第3章       内容分析

 

第1節       消費社会と健康

 

 第2章の先行研究の整理においてわかるように、戦後1970年代あたりをさかいに「健康」の意味合いが変化してきたと考えられている。その大きな変化は「消費社会」との接近であった。

多くの健康法や健康食品、健康器具の出現、あるいは「健康ブーム」という言葉が指し示すように、健康への関心の高まりと消費社会化の間には何らかの関連がありそうだということは誰の目にも明らかであるし、これまでもさまざまなかたちで「健康ブーム」にまつわる研究がなされてきた。しかし、問題関心でも述べたように、これらは情報の送り手である生産者側やマスメディア側における「健康」の意味(記号)を解釈したに過ぎず、これだけでは不十分である。情報の受け手側である「われわれ」はどのように「健康」というものを捉え解釈しているのだろうか。「われわれが語る健康」がどのような意味を持ち、どのように変化しているのかという点が見過ごされているように思われる。

しかしながら、社会生活全般において「健康」が経験されるものとして直接的に明示的に語られることはほとんどない。このことは、「われわれが語る健康」の分析を行う上で直面した最大の困難であった。そこで今回は、戦前・戦後一貫して発行され多くの読者に購読されている新聞紙上における読者投稿欄に焦点を絞って分析を進めることにした。

 

 

第2節       研究概略

 

具体的に使用する素材は、朝日新聞朝刊に掲載されている読者投稿欄【声】の読者による「健康に関する語り」である。朝日新聞に注目したのは、全国紙として読売新聞、毎日新聞と並んで最も知名度が高く、前節でも述べたように、戦前・戦後一貫して新聞が発行され、かつ縮刷版としても発行されているため資料の収集が容易なためである[i]

さらに、第二次世界大戦後に発行された朝日新聞読者投稿欄【声】に掲載された記事を戦後4期に分けて内容分析を行う。そのうち、戦後60年を5年刻みで取り上げる(1946年と1950年、2000年と2004年の間は年間)。設定期間は、瀧澤(1996)と津田(1997)の設定期間をもとに、第1期(194565[ii])高度経済成長期を経て社会の健康観が大きく変化したとされる70年代以降を第2期(197080[iii])、ポストバブル・バブル期の第3期(198595[iv])、そして、瀧澤と津田の論文発表時以降を第4期(2000年〜04[v])とし、4期構成で分析を行う。

データベースは、基本的に朝日新聞縮刷版(東京版、19462004年版)を用いるが、補助的に「CD-ASAX 50yrs.1945-1995」(戦後50年の朝日新聞見出しデータベース)や「聞蔵DNA for Libraries(朝日新聞オンライン記事データベース1984年以降)も利用している。

取り上げる投稿は、キーワードとして「健康」ということばが用いられているものはもちろん、個人的な健康観が表明されている投稿を対象とする。具体的には、食事法や運動、健康食品など健康のためにすべき行動だけではなく、健康に対する意見や主張も考慮に入れる。しかし、戦後60年(19462005年)はほとんど「健康」というキーワードが出てこない(特に終戦直後あたり)。前章で明らかなように、そもそもこの時代には「健康」という言葉自体一般的ではなかったからである。むしろ、「衛生」、「保健」ということばのほうが広く一般的であった。したがって、単に「健康についての語り」だけではなくて「健康にまつわると考えられる語り」を含めざるを得ない。たとえば、「公衆衛生」、「医療」、「病気」、「疾病」、「保健」などであるが、「医療制度改革」や「社会保障制度」、「健康保険制度の確立」など単に制度や医療システムについて触れているのみのものは対象外とした。つまり、個人の心身の何らかの状態や経験についての語りについてのみ考慮に入れる。

 

 

第3節              年代別分析

 

第1項       第1期194665年)

 

 分析において考慮するのは、何に重点を置いて健康が語られているかということである。まず、第1期において浮かび上がってくるのは、社会環境によって損なわれる健康を憂う語りである。これを「社会環境によって損なわれる健康」というキーワードとして提示する。

 

