。ここからもわかるように、「ほかの人から押し付けられるよりも、自分が内発的に何かをしようとすることに価値があるという教育の考え方が基礎になっている」ということである(ibid,:p177)。
社会的標準であったライフコースの信憑性が崩壊し、その結果、個人が自分の職業選択について早くから考えなければいけないと意識される社会においては、学校における進路指導のあり方もまた、各個人が自分自身の職業選択について考える方向へとシフトするだろう。これが、苅谷の指摘した風潮だと考えられる。このような刈谷の指摘によれば、今日の進路指導において、進路を生徒に押し付けることは避け、生徒の自己を尊重する風潮が見られるということである。そこでは、生徒の希望する進路が困難なものと思われたときに、生徒の熱を冷まし、加えてその希望に似ている進路の選択肢を代わりに提示するクーリングアウトは、もはや積極的には行われていない。自分で選んだ、自分がやりたい仕事こそが自己実現できる仕事であり、それが社会貢献につながるという考え方が暗黙の了解として存在する現代社会においては、むしろ生徒の希望を大切にし、生徒による「自己理解」「自己選択」を大切にする社会になってきているのである。その結果、青年期の人々が自己を理解することの重要性が前にも増して強くなっている。そして、そのことは自己理解の低年齢化につながっている。より早い時期に自己を理解することが出来れば、その分自分の将来にとって有利になるからである。
第3節 個人を養成する2つのスタイル ――「13歳のハローワーク」と「14歳の挑戦」
以上のことをふまえると、現代社会においては、比較的低年齢の、早い時期から自己理解を養成する言説ないし装置が存在するように思われる。そのひとつが村上龍による『13歳のハローワーク(村上 2003)であろう。「13歳のハローワーク」では、できるだけ早い時期に自分の好きなことを見つけることが望まれる。村上龍は、「子どもが、好きな学問やスポーツや技術や職業などをできるだけ早い時期に選ぶことができれば、その子どもにはアドバンテージ(有利性)が生まれる」、「自分に向いた仕事は決して辛くない。そんな仕事でも、それが自分に向いていれば案外面白い」といっている。この本の構成は、1.自然と科学に関する職業、2.アートと表現に関する職業、3.スポーツと遊びに関する職業、4.旅と外国に関する職業、5.生活と社会に関する職業、というように大きく分かれており、さらに1.「自然と科学に関する職業」の項目の中では、花が好き、動物が好き、虫が好き、というように細かく分かれている。そして、「花が好き」という項目の中には、フラワーデザイナー、植木職人、植物園職員などの、花に関する様々な職業が紹介されている。まるで職業紹介の百科事典のようである。そして、さらに「何も好きなことがないとがっかりした子のための特別編」という項目があり、ここでは普段いけないこととされる戦争やエッチやケンカなどが好き、ということについて考え、それらを好きな子どもに職業や、それに関連している他の項目を紹介している。例えば、戦争が好きな子には、職業として軍事評論家や戦場ビデオジャーナリストを紹介し、またエッチなことが好きな子は、心のコミュニケーションに飢えている場合があるということから、精神医科・臨床心理士・心療内科医等を職業として紹介したりしている。このように、この本ではとことん好きなことを選ぶ選択肢を提示しているのである。
そのような好きなことにこだわる姿勢をとる「13歳のハローワーク」に対して、別の誘導スタイルを含むと考えられるのが、「14歳の挑戦」である。玄田有史、曲沼恵美(2004)は、「14歳が1週間働く意味は、そこでやりたい仕事を見つけることではない。自分がやりたいと思っていた仕事の現実に触れ、自分の持っていた希望や夢がいかに表面的な印象や理解であったかを知ることのほうが、ずっと意味がある。逆に、仕事なんて、それが自分にとってやりたいことでなかったとしても、それはそれで面白いこともあるんだと、感じられればもっといい」と述べている(ibid,:p139)。「13歳のハローワーク」がありとあらゆる職業を提示しているのに対して、「14歳の挑戦」では体験できる職業が限られている。例えば、第2章第1節<その他>で報告したように、販売業では受け入れてくれる事業所が多いが、製造業では受け入れてくれる事業所があまり多くない等の理由により、生徒が選べる職業は限られてしまうというケースもある。ゆえに、この事業はなりたい職業を見つけるというよりは、仮になりたい職業でなくとも体験の中で仕事の大変さや楽しさ等を感じ取るのに適しているといえる。
