*このレポートに関しては、資料を割愛させていただきます。
「士郎正宗作品群におけるチーム」
ここでは私にとってもっとも身近な素材である士郎正宗の作品をゴフマン風に分析したいと思う。士郎正宗作品では「攻殻機動隊」など戦術単位としてのチームの描写が多いため、チームについての分析を行う。
まず「攻殻機動隊」のチームについての分析を行う。この作品は、ネットーワークやサイバネティクスが発達した近未来で、公安九課の特殊部隊、通称「攻殻機動隊」が活躍するというものである。この攻殻機動隊は主人公である草薙素子と、公安部部長の荒巻によって創設された組織で、荒巻いわく「上は首相だけ、責任はわしが持つ・・・階級なしの実力主義・・・最優先ライン」だそうだ。つまりはこの組織には首相を除いて上司というものが存在しないことになる。実際、彼らのなかで敬語等はほとんど使われないし、誰が上司で誰が部下である、といったようなはっきりとした態度や行動はとられていない。しかし、資料@Aで示したように、先輩後輩などという意識面での差はあるようだ。資料に描かれているのは、トグサとバトーといういずれも攻殻機動隊のメンバーだが、資料@でバトーは汚れ仕事をやらされたことに対し、トグサにあたっている。資料Aでも上下関係について口論をしている。表面的には上下関係など隊員間の差は無いが、「実力主義」という意味で差が生じている。その差を分析してみると、トグサはもともと警視庁の刑事であったのを草薙が引き抜いたのであり、カウンターテロを主とする攻殻機動隊においては「新入り」だったのである(性質的に攻殻機動隊は軍隊に近い警察である)。それに対しバトーは軍歴もあり草薙とも付き合いが古い、つまりは「古株」なのである。しかし新入り、といってないがしろにするわけではなく、その能力を認め、これからの成長素養に期待し、また叱咤する、といったようにまさに上司であり同僚でもあるのである。
また、攻殻機動隊は準軍事組織といっても良いほどの機密を有する組織であるため、当然ながらチーム内での秘密の共有、というものが発生してくる。舞台設定が犯罪の手口が多様化、巧妙化した時代である、ということからチームの一員に対しての秘密というものも当然存在するようになる。秘密の共有の例を挙げて、分析していきたいと思う。資料Bの例では仲間チームメイトに対する秘密が見られる。このシーンは、正体不明の一流ハッカーである「人形使い」を九課が捕らえ、そこに対外問題がらみで人形使いを追跡してきた公安六課の部長が訪ねてくる。その時、何者かの襲撃を受け、九課は人形使いを連れ去られてしまう。この襲撃以前に草薙は不審者を発見し、不穏な事態を予測していたが、資料Bの右ページ三コマめのセリフ「どうして何もしなかったと思うワケ?」の通り発信機をつけただけで何もせずに、襲撃犯を泳がせた。これは、草薙が襲撃を予測した時点で六課の仕業であると判断し、六課の襲撃であるという確証がつかめないことを考慮に入れたうえで、現場にいた荒巻に事実を伏せてチームメイトと連携し、尾行をつけて泳がせたのである。面白い点は、この襲撃の後に六課であろう襲撃犯がいることが荒巻を始め九課のチームメイトに公開され、実質的な指揮権が荒巻に移行していることである。つまり、複数のパフォーマーが存在するチーム(九課こと攻殻機動隊)の中で、一部のパフォーマー(荒巻や現場にいない隊員たち)に対して秘密が伏せられていたが、機を見てチーム内のパフォーマーすべてに公開されているのである。もちろんこの事実をオーディエンス(公安六課)が知ることは無い。また、この話には「暗い秘密」の描写も存在する。尾行についていた隊員のバトーが尾行を行っている対象に、尾行を気づかれないために車を変えるが、そのために、車を盗難するのである。そこでバトーは本部へ連絡し、警察に対する処理を頼むのである。ここでは、チーム及びパフォーマーは九課、オーディエンスは車を盗まれた被害者及び一般人である。詳しく分析すると、攻殻機動隊はカウンターテロを行う公安組織、つまりは治安維持のための組織であるため「車を盗む」という行為はオーディエンスの前で保持しようとしている自己像とは異なるため、恒久的に秘密のままにしておく努力が払われるのである。