○社会環境によって損なわれる健康

a.栄養

    「人民は飢ゑる・・・ここ一週間、米の飯にありつけず菜っぱとにしんで飢ゑをしのぎ、次々と近親が、友達が倒れてゆく・・・」(1946.5.29

    「自発的断食こそ栄養失調症を防ぐ有力な手段・・・」(1946.6.6

    餓死を待つ訳には行かぬ。出来る限り献立や料理法の不合理による栄養分の無駄な消失を避けねばならぬ。・・・」(1946.7.5

    「『十円牛乳』は・・・栄養学的にはかなり欠点がある。・・・」

    「ハイガ米の配給がなくなってから、どうも身体の調子がよくない。・・・」(1960.5.13

b.結核

    「食糧と住宅事情の逼迫は、敗戦日本において、大量の結核家族感染を惹起している。・・・」(1946.815

    BCG接種によって日本の結核発病を2分の1に、結核死を7分の以下に・・・」(194610.2

    「医療費・・・を得るためにも働かねばなりません。・・・療養所を設けることなどにも深い関心を持っていただきたいのです。」(1950.6.3

d.薬害・公害・食品汚染

    「とにかく私たち主婦は、黄変米放射能マグロも絶対に忘れてはおりません。・・・」(1955.1.3

    ワクチン禍・・・事故が起こったとき、それに対して国家が補償するという面がなんら法の上に取り上げられていない・・・。」(1955.6.1

    「化粧品にホルモンなどの薬品・・・使用上の注意を記載させるなどの規制が必要であろう。」(1960.1.4

    ツベルクリン皮下反応は医学的に相当に慎重にしないと正確を期し難い。・・・校長や校医は、健康教育にももっと重点をおいてほしいものだ。」(1960.5.20

    「害虫駆除のために、恐ろしい毒性を有するパラチオン剤が使われているときいてびっくりした。・・・取り締まり当局の適切な処置を、お願いしたい。」(1960.7.5

    危険な色素・・・使用を禁止すべきだと思う。」(1960.12.16

    アンプル入り市販感冒薬による事故死が最近相次いで報道されている。・・・厚生省は・・・アンプル薬を使用するに当っての注意を、この際徹底させれば、自己は必ず防げると思うが、・・・。」(1965.2.25

    アンプル入りカゼ薬による死亡事件・・・国民の健康はむしばまれるばかりだ。・・・この際薬事行政の転換を望むとともに、大衆が、薬への過信と多用のくせを改めるよう注意をうながしたい。」(1965.3.10

    人工色の食べ物・・・こんなに濃くつけて保健上害はないのだろうかとこわくなります。・・・」(1965.6.18

e.その他の環境

    「最低の生存権を・・・働くものは定期健診のたびに不安な思いにおそわれる。もし病で働けなくなったら・・。貧しい日本に生活していても、それは最低の権利の主張ではないだろうか。」(1955.3.20

    「老人、か(寡)婦、身体障害者等の健康は果たして守られているのであろうか。・・・次第に伸びつつある保健所事業の芽を摘むような結果になっては国民の不幸である。」(1960.1.6

    「生活保護法で入院している患者・・・いったい何が買えるというのだろうか。これが憲法で保護された『健康で文化的なる生活』費であろうか。・・・」(1960.5.2

    「世の中には同じガンで、同じように苦しみぬいて死んでいく・・・。私の主人も・・・。(1965.8.19

    「私の職場にいた若い女性が先日胃がんでなくなりました。・・・」(1965.9.1

 

まず浮かび上がってくるのは、何らかの社会環境によって、今ある健康が損なわれてしまう状況と、その状況に危機感や不安をおぼえ何とか行政や企業などに訴えかけようとする様子である。この状況はある深刻な問題を抱えている。それは、生死が関わっているということである。たとえば、友人が栄養失調症で亡くなる様子(「友達が倒れて」(1946.5.29))や薬害で死にいたる様子(「市販感冒薬による事故死」(1965.2.25))のように、問題のある社会環境によって深刻な健康被害がおこることを示唆している。つまり、身体の健康を損なうことは、多くは「死」に直結しているということである。「死」とは、単に身体的な死だけでなく、結核を罹患したり病気によって働くことが出来なくなったりした場合(「働くものは定期健診のたびに不安な思い」(1955.3.20))、療養生活を余儀なくされたり家族を養うことが出来ない、人間的な生活をおくれないなど、「社会的な死」も意味するのではないか。