本論文のインタビュー(第3章)で「14歳の挑戦」の体験者の多くは、「仕事の大変さを知った」と語っている。また、C保育所(第2章)での「14歳の挑戦」では、1日目に中学生たちは体験について「大変」「疲れた」「緊張した」と語り、働く様子からも表情が堅く、笑顔が少なく、緊張し、戸惑っている様子が観察できた。このことは「仕事の現実に触れ、自分の希望や夢が表面的な印象や理解だったということを知った」ということと結びつくだろう。そしてインタビューで「14歳の挑戦」の体験者は仕事の「楽しさ」「充実感」「達成感」を知ったとも語っている。C保育所での「14歳の挑戦」においても、日が経つにつれて中学生たちは体験を「楽しい」「充実している」「慣れた」と語るような変化を見せた。また働く様子からも笑顔が増え、幼児たちと楽しそうに話をしており、仕事に慣れてきた、仕事を楽しんでいるという様子が観察できた。「14歳の挑戦」では必ずしも自分のやりたい仕事を体験できるとは限らず、自分が必ずしも望んではいなかった仕事を体験することもある。にもかかわらず体験者の多く、また中学生たちがこのように語るということは、「仕事は例えそれが自分のやりたいことでなかったとしても、それなりに面白さがある」ということを知ったと語れるということである。つまり、「13歳のハローワーク」の「好きな仕事にこだわる姿勢」に対して、「14歳の挑戦」では「自分の好きじゃない仕事の中にも、楽しみはある」という態度を体験者は持てるのである。そこで期待される個人像は「好きな仕事にはもちろん楽しみがあるが、好きじゃない仕事にもそれなりに楽しみはある」というものである。
さらに、インタビューで体験者は「コミュニケーションを大切にするようになった」、「以前より責任感がついた」、「以前より人を思いやれるようになった」、「以前より人と協力するようになった」、「以前より努力するようになった」と語っている。体験後に数年経ってからもこのように語れるということは、「14歳の挑戦」中だけではなくて、その後も一貫する自己イメージが構成されうることを示している。つまり、体験中に知ったと語る「仕事の大変さ、楽しさ、そして好きじゃない仕事でもできる」という態度を、この体験中のみではなくて、これからも維持していこうという個人が養成されるのである。
このように早い時期から個人が職業選択について考えなければいけないと意識される現代社会において、「14歳の挑戦」の社会的意義は、体験者に「好きな仕事をする」、そして「好きじゃない仕事をするが、その中にも楽しみがある」という2つのタイプの個人の選択肢を提示し、早い時期から職業選択をする心構えをもつための手段の一つとなりうるということである。
第4節 「14歳の挑戦」への期待といくつかの補足
ここでひとつ注意を払っておきたいのは、若者が無業者になることと親の職業、社会的階層とは関係しているという説である。刈谷らは2002年3月に「家庭の経済力と高校生の進路との関係」を調査した(苅谷,2003)。そこでは親の経済力を示す指標として「大学進学を望まない」という質問への回答を使っている。その調査によれば、「男子でも女子でも、『大学進学を望まない』と答えた家庭の子どもほど、卒業後の進路のための活動を『何もしない』まま、結果的に無業者になっている。家庭の経済的な理由により、進学という道を閉ざされた場合、正規雇用の職に就けなければ、無業者になってしまう。機会の制約が、経済的に不利な階層で無業者という進路の選択をもたらしているのである」という(ibid,:p185)。また、表は省略するが、2001年の刈谷による調査では、生徒の親自身が、雇用の不安定な職業についている場合のほうが、生徒が無業者になる可能性が高いということがわかっている。この場合、親の世代から子の世代へと雇用の不安定さが受け継がれていることになる。「これらの結果は、進路意識が不明なまま、進路のための活動をまったく行わず、結果的に無業者になるものが、社会階層と相関していることを示している。つまり進路指導の困難さは、恵まれない家庭の生徒を、結果的に無業者という選択に導く可能性を、ほかの家庭の生徒に比べ高めているのである」。
本研究のインタビュイーである8人の「14歳の挑戦」の体験者の両親の最終学歴と職種は以下の通りである(職種の分類には、『1995年SSM調査コード・ブック』を用いた)。
最終学歴 職種
Aさんの父親 短大卒 会社の管理職員
Aさんの母親 高校卒 パート
Bさんの父親 大学卒 販売店員
Bさんの母親 大学卒 パート
Cさんの父親 高校卒 自動車運転者
Cさんの母親 短大卒 事務員
Dさんの父親 大学卒 不動産売買人
Dさんの母親 短大卒 専業主婦
Eさんの父親 短大卒 情報処理技術者
Eさんの母親 短大卒 パート
Fさんの父親 大学卒 薬剤師
Fさんの母親 大学卒 事務員
Gさんの父親 大学卒 営業販売事務員
Gさんの母親 高校卒 パート
Hさんの父親 専門学校卒 自動車修理工
Hさんの母親 大学卒 パート