「攻殻機動隊」の続編である、「攻殻機動隊2」についても触れたいと思う。この作品は、前作で草薙素子が情報生命体(とでも言おうか)と融合し、数多くの同位体を世界に放った、その中の一人の物語である。主人公は荒巻素子と名乗る、ポセイドンインダストリアルという企業の考査部部長の女性である。続編は前作よりさらにシビアな世界となる。主人公(パフォーマー)は表向きはポセイドンインダストリアルという企業に在籍し、実績も挙げているが、社員(オーディエンス)に見せる「切れ者部長」という姿とは別に、怪しげなハッカーと取引を行ったり、世界各地に武装や自分の分身たるロボットをおいている、というもうひとつの顔を持っているのである。荒巻素子は、他者を一切信じず、支援AIだけを味方に数々の困難な状況を打破していく。一見すると素子とAIはチームのように見えるが、AIは自律性を持つが、結局はプログラムに基づくものなので素子のコマンドもと動くプログラムに過ぎない(資料C)。このため、マンガ内では複数の味方が存在するように見えて、実は素子一人だけなのである。これは、作者のマンガの読者に対するパフォーマンスなのではなかろうか。つまり、パフォーマー(作者)は「AIが複数の人格を持つ」ように描いている(読者=オーディエンスに見せかけている)が、その実はAIはマンガにもあるように、「ボクらAIは言語やOS端末誤差はあっても基本的に既知宇宙(ネットワーク)にひとつの存在です」「端末やハードの距離は見た目上の現象に過ぎません」ということなのである。こうして見るとマンガというメディアにのせた、作者と読者のパフォーマンスのやり取りもなかなか面白いものである。そう考えるとマンガというものは等しく作者というパフォーマーによる読者というオーディエンスへと向けられたパフォーマンスなのではなかろうか。パフォーマーの思惑によってマンガという演出は変化し、内容だけでなく、ハード面(装丁や版など)などにもその演出は行われるのであろう。
「アップルシード」というシリーズについても触れてみたい。このシリーズでは、攻殻機動隊とは一味違ったチームの姿が見られる。舞台は攻殻機動隊よりも後の時代、アジア諸国対EC米の第四次非核世界大戦終結後の荒廃した世界である。国際調停監視機関である「総合管理局」が運営するアポルシード計画というバイオロイド(遺伝子操作等で人為的に造りだされた人間)により運営される都市「オリュンポス」。戦後もその終結を知らず、廃墟での潜伏生活を送っていた主人公のデュナンとブリアレオスは、総合管理局の手引きによりオリュンポスへ移住することとなる。そしてESWAT(ESpecialy Weapons And Tactics)へと入隊し、犯罪者と戦うこととなるのである(ESWAT=資料D)。ここでの分析対象としてのチームは主にデュナンとブリアレオスや、ESWATになるが、攻殻機動隊とは少し違ったものとなる。まず階級や指揮系統がはっきりしているということである。攻殻機動隊という部隊が特殊であるせいもあるが、ESWATはオリュンポス・ポリスにおいてSWATの上位に位置する特殊部隊であり、治安局長直属の組織である。その組織(チーム)の構成は一般の警察や軍隊と同じく上から下への、いわゆる縦型組織であり、チーム内での上下関係がはっきりしている。資料Dにも描かれているように、チームには指揮官が存在し(資料Dではコマの左側の人物)、チームの編成、戦術は彼ら指揮官が行い、チームのメンバーはそれに従い行動することが求められた役割なのである。しかし、予期せぬ事態の発生からチームとしての役柄から外れた行動をとる場合も存在する。