あとがき
この論文を書くにあたって、ヤングジョブとやまの関係者の方々には大変ご親切にしていただいた。何度もインタビューに応じていただいたり、「親・ぼく・会」に参加させていただいたりと、いくら感謝しても感謝しきれない思いである。特に、他の参加者と違って就業への支援を必要としない「部外者」である私を、「勤トレ」に参加させていただいたことは、この論文においても極めて重要な体験となったこともあり、忘れがたい記憶として残っている。
ヤングジョブとやまの職員の方々は、若者のことを親身になって考え、若者と真剣に向き合っていると感じた。そういう人たちによって成り立っているヤングジョブとやまが利用できる環境にある人々は、本当に恵まれていると思った。
こうして無事に卒業論文が完成できたことで、ヤングジョブとやまからの多大なご協力に少しでも報いる形と解釈していただけたら、幸いの限りである。
最後に、個人的に補足したいことを述べて、論文を締めくくることにする。
当論文では、題目に「逆風」という語を用いた。私はこの語に二つの意味を含ませたが、特に強調したかったことは、若者の外側、つまり社会に蔓延する困難よりも、若者の内側、すなわち個人的なトラウマのような困難を意味する「逆風」の方である。これは最終的には自分自身で解決しなければならないものであり、周囲からは干渉できない、いわばミステリアスな部分である。これを解明し、若者たちを救う普遍的な手立てを編み出すことは、困難を極める作業なのではないかという気さえする。もしも個人の内部の事情を全て解決できる支援機関があるとすれば、それこそ「万能薬」と呼べるのではないだろうか。
もっとも、そんなことを考えること自体がナンセンスなのかもしれない。
それよりも、現実的な場面で私が期待するのは、ヤングジョブなどの機関で支援を受けてニートから脱出し、その後さまざまな困難を乗り越えて働くまでに至った若者が、自らの成功体験を社会に還元することである。具体的な例を挙げれば、セミナーや親睦会などの場で、彼らが積極的に発言する機会が増えればいいと思う。実際にひきこもりから脱出した若者たちがパネラーとして自身の体験や意見を語ったことは先に述べたとおりだが、彼らとていまだ「逆風」と闘っている最中である。彼らに協力を依頼するのもいいが、やはり、より説得力を持ち、ニートやその親たちに勇気を与えられるのは、就業というゴールにたどり着いた若者の存在そのものである。
かつてニートやひきこもりだった若者が、あるところで刺激を受けるような体験談を聞き、重い腰を上げる決意をする。彼は支援を受けながら、いずれ働けるようになる。そして、その体験をさまざまな場で発信することによって、ニートやひきこもりから脱却したいと思っている若者が触発され、支援を受けに外に出る――というサイクルが活発に循環すれば、ヤングジョブのような機関もより多くの若者の役に立つようになり、その若者たちが社会を活気づけられるのである。
ヤングジョブは利用が無料である。第2章の最後で、ニート支援産業がビジネス化、極端に言えば金儲けの手段になる恐れについて言及したが、ヤングジョブはそれとはかけ離れた、極めて健全な機関であるといえる。
しかし、無料であるからには、政府からの支援によって運営が成り立っているということであり、若者の就業においてある程度の実績を残さなければ、存在価値が否定されかねない。
そうした中で、ヤングジョブの卒業生が、今度はニートの若者を支援する立場に回れば、若者とヤングジョブが共に社会に貢献することができるようになる。それは、若者就業支援の可能性の拡大に他ならない。
ヤングジョブおよびサポステを取り巻く状況は決して穏やかなものではないが、若者が進んで社会で力になれることを実践する姿勢を見せることが、理想的な風潮の一つであると考えられる。