第1項 女性と英語・留学との関わりについて

 

 1980年代のバブル景気の影響もあってか、空前のOL留学ブームが起こり、海外留学をする女性が増えてきたのはこの頃からであるという。今となっては、現代女性の生き方の中に、社会人になって英会話学校や海外で勉強するという選択肢が当たり前に存在している。

日本を飛び出して海外に行くことに真新しさがあるわけでもなく、OLが会社を退職して留学することも実は既に普通のことであるだけの話なのかもしれないが、会社を辞めてまで留学することの意味をどこに見出しているのかを考えたとき、そこにはOLという肩書きを捨てて海外で新しい生き方を模索する姿が浮かび上がってくる。英会話学校に通うことや留学することが男性よりも女性に多く選択されるライフコースであるということからも、やはりそこには女性の生き方を象徴する“何か”があると考えられる。

現代女性の生き方は年代ごとに何かに象徴されるように少しずつではあるが、確実に変化してきている。例えば、OLが会社を退職して海外留学することは一つの生き方として捉えられるようになってきたといえる。津田(2000)はハワイで語学留学中の女性たちにインタビューしたところ、彼女たちは「大学⇒OL⇒退職⇒留学」というコースを辿っており、「一昔前の、大学⇒OL⇒退職⇒結婚というパターンの『結婚』が『留学』に取って代わった」(2000: 110)と女性のライフコースの変化について指摘している。

そもそもなぜ女性に英語好きが多いのだろうか。前のところで、女性は男性よりも「英語がペラペラに話せること」に対する強い“憧れ”を抱く傾向があると述べた。英会話学校へ行くかなりの部分が若いOLや主婦たち、大学生であり、もっと極端に言えば20代〜30代を中心とした若い女性に英会話が好んで学ばれている。

女性になぜ英語好きが多いのかについて津田(2000)は「英語は、女性に『自由な気分』を与えてくれる装置として機能している」(津田 2000: 91)からだといい、「日本女性はよく“英語の使える仕事をしたい”というが、このことばからも明らかなように、英語と仕事は女性たちの頭の中では一つになっており、その行く先というのは『女性の自立』という到達点である」(津田 2000: 91)と述べている。現代女性の新しい生き方の指標やお手本として、自分自身の能力と努力で「男まさり」の社会的成功を収め、海外において自己実現を図っていく女性像に魅力を感じ、そのような「自立した女性像」に“憧れ”を抱くのではないだろうか。

しかしながら、女性の社会進出が進んできたとはいえ、男性主導の企業社会の体質はそう簡単には崩せるものではなく、女性が社会に出て結婚という一つの人生の区切りを迎えたとき、退職せざるをえないというのが現状だ。今となっては、女性たちは「就職⇒OL⇒結婚⇒退職して家庭に入る」という女性特有のお決まりのライフコースに対する嫌悪感や退屈さを感じており、英会話学校に通うことで従来の枠に納まることなく、新しい生き方・ライフスタイルを模索している過程にいるのではないか。英会話学校で学び、海外留学することで従来の女性の生き方の枠組みに当てはまらないような“自立した女性像”や“しがらみに束縛されない自由気まま”な新たな生き方を探求し続けているのではないだろうか。英会話学校に通い続けることは、女性が「本当の自分らしさ」を探求するために「終わりのない旅」を続けることを意味するのではないか。英会話学校に通うこと、海外留学することが「本当の自分らしさ」を探すための手段となっているという浅野(2002)の論述は、英会話学校はただ英語が話せるようになるためだけに利用されているわけではなく、女性の生き方そのものに深く関わっていることが分かる。

女性が英会話学校で学んだり、海外留学することは、「本当の自分探し」の旅のようであるが、一方で、教養を高め内面を磨くための英語であったり、英語を“身にまとう”感覚で英会話学校に通う傾向もみられる。ある新聞の中で、“英語はファッションの一部”となっているという興味深い記事を発見した。英語を学ぶことで教養を高められることは理解できるが、内面を磨くことが英語を学ぶこととどう関係しているのだろうか。英語を学ぶことで教養が高まり、自分に自信がつくことで生き生きできるということを意味しているのだろうか。また、ファッションの感覚で英語を「身に付ける」というのは一体どういうことなのだろうか。

津田(1993)は、英語と日本女性との関わりを探るために日本女性の英語と留学に対する一連の行動と意識形態を通して、日本女性を(@)クリスタル感覚派(A)モラトリアム探求派(B)スーパーウーマン志向派の3つの類型に分類した。次の第2項では、この津田(1993)が分類した(@)〜(B)の女性像について詳しく述べる。