資料Eはその一例で、麻薬組織のアジトの殲滅作戦で捕らえた外交特権を持つ要人(一コマめの人物)の発言に対しデュナンが激昂し、暴力を加えるシーンである。この要人は人間を「量産」し、反人道的な扱いを行っていた(三コマめの「私の子供達に〜」はこの事)。その事実を目の当たりにし、感情を抑えられなくなったデュナンは結果として彼を殴りつけるのである。左ページ五コマめのセリフからもわかるように、この時点で要人には外交特権が存在し、法律的に保護される対象である。そのため、指揮官及びチームは要人を「殴る」ということは要求しておらず、役柄から外れた行動となるのである。このように、厳密な指揮の下でも何らかの理由で役柄から外れたコミュニケーションが行われる可能性も存在するのである。
チームの、主に上下関係での相互行為を見てきたが、チーム内、チームメイト間での相互行為はどうだろうか。資料Fにはチームのメンバーとの訓練後の風景が描かれている。ESWATチーム内でデュナンが犯人役となり、それを制圧するというシチュエーションで実戦訓練が行われていたが、デュナンが制圧側を圧倒し、彼らに対し「青いぜ」などというセリフさえも言っている。確かにこのシチュエーションは実戦を想定したものであり、彼女は訓練を行ううえでリアリティーを演出するために十分な腕前を発揮している。しかし、ここで問題となってくるのは彼女のメンバーに対する態度である。彼女にしてみれば、戦闘時の高揚感を楽しんで訓練を行っているのだが、ここでESWATというチームについて考えると、その点が彼女にとって不利益をもたらすかもしれないのである。これはどういうことかというと、ESWATのチームというものは犯罪者と常に向き合い、カウンター・テロやもっと軍事色の強い任務にもつくこととなるため、通常の警察よりもより危険度が増す。そこで生き残るために必要となるのが、自分の腕前と、何よりチームワークが大切となってくるのである。ここでチームのメンバーを侮辱するような発言をする、ということは間接的に自分の命にかかわってくる問題なのである(資料F上ページのブリアレオスの発言「いつか自分の命を救うかもしれん連中に、あんな事言うもんじゃない。」「生意気してると大事にしてもらえんぞ」)。このパフォーマンスのせいで後ろから撃たれる、などということはまず無いであろうが、それでもチームとしてやりにくくなるなどの何らかの不利益をこうむるのではないかとブリアレオスは懸念し、怒りのジェスチャーとともに彼女に伝えている。そして彼女はメンバーに謝罪をすることになる(資料F下ページ)。しかし、メンバーは「気にしていない」と言い、「ポイントマン(前衛)はチーム全体が信頼しうる能力を持つべきだ」とさえいっている(資料F下ページ)。デュナンが侮辱とも取れるパフォーマンスをメンバーに送っても、メンバーはそれを額面どおり受け取らず(多少は自信を喪失したり、気分を害したりはしたであろうが・・・)、それでもなお彼女を信頼に足る能力の持ち主である認めているのである。ここで、パフォーマー(デュナン)とオーディエンス(メンバー)の考えに差が生じている。これは、彼女がブリアレオスの忠告に従い、素直に謝ったという事実が影響していると考えられないだろうか。もし彼女が謝ることをせずにそのままで今後を過ごしたら、「腕は立つが生意気なポイントマン」だと思われたままになっていたかもしれない。謝るという行為によって、メンバーの考えに変化が生じ、態度が軟化したのかもしれない、とは考えられないであろうか。(これは分析ではなく推察か)とはいえ、そう考えるとパフォーマンスによる印象の変化、あるいは印象の操作の一例としても考えられるのだから、なかなか面白い。印象の変化といえば、ひとつ面白い例がある(資料G)。これは、デュナンの友人が薬物を投与され、ブリアレオスを撃って逃走する。一般の警察では到底太刀打ちできない相手であるため、やむを得ずデュナンがこれを追撃することとなるのである。