 また、時系列的にみてみると、深刻な健康問題として提起されるものは、食糧不足からくる深刻な栄養失調や結核などの問題から、1960年代以降からは薬害などに変化している。これ以降、薬害問題は公害問題などとともに大きな健康課題として語られていく点に注目したい。

 

第2項       197080

 

 第2期でも語りの大半を占めるのは「社会環境によって損なわれる健康」についての語りである。第1期と異なる点は、社会問題に対する批判が具体的要望につながっている点である。

 

社会環境によって損なわれる健康

a.批判

     「企業の金もうけという目的のために、われわれ市民はその犠牲となって苦しめられ、何百、何千という尊い命が消されているのだ。・・・」(1970.4.6

     「使われた種痘が厚生省の検定済だったことはあまりにもひどすぎる。・・・」(1970.6.19

     「残念ながら文部省の教育水準は、マスコミよりも低いということになりそうである。」(1970.7.25

     厚生省の怠慢というほかにない。・・・」(1975.7.31

b.  要望

     「一般国民の前で正々堂々と、真実を追求するため・・・一日も早く正しい措置を厚生省はとってほしいと思う」1970.3.27

     万が一の場合も大丈夫なように、安全な洗剤を作ってください」(1970.7.20

     広くこれら運転手の健康診断を公的に、しかも緊急に実施するように提言したい」(1970.7.30

     医薬品問題について正しい世論が起こってほしいと切望する」(1970.3.3

○自然なものから得る健康

     「私はここ数年来、保健薬とは無縁・・・人間は天から与えられた自然回復力が備わっているはずである」(1970.3.27

     日光の大切さを痛感している。都会の空気の汚れが・・・」(1970.3.14

     「『わが家の自然食』をご披露されていましたが、本当にうらやましい・・・」(19706.13

     「私は喜寿を迎えたが、菜食主義で、まことに健康な毎日を送っている。」(1970.6.21

     「食品添加物解毒のためにも玄米や七分づき米・・・」(1970.12.8

     『自然』のものは文字通り、自然にして合理的である。・・・」(1975.7.2

     土にまみれ背中に汗することは、まさに健康でおおらかに生きるという人間生存の原点・・・喜んで求めるもの」(1975.7.6

 

第2期は公害問題がよりいっそう社会問題化し、薬害や食品汚染、残留農薬問題などとともに語られるようになる。詳しくそれらを読みといていくと、第1期との異なる最大のポイントは社会問題に対する不安や不信感とともに、それに抗おうとする形で起こる自然回帰的な行動、つまり、「自然なもの」から健康を得ようとする対概念である。

社会環境によって損なわれる健康に関しては、初期の段階では、化学物質に対する不安や怒りという感情的な表現から始まり、国家や企業批判や要望・提言、国民の権利を追求する弱者とそれを脅かす体制(=強者)との格闘や戦いの様相を呈している。

自然なものから得る健康に関しては、人工的なものに対するアレルギー反応として語られていることに特に注目したい。たとえば、上記の「『自然』のものは文字通り、自然にして合理的である。・・・」(1975.7.2)という投稿からは、無条件に自然のものが身体によい(=健康によい)ものであると受け入れてしまっているようすがうかがえる。「自然なもの」が身体に・健康に良い根拠は、「保健薬」(1970.3.27)や「食品添加物」(1970.12.8)など、科学的な物質が有害であると信じられているから成り立つのであり、「自然なものが身体に良い」という論理が独立して出来上がったのではない。

 

第3項       198595年)

 

 第3期で語られる健康は、第2期と変わらず、「社会環境によって損なわれる健康」と対概念である「自然なものから得る健康」である。また、新たな概念として、健康を価値あるものとして想定する語り(「価値あるものとしての健康」)と日常生活とともに語られる健康の語り(「日常生活の中で維持・増進するべき健康」、「生きがいと健康」)が登場する。

 

