第2章 グレーゾーンによる「最強」幻想
現在、世の中には様々な格闘技が存在しており、それぞれに特徴のある闘いが行われている。しかしメジャーなものからマイナーなものまで含めると数多くのものがあるため、あまり関心のない人にとってはどれも同じように見えてしまうことだろう。ここでは今回の研究で対象としているプロレスについて、いかなるものであるかを説明していくこととする。
プロレスには「最強」イメージを演出するための様々な方策がとられている。もともと大衆娯楽として始まったものであるため、格闘技としての細かい技術的な攻防というのは見せない。そうした展開を見せても、格闘技経験者でもない限りその選手の「強さ」というものは伝わらないからである。誰にでもその「強さ」をアピールするためにはわかりやすさが必要なのである。
まずは絶対的強者であるヒーローが必要とされる。そのヒーローはファンが支持しやすいような善玉、いわゆるベビーフェイスでなくてはならない。その役割を演じるレスラーは、普段のコメントからリング上の闘いまで全て品行方正な印象を与えつづける。こうしたファンの共感を得やすいレスラーがリング上で勝利を続けることで、人びとはプロレスラーの「最強」幻想を保ちつづけることができる。
そのためには逆に負け役を演じなければならないレスラーも必要となる。一般的にはヒールと呼ばれる悪役がその役割を担うことが多い。彼らは悪態をついたり反則などの汚い手段を用いることによってファンから反感を得ることに努める。そうしたヒールたちがベビーフェイスに最後には負けてしまうことで、ベビーフェイスの「強さ」が強調されることとなる。
またファンにわかりやすく「強さ」をアピールするためには、見栄えのする技の攻防というものも不可欠な要素である。相手の攻撃を徹底して防御して技を受けないという展開だと地味であり、うまくその「強さ」が見ている人に伝わらない。派手に互いに技を掛け合い、受け合うことで闘いに華が添えられることになる。
しかしこうしたプロレス特有の演出が、見ている人々には怪しげなものとして捉えられる事がある。「悪役のレスラーが公衆の面前で椅子やフォークを使って相手を血だるまにしているのに、どうして警察は何も言わないのか」「ロープに振られると、なぜわざわざ跳ね返って相手の攻撃を受けに行くのか」「コーナーポスト最上段からニードロップをしてくるのが見えているのになぜよけないのか」など。つまり本物の闘いとしては不自然ではないかという疑念である。だがそうした中にも「いや、あれはちゃんと真剣勝負をしているんだよ」と信じて疑わない人もいる。
これらのファンの疑問に対して団体側は黙して語らずという態度をとっている。ここにプロレスの「グレーゾーン」とでもいうべきものが存在しているのである。
このグレーゾーンこそがプロレスの最大の特徴であり、また面白さのひとつともいえる。疑わしさを孕みつつも、しかしプロレス団体側は真剣勝負だとして提供してきた。それに対してファンは、「おかしな部分もあるが、大方は真剣勝負なのだろう」「演出されたものなのだろうが、それはそれで楽しめればいい」などそれぞれの見方で楽しんできた。
しかし近年、そのグレーゾーンを破壊してしまう存在が登場してきた。暴露本の出版である。とりわけ『流血の魔術 最強の演技』(元新日本プロレスレフェリー・ミスター高橋、2001、講談社)や『泣き虫』(金子達仁著・元プロレスラー高田延彦監修、2003、幻冬舎)は、元レフェリーや元プロレスラーといった業界内部の人間が執筆または監修したものであるため、その影響は計り知れない。
ただしこの章で明らかにしようとしている「プロレスとはいかに」という問いに答えるには格好の素材となろう。ここでは、特にプロレスの内幕について詳しく載っている『流血の魔術 最強の演技』の本文の中からいくつか抜粋したものをデータとして用いたい。ちなみに( )内は掲載されているページである。
<プロレスとは>
「美しく投げが決まることなど、シュート(真剣勝負)の世界ではあり得ない」(18)
「いくらショーとはいっても、観客にショーだと思わせないのが今までのプロレスだ」(21)
「プロレスの内部から見れば、本当はどちらが強いといった話は興味の範疇外なのだ。お互いが自分の役割を演じながら、一つのドラマをつくっていくのだ」(46)
「強い者同士が強さだけを競い合っても、興行としてお客さんに楽しんでもらえるような試合はできない」(81)
「強い者が強さを競うのが格闘技で、強い者が芝居をするのがプロレス」(105)
「強いレスラーはいる。しかしそれは個人の話であって、プロレスではない。プロレスは“最強”を演出するエンターテインメントなのだ」(126)
<試合の作り方について>
「一日の全試合について、マッチメイカーはカード編成と勝ち負けを決める。どこまで細かく指示するかはケース・バイ・ケースだが、この技で決めろ……とフィニッシュまで独断で決めてしまうこともある」(17)
「現在の新日本では試合前に選手同士が会って、『俺がこういうふうにして勝つ』『じゃあ俺がこういうふうに受けて負ける』……といった打ち合わせをしている」(20)
「私の経験上、レフェリーをしていると、レスラーが段取りを忘れていることは、その動きでわかる。そんなときは、試合中でもギブアップの確認や反則の注意をしているようなふりをして、フィニッシュに持っていくまでのストーリーを耳元でささやきつづける」(22)
「セールというのもプロレス界の隠語で、やられているようにうまく見せることを言う」(84)
「レスラーの額から出るジュース(血)は、カミソリの刃でサッと切り裂いて出すものだ」(147)
<アングルについて>
「“アングル”と呼ばれるプロレスのストーリーは、このように会議の場で誰かが発案して煮詰められていくこともある。アングルというのはプロレス界の隠語で、試合を盛り上げたり特定の選手を売り出したりするために、何らかの因縁や経歴などをでっち上げることを言う」(27)
それまでうやむやだった部分が明確に語られている。つまりプロレスというのは格闘技ではなくショーであり、あくまでも「最強」を演出するエンターテインメントである。そのためにアングルを使って試合に至るまでの過程を盛り上げたりもする。また試合の勝敗はあらかじめ決められており、試合展開もお客さんに楽しんでもらえるような演出がなされているということだ。しかし観客に対してはショーであることを明らかにはせずに、真剣勝負なのかどうかはグレーゾーンとして残されている。
ここで特殊な用語としてアングルという言葉が出てきているが、元々はプロレス界の隠語として生まれたものであることは間違いないと思われる。しかし最近では他の格闘技界でも時折発せられる言葉であり、その用いられ方はある試合に至るまでの盛り上げる手法全般であるようだ。まだ表に出てきて間もない用語であるためはっきりとした定義はできないが、本論の中では「アングル=ある試合に至るまでの盛り上げる手法全般」として使うこととする。