ここで特筆すべき点としては、デュナンが友人と対峙したときの反応である。友人が武器を手に取る前はデュナンは勿論一人の友人として親しく接している。しかしデュナンは、武装した友人との戦闘に入ると態度が一変し、一見すると無抵抗な彼女を撃っている。しかしこれは友人の武器のノズルが正面を向いていたためで、ブリアレオスを撃たれた復讐で殺したわけではない。怒りがあったのも事実だが、デュナンは友人の攻撃可能性を制止したのであり、その結果として友人は死んでしまったのである。可能性として友人はデュナンを撃ったかどうかわからないが、「待って」と言って投降するかのようなパフォーマンスをみせているとはいえ、デュナンが銃を下ろせば友人が投降したかどうかは疑問である。そして、薬物の効果とはいえテロ行為を行う犯人の言葉を信じるほどデュナンは素人ではなかったのである。一瞬のうちにシビアなタイミングでパフォーマンスのやり取りが行われ、瞬く間の判断により命のやり取りが行われている。アップルシードの世界での銃を向け合っての相互行為は、それ以前のキャラクターの印象を大きく異にするものなのである。
もうひとつ、作品を挙げてみたいと思う。戦車と警察をモチーフとした「ドミニオン」シリーズである。このシリーズは、環境破壊の影響によって発生した微生物の雲に覆われた未来の世界を舞台に、主人公の尾崎レオナたちの戦車隊が活躍するという物語である。このシリーズは士郎正宗作品の中でも比較的コメディ描写の多いもので、攻殻機動隊やアップルシードとはまた違ったチーム像がうかがえる。シリーズ続編である「ドミニオン コンフリクト編 第一話 NO MORE NOISE」では主人公が分隊長、つまりチームという単位の指揮官となっているので、主人公の主観的な視点からチームにおける指揮官というものを見ることができる。主人公の隊長としてのパフォーマンスの面白い点を例を挙げて分析する(資料H)。ここでは主人公は隊員たちに微笑みかけている(2コマめ)。これは彼女なりの「部下に優しく接する」というパフォーマンスであるが、部下たちには帰って不審がられている(3コマめ)。これは何を意味するのだろうか。つまりレオナは普段はこのようなパフォーマンスは取らないのであり、ある意味普段の役柄から外れているのである。これはレオナが「すかれる上司になる秘訣 完全版」という本に影響されて行った、普段ではまずありえない一時的なパフォーマンスであり、本人いわく「慣れないことに脳ミソ使うんじゃなかった!」なのである。では、普段のレオナはというと資料Iで示したように、部下に厳しく容赦はしない態度をとる。左ページ4コマめで叱責を受けているのは博士号もちの、いわゆる官僚候補生の部下である。この世界では彼のように博士号を持って警察に入ってくる者は警察学校入学時からエリートコースに乗っている。書類上の経験地を高めるために様々な部署を転々とし、格段に早いスピードで出世していずれはレオナよりも階級が上になることを約束されている人物である。その彼をレオナだけが、「ホンマあいつだけは見境なしやのー」の言葉のとおり、他の人間と区別することなく(かなり過激なやり方ではあるが)接し、叱咤しているのである。「そうゆう意味での見境がある様やったら信頼も尊敬もされませんて」といわれているが彼女のこういったパフォーマンスも尊敬の源となっているのである。パフォーマンス、といったが、彼女の場合このようなパフォーマンスは意図して行われるものではない。これらのパフォーマンスは尾崎レオナというパフォーマーの人間性などの性質に基づくものであり、彼女にとっては自然な行為である。部下たちはもちろんそれを当然の事ととらえているので、先のような役柄からはずれたパフォーマンスが行われると困惑してしまうのである。
