第2章 先行研究のまとめ
第2章では漫才を分析するにあたり、参考とする考え方をまとめていく。第1節では漫才について、第2節は本論文の分析の基となる会話分析について、第3節では他の漫才分析について触れるとともに、本論文の参考となった論文についてまとめていく。
第1節 漫才について
まずはじめに、漫才についての説明をしてゆくことにする。
漫才は基本的に2名の演者が滑稽な話を演じる話芸である。芸の内容もさまざまで、何をやってもよいがコントとは違い、舞台装置等を使うのではなく、2人の掛け合いによって笑いが生み出されるものである。
漫才の始まりは、平安時代から始まった「万歳」とよばれるものである。明治の末には「万歳」の芸がアレンジされ、「万才」として寄席で演じられるようになった。昭和に入り、唄よりもしゃべりを全面にだした、横山エンタツ・花菱アチャコの登場により、ほぼ現在の漫才ができあがった。そのころ、名前も「漫才」と変えられた。
現在では漫才の形態も多様化し、しゃべくり漫才だけではなく、漫才の中にコントが含まれる漫才コントや互いにボケあうダブルボケなど様々な漫才のスタイルが存在している。また、安田大サーカスやザ・プラン9(注2)など3人以上で漫才を行うグループも登場している。(注3)
第2節 会話分析
第2節では、本論文で漫才を分析する際に用いた会話分析についての説明をしたい。
社会学辞典によると、会話分析とは、エスノメソドロジーから派生した分野であり、会話を分析することで社会的相互作用が、参加者自身の社会成員としての実践的能力によって秩序だっていることを証明するものであるとされている。(見田宗介他編,1988)
ここでは本論文を読むにあたっての会話分析の基本的な知識について紹介してゆく。以下は、好井裕明・山田富秋・西阪仰編『会話分析への招待』(好井裕明他編,1999)から1章「会話分析を始めよう」をまとめたものである。
1、会話分析とは
会話分析とは、一見でたらめに見える会話の中の基本的な構造をみつけるものである。また、会話分析が目指している説明とは、ある会話がなされる実際の文脈の特徴を考察しながら、同時にその文脈を超えて一般化することが可能であるような説明である。
会話分析の明らかにする「規則」とは経験的規則ではなく、メンバーとしてコミットしなければならない規範的で道徳的な秩序である。
2、会話の基本ルール
会議や授業場面などの、ある社会制度を背景としてなされる会話ではなく、会話参加者にほぼ同等の発言権が期待されているような普通の日常会話において、会話の基本単位を1つの順番(turn)とすると、以下の2つの特徴が挙げられる。
(1)1つの発話順番において(つまり1度に)1人が話す。
(2)話し手の交替が何度も起こる。
これは漫才でも演者同士が話す場合には1人の発話順番で1人が話し、話し手の交替が何度も起こっている。
3、会話の順番取りシステム(turn-taking system)
会話に参加しているものは互いに発話の順番の交替をなんらかの形で予測し、交互に調整することができるとする規則体系のことを指している。
4、潜在的完結点(possible-completion-points)
今の話し手がどこで話を終えるかは、何らかの仕方で聞き手に予期されるということである。また、潜在的完結点がくるまではなんでも1つの発話順番と見なされる。
5、発話の移行適切場所(transition-relevant-place)
発話の順番が今の話し手からつぎの話し手へ移行するポイントは、今の話し手の潜在的完結点になる、その場所のことである。
漫才の場合、演者同士のターンの交替については、潜在的完結点で行われ“会話の順番取りシステム”が働いているといえる。
6、発話順番取得システムの運用規則
話す順番を会話のなかに配分する規則のことであり、以下の規則がある。
1a規則―他者選択
今の話し手がつぎの話し手を選択したら、今の話し手は話すのをやめ、つぎの話し手が移行適切場所で発話順番を獲得する。この時、つぎの話し手に話す義務が生じる。
1b規則―自己選択
今の話し手が、つぎの話し手を選択しなかったら、最初に話し始めた者(自分をつぎの話し手として選択した者)がつぎの発話順番に対して話す権利を持つ。
1c規則―自己継続
今の話し手が、つぎの話し手を選択せず、また他の会話参加者による自己選択も起こらない場合、今の話し手は続けてもよいが、その義務ない。
2規則
つぎの移行適切場所において1c規則がはたらいていたら、1a−1b−1c規則がこの順番で優先権をもって再適用される。
7、割り込み・オーバーラップ
発話と発話のあいだの割り込みやそれに続くオーバーラップは、でたらめに生起するわけではない。割り込みやオーバーラップは発話順番の潜在的完結点において規則的に起こり、すぐ前の発話順番が完結する可能性をもっている点で生じているのである。潜在的完結点以外で起こるオーバーラップは、相手の話を聞いていない、聞くことが動機づけられていないものとして相手に聞かれる可能性をもっている。潜在的完結点以外での割り込みは規範的な順番配分規則を破る行為として概念化できる。
また、順番取りシステムが規範的にはたらいている時は、潜在的完結点以外でオーバーラップが生じた場合、どちらかが話すのをやめ、相手に発話の順番を譲る。その時は、2つの会話が重なってオーバーラップした箇所の言い直し(修復)がされる。