○社会環境によって損なわれる健康

     除草剤の・・・住民や妊産婦の健康に及ぼす悪影響・・・」(1985.6.22

     乳がん検診・・・健康な女性にとって他人事であろう。もっと謙虚に耳を傾けてほしいと願う。」(1985.6.25

     「運転者の健康管理はもちろんのこと、免許更新の際の健康診断について、当局者はさらに一歩進んだ処置が必要ではないかと考える。」(1985.11.17

     「子どもたちにせめて安全な食品を、と願っている私たち消費者に・・・」(1985.11.1

     農薬が問題になっている折、消費者はもっと監視の目を光らせる必要があると思います。・・・」(1985.11.13

     「栽培農家と消費者の健康に危険はないものだろうか。・・・」(1990.6.16

○自然なものから得る健康

     「食品公害に驚きながらも『手づくり』の自信を持って・・・」(1985.1.3

     「目標を定めて原始復帰への努力は、決して不可能ではないはずだし、すべて健康管理につながる。・・・」(1985.1.5

     自然を守り、水をきれいにする運動や健康都市について・・・」(1985.3.21

     「合理化や機械化による飽食の危機的状況から人間の心身の健康を奪回し、こんな素朴で真心のこもったうまい手づくり食品をともに喜び、・・・」(1985.4.10

     「コンブは添加物もなく、海の恵みを受けた自然食品、便秘や成人病予防にもなる・・・」(1985.12.3

○日常生活の中で維持・増進するべき健康

     歩くことが多くなり、健康に良い。社内の体力テストで去年より七歳も若くなった。・・・」(1985.1.20

     「この機会を利用して健康づくりをしたらどうでしょう。・・・」(1985.4.19

     身体を動かす喜びと楽しさを知ってもらいたいと思わずにはいられない。・・・」(1985.5.1

     「長い間、健康のための料理を研究してこられた・・・バランスのよい食事・・・」(1985.5.25

     健康果実として本来の酸っぱい夏みかん・・・」(1985.6.4

     健康維持のために散歩します。・・・」(1990.1.9

     「健康は自分で守らなければいけない。そのためには、よく食べて休養をとり運動すること。健康は何にもまして幸せなことだという・・・」(1990.1.29

     「一月に一度のゴルフ・・・」(1990.3.25

     「日本アルプスに行って、新鮮な空気を吸いながらハイキングするという健康にいい効果も・・・」(1995.1.21

     お魚料理で健康を保ち・・・」(1995.5.10

     「健康を考える人には、禁煙をお勧めする。」(1995.7.25

     「私が山を歩くのは健康維持のため・・・」(1995.9.24

○生きがいと健康

     「ゆとりが生まれ、ユーモアも出てくる。自分の健康のためにもプラスとなる。健康でゆとりがあれば、自然と子どもたちにも影響する。そこでユーモアすなわち気のきいたしゃれ、おかしみも生まれる。」(1995.2.23

     「健康ばかり気にする『健康症候群』気づまりだ。自分の好きなことをやっていれば元気に生きられる。・・・」(1995.9.12

     「独居六年。すべて自分でやり、生きることが毎日の仕事。山野を跋渉することは、健康法。簡素な独りの晩年、また悔いのない日々。・・・」(1995.11.2

○価値あるものとしての健康

     「新しい一年の健康と幸福を祈る家長としての思い・・・」(1985.1.1

     健康に気をつけて頑張って・・・」(1985.3.16

     健康でこうした行動の出来ることを感謝しつつ・・・」(1985.4.11

     「母をはじめ家族が健康であることがいかにしてありがたいことか、改めて感謝している」(1985.5.2

     「いちずに走り続け、健康など意にもとめないできたのを、今激しく反省する。・・・」(1985.6.8

     健康に恵まれ・・・」(1990.1.4

     「長寿を祝い、健康を念じて・・・」(1990.1.11

     健康に気をつけてがんばっていただきたい・・・」(1995.3.3

 

第3期にはいると一点、公害問題などの社会問題が大きくトピックスとしてあがることはほとんどなくなった。これは、公害問題が解決の道をたどったことと時期を同じくしているからであろうと考えられる。少なくとも公害問題から損なわれる健康は、関心が集まるトピックではなくなってきていることがうかがえる。変わりに注目されるようになったのは、自分や家族などごく身近な人物の健康状態である。そこには、積極的に健康状態を維持しようとしたり、さらに健康を増進させようとする独自の健康観が垣間見える。「健康」望ましいものであり尊いものであるとともに、何にもかえがたいものであるという価値観、つまり、健康であることが望ましい価値であるという語りが増加したことに注目したい。

