第2節 “なんとなく”続けている英語
人々がこぞって英会話教室に通うことの意味を問うとき、“役に立つ”とか“実用的だから”といった単純な動機づけで語られるほど単純ではないと考える。なぜなら、わざわざ高額な授業料を支払ってまで英会話学校に通うその訳は、単に語学を習得するためだけの手段として捉えられる程単純ではないはずだからだ。人々はプラスアルファの部分に魅力を感じて、あるいは、英会話学校に期待する何かを持っていると考えられる。または、英会話学校に通うことで自分自身に何かプラスになるような魅力を感じているからだと考えられる。
この論文の出発点は、英会話学習者の「なんとなく」という一言で片付けられがちな英会話の動機の裏にあるものを垣間見ることはできないだろうかということから端を発している。その「なんとなく」という言葉の裏にはどのような意味が込められており、義務教育を終えて就職をしてからも英語を学び続けていくことはどのような意味を持っているのかを明らかにすることであった。漠然としている英会話を始める動機は非常に曖昧で、複雑であるはずだと考えられる。
ここでは、日本人と英語の関係について英語支配の観点から述べた津田(1990,1993,2000)の理論と、英会話に通うことは人々にとって「本当の自分探しの旅」だと捉えた浅野(2002)の理論に従って、さまざまな選択肢がある中で人々が英会話学習を選んで通い続けていくことは一体どのような意味を持つのかということを二つの視点から論じてみたい。