8、沈黙(ポーズ)
沈黙は発話順番取得システムに関連しており、1a規則が使用された場合、選ばれた話し手は普通、あいだをおかずに話し始める。そのため、1a規則がはたらいているときの沈黙は目立つものとなる。
1b規則が使用された場合には、今の話し手以外の参加者たちは1つの発話順番をめぐって競争することになる。その結果、複数の自己選択が生じ、同時スタートが頻発しやすくなる。
1c規則が使用された場合は、他の会話参加者による自己選択が起こるのを待つぶんだけ沈黙が生じることがある。そうした沈黙は誰も話を開始しないまのびした沈黙になる。
9、会話の開始と終結
会話の開始は、会話参加者の協同によってはじめられる。
一方会話の終結も会話参加者の協同作業によって行われる。しかし、会話の終結の際には終結部という終結の準備をする会話シークエンスがある。終結部とは互いに新しいトピックの導入は避け、会話の停止を確実にするためのプロセスである。
10、物語やトピックの組織化
物語が語られる場合、通常の会話の順番取りシステムは中断され、トピックや物語の話し手に対して話す権利が優先的に与えられる。「あいづち」は話し手の物語を支持するものであり、何らかの発話順番を構成するものとは意識されない。聞き手側の協力がなければ、物語の話し手は物語を続けることができない。
11、物語やトピックの一貫性
トピックの一貫性をつくりだす方法がパンチラインの共有である。トピックや物語の話し手は、聞き手がそのパンチラインを適切に理解するものと期待して話をする。聞き手の物語のパンチラインに対する理解は類似した第2の物語をつくりだすことによってなされる。
漫才の場合でも、演者は観客が笑いどころを理解してくれるものと期待して話しをしている。また、話のオチに対する理解は笑うことである。
これらの会話分析のルールが漫才の中で、演者と観客の間ではどのように働いているのか、についてこれから分析を進めていく。
第3節 漫才の先行研究
今までの漫才研究には、語用論による分析をした金水(1992)やコンビの関係性から漫才におけるおかしみの質について分析をした関(2004)、漫才における非言語行動について分析した村中(2003)、漫才における物語の語られ方や漫才における演者と観客の相互行為について分析した森本(2001、2002-3、2005)などが挙げられる。また、直接漫才を分析してはいないが、漫才を資料としておかしみの生成について分析したものには木村(2003、2003、2004)、関(2002、2002、2003)、阿部(2004)が挙げられる。
しかし、いずれの場合も演者側についての分析しかなく、本論文が目的としている演者と観客の両方からの分析は森本(2002-3、2005)しか見当たらないようである。
・漫才の談話構造
漫才は、舞台上でパフォーマンスを行う演者とそれを鑑賞する観客が存在している。漫才は、演者間の「掛け合い」によって成立する構造と、演者と観客のあいだに成立する構造の2重構造を持っているのである。掛け合いを行う演者を演者1・演者2とすると、漫才の構造は次のように定式化できる。
・漫才における談話構造:(演者1⇔演者2)→観客
その際、演者間の構造(演者1⇔演者2)を構造A、演者と観客間の構造((演者1⇔演者2)→観客)を構造Bとする。以下はその関係を図にしたものである。
(図は森本 2005:33 より引用)
・笑いは観客のターン
・フィラーとあいづち
フィラーやあいづちは観客にターンを許しているといえる。あいづちは会話における聞き手からのフィードバックや相手の話を聞いていることを表示する機能を持っている。また、フィラーは諸説あるものの、好ましくない評価を表す前置きとして用いられている。
ここで双方に共通することは、談話標識として会話を進行する上での機能は持ち合わせているが、発話としての具体的な意味内容は持たないという点である。そのことから、演者の発話と観客の笑いが重複している間、構造Aにおける会話は進行していながら、構造Bにおいて演者から観客への働きかけが全く行われていないということができるのである。つまり、フィラーやあいづちは観客に向けられたものではないため、実質的には観客にターンを許しているものとみなすことができる。
重複しているように見える2つの発話は、それぞれがどちらの構造に位置づけられるかの違いにより、競合するものではないといえるのである。
・まとめ
演者は観客の笑いを1つのターンとみなしており、ポーズやフィラー・あいづちを用いて構造Bにおける相互行為を組織している。これは、演者たちが構造Bにおける相互行為を組織しながら、同時に構造Aを維持するためのよすがなのである。
漫才は演者の掛け合いで構成されるものであり、構造Aが漫才の基盤である。そのため、あいづちやフィラーなどの構造Aを維持するためのものは、漫才の基盤を守るものとして必須なものである。
・おわりに
漫才で重複が起こるのは不思議なことである。なぜなら、漫才には脚本が存在するため、あらかじめオチ(注4)が設定されており、前もって観客の笑いとの重複を避けることができるからである。しかし、実際には重複は頻繁に起きるものである。これは、演者と観客の相互行為の組織にあたって、観客の笑いと重複するような場所で発話することが重複を回避することや笑いの優先性にしたがうことよりも有効なストラテジーであると考えざるを得ないのである。