第3期以前の健康が、負の状態から得られる、「異常」の裏返しからくる「健康」でしかなかったものが、第3期以降の健康は健康を維持し増進することが良いことであるという価値観に裏打ちされた「獲得の健康観」が垣間見える。前者と後者の指し示す「健康」は質的にはまったく異なるような印象である。

また加えて、このころからの「健康」は、人のライフスタイルや生活・生き方の一部として語られることが多くなり、その人の人生観の一部として組み込まれている。自分自身の健康が、老いや人生観などとともに経験的に語られてくるのである。

 

第4項       2000年〜04

 

 第3期に引き続き「社会環境によって損なわれる健康」を憂う語りがみられるが、健康を価値あるものとして想定する語り(「価値あるものとしての健康」)や日常生活とともに語られる健康の語り(「日常生活の中で維持・増進するべき健康」、「生きがいと健康」)との二極化がみられるようになる。健康の語りの大半は後者である。

 

○社会環境によって損なわれる健康

     「禁煙の害」(2000.1.19)、(2000.10.19

     「遺伝子組み換え食品」(2000.2.10

     「喫煙ニッポン」(2000.2.27

     「過労死」(2000.2.25

     「排ガス」(2000.2.29)、(2000.3.28

     「米軍厚木基地の煙害問題」(2000.3.26

     「誤った食事の常識」(2000.2.28

     「ポリオワクチン」(2000.5.26

     「医療ミス」(2000.6.6

     「過労」(2000.7.7

     「ダイオキシンや環境ホルモン」(2000.9.7

     「尼崎公害訴訟」(2000.9.28

     「神戸沖空港問題」(2000.11.21

     B型肝炎」(2004.2.5

     BSE」(2004.2.14

     「受動喫煙」(2004.3.1

     「喫煙被害」(2004.7.1

○自然なものから得る健康

     「伝統の知恵と自然の摂理にのっとった『屎尿リサイクル』にも一考の価値がありはしないか。・・・」(2004.5.11

○日常生活の中で維持(増進)するべき健康

     「子どものころから健康づくりのための食事が身についていれば、ずっと健康でいられるはずです。・・・」(2000.1.1

     「私の方法はこうだ。・・・ハイドンの交響曲・・・」(2000.1.12

     「健康重視に向けて、時代は少しずつ動いていると思いたい。」(2000.2.29

     エアコンは一切使わない・・・。健康への近道と実感している。・・・」(2000.2.29

     日常生活の中で健康に過ごす・・・」(2000.3.26

     ごみ拾い・・・心身の健康にも良い・・・」(2000.4.13

     「健康のためにエアロビクスを始めて、身体を動かす楽しさにめざめ・・・」(2000.4.19

     「死ぬ前日まで、歩く健康を保ちたい。・・・」(2000.4.19

     「健康を損なっては何にもなりません。運動で健康的にやせましょう。・・・」(2000.4.27

     「健康の源の梅漬けを作り続けたいと思う。」(2000.6.10

     牛乳・・・毎日一本ずつ飲む習慣になり、お陰で健康に過ごしている。・・・」(2000.7.16

     「夏、どれだけ汗をかいたかで一年の健康が左右されます。・・・」(2000.7.30

     蚊帳」(2000.8.6

     「自分の健康管理も大切だ。・・・」(2000.8.18

     「夏は45度、湿度は90%以上という環境・・・暑い時、思い切り汗を流す。これが私の健康法だ。」(2000.8.21

     「健康第一・・・」(2000.9.12

     「『四つんばい生活』・・・は誠に優れた健康法・・・」(2000.9.13)、(2000.10.24

     「『健康のため』といってバスにも乗らず駅までの長い道のりを歩いて出勤する。・・・」(2000.9.15

     「健康によく、ボケ防止・・・自転車・・・」(2000.9.23

     「健康長寿の秘訣は『腹八分と歩く』ことだと言われる。・・・」(2004.1.4

     「毎朝市内を10キロ歩き、夏には冷たい水かぶり、冬にはタオルで冷水摩擦。・・・」(20041.1.4

     アロエ入りの牛乳を飲むことから始まる。・・・私たち家族の健康を作っている。」(2004.1.4

     ラジオ体操」(2004.1.4

