第2章 現代の日本社会における英語を取り巻く現状

 

 現代において、英語教育は「役に立つ」ことに重点がおかれるようになってきた。2003年度、文部科学省は「『英語が話せる』日本人育成のための戦略構想」を策定し、英語教育内容の改善や指導体制の充実、小学校への試作的な英語導入など、英語教育においても今が変革のときである。その一つの試みとして、英語特区を配置し、群馬県太田市に国語以外の授業は全て英語で行われる「ぐんま国際アカデミー」が2005年春に開校予定となっているなど、国を挙げての実践的英語教育の必要性がますます問われてきている。

 しかし、英会話学校はそのような社会の中において、ただ「英語が話せるようになる」ためだけの場として利用されているわけではない。“なんとなく”という曖昧な動機づけで英会話学校に通う人々も多い。津田(1990,1993)はそのような人々の行動形態を「英会話症候群」と名付けた。一方で、浅野(2002)は、英会話学校は「本当の自分」を探す過程に位置づけられており、現代人は英会話学校が記号化されたイメージを消費しているに過ぎないと述べている。

そもそも英会話学校に通う生徒の大半は女性であり、留学も含めた英会話産業に貢献しているのは女性であると言っても過言ではない。津田(1990,1993)は、なぜ女性をそこまで英語学習に駆り立てるのかについて、「英会話プロパガンダ」を作り上げるメディアの存在との関わりや、留学や英会話学校に通うことが男性よりも女性に選ばれることから、多かれ少なかれ程度はあるにしろ、英語は女性の生き方に影響を与えるものだと述べた。津田(1993)は女性と英語の関わりについて、英語と留学に対する一連の行動と意識形態を通して(@)クリスタル感覚派、(A)モラトリアム探求派、(B)スーパーウーマン志向派の3つの類型を提示した。

この章では、第1節「役に立つ英語」教育の広がりについて、第2節“なんとなく”続けている英語について、第3節では女性の生き方と英語との関わりについて、第4節ではメディアがどのように現代女性の新しい生き方を記号化しているかについて述べる。第5節で第2章のまとめとしたい。