上司の例として面白いものがひとつある。警察署の次長である(資料Hの5コマめで式を取っている人物及び資料Jに描かれている人物)。詳細は描かれていなかったが、次長は元自衛官であり、かつてはかなりの地位まで行く予定であったが何らかの理由で警察官という選択肢を選び、物語の舞台となる警察署では署長に次ぐポストについている。彼は長い間の自衛官生活のせいか、なかなか軍隊式の癖が抜けきらない。資料Hでは彼が号令を発しての朝礼が行われているが、このように号令によって一斉に点検が行われるのはいかにも軍隊的である。彼には意識してこのように軍隊的なパフォーマンスを行おうという意思は無いのだが、階級が下のものがそろっている条件で、号令を下すとなると無意識のうちに軍隊的なパフォーマンスが発せられてしまうのである。また、資料Jでは彼の警察という組織の中での自分のありようと、ふるまい方についての考え、及び部下の彼に対する見方がうかがえる。資料J左ページの5〜7コマめでは、新人として配属されたアンドロイドのアンナが次長に必要書類のハンコを求めるシーンであるが、アンドロイドが十分に教育されていないことと、そなえ持った人間性(この場合プログラムであろうか?)のため次長に対して敬意を欠いた態度で接してしまう。次長は自衛官あがりであるため階級には人一倍厳しく、部下たちは次長が怒るのではないかと懸念しているが、次長はアンナをとがめることなく接している。このとき次長は「ここはもう自衛隊じゃないんだから、階級にこだわらず合理的にやればいいんだ・・・ガマンガマン」と考えている。つまり、警察という組織はかつて自分がいた自衛隊とは違って、階級主義や命令への絶対服従などというものは存在しないので、ソフトに物事を考えよう、という考えがあるのである。そしてその考えは、アンナの無礼をとがめない、というかたちのパフォーマンスによって示されている。しかし次長のパフォーマンスも彼の真意を伝えることにはならず、部下たちもパフォーマンスのとらえ方はばらばらである。7コマめでは右側のキャラクターは「アンドロイドやからしゃーないとは言え、階級の違いや礼儀を教えるべきか・・・!?次長が怒らんでよかったけど・・・」といっている。彼の考えていることは次長の「階級にこだわらず」という考えとは違っている。またコマ奥のキャラクターは「ああ・・・おこってるぅ〜」といっているため、次長のパフォーマンスを見て、次長が怒っているのであると勘違いしている。普段パフォーマーが与える印象によって、パフォーマンスの意味がオーディエンスには違って伝わる、ということの一例としても考えられる。
さて、ここまで士郎正宗作品群における、さまざまな「チーム」についての分析を行ってきた。どのチームも、チームとして存在するうえでゴッフマンが述べたような相互行為を行っていることが理解できたであろう。ただ、そのチームも舞台や参加するパフォーマー、オーディエンスなどの様々な要因によって多様に変化し、ひとつとして同じ顔を見せない。チームというものを観察、分析する上である程度規模が限定されてくるであろう。それは観察者の視野(物理的意味ではなく)と処理能力の限界からくるものであるが、「チーム」というものを巨視的に見た場合、「社会」「国家」はたまた「地球」といった単位のものも考えられてしまうから面白い。そこまでいくともはやチームの構成員はパフォーマーとしての個性が見えなくなり、チームはひとつの生き物となってしまうであろうが。
参考文献
・
攻殻機動隊 士郎正宗 1991 講談社
・
攻殻機動隊2 士郎正宗 2001 講談社
・ アップルシード1 士郎正宗 1985 青心社
・ アップルシード2 士郎正宗 1985 青心社
・ アップルシード3 士郎正宗 1987 青心社
・ アップルシード4 士郎正宗 1989 青心社
・ アップルシードデータブック 士郎正宗 1990 青心社
・ アップルシードハイパーノート 士郎正宗 1996 青心社
・ ドミニオン 士郎正宗 1986 青心社
・ ドミニオンC1コンフリクト編第一話 1995 青心社