     「健康の一助にと、十数年来、毎朝室内で輪投げを続けている。・・・」(2004.1.4

     ゴキブリ体操。正式名は『西式健康法』・・・」(2004.1.4

     「健康志向の現代、話題の健康法に『呼吸法』がある。・・・」(2004.4.4

     「健康を指向する基本理念にもとづき、・・・」(2004.5.11

     「毎朝の散歩」(2004.6.5

     「健康管理に気を配るようになった。・・・」(2004.9.15

     「心身の健康づくりには運動が必須。・・・」(2004.9.19

     「人は笑うことによってストレス発散をして心を健康に保っていると思う。」(2004.10.30

○生きがいと健康

     「年を取っての健康は生きがいだ。・・・」(2000.5.8

     「健康な時に一人ひとりが体を動かして体力を蓄えておき、老齢時に、これを少しずつ引き出していけば、他人の世話にならないで、人生グッドバイができるのではないだろうか。」(2000.7.29

     「妻を亡くし、独り暮らしだが、食事もうまいし健康である。それでいて何かむなしさを感じる。・・・」(2000.7.18

     「健康で働けることの楽しさと、いささか社会に奉仕しているという満足感で、毎日が充実している。・・・」(2000.9.5

     「今は気の向くことだけやればよいと思っている。・・・」(2004.1.4

     「今では11回のウォーキングで充足感があふれるようになった。やるべきことをやったという目標達成の喜びが心地良い。・・・」(2004.10.1

○価値あるものとしての健康

a.健康に感謝

     「何とか健康に恵まれ・・・」(2000.1.15

     「心身ともますます健康、感謝の日々である。」(2000.1.19

     「健康なときには気付かなかったことを気付かせてくれたという意味では、病気は私にとって決して不都合な経験ではなかったと思っている。・・・」(2000.8.30

     感謝と幸せの日々です。もし、私が人並みに健康であれば、夫のこの優しさを見失っていたでしょう。」(2000.10.1

     「息子が病気で入院し、改めて健康の大切さを痛感した。・・・」(2000.11.11

     「医療費という出費がないことに感謝している。」(2004.1.4

     「笑う私には健康という福が来ているのかもしれません。・・・」(2004.1.4

     健康にも恵まれた生活・・・」(2004.2.10

     「万年ヒラだが健康で、何とか食べていけてありがたいと思っている。・・・」(2004.4.29

     「健康なときには感謝どころかいたわりもせず、・・・」(2004.6.15

b.健康祈願

     「五穀豊穣を祈り、健康を願う・・・」(2000.1.21

     「ご自身の健康を取り戻されることを心から願っている。」(2000.2.1

     「何よりも明るく健康な日々でありますように、・・・」(2000.2.5

     「死ぬ前日まで、歩く健康を保ちたい。・・・」(2000.4.19

     「体が動く間は、少々寂しくとも自由な独立した生活をしたいと思う。・・・」(2000.6.17

     「私も息子の健康を、お客様の安全を気遣います。」(2000.6.19

     「地産地消で健康でありたい。・・・」(2004.2.14

     「健康を維持するため・・・」(2004.2.18

     健康に留意し、・・・」(2004.9.15

c.健康の尊さ

     「人の健康・生命は何ものにも換えられないということだと思います。・・・」(2000.2.29

     個人の健康を尊重しない時代錯誤な発想ではないでしょうか。・・・」(2000.5.20

     「息子が病気で入院し、改めて健康の大切さを痛感した。・・・」(2000.11.11

     健康が財産だった私・・・」(2000.11.21

 

この時期の「健康」は、先行研究のように、「健康」=「消費」という解釈からはかけ離れた、いたってシンプルで謙虚なものであり、生活の中で実行できるものばかりである。「健康法」は、自分流にアレンジされていたりして生活に溶け込んでいる。健康はなくてはならないものであるが健康が何にもまして重要なものだというヘルシズムのようなものは感じられない。むしろ、その健康法を実行することによって生活が豊かになったり充実したり喜びを感じたり生きがいにもなったりしているのである。「健康」とは、その人間の生き方や人生観、ライフスタイルそのものなのではないだろうか。

 

 

第4節       健康のまなざし

 

