第5章 おわりに
はたしてプロレス「最強」幻想というのは、どのようにして作り上げられてきたのか。そしてまた今後はどのようにして作り上げていくのだろうか。これらの点に関心を抱き、本研究はスタートした。
しかしプロレスに特有のグレーゾーンとでも呼ぶべき曖昧な部分がまず立ちはだかる。これはスポーツなのか、エンターテインメントなのか。これまでそれらについて明らかにされてこなかったのである。そのため、人によっては完全に真剣勝負だと捉えて見る人もいれば、逆にショーだと割り切ってみる人、または疑念を抱きつつも半分は信じて見る人もいて、様々な見方がされてきたのである。ある意味ではそのグレーゾーンによって「最強」幻想が成り立っていたのだともいえる。
本研究では、そうしたグレーゾーンを有するプロレスというものをできるだけ明確に定義するために、最近出版された暴露本を利用することとした。元レフェリー・ミスター高橋著『流血の魔術 最強の演技』である。それまでにも暴露本に近い書籍は出版されていたようであるが、いずれもプロレス団体外部の人間(マスコミ関係など)の著であるため、説得力に欠けていた。そこに2001年に『流血の魔術 最強の演技』、2003年に元プロレスラー・高田延彦監修の『泣き虫』が出版され、そのリアルな内容に業界、ファンともに騒然とさせた。それらの出版物を参考に、プロレスを筋書きのあるエンターテインメントのショーであると捉えることができるとした。その過程でアングルという言葉が出てきた。これは最近よく使われるようになったばかりの言葉であるため、まだはっきりとした定義はできない。しかし概ね「ある試合に至るまでの盛り上げる手法全般」として使われているため、今回の研究ではそのように定義して用いた。
結局この「アングル」という言葉がキーワードとなった。もともとはプロレス界の隠語として生まれたものであるため、マイナーなものであると考えていた。しかしK−1イベントプロデューサー・谷川貞治氏がインタビュー内で自然に使っているのを発見し、意外と浸透している言葉であることが分かった。K−1におけるアングルというのは、プロレスとは大きく異なり、ストーリーなどをあえて作らなくてもトーナメントというシステムそのものがアングルを勝手に生み出してくれるものだということだ。このトーナメント制というものは、世間的にはオリンピックやワールドカップなどのスポーツを連想させる効果があると思われる。スポーツそのものに真剣勝負のイメージが浸透しているため、試合結果自体が次の試合へのアングルになるのである。
プロレス界でのアングルというのは、マッチメイカーなどの上層部の人たちによって、ある選手をいかに売り出していくかを決定していくことを指す。新日本プロレスの場合はIWGPヘビー級選手権というベルトが頂点の象徴として存在している。そのベルトを長い年月をかけて獲得するまでのお決まりのアングルがこれまであった。デビューしてから海外修行に出掛け、数年後に凱旋帰国してのIWGPタッグ選手権の獲得。そして頂点であるIWGPヘビー級選手権で数回の敗北を喫した後に念願の獲得を果たすというストーリーである。これらの従来型のアングルは80〜90年代まで基本形として浸透していたものであった。その特徴の一つとして、非常に長い大河ドラマであるということが挙げられる。長期間に渡ってずっと見てきている人にとっては思い入れも深くなっていくだろうし、どんどん引き込まれていくことだろう。しかし新規のファンは増えにくいと思われる。あまりにも長いと敷居が高くなってしまうからである。それに対してリアルファイトのトーナメントというアングルは非常にとっつきやすい。とにかく一度観戦してしまえば、その試合結果が次の試合への期待感を生み出してくれるからである。そのライトな感覚がファンを激増させていった。
そうした情勢の中、新日本プロレスもアングルの作り方を変えざるをえなくなっていった。リアルファイトの場に送り出した選手の中から、活躍した選手にIWGPヘビーのベルトを巻かせていったのである。具体的には藤田選手と中邑選手である。かれらはそれまでチャンピオンになるための必須条件であった、海外修行もタッグチャンピオンもベルトへの挑戦失敗も経験していない。それらを全て飛ばしていきなりIWGP初挑戦にして奪取している。チャンピオンたる強さの証明はリアルファイトでの活躍そのものである。ここに新たなアングルが生まれたといっていいだろう。