この結果から、体験者8人の両親全員が高い学歴と職業階層に属するわけではないということがわかる。両親が大学卒なのはBさんとFさんだけである。また職業に関しても、会社の管理職印や薬剤師の人という比較的高い職業階層に属する人だけでなく、販売店員や自動車運転者のように、それほど高い職業階層に属してはいないと思われる人もいる。第3章では、Fさんは例外的だが、他の7人は「14歳の挑戦」を通して仕事の大変さ、楽しさ、充実感、達成感を知ったと語り、そのイメージをその後も持続していこうという心構えを持っていることを感じさせる語りをしていた。もちろんこの調査だけから、「14歳の挑戦」の体験者は親の属する職業階層に関わらず職業選択のための構えをもち、進路意識を明確にしていくための一歩を踏み出すことができるとまではいえない。しかし、前向きなストーリーを語ってみせられる若者が高い学歴と職業階層の両親を持つ人に固まっていなかったことは、「14歳の挑戦」の意義を考えるうえで一定の示唆を持つといえるだろう。
また、「14歳の挑戦」という事業は体験をした生徒からも高い支持率を得ている。
上のような数値に表れているように、多くの生徒、保護者、事業所、そして教職員からこの事業が生徒に良い影響を与えるということが認められ、高く支持されているのである。
「14歳の挑戦」には不登校の生徒にも効果を発揮するという有望性もある。第2章第1節<その他>で述べたように、平成17年度、B中学校の2年生には不登校または不登校ぎみの生徒が10人ほどいたが、うち3人を除いた他の生徒は皆各事業所に通うことが出来た。また、N先生によれば、不登校だった生徒は「14歳の挑戦」実施後、そんなにすぐ変わるわけではないが、この体験は進路のことを考える手助けになったり、自分は学校に通えてないけど、5日間がんばれたという自信につながり、自分を変えていくための、そして学校に出てくるためのプラス要素になるだろうという。コミュニケーションを苦手としている生徒が、1週間知らない大人に囲まれて仕事をすることに苦痛を感じることは大いにありうることだが、しかしその5日間の職業体験事業は、学校で他人とのコミュニケーションに困難を感じ、その結果、不登校もしくは不登校気味になったと思われる生徒にも効力を発揮している可能性がある。それは「14歳の挑戦」と同様、
これまでに述べてきたことをまとめよう。「14歳の挑戦」を体験した生徒は、仕事の大変さ、楽しさを知ったと語る。これは「自分の仕事に対する考え方がいかに表面的なものだったか」、そして「自分のやりたい仕事にはもちろんだが、やりたくない仕事にも楽しみはある」ということを知ったと語れるということである。そして、2つのタイプの個人を知ることで、職業選択をするための構えを持つことができる。さらに、それらを体験中だけでなく、終わった後も忘れずに維持していくことができるという面にも有望性がある。また、「14歳の挑戦」は生徒、保護者、事業所、教職員から高く支持されているという有望性もある。そして不登校または不登校ぎみの生徒にも効果を発揮するという一面もある。
このように、有望な「14歳の挑戦」だが、実施にあたって問題もある。まず、中学校の教師の負担が大きいことだ。長時間の超過勤務をしなければいけない場合もあるという。第2章1節にもある通り、受け入れ先を探す際に教師が去年受け入れてくれた事業所に1つ1つ電話をして内諾を得たり、生徒の事業所への割り振りが決まったら、その旨を各事業所に伝えるために1つ1つ訪問しなければならない等、大変な仕事が多い。また、学校側の対応に不満を感じ、事業所が協力を拒否するというケースも多いという。それは「学校から体験事前になっても連絡がない」、または教員が「体験期間中に受け入れ先を訪問するときに、名刺も持たず、店主にあいさつもしない」「店が一番込む忙しい時間帯に平然と訪問してくる」「無断で写真を撮っていった」などということが原因であり、改善すべき問題点はまだまだあるのである。
最後に注意しておきたいことは、これらの有望な点にのみ目を向け語ることが結果的に現代社会の構造の変化、そして青年期の問題を隠蔽してしまう可能性である。乾は「フリーター、学卒無業者の増大は、若者達の意識の変容の結果という以上に、社会の構造的変化が若者達にそれを強い、社会的学校的に不利な条件にあるものほどその影響を強く受けている」と述べている。職業意識に関して言えば、「14歳の挑戦」は体験者の職業選択のための構えをもたせる、いわば意識の向上という面で有望であるが、それが災いして若者の職業に対する意識の改革にのみ注目が集まり、その結果、社会的に不利な者ほどその影響を受ける社会構造上の問題を目立たなくさせてしまう可能性がある。本論文は、「14歳の挑戦」が体験者に職業選択のための構えを持たせることができるという有望性を強調してきた。しかし、そればかりに注目しようというのではない。やはり社会構造上における問題からも目を反らせてはいけない。あくまでも若者の職業意識、そして社会構造の問題の両面を改善していくよう努めるべきなのである。
(1)玄田有史、曲沼美恵(2004)によると、「