第4節では「健康のまなざし」、つまり、誰が健康を守るべきなのか、誰のための健康なのか、という視点において語りを分析する。

まなざしは大きく分けて二つの視点に限定されることがわかった。一つは国民としての健康と、もう一つは個人としての健康、つまり私の健康という二項対立的なキーワードが浮かび上がってきた。そのまなざしは徐々に変化していく点に注目したい。

○国民の健康

a.国民の健康

     「国民の健康を守る意味と、・・・」(1970.2.24

     「被害者の団結が何より必要だ。市民の一致協力が必要だ。・・・」(1970.6.1

     「われわれ国民は・・・」(1970.6.10

     「超党派の国民運動で、住みよい国土保全という大目標に行動を統一・・・」(1970.6.4

     「裁判所は・・・善良な被害者である国民の側に立ってさばくべき・・・」(19706.19

     「人間の生命と健康・・・」(1970.6.16

     「米一つとってみても・・・根本的に国民尊重にあるように思います」(1970.6.24

     「人間の健康を守ること・・・」(19708.29

     「いかにしたら国民の健康が守れるか・・・」(1985.1.11

     「健康で文化的な最低限度の生活・・・」(1985.1.28

     「『すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する』・・・」(1985.4.4

     「国民の生命・健康を犠牲にする・・・」(1990.6.13

b.周囲の、住民の健康

     「住民の健康は当然・・・」(1970.7.30

     「周辺住民の健康・・・」(1975.7.27

     「周辺の島々の住民の健康や生活に・・・」(1995.9.9

○私の健康

a. 家族の健康

     「家族の健康と安らぎを守りたい。」(1985.2.17

     「子どもの健康をそこなったとしたら・・・」(1985.2.18

     「母をはじめ家族が健康であること・・・」(1985.5.2

     「私はただただ夫の健康に気をつかい、栄養のある食事を作ったりしていますが・・・」(1990.6.29

     「主婦業は、家族全員の健康管理者であり、栄養士であり、介護者である。・・・」(1995.10.5

b. 自分の健康

     「わが身の健康・・・」(1990.6.17

     「健康であるならば、自分のできること何でも役立てるボランティア精神をみんなが持つことだ。・・・」(19906.20

     「自己健康管理・・・」(1990.10.24

     「自分の健康に関する情報・・・」(1990.11.1

     「私の意見を伝えたい。・・・健康でいられたのは、補助金と給食のおかげ・・・」(1990.12.22

     「自分の健康・・・」(1995.2.23

     「(自分は)気力はまだ五十代後半、健康が許す限り働きたい、・・・」(19956.23

     「『自分の命、自分の健康』・・・一人一人が『私の命は私が管理する』という最低の原則を守ってゆけたらいいのになあ、としみじみ思うのです。」(1995.7.3

     「私が山を歩くのは健康維持のため・・・」(1995.9.24

     「独居六年。すべて自分でやり、生きることが毎日の仕事。山野を跋渉することは、健康法。簡素な独りの晩年、またくいのない日々。・・・」(1995.11.2

 

国民の健康→住民の健康→周囲の健康→家族の健康→自分の健康

 

という流れで、徐々にまなざしが変化している。公害問題に端を発した国民の健康の獲得という熱っぽい語り口調から、一人の人間がどう健康を維持できるか、さらにはどう人生を有意義に過ごすことができるのかという人生観の一部に組み込まれていく様子が改めてみえてくる。

 ただ、国民の健康を語る口調が完全になくなったわけではなく、国民の健康と私の健康が反比例しているような状況である。国民としての健康と私としての健康は質的にはまったく異なり、また異なる次元で語られているのである。

 

 

第5節       先行研究との比較

 

第1項       第1期(194665について

 

 『保健同人』の発刊要因でもある結核の問題は、投稿欄の語りの中でも重大な社会問題であり、健康課題として深刻であった点は相違ない。ただ、瀧澤(1996)が指摘するような「健康の大衆化」という点には違和感がある。投稿欄の語りの中での見えてくるのは、深刻な健康被害を及ぼす社会問題に対して抵抗する姿である。

 一方、津田(1997)の指摘する、戦後日本の貧窮と栄養不足の問題は、投稿欄の中の語りにもみられる。ただ、津田の指摘する科学合理主義は必ずしも一致せず、むしろ、科学技術に対する安全性を批判的に論じる語りのほうが一般的である。

 

第2項       第2期(197080について

 