このアングルという視点を発見できたことは、本研究における大きな成果の1つといえる。これにより、リアルファイトにせよ、従来型プロレスまたはリアルファイト的プロレスにせよ、1つのものさしで比較対象とすることが可能となった点が面白い。いくら真剣勝負を売り物とするリアルファイトであっても、観客に見せることで成り立っているショービジネスである限り、アングルの存在は欠かせない。それはプロレスにリアルファイトの雰囲気を取り入れたリアルファイト的プロレスにも当てはまることであるし、従来型プロレスについてはいうまでもない。
これらはいずれも格闘技をベースとした試合を行い、それを観客に見せるものであるという点では共通している。真剣勝負か否かということを抜きにしてみた場合、3つの形態の違いはアングルの違いによるところが大きいといえよう。トーナメントのシステムを軸にしたスポーツ性を売り物にしているリアルファイト。選手ごとに練り上げられたストーリーによって興味を抱かせようとする従来型プロレス。リアルファイトとプロレスの融合体のようであるが、基本はあくまでもプロレスであるリアルファイト的プロレス。こうしたアングルの差異が3つの形態を特色付けているのである。
これまでにも日本にはボクシングや空手、柔道など様々なジャンルの格闘技が存在しながらも、大きなブームを起こしたことは少なかった。そのなかで、見世物であることを強く意識していたプロレスが、アングル作りに力を入れることで50年に渡って人気を博してきたことは必然であったのかもしれない。しかし時代の変化とともに、スポーツ性を重視したリアルファイトのアングルが人々に受け入れられるようになり、興行的にも成功を収めている。そのジャンルの繁栄というものは、いかに時代に即応したアングルを作り出せるかにかかっているといえよう。
そしてプロレスのアングルが変化していった影響は試合展開にも見られる。それまでのように派手な技が飛び交うことはなく、リアルファイト的な技や展開が随所に見受けられる。試合時間も従来のものよりかなり短い。ここらへんはリアルファイト的な要素が盛り込まれている部分であるが、完全にリアルファイト的な試合にはなっていない。観客の大部分はプロレスのファンであり、プロレスの色も残っていなくてはならない。プロレスに特有のノーガードでの打撃や、場外乱闘、攻守の交代なども見受けられる。これらがなくてはプロレスの会場では盛り上がりに欠けてしまうこととなるだろう。
いくらリアルファイト的プロレスといっても、試合をしているのはプロレスラーである。K−1やPRIDEなどのリアルファイトではどうしても試合が膠着したり、地味な展開に終始してしまうことがある。リアルファイト的プロレスの場合、その恐れは全くない。盛り上げる場面はあらかじめ用意しておくことができるのである。新日本プロレスは、プロレスのできるリアルファイターを自前で作り上げることに成功したといえよう。そしてそのプロレス内リアルファイターは、プロレスファンには敵として捉えられているリアルファイトのにおいを色濃く含んでいる。そこに従来のプロレスの基本形であるベビーフェイスとヒールとの対立概念も作ることができるのである。そして操縦可能な仮想リアルファイターを、ヒーロー役の新日本プロレスのプロレスラーが倒すことが出来るのか否かというシチュエーションが出来上がったのが現状である。
ただし、この新しいアングルや試合というものが、今後の新日本プロレスに定着していくかどうかは分からない。なぜならこの新しいアングルには、リアルファイトで活躍できるという真の格闘スキルを持ち合わせた選手が必要となるからだ。こればかりはいくら試合という作品を作り上げるのに長けたプロレスラーでもどうにもならない。もしかすると僅か数年後には再び別のアングル作りに精を出しているのかもしれない。