 瀧澤(1996)は、第二期の時期の健康ブームについて、その根拠は明確にはしていないが「健康ブーム」があったとし、そのブームを牽引した要因として、成人病などのライフスタイル中心型の慢性疾患が問題視され始めた点、さらに公害被害によって自然食と称される無農薬野菜や無添加食品などが求められる傾向があった点、また、健康雑誌で取り上げられる情報が手軽に実践できるなどの受け入れられやすい条件が具備されていたことを挙げている。これらの点に関していえば、分析をした投稿にもその傾向は見られる。この間の「健康」は公害問題とそれに抗う人々の健康への追求であるし、その対抗要素として自然回帰の傾向も見られた。さらに、体験談として語られる健康法も、「乾布まさつ」(1970.1.1)「バランスの取れた栄養、安全な食品、十分な睡眠」(1970.3.27)「歩くこと」(1980.11.11)など暮らしに密着した実践が容易なものばかりである。

 しかし、さらに瀧澤(1996)が指摘する、「大衆の健康形成が『物象(モノ)』に依存して展開されるようになった」という点は必ずしも一致しない。むしろ、物質文明、ここでは人工物質(添加物や合成物など)に対するアレルギーさえ感じるし、その反動として自然回帰の現象がみられたのである。また、瀧澤は「『健康の商品化(モノ化)』は、生活のありとあらゆる側面が貨幣によって商品やサービスを購入し消費することによって成り立つ高度消費社会を象徴する現象」といっているが、この点についても疑問が残る。投稿の中では、身体によいもの、たとえば「玄米」(1970.12.8)や「フレッシュな牛乳」(1970.10.27)、「カリン」(1975.1.10)「お茶」(1980.6.1)など自然食を摂取することを推奨はしているものの、瀧澤の指摘するような具体的な商品やサービスはほとんど語られない。

 一方、津田(1997が、「第四次『健康ブーム』の科学技術信仰とは正反対に、むしろ半科学主義、あるいは自然回帰志向、土俗回帰志向として生成した。」と指摘した点については、分析結果とほぼ一致している。しかし、さらに津田(1997)が指摘するような「恐ろしく多彩な分野にわたる、恐ろしく多用な品目の健康商品」に人々が踊らされていたような形跡はない。

仮に、この時期において瀧澤と津田の二人が指摘するように、健康と消費とが結びつき健康関連産業が繁栄していたとしても、少なくとも読者投稿欄においてそれらの商品やサービスを使った具体的な実践や体験談を読み取ることはできない。

 

第3項                     第3期(1985年〜)以降について

 

瀧澤は、この時期の健康ブームを医療に対する意識の高まりと医療サービスの多様化を挙げている(瀧澤 1996:140-141)。しかし、「乳がん検診」(1985.6.25)「健康管理・・・健康診断」(1985.11.17)といった医学知識の浸透といった点以外に医療に対する意識の高まりや医療に関するその他の関心はそれほど高くはない。(もしくは高かったかもしれないが、読み取ることはできない)

(※津田(1997)は特に第四期について明言してないので省略)

 

 二人に共通するのはそもそも「健康ブームがある」という当然の前提の下で分析を進めていることだが、この読者投稿欄を読む限り、具体的な商品名や健康雑誌等で紹介される民間療法がもてはやされているというわけではなさそうだ。「健康ブーム」さもあるかのような実在として語られているが、かなり慎重に扱わなければならない概念なのかもしれない[vi]



[i] 投稿といってもすべての投稿が掲載されるわけではなく編集部によって厳選されたものが掲載されている。ただ、毎月末には全投稿の集計が行われ、関心が高いものが選ばれていることを強調している。なお、紙上では匿名は認められず、掲載の際には投稿者の氏名・年齢・居住地域名(都道府県名もしくは市区町村名)・職業が例外なく併記され、原則、本文はそのまま掲載されることになっている。(ただ、年代によって年齢等が掲載されていない年もある)

[ii] 1946年、1950年、1955年、1960年、1965年のそれぞれ1月から12

[iii] 1970年、1975年、1980年のそれぞれ1月から12

[iv] 1985年、1990年、1995年のそれぞれ1月から12

[v] 2000年、2004年のそれぞれ1月から12

[vi] この点においては黒田(2003,2004,2005)が